白き竜(シェリル視点)

白き竜の別邸は、都の中にある。




 この屋敷はそもそもシェリルとの婚約が決まった際、いつでも会えるようにとアルズールが造らせたもの。




 二人だけの愛の巣。




 そして今は、心身の均衡を崩したアルズールの療養の場でもある。




「シェリル様、今日も足を運んで頂きありがとうございます」




「アルズール様もきっと、お喜びになられましょう」




 護衛の兵士たちがうやうやしく頭を下げ、玄関で出迎えた。




 シェリルは毎週のようにここを訪れていることもあり、兵士たちはまるで自分の主人のように扱う。




‘ご両親はおろか、白き竜の長とも会おうとしない……? 違うわ、お母様。あの方々は、アルズール様が正気を失ったと決めつけ、半ばここに幽閉して、ほとんど会いにも来ない!’




 この別邸を守る兵士たちは、アルズールがまだ幼い頃から彼を守ってきた。




 その忠誠心は、アルズールが竜帝候補から外れた今も変わらない。




「アルズール様のご容態は?」




「……落ち着いておられるようですが、やはり終始、虚空を見つめておられて」




「今日はこんなにも気持ちのいい陽気だというのに」




「そうなのですが……」




「シェリル様」




 護衛の兵士が突然足を止め、その場で片膝を折って最敬礼をする。




「?」




「アルズール様のこと、感謝してもしきれません。しかしながらあなたは聖女様でございます。どうか、ご提案を受けて頂きたい!」




「またその話ですか」




 アルズールの両親から、彼の弟とつがいになる話を提案されていた。




 アルズールに昔の面影はない。




 能力こそ白き竜随一であることに変わりないが、心を病んでしまっている以上、白き竜を率いることはできない。




 アルズールの弟は能力こそ兄に劣るが、白き竜を率いる立場としての教育を受けている真っ最中だった。




「あなた方の気持ちは嬉しいわ。でも私が生涯、添い遂げたいのはアルズール様だけ。他の方ではいけないの。もうこのお話はやめましょう」




「……申し訳御座いません」




 兵士たちは立ち上がるとアルズールの部屋の前で止まり、シェリルのために扉を開ける。




 広々とした部屋。




 しかし明かりは消され、窓にはカーテンが引かれている。




 その部屋の真ん中に、アルズールはいる。




 車椅子に乗り、虚空をぼんやりと眺めていた。




 竜帝候補だった時の美しさはそのままなのに生気がないせいで、まるで精巧に造られた人形のよう。




 少しでも肩を押せば、そのまま崩れてしまいそうな。




「アルズール様」




 シェリルの呼びかけに、アルズールがゆっくりと顔をこちらへ向ける。




 こうして言葉に反応してもらえるまで、長い時間がかかった。




「シェリル……来て、くれたんだね」




 今ではこうして話もしてくれる。




 笑顔もみせてくれる。




 差し出された手を、両膝を折ったシェリルは両手で包み込んだ。




「今日はとても天気がいいですから、庭へ出ましょう」




「ああ、いいね……私もそう思っていたところだ」




 車椅子を押し、内庭へ出た。




 降り注いだ木漏れ日を浴びて、花が、緑が、鮮やかに輝いている。




 今日は汗ばむような陽気だ。




 シェリルたちのあとを、アルズールを刺激しないよう兵士が距離を空けてついてきていた。




「シェリル、今日も君は綺麗だね」




 目線を合わせてしゃがんだシェリルの顔を、アルズールは優しく触れてくれる。




 くすぐったさに、シェリルは微笑んだ。




「早く元気になってください。あなたとの結婚式を楽しみにしているんですから」




「……そうだ。結婚式……そうだね……。早く君に、神聖な婚礼衣装を着せたい。白き竜の婚礼衣装はそれはそれは美しいんだ……。君によく似合うはずだよ、シェリル」




「はい……」




「車椅子をあそこまで押してくれ」




「? はい」




 言われた通りにすると、アルズールは可憐に咲くピンクの花を手折ったかと思うと、シェリルの髪にそっと差した。




「よく似合う」




「ありがとうございます、アルズール様。大切にします」




 シェリルと、アルズールはそっと唇を交わした。




「そろそろ戻りましょう。あまり無理をしてはいけませんから」




「……そうだね」




 その時、小鳥が枝に止まり、花の蜜をついばんだ。




 その姿にアルズールの表情が強張った。




「アルズール様?」




 小鳥がはばたく。




 その影が、アルズールの顔を舐めるように過ぎった。




 アルズールの穏やかだった眼差しが見開かれ、顔が引き攣る。




「あああああああああああ……やめ……ゆ、許し……許してぇ……!」




 アルズールは恐慌を来し、悲鳴を上げ、暴れだす。




「アルズール様!」




 シェリルは暴れるアルズールを抑えようと、抱きしめる。




 それでもアルズールが手を振り回して暴れるのを止められなかった。




 拳が、シェリルの頭を、身体を強かに殴り付ける。




「シェリル様、離れてください!」




「鎮静剤だ! アルズール様が暴れている!」




「皆さん、何もしないで! わ、私に任せて下さい!」




 殴られながらもシェリルは、アルズールを抱きしめ続ける。




 シェリルの身体が神々しい光に包まれた。




 黄金色の輝きが、アルズールの身体を優しく包み込んでいく。




「おお、あれは……」




「聖女様の輝き……」




 周りにいた者たちが感嘆の声を上げる。




「アルズール様、私の声に耳を傾けて下さい……」




「うぁ……あ……あっ……あぁ……!」




「どうか、落ち着いて。何も恐れることはないのです。さあ、私の声だけに耳を澄まして……」




 献身的なシェリルの声に、アルズールの瞳に理性の光が戻ってくる。




「あ、あ、ああ……わ、わた……私は……シェリル!」




 正気を取り戻したアルズールは、強く強くシェリルを抱きしめた。




「私はなんてことを! すまない、すまない、シェリル! わ、私を、私をどうか許してくれ……!」




「いいのです、アルズール様……。あなたのせいではありません。あなたは何も悪くない」




 周りの者たちが口々に「さすがは聖女様」「奇跡だ」と呟き、中には跪く者までいた。




「あぁ、シェリル……。君の聖女の力はなんて温かいんだ……。まるで君の心に触れているみたいで……」




「アルズール様には、私がついております。どうか、安心してください」




「家族や一族からも見放された私のために、ありがとう……」




「私たちは共に支え合う、婚約者ではありませんか」




「……そうだね」




 それからシェリルはアルズールを部屋に送り届けると、兵士の一人に声をかける。




「庭に鳥が入らないようにガラスの屋根をつけてください。それからさっきの小鳥はまだあそこに?」




「あ、はい」




「殺して」




「は?」




「アルズール様をあんな目に遭わせたのですから。逃がさないで、ちゃんと殺すように」




「……かしこまりました」




 シェリルは靴音を廊下に響かせながら、別邸を後にした。

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