秘密を明かす夜②

‘黒き竜は元々この世界に存在していなかった……?’


 ルカは何と言っていいのか分からなかった。


「ルカはケガレと竜が戦う姿を見たな。何か気付いたことはあるか?」


「戦っていたのは黒き竜だけではありませんでした……。白き竜、赤き竜、青き竜も一緒に……。でもそれぞれの竜は決して一緒に行動しないと聞いたことがありましたが、間違いだったのですか?」


「その認識は正しい。本来それぞれの竜族は交わることがない。ここにいる竜たちは皆、一族から追放されたんだ」


「追放? 罪人ということですか?」


「竜の法は人の法とは根本的に違う。竜の世界では弱いことこそ罪。元々力が弱かったり、何かしらの理由で戦えない竜は存在価値がないと見なされ、一族から疎外され、追放される……。そういう竜たちが身を寄せあったのが、そもそもの黒き竜のはじまりなんだ」


 オルシウスは今も頭上を流れていく流星群に目をやる。


 その眼差しは真摯で、同時に痛みを覚えているように細められた。


「その状況が変わったのが、奇しくも世界が危機に陥った災厄の刻。ケガレの前に、多くの竜たちが倒れた。その中にあって奮闘した竜たちがいた……」


「追放された竜たち……?」


「そうだ。俺の先祖は元々白き竜だった。しかしずっと竜の法に疑問を持っていたらしい。弱者は追放されるか、追放を拒めば一族の恥として嬲り殺しにされるという竜のありように。結果的に罪人を庇う者もまた罪人として追放された。俺の先祖は同じように追放された竜たちをまとめ、世界のためにその命を捧げることを決意した」


 一族を追放されても、世界のために何かをしたいという気持ちを竜たちは忘れなかったのだ。


 追放されたとしても自分たちが奮闘することで、一族の大切な誰かを守ることに繋がる。


 オルシウスの先祖を先頭にケガレと戦い、聖女の力も受けられなかったが、それでも多くの戦果を残した。


 多くの竜たちが己の命を世界の為に捧げ、結果的にケガレに打ち勝てたんだと、オルシウスは語った。


 オルシウスの先祖は、自分を追放した一族に功績を語り、土地を求めた。


 与えられたのが、今オルシウスたちが棲まうこの土地だ。


 この土地はケガレと竜の戦いの最前線に位置していた。


 それでもここにきて、同族から爪弾きにされた竜たちははじめて居場所を得た。


「この土地で追放された竜たちは生き続け、交わった。やがて突然変異的に黒き竜が生まれたんだ。血統を何より重んじる竜の世界にあって、さまざまな竜が交わるということ自体がありえないことで、黒き竜は穢れた存在と見なされた。だが見下す竜どもにとって、黒き竜というのは最早、必要不可欠なものになっていたんだ」


「……ケガレと戦うため、ですか?」


「そうだ。強い竜を生むために、おこぼれの聖女まで嫁がせることまでしてな」


「他の竜たちは戦わなかったのですか!?」


「他の竜たちは最早、自分たちを牙を持つ戦士とは考えず、貴族としての暮らしを優先するようになっていた。戦いは黒き竜をはじめとした追放した竜たちに全て押しつけて」


「っ!」


 ルカの胸はまるで我が事のように締め付けられ、狂おしいほどの感情に駆り立てられてしまう。


 ケガレを退けた功労者である彼らが土地を引き替えに得たものは、戦いつづけるということだというのか。


 ルカは下唇を噛みしめた。


「それは、まるで呪いではないですかっ」


 ケガレがいなくならない限り、平穏は訪れない。


 そして今も黒き竜はケガレと戦い続けているのだ。


「そうだな……。しかし俺たちが生き残るためには戦い続ける必要があったんだ」


「この土地で生き続ける以上、ケガレと戦うことは避けられないから?」


「それもある。しかし戦わねばならなかったのは、他の竜どもから殺されるからだ。奴らは黒き竜がケガレに背を向ければ、集落を容赦なく襲った。仲間たちを守るためにもケガレと戦うしかなかった。同族に殺されるか、ケガレと戦い仲間を守ったという自己満足の中で死ぬか……」


「そんな……」


 あまりに悲惨な現実に、ルカは言葉を失う。


 しかし淡々と話すオルシウスの感情からは怒りも悲しみも感じられない。


 ルカは自然と拳を握りしめてしまう。


 怒りと不快感で打ちのめされた。


 白き竜、赤き竜、青き竜――彼らはケガレから世界を守る救世主として、人間から一心に崇められている。


 人間は、彼らがいなければ世界は滅びていたと信じているから。


 しかし竜たちは遙か昔にその責務を、自分たちが見下している黒き竜たちに押しつけていた。


 それにもかかわらず、穢れた存在であると黒き竜の心を踏みにじり、自分たちばかり日の当たる場所で生きることを恥じることがない。


「……抗おうとしなかったのですか? 他の竜たちに……」


 ルカの声は震えていた。


「抗っても勝てはしないからな。仮に反抗したとしても、失敗すれば一族皆殺しにされる。だったらそんな危険を冒さず、ケガレと戦い続けるほうがいい。それが黒き竜の生き方だ」


「そんなものは生き方でもなんでもありません……!」


 オルシウスがまるで当然のように話すから、まるで受け入れているようだったから、ルカは思わず叫んでしまった。


 しかしそれをすぐに恥じた。


「……も、申し訳ありません」


 本当に辛いのはルカではない。


 そんな宿命を背負って生き続けるオルシウスをはじめとした、黒き竜たちだ。


 ルカを含めた人間は何の疑問も抱かず、竜たちに全てを任せてきた。


 黒き竜という存在は穢れている。


 他の竜たちがそう言っているからと疑問を持たなかった、ルカをはじめとした人間たち。


 それは結局、黒き竜たちに全てを押しつけて安穏と暮らしている白き竜たちと何も違わない。


「お前は優しいな、他人のためにそこまで怒れるなんて」


 ルカは首を横に振った。


「……違います、優しくなんてありません……。何も知らなかった、いえ、知ろうとしなかった私は、白き竜たちと一緒なんです」


「母も、父から真実を聞かされた時、自分を責めたらしい……まるで自分が罪を犯したかのように」


「オルシウス様のお父様は何と……?」


「許すも何もないと言ったそうだ。悪いのは他の竜族だ。か弱き人の身では竜族を信じるしかないのだから、と」


 オルシウスはとある墓石に手をかけた。


 一瞬だが、その瞳に痛みが走るのを見た。


「もしかしてその墓石が……」


「父だ。ケガレ憑きと相討ちになった。だが父はその命と引き替えに、大勢の仲間を救った。戦士としての責務を全うしたんだ」


「それから、お母様はどうされたのですか? 都に戻られたのですか?」


「母は父が亡くなっても尚ここに残り、家中をまとめた。すでに跡継ぎである俺がいるから、他の竜たちはいつまでもこんな辺鄙な場所にいる必要はない、安全な都に帰るべきだと促したらしいが、母は断った。聖女としても劣り、戦う術をもたぬ自分にできることは、これくらいしかないと家を守った。しかしこの森は人には過酷だ。病魔に倒れ、そのまま亡くなられた……」


 オルシウスは目を閉じた。


 辛そうに、眉間にしわが刻まれた。


「幼心にも両親の仲睦まじさは分かっていた。本来であれば父と母の墓石は並べたかったが、母が戦士ではない以上、それは叶わない。それが唯一の心残りだ」


 墓石をさするオルシウスの手はとても優しい。


 話を聞き終えたルカは、とある疑問にぶつかる。


 オルシウスは、自分たちが抗えば一族皆殺しにされると言った。


 しかし彼は白き竜、青き竜、赤き竜たち、次代の竜帝候補たちを打ち負かし、竜の頂きに立ったのではなかったか。


 だからこそ、彼は竜帝になりえた。


‘……でも今のオルシウス様には聞くべきじゃない……’


 これまでの話が壮絶であったこともそうだが、語らないということは語る必要がないとオルシウスが考えたからだ。


 根掘り葉掘り聞く必要はない。


 ルカは好奇心で、オルシウスと今ここにいるのではないのだ。


 領民に愛され、領民を愛するオルシウスを支えたいと思ったからこそ、ここにいる。


 聖女ではないという、嘘を抱えながら。


‘……それも今日で終わりにしなくちゃ……’


「ルカ、苦しい話を聞かせたな。だがお前には知っていて欲しかった」


‘私も、伝えないと。オルシウス様に私が聖女でないことを’


 大切なことをオルシウスは、ルカに伝えてくれたのだ。


「オルシウス様……」


「ん?」


「私も言わなければいけないことがあります……」


 オルシウスの顔を見られない。


 どんな目でこれからの自分を見るのか、ルカは想像するだけで震えてしまう。


‘言うのよ、ルカ……たとえどんな結果になろうとも、このまま愛する人を欺きつづけるより悪いことはないんだから……’


 その結果、都へ送り返されることになろうと、失望され、軽蔑されることになろうとも。


「ルカ、寒いのか。すまない。気付かず……」


 オルシウスは自分の羽織っていた上着をかけてくれようとするが、ルカは逃げるように身を引く。


「どうしたんだ? 昨日から様子がおかしいぞ」


 オルシウスは戸惑っていた。


 彼の前でルカは両膝を下り、許しを乞うように頭を垂れた。


「おい……」


「オルシウス様。ずっとあなたを騙していました……」


「騙す?」


「私は聖女ではないんです……!」


 夜の静寂に、ルカの悲痛な叫びが響く。


「だがお前は、聖女を輩出する家に生まれた。違うのか?」


「違いません。私が生まれたアリウス侯爵家は、これまで何人も聖女を輩出してきた家です。でも私は聖女の力を持っていませんでした……。だから父は再婚し、妹をもうけたのです。聖女を輩出できない家は没落してしまうから……」


「なら、妹が大病を患い、代わりにお前が嫁ぐことになったというのは……」


「嘘です。黒き竜に嫁ぐことを嫌った妹に頼まれたんです。私は父が亡くなってから、あの家で奴隷同然の暮らしを強いらされてきました。そこから逃れたい一心で、妹からの頼みを引き受けたんです。黒き竜がどれほどおぞましかったとしても、あの家で生きるよりマシだと……」


 オルシウスが小さく息をこぼす。


「奴隷同然……。身体の傷や痣は、お前の義母と腹違いの妹につけられたものなのか」


「っ!」


 ルカは弾かれるように顔を上げた。


「ど、どうして……」


「お前から沼の毒素を抜くのに薬湯へ浸ける必要があった。その時に、治りかけの傷や痣を見た」


「……そうだったんですか」


「今まで黙っていてすまない。他に言うべきことはあるか?」


「……ありません。今ので全てです……」


「お前は、聖女ではない」


 オルシウスは確認するように独りごちた。


 母の命と引き替えに生まれた我が子が聖女でないことが、父をどれほど落胆させたか。


 そして今、大切に想う方をまた一人失望させてしまった。


「聞きたいことがある。お前は俺を愛しているか?」


「! もちろんですっ。愛しているからこそ、言わなければならないと……」


 フッ、とその時、オルシウスは笑った。


 嘲笑ではなく、思わずこぼれてしまった、そんな優しげな笑みだった。


「オルシウス様……?」


「聖女ではない。それが何だ?」


 オルシウスはルカに近づくと、上着を羽織らせてくれる。


 そのままオルシウスはルカから離れず、抱きしめてきた。


「っ!」


 鼓動が跳ねた。


 オルシウスの力強さに、全身を包みこまれた。


「忘れたか。俺は今まで十人もの聖女を追い出してきたんだぞ。それが今さら聖女であるかどうかに、こだわるとでも?」


「でも跡継ぎが……」


「そんなものはどうとでもなる。黒き竜の中の力ある者に託せばいい」


「……私はあなたを欺いて……」


「今こうして話してくれただろう。――毒沼に浸かったお前が目覚めぬ二日間、毒が回ったことで腕や足をなくしたお前がどれほどの絶望に襲われるか想像して、どんなに怖ろしかったか……。そしてお前が助かった時、それまで感じたことがないほどの安堵を覚えた……。あんな想いを抱いた相手はお前が初めてだ。お前が聖女であろうがなかろうが、そんなことはどうでもいい」


「他の方々にはなんと説明を……」


「お前がどれほど俺のつがいに相応しいかを全ての領民が知った時、そこで聖女ではないことを告げればいい。それからでも遅くはない。本物の聖女どもにうんざりしていたはずのサンザムがお前を褒めていた。ルカ。お前という人間を知れば、聖女であるかどうかは重要じゃない」


「私という人間……」


「母は聖女だが、聖女の力を見たことは一度もなかった。それでも領民は母を慕った。それは母が聖女だからじゃない。母の人柄が領民の心を魅了し、自然と慕わせたんだ。だからお前は、俺や領民を愛してくれさえすれば、それでいい」


「オルシウス様……」


 オルシウスの優しさが嬉しく、胸がいっぱいになる。


 涙が滲み、目の前がぼやけた。


「ごめんなさい、私……」


 溢れる涙をこらえられない。


 頬を伝う涙を、オルシウスが優しく指で拭ってくれる。


「ルカ、聞かせてくれ。俺とつがいになってくれるか?」


「もちろんですっ」


 ルカとオルシウスは互いの温もりを感じながら空を仰ぐ。


 戦士の魂を導く星々が、いつまでも空を流れ続けていた。

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