聖女の奇跡
屋敷を出たオルシウスは巡回のため、兵を従えて馬を駆けさせる。
オルシウスと馬首を並べるのはギルヴァだ。
「珍しいな、ギルヴァ。お前がわざわざついてくると言うなんて。この間ケガレと戦い、自分が小うるさい理屈屋ではなく、竜であること思い出したか?」
「残念ながらそうではありません。あの戦いで痛感したのは、陛下が仰ったように、やはり私には戦いに向いてはいないということだけです」
「そうか」
「陛下、申し訳ありません」
「お前の戦下手は今に始まったことじゃないし、謝る必要もない。誰にでも得手不得手がある」
「そうではありません。私がもっとしっかりしていれば、ルカ様を危険な目に遭わせることもありませんでした……」
「しつこいぞ、ギルヴァ。今回の一件は全て俺に非がある。お前が責任を感じる必要はない。この話はこれで終わりだ」
「…………」
「いいなっ」
「……はい」
「そんなことを話すためにわざわざついてきたのか? だったらこれで気が済んだだろう。屋敷へ戻り、お前にしかできない仕事に専念しろ」
「これだけではありません。そろそろ婚儀の算段を、と思いまして」
オルシウスは小さくため息をつく。
近頃、ギルヴァが珍しく婚儀の話をしないと思ったら、こうして不意打ちを仕掛けてくるとは。
戦は下手だが、参謀の才能はあるらしい。
「陛下はもう、ルカ様を試すことをおやめになられた。つまりそれは、ルカ様が陛下のお眼鏡に適ったということですよね。村での話はすでに報告した通りです。ルカ様は領民たちと親しく交わり、彼らと打ち解けておりました。村長からも、ルカ様は素晴らしい御方だという言質もございます。もはや結婚をためらう理由はございません」
「あいつが結婚を望むかどうか分からないだろ」
「そもそもルカ様は、花嫁としてこちらに来ているのです。この期に及んで、ルカ様が婚姻を望まない、と?」
「あいつはそもそも妹の身代わりに来たんだ。本心から望んでいるか分からないだろ」
「それが大切ですか?」
「大切ではないというのか?」
「陛下、愛は育むものです」
ギルヴァの口から出るとは思わない言葉に、オルシウスは思わず口の端を持ち上げて笑ってしまう。
「まさか朴念仁の口から愛が語られるとはな。今からでも吟遊詩人にでもなったらどうだ?」
オルシウスの軽口を、ギルヴァは聞き流す。
「陛下、私は真面目に話しております。先代様と奥方様は、最初から愛し合われていた訳ではありませんでした。時間と共に心を通わせ、互いを慈しみあったのです」
「ならば、あいつに判断をゆだねよう」
「陛下……」
オルシウスは忠臣の言葉を遮るように、制する。
本当に大切なこと、告げなければいけないことがまだ残っている。
ルカは黒き竜のことについて知らなければならない。
黒き竜が背負っているもののことを。
「それでも尚、俺と添い遂げる覚悟があるか、聞くべきだろう。俺との間に子ができれば、将来、黒き竜を率いることになる。黒き竜の宿命を我が子が背負うことになることを、あいつは知るべきだ」
「陛下、竜帝はあなただ。呪われた宿命まで、次代に継がせる必要がどこに……」
「では他の竜どもに俺たちがこれまで担ってきた役割を、完璧にこなせると思っているのか? あの、牙を抜かれた腑抜けどもに」
「それは……」
「他の竜どもにこれまで通り、犠牲の上に胡座を掻くことを許すつもりは毛頭ない。だが連中が満足に戦うことができるようになるまで時間がかかるだろう。黒き竜の役割が終わった訳じゃない」
「……はい」
これ以上話しても、オルシウスの意思を変えられないと思ったのか、ギルヴァは頷く。
「では、聞きたいことは聞きましたので、私は得意分野の書類整理に戻らせていただきます」
ギルヴァは馬首を返すが、それをオルシウスは呼び止めた。
「待て。せっかくここまできたんだ。最後まで付き合え」
「私は足手まといになりますよ?」
「面白いものが見つかったらしいとサンザムから知らせが届いていた。今日はそれを見届けに行くんだ」
「サンザムから? どのような?」
「俺もそれを聞きたかったのだが、あいつ、『陛下の目でお確かめになられるべきかと』と抜かした」
「サンザムがもったいぶるとは……確かに興味深い」
「これで大した物でなかったら、あいつを裸にひん剥いてつるし上げにでもするか」
オルシウスはニヤッと笑う。
馬を駆けさせ、サンザムの待つ集落へ急ぐ。
「陛下だ!」
「陛下、陛下ぁ!」
集落に到着すると、樹上より子どもたちや女たちが手を振りながらオルシウスに声をかけてくれる。
子どもたちの無邪気で輝くような笑顔を見るのが、オルシウスは何より嬉しかった。
彼らは次代の黒き竜の希望になりうる。
大切に守り、育んでいかなければ。
「陛下、ようこそ。こちらでございます」
サンザムが先導を務めて馬を走らせる。
「ルカ様のご容態はいかがですか?」
「ぴんぴんしている」
「安心いたしました。――陛下」
「ん?」
「ルカ様を決して逃さないようお願いしますよ。あの御方に逃げられたら、あなたに釣り合う聖女様はもう現れません!」
「ずいぶん気に入ったようだな」
「それはもう。どこの世界に命をかけて、黒き竜の子どもを助けようという聖女様がいらっしゃいますか? ギルヴァ様もそう思いますよね!」
「まったくです」
オルシウスは話の流れを変えるように咳払いをする。
「サンザム、そろそろ教えてくれてもいいんじゃないか? 一体何を見つけた?」
「ご自分の目で確かめてください」
「そこまでもったいぶったからには、くだらないものであったら覚悟しておけ」
「ええ、それはもう!」
サンザムは自信満々だ。
‘確かにサンザムは与太話を吹聴するようないい加減な奴じゃない。かと言って、ここまでもったいぶるような奴でもなかったが……’
ということは本当に、驚くべきものなのか。
「ここですっ」
サンザムが馬から下りるのを皮切りに、オルシウスやギルヴァもそれに倣う。
そこは見覚えがあった。
ルカがケガレ憑きに襲われ、そしてケガレ憑きとの戦いによって二体の竜の命が失われた場所。
「こちらです」
サンザムが指し示したものを目の当たりにした瞬間、オルシウスやギルヴァは声を失った。
「これは……」
ギルヴァは片膝をつくと、おそるおそる手をつけた。
毒沼があったはずの場所に湧いていたのは澄んだ泉。
そこだけが毒沼ではなく、底も見通せるような泉で満ちていたのだ。
「飲めますよ」
「飲んだのか?」
「もちろん。ちょっと飲んで数日様子を見ましたが、異常なし。飲む量を増やしましたが、やっぱり異常なしっ」
オルシウスも膝を折ると、水を手ですくい、匂いを嗅ぐ。
「……水の匂いだ」
口につける。
「陛下!」
ギルヴァが慌てるが、構わずに飲んだ。
「ただの水だ。変な味もしない。この泉はいつから?」
「分かりません。狩りに出た村のやつが偶然、見つけたんです。俺も最初は目を疑いました。どうです、驚きましたか、陛下」
「ああ……。しかしこんなことがあるのか。ギルヴァ、似たような経験はあるか?」
ギルヴァは首を横に振った。
「私の知る限り、初めてです。こんなことが過去に起こっていれば、その時に騒ぎになっているはずですし」
「……サンザム、この泉に泥が入らないよう守ってくれ。それから他に何か変化があれば、すぐに知らせろ。昼夜の別は問わない」
「かしこまりました、陛下。……ルカ様がいらっしゃり、このように不思議な出来事が起こりました。聖女様のもたらした奇跡でしょうか」
「……どう、だろうな」
これまで何人もの聖女がやってきたが、こんなことは初めてだ。
しかし、オルシウスはなぜだか、サンザムの軽口を否定する気にはなれなかった。
‘聖女の奇跡、か……’
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