リュウゲツカ

 ルカは目覚めてから数日は部屋で療養することになり、何度目かの侍医の診察でお墨付きを貰ってようやく、ベッドを抜け出せた。


 長らくベッドにいたせいで体力が落ちていたが、そのうち回復するだろう。


‘そんなことより……’


 ルカは自分の心境の変化を自覚していた。


 それまでのルカにとって大切なことは、自分が聖女でないことを隠し通すこと。


 しかし療養の間中ずっと、オルシウスの顔が頭から離れなかった。


 暴れるルカに柔らかく声をかけてくれた彼の顔。


 オルシウスの顔や声を思い出すたび、顔が火照り、心臓が高鳴った。


‘……私、オルシウス様に恋をしたのね……’


 同年代の異性と触れあう機会が与えられなかったルカにとっての初恋。


 本で読むだけだった感情を今、オルシウスに抱いているのだ。


‘こんな風な感情を誰かに抱くなんて、都にいた時には考えられなかった……’


 都はルカにとって、地獄そのものだったから。


‘私は、オルシウス様に相応しい妻になれるのかしら……’


 そのことばかり、ベッドで考えるようになっていた。


 オルシウスのそばにいたいと望むようになっていた。


 ぶっきらぼうなオルシウス。


 しかし領民たちは彼を深く敬愛していた。


 領民たちがオルシウスの名を口にする時の顔を見れば、彼がどれだけ深く領民を大切にしているのかが、どんな言葉で説明されるよりもよく分かった。


 彼をそばで支えたい。


 そんな気持ちが胸の中に芽生えていた。


 だからこそ聖女であると、オルシウスに嘘をついている罪悪感が余計に重くのしかかった。


「――ルカ様、洗面用具をお持ちいたしました」


 アニーの言葉に、ルカははっと我に返った。


「ありがとう、アニー」


 お湯で顔を洗い、アニーに髪をとかしてもらう。


「すっかり顔色もよくなられて安心いたしました」


 アニーが鏡をのぞきこみながら、笑顔で言ってくれた。


「ね、アニー、聞きたいことがあるんだけどいい?」


「もちろんでございます」


「オルシウス様は何か好きなものはおありかしら。あ、スクランブルエッグ以外に、ね」


「リュウゲツカという花でございます」


「リュウゲツカ……」


 聞いたことがない。


「はい。陛下の瞳と同じ美しい紫色の花でして」


「それはどこに生えているの?」


「森に……。えっと、お待ち下さい。たしかこちらの本に……」


 アニーは書棚に収まっていた分厚い図鑑を取り出すと、ページをめくる。


「これでございます」


「……たしかに綺麗な花ね」


 花びらが幾重も折り重なるようにして、まるでふんだんにフリルをあしらったドレスのスカートのよう。


 ルカは、オルシウスがこの花を愛おしく眺めるさまを想像して、口元を緩めた。


「残念ながら、リュウゲツカは秋の花なんです。なので、今の時期は……」


「え、そうなの……。それは残念……。看病をしていただいたお礼をしたかったのだけど」


 オルシウスが、ルカが目覚めるまで片時も離れることなくずっと一緒にいてくれたとアニーや他の使用人たちから聞いていた。


 あそこまでオルシウスが聖女に寄り添ったのは初めてなのだと、使用人たちは皆一様に驚いていた。


「陛下は見返りのために、何かをされる方ではございませんよ」


「それは分かってる。でも命まで救っていただいたばかりか、看病まで。もらってばかりなのは対等でない気がして……。だって私はオルシウス様の妻になるんですもの。対等でありたいの。でも……季節が違ってはしょうがないわね」


‘スクランブルエッグだけでは感謝の印としては足りないけど……’


 髪の手入れが終わったルカが食堂へ足を運べば、オルシウスが先に食事をしていた。


「っ!」


 オルシウスの顔を見ただけで、頬が熱を帯びてしまう。


「……オルシウス様、おはようございます」


「おはよう。もう出歩いて平気なのか?」


「はい。大事を取って療養していただけなので。お医者様からの太鼓判も頂いていますし」


「そうか」


 本当はもっと何か話したかったが、先に食事をはじめていたオルシウスは食事を終えて席を立ってしまう。


「オルシウス様、今日のご予定は?」


「巡回に、書類仕事。いつも通りだ。なぜだ?」


「今日、夕食を一緒に摂りたいと思いまして。……差し支えなければ、ですが」


「構わん」


「ありがとうございます」


「礼を言われるようなことじゃない」


 オルシウスは食堂を出ていく。


‘スクランブルエッグを用意して、それから……リュウゲツカの代わりに、紫の花をアニーに聞いて摘んで……’


 そんなことを頭の中で考えつつ、ルカも朝食を終える。


 ルカは折り畳んで膝においていたナプキンで口を拭おうとして、手を止める。


‘そうだわ!’


 とあることを閃いた。


「アニー、すぐに用意して欲しいものがあるんだけど」


「はい、なんでしょう」


「紫色の布。できるかぎり薄手のものがいいわ。手の平くらいの大きさで……。いきなりだけど、用意できる?」


「服飾を担当する使用人に聞けば、紫の布地があると思います。それを仰る大きさに裁断すれば可能かと」


「ありがとう。それをできるかぎりたくさん欲しいの」


「ご用意いたします。しかし何に使うのですか?」


「花をつくるの」


「花……?」


 ルカは思いついた名案に、ワクワクする。


‘オルシウス様がお戻りになるまでに仕上げないと。忙しくなるわ!’

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