4 赤子喰らい
次の日の朝の警察署。栄田からの質問に巡査は不思議そうな顔を浮かべた。
「は……? 化け物の伝説……ですか?」
飲み干した牛乳瓶を手に持った栄田は、その瓶をテーブルにトンと置いた。口についた牛乳のあとを拭いながら、栄田は何事もないように話を進める。
「そうだ。怪談、噂話、何でもいい。この土地に古くから伝わる話は何か無いのか」
「んー……」
そう言いながら、巡査は目線を上にやり、顎に手を当てて考え始めた。栄田は巡査をジッと見つめる。手にはまだ封を開けられていないアンパンが握られていた。
昨晩、旅館に戻った栄田は、遭遇した化け物の少女のことを考えた。
少女の存在を感じ取ったその瞬間から、栄田の身体は生命の危機からくる恐怖に打ち震えた。
栄田は今までにたくさんの化け物や怨霊の類いと対峙してきた。そのたびに命の危険を感じ、身体が怖気づいていた。
しかし、今回の少女から感じた恐怖は、今まで出会った何者よりも強く、恐ろしかった。
化け物の強さ……霊格は、今まで生きてきた年月の長さに概ね比例する……これは、栄田の知人にして梵字の刻印が入った弾丸の作成者でもある僧侶、妙庵の言葉だ。その言葉から推理すると、あの少女は今まで栄田が出会ったどんな化け物よりも長く生きたことになる。……それこそ、昔話や言い伝えとなるレベルの長さで。
ゆえに栄田は、もしこの村に伝説や言い伝えがあれば、そいつがあの少女の正体だと推理した。その言い伝えに出てくる化け物が人間の女の形をしていれば、それが正体。よしんば人間の形をしておらずただの化け物だったとしても、なにかしらの手がかりになる。そう踏んだ。
あの少女は、確かに栄田にこう言った。
――あの赤子を探しておるのか
――すでに赤子はおらぬ
こちらからは何も言っていない。なのにあの少女は赤ん坊のことを口走った。つまり、あの少女は赤ん坊……白鳥勝の行方を知っている。あの少女が言っている『赤子』が自分たちが探している白鳥勝のことを言っているのかは分からない。だが、何か隠しているのなら、自分はあの少女を尋問し、場合によっては倒さなくてはならない。
考え込む巡査をよそに、栄田はアンパンを牛乳瓶の横に置いて自分のホルスターに触れる。自分が持っている弾丸が、霊格が高いあの女に効くかどうかは分からない。だが、それでもあの少女が犯人だった場合は戦わなければならない。それが刑事の仕事なのだから。
程なくして、巡査の顔がハッとした。
「ああ、ありますあります。『赤子喰らい』の言い伝えが」
「『赤子喰らい』だと……?」
あまりにもそのままな名前に、栄田は拍子抜けした。色々と思案したが、その化け物のことで間違いはなさそうだ。
「ええ。戦国時代だったか室町時代だったか……薬屋さんの女の人が実は赤ん坊を食べる妖怪で、ここの村の赤ん坊を食べ尽くしてしまって、村が無くなってしまった……て内容ですが」
「詳しく知りたい。どんな内容だ」
「詳しくは分かりません。本当にただの言い伝えの類いですから。図書館に行けば、何か資料があるかもしれませんね」
巡査はそう言いながら、2つの湯呑にお茶を注ぎ、一つを栄田へと渡した。受け取ったお茶をひと啜りした後、栄田は湯呑を置いて立ち上がる。
「車借りるぞ」
「どうぞ。どちらへ?」
「さっきお前が言っただろ。図書館だよ」
「本気ですか……鍵はそこです」
呆れたように、巡査は部屋の入り口を指さした。巡査の指の先には、壁に打ち付けられた釘に一つずつ、パトカーの鍵がぶら下がっている。そこから鍵を一つ無造作に取った栄田は、思い出したように巡査を振り返った。
「ああそういや、あの後白鳥みちるから何か連絡はあったか?」
「連絡? 警部補宛にですか?」
「俺宛じゃなくてもだ。特に何もないか?」
「ありませんね」
「そうか……」
村の図書館は署からはあまり離れておらず、車を5分ほど走らせたところに建っていた。中に入ってみると、朽ちた外見からは想像できないほどの蔵書が栄田を待ち受けている。その量の多さにうんざりしつつ、栄田は本棚を眺めて目当ての情報が載っていそうな本を探す。
『この村の歴史』という一角の本棚に、その本はあった。この村にある寺社仏閣の歴史をまとめた記録だ。その中に『薬師川之江神社』という神社の記録が載っていた。
記録によると、この村は一度壊滅したことがあるそうだ。原因は当時の流行病。飢饉と重なり、誰も治療出来る者がおらず大流行したようだ。
村の壊滅後、他の場所から流れ着いて住み着いた者たちは、死体が方々に転がる村の惨状が理解出来なかったようだ。そんな中、彼らはある張り紙がされた廃墟を見つけた。
その張り紙には『この屋敷に住む醜女、赤子喰らいなる物の怪の類い也』と書かれていた。そのため、その廃墟を取り壊し、薬師川之江神社を建立した。……それが、その神社の建立のいわれである。
その記録を見た栄田は、次に薬師川之江神社の場所を調べ始めた。
陽が落ちるのを待って、栄田は薬師川之江神社へと向かった。神社は図書館から30分ほど車を走らせたところに建っていた。
対して長くない階段を登り、鳥居の前に立つ。神社は小高い丘の上の林に建っており、西を眺めるとすでに夕日が木々を照らしている。周囲を見回すが、人の気配は特に無い。
神社の社を眺めた。もうだいぶ長い間、人の手が入ってないようだ。いたるところが朽ちており、廃墟といっても差し支えない。周囲には木が生い茂っていて荒れ放題だ。言い伝えのこともあり、人が気味悪がって関わらないのだろう、と栄田は思った。
懐から銃を抜き、栄田はそれを社へと向けた。
「出てこい」
静かにそう口ずさむ。撃鉄を引き、ガチリと音を鳴らした。撃とうと思えばいつでも撃てる……栄田は、自分と周囲にそう言い聞かせたのだ。
程なくして、見覚えのある、あの真っ赤な両目が宙に浮かんだ。ジッと栄田を見つめるその眼差しは、栄田の背骨に緊張を走らせる。
「お前に聞きたいことがあるんだ。目だけじゃなくて全身見せろ」
努めて声が上ずらないように……声色で緊張が相手に伝わらないように注意しながら、栄田はそう話す。
「何の用だ」
少女が姿を見せた。相変わらずの真っ白な全身に真っ白な着物、そして灰色がかった白い髪だ。あまりにも薄く、気を抜くと背景が透けて身体が周囲に溶け込んでいきそうだ。
「お前のことを調べた。お前、『赤子喰らい』とかいう化け物らしいな」
「そのようだな」
「なんでも室町時代からいるらしいじゃねーか」
「お前が言うその『室町時代』とやらが何を指しているのか、私にはさっぱり分からない」
「お前は大昔からいるって言ってんだよ」
「なら、その通りだ」
要領を得ない。だが意思疎通は出来ているようだ。
不思議に思ったのが、前回出会った時のような、息が出来ないほどの圧迫感を自分が感じていないことだった。あのときの重圧は凄まじく、それだけで命が押しつぶされそうに栄田は感じたが、今はそれがない。目の前の少女も、今は栄田にあまり敵対心を持っていないということか。栄田は銃を下ろし、撃鉄を下ろして懐にしまった。
「なぜその武器をしまう?」
「今日はお前からの圧迫感を感じない。少なくとも俺を殺すつもりじゃねーだろ?」
「……」
「俺も、別にお前を殺すためにここに来たわけじゃねぇ。お前にゃ聞きたいことがあるだけだ」
少女は栄田と言葉を交わしている間、目の焦点が栄田に合っているように見えて、合っていない。目は栄田を向いている。しかし、見ているのは栄田の背後の遠いところを見ているような、そんな不思議な眼差しだ。
そんなことは気にせず、栄田は自分の懐から一枚の写真を出した。写真には今回行方不明になった白鳥勝が写っている。
「写真てのが何かは分かるか」
「生き写しのごとき絵のことだと聞いたことがある」
「それだ。これがその写真だ」
そう言って、少女の眼の前に写真を突きつける。少女の鼻先に触れるほど近くに突きつけたが、少女はまったく表情を変えない。その真っ赤な色とは裏腹に、どこか虚ろで虚無的な眼差しだ。だがキチンと写真を見てはいるようだ。少女の瞳孔が動いたのがわかった。
「この子は、白鳥という夫婦の子供だ。名前は勝。白鳥勝だ。こいつが数日前から行方不明になってる。俺たちはそいつを探しているんだ」
「……」
「お前、昨日に会ったときに『あの赤子ならもういない』て言ってたよな。それはこの子か」
「……」
「『探すな』て警告したのはなんでだ。『もういない』ってどういう意味だ。答えろ」
「……」
「さっきは殺すつもりはないって言ったけどな。返答によっては撃ち殺す」
栄田が問いただす中、少女は返答せず、ずっと写真を眺めていた。栄田の手から写真を静かに受け取り、その虚ろな眼差しでジッと見つめる。
両手が空いた栄田は、懐からタバコを出して咥えた。風は吹いておらず、マッチの火はまったく揺らがない。周囲に硫黄の匂いを振りまきながら、マッチの火は栄田が咥えるタバコに火をつけた。そうして暫くの間、互いに口を開かない時間が続いた。
栄田がタバコを一本吸い終わり、吸い殻を地面に捨てた。静かに少女が口を開いた。
「ここは神聖な場所である。控えよ」
「うるせぇよ。いいからさっさと俺の質問に答えろ」
「控えよと言った」
「うるせえ」
「四度目はない。控えよ」
心なしか、少女の白い髪が持ち上がった気がした。その様子に圧迫感を感じた栄田は、舌打ちをしながら吸い殻を拾い、タバコの箱に押し込む。
「……で? どうなんだよ」
吸い殻を箱に入れたついでに、もう一本タバコを取り出して火をつける。少女は栄田が吸い殻を捨てたことに怒りを覚えただけのようで、吸っていることに関しては特に咎めるつもりはないようだ。
「探すなと申したであろう」
「そうもいかねぇ。それが俺の仕事だ」
「探してどうする」
「親のもとに返す。赤ん坊ってのは、両親の元にいるのが一番幸せなんだよ」
「……」
「お前も元々人間なら分かるだろ」
少女が、写真から視線を外して栄田に振った。先ほどまでとは違い、確かに栄田に焦点が合っている眼差しだ。
「……あの両親の元にか」
「両親を知ってんのか」
「知らずとも、想像はつく」
反射的に、栄田の頭に白鳥みちるの顔が浮かんだ。目に殴られた痕があり実年齢以上に疲れ切ったみちるの怯えた表情が、栄田の頭から離れない。
少女は写真を栄田にゆっくりと差し出した。いつの間にかその眼差しの焦点は、栄田の背後にズレていた。
「この絵は返そう」
「んで、お前が言ってた赤ん坊ってのは、この白鳥勝か」
「そうか。白鳥勝といったのか。あの赤子は」
「やっぱそうなんだな。どこへやった」
少女は答えない。栄田の身体に少しずつ緊張感が訪れてきた。栄田もジッと少女を見つめる。少女の一挙手一投足すべてを見逃すまいと、全神経を集中する。
咥えたタバコの灰が栄田の足元にポトリと落ちた。栄田の右腕が自然と懐の銃に伸び始める。頬に冷や汗が滴ったのが分かったが、それでも栄田は意識を少女から外さない。
そうして、陽の光が西の山々にほぼ隠れてしまい、周囲が薄暗くなりだした頃だった。少女が、ゆっくりと口を開いた。
「……人間、覚悟せよ」
「何をだ」
「お前は、これより決断を強いられることになる」
「だから何の決断だ」
「社の中に入るがよい」
少女は、特に感情の乗らない声で、そう言った。
栄田は少女の背後に見える社を見た。もう放置されて久しいのだろう。社はひどく朽ち果てている。
少女の横を素通りし、社に近付いた。石段を登り、扉を開く。キイと音が鳴りあっけなく開いた扉の向こう側は、真っ暗で何も見えない。
栄田は、懐中電灯で暗闇の中を照らした。
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