2 寂れた村
「もう少しで署に着きます。お待たせしてホントにすみません」
車を運転する若い巡査が、後部座席の栄田を振り向き笑顔を見せた。気が小さいのだろうか。その笑顔には若干の不安が混じっているのが見て取れた。
巡査の言葉を聞き流し、栄田は13本目のタバコに火をつけた。栄田が紫煙をくゆらせるなり、車内に煙が充満する。巡査は若干顔をしかめたが、それでも栄田に向ける笑顔を崩さない。
タバコを咥えたまま、しかし吸いはせず、栄田は窓から見える萎びた景色をぼんやりと眺めた。外は農地のようだ。ボロボロの服を着た幼い少年が、萎びた大根を抱えたままこちらを物珍しそうに眺めていた。
この日、栄田は自分の所轄からかなり離れた山奥の村に出張していた。山奥の村で赤ん坊が行方知れずになる事件が発生したのだが、村の警察だけでは解決の目処が立たないからだ。応援要請を受けた警察上層部は、栄田に応援に向かわせることに決めた。
そうして今日、栄田はその村に向かった。電車で二時間揺られた後、迎えに来た若い巡査と二人、一時間ほど車で移動している。舗装された道があぜ道へと変わり、栄田がその道程の長さに辟易し始めた頃、巡査からは『もうすぐ着く』と言われた。
火をつけたままさして吸わなかったタバコを、吸い殻がこんもりと詰まった備え付けの灰皿に突っ込む。この吸い殻は全て栄田が捨てたものだ。道中があまりに長く代わり映えしない景色が繰り返される中、栄田は暇つぶしにタバコを吸うぐらいしか出来なかったのだ。
吸い殻を灰皿に無理矢理突っ込んだその時、自分の懐のホルスターが目に入った。上体を起こし、中の拳銃を抜く。巡査に緊張が走ったことに気付いたが気にしない。弾倉を見ると、しっかりと弾丸が込められている。梵字もキチンと描かれている。キチンと準備が整っていることを確認したあとは、ホルスターに拳銃をしまい14本目のタバコを咥え、そして火をつけた。
目的地の警察署に着いたのは、巡査が『もうすぐ着く』と言ってから一時間経った頃だった。
署についた栄田は応接室に通された。出された茶と茶菓子は、さして美味いものでもなく、ただの水分と糖分を栄田に補充するためだけのもののように感じられた。
「それで、栄田さんはどこまで事件の説明を受けておりますか?」
お茶をすすりながら、向かいのソファに座った巡査が問いかける。テーブルの上には捜査資料と思われる書類と、数枚の写真が無造作に置かれてある。
「赤ん坊が行方不明……それだけだ」
ポケットからタバコの箱を取り出しながら栄田は答えた。箱の中のタバコはもう残り少ない。捜査に出たら、まずどこかでタバコを買おう……そう思いながら、栄田は捜査資料を眺めつつ、新しいタバコを咥えた。
「そうですか……では事件のあらましを説明いたしますが……」
巡査が柔らかな口調で事件の概要を説明し始めた。内容は赤ん坊の失踪事件。赤ん坊の『白鳥勝』が突然いなくなり、行方が全くわからなくなってしまったとのことだ。
栄田は巡査からの説明を気持ち半分で聞きつつ、捜査資料を眺める。自分が呼ばれた大きな要因……人ならざるものの存在を仄めかす記録がないかを、ざっと確認するためだ。
巡査の説明が終わろうという頃だ。栄田は妙な証言を見つけた。
「……巡査さん」
「はい?」
「話を遮ってすまん。この証言は?」
「ああ、それですか」
それは、事件当日の夜、言い争う男女の声を聞いたという、壮年の女性の証言だった。
「真っ白い着物を着た女がふらふらと歩いているのを見たそうだが……」
「ええ。証言によるとそのようです。なんでも、身体が透けているように見えたとか」
「……」
口に咥えたままのタバコも吸わず、栄田はその証言を熟読する。
証言の記録によると、その女性は夜の8時ごろに言い争う男女の声を聞き、家の外に出た。とはいえ、戦争が終わってまだ間もない。その上この村はかなりの田舎だ。街灯もなく、外は真っ暗で何も見えない。一応周囲を見回してみたが、男女の姿は見られなかった。
ただその時、ふらふらと漂う少女の姿を見た。暗闇の中でもわかるほど着物も肌も真っ白で、その髪すら灰色を帯びた白だった。その純白の少女が、暗闇にぼうっと浮かんでいた。
純白の少女は地に足をつけず浮いており、そのままふわふわと道を進んでいった。怖くなった証言者の女性は、急いで家に戻った。……とあった。
「証言と報告書に齟齬があるな。報告書だとこの女はふらふら歩いてたらしいが、証言だとふわふわ浮いてたってあるが……」
「ええ。人が浮くだなんてありえません。多分、背の高い女性と見間違えたんでしょう」
「それだと矛盾してる。証言によると、その浮いた女は少女……要は年端もいかねぇクソガキだ。クソガキに見えるでけぇ女ってのは、考えにくい」
「とはいえ、人が浮くってのは……」
途端に巡査は苦笑いを浮かべ、手に持った白いハンカチで自分の額を拭いた。傍から見れば栄田がおかしなことにこだわっているのは確かだ。宙を漂う女など、本来はありえない。
だが、そのあり得ない証言が、栄田に確信をもたらした。今回の自分の敵は、恐らくこの女だ。暗闇の中でぼうっと浮かぶ純白の少女。この得体の知れないクソガキが今回の自分の標的なのだ。栄田はそう確信した。
吸いかけのタバコを灰皿に押し付け、栄田は立ち上がった。
「とりあえず俺はこれから捜査を始める。ケツは痛ぇがソファのおかげでなんとか回復した」
「ホントですか! 早い対応ありがとうございます!」
「まずは親に聞き込みをしたい。情報をくれ」
「はい! こちらです!」
そう言って巡査は立ち上がり、コートを羽織る栄田に一枚の書類を見せた。それによると、赤ん坊である白鳥勝の母親の名前は『白鳥みちる』。離婚歴があり、現在は別の男性と生活を共にしているようだ。元々は東京の生まれで、23歳の時にこの村に来て、そのまま住み着いたとある。
「ふーん……」
「なんでも地味で薄幸そうな女らしいですよ。一緒に住んでる男が結構な乱暴者らしく、うちの警官が聞き込みに行ったときも、頬に大きなアザが出来ていたそうです」
「……クソだな、そいつ」
「どちらがですか?」
「野郎の方に決まってんだろ」
栄田は吐き捨てるようにそう言うと、なんともなしに窓の外を見た。寂れた街が真っ赤に染まっているのを見て、栄田は今が夕刻であることにやっと気がついた。
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