お前は無意味に生まれたのではない

1 序

 山奥のある村に、沙雪という名の薬師の女がいた。


 背格好は年頃の女にしては少々大きかった。しかし、確かな薬の知識と病人への献身的な姿勢から、沙雪は皆に慕われていた。その名に反して肌が浅黒くはあったが、女らしい優しい性格も、またそれに拍車をかけた。


 沙雪は、元々捨て子だった。沙雪を拾ったのは、薬師の夫婦だった。


 確かな腕を持った薬師の夫婦に育てられた沙雪は、自然と薬の知識を身に着け、怪我や病と戦う術を学んでいった。本人の素質もあったのだろう。誰かと夫婦になれる歳の頃には、父親も舌を巻くほどの腕を身に着けていた。


 ある日、両親が薬草を採りに出かけたまま行方不明になった。村を上げての捜索の末、山の奥深くで食い散らかされた両親の遺体が発見された。野犬の群れか、もしくは熊の親子にでも襲われたようだった。


 両親が亡くなったその日、沙雪は薬師としての独り立ちを余儀なくされた。唐突で、心の準備も出来ていない中での独り立ちだった。


 それでも、両親の元で身につけた知識と技量は本物だった。戸惑い狼狽えながらだったが、家名を汚さない程度には、沙雪は薬師として活動することが出来た。怪我をした者がいれば必死に傷口を縫い、痛がる大人を叱りながら吹き出す血を止めた。病に倒れた者がいれば薬をかき集め、寝る間も惜しんで看病をした。流行り病の噂を聞きつければそれが村にやってきてもいいように薬の調合を調べ、新しい治療法を勉強するために異国で書き記された医療の本を金を惜しまず買い揃えていった。


 そうして、夫婦になるのにちょうどよい年齢を大幅に過ぎた頃には、沙雪は村でも評判の薬師となることが出来た。


「のお薬師様? どうして薬師様は、そんなに懸命に儂らを助けてくれるんかのぉ?」


 ある日、怪我の治療をした男の子に、こんなことを沙雪は聞かれた。遊んでる最中に膝を擦り剥き、その治療を施した後のことだった。


「私は捨て子です。だけど薬師である私の両親が、私を拾って一人前の薬師にしてくれました。ならば、薬師として村の皆に献身的に尽くすことが、捨て子であった私を育ててくれた父上と母上への恩返しになるんじゃないかなって思ったんです」


 少し考えた後、沙雪ははにかみながらそう答えていた。


 口から出たでまかせだった。しかしそのでまかせが、沙雪の心をハッとさせた。


――そうか

私が薬師として頑張ることは、父上と母上への恩返しになるのか

ならば私は、もう誰一人として、怪我や病でこの村の人々を死なせぬ

それが私の使命であり、父上と母上への恩返しなのだから


 その日の夜。蝋燭の薄明かりの中で薬草を煎じながら、沙雪はそう決心したのだった。




 それから数年経ったある日。沙雪のもとに流行り病に侵された赤子が連れ込まれた。


 その年、村は酷い日照りで凶作となっていた。おかげで誰一人として満足に食うことが出来ず、村人たちはもちろん、沙雪も痩せこけていた。


 沙雪は力を振り絞って赤子の診察を行う。まだ乳飲み子のようだが、この飢饉のせいで母も乳の出が悪いのだろう。赤子は沙雪と同じように痩せ細り、もはや泣く力も残ってないようだった。


 沙雪は赤子を懸命に治療しようとしたが、この流行り病は沙雪も知らない流行り病だった。何が原因かもわからず、調べようにも本を読む力も出てこず……赤子の体調を整えるための薬を煎じる事もできず……煎じることが出来たとしても、乳を飲むばかりの赤子にはまだ飲ませることが出来ず……そもそも、この長い日照りのせいで薬草すら枯れ果てており、薬草自体が無く……沙雪は八方塞がりだった。


 それでも、沙雪は懸命に赤子を助けようとした。高くなった体温をなんとか下げようと、残り少ない力を振り絞ってうちわで風をあててやった。赤子をこまめに日陰に移動させて少しでも涼しい場所で過ごせるように気を使った。水が手に入ったら、自分よりもまず先に赤子に飲ませた。とにかく、この酷い飢饉の中、沙雪は自分が出来るだけのことを精一杯やった。


 沙雪が赤子の治療に入って数日後。赤子はあっけなく亡くなった。沙雪が赤子の亡骸を両親に返すと、両親はこんな過酷な状況でも懸命に赤子を治療した沙雪に感謝してくれた。


 その翌日。両親が失踪した。腕の肉が噛みちぎられた赤子の亡骸が両親の家に残されていた。




 それから、村の中で奇妙な噂が立ち始めた。


『空腹に耐えかねた薬師様が、両親を殺し、赤子を喰った』


 飢饉のような異常事態のときだからこそ、噂が伝播するのは速い。この噂が沙雪の耳に入る頃には、沙雪は村人たちから石を投げつけられ罵られる程度に、噂が知れ渡っていた。


 大声で罵倒される度、顔に砂をかけられる度、石を投げつけられる度、沙雪は必死に『赤子を助けられなくて申し訳なかったが、赤子を食べたりなどしていない』と申し開きをするのだが、村人たちはまったく聞いてくれない。


 むしろ、


――そうやって我らを謀ろうとしておる


――乳飲み子を喰らうなぞ、おのれは物の怪の類であろう


――その浅黒い肌もデカい図体も、己が物の怪である証じゃ


――ワシらに飲ませていた薬、まさか赤子を煎じておったのではあるまいな


 口々にそう罵り、まったく耳を貸してくれない。疲れ果てた沙雪は、やがて自分の家に篭りがちになり、薬師として活動することもなくなった。




 そうして時が過ぎた、ある日の夜。沙雪はフと目を覚ました。


 飢饉の最中であるというのに、まったく腹が減ってないことが不思議だった。だが他にも違和感がある。沙雪はこの違和感の正体をつかむべく、しばらくの間、思案した。


 やがて、この違和感は自分自身の身体に原因があることに気付いた。自分の視線が妙に低い。竈がずいぶんと高く感じるのだ。手鏡で自分の姿を見てみた。自分が幼子のように小さく、そして顔つきも幼い。肌は名前の通り真っ白で、両の眼だけが燃えるように赤い。


 何事かと思いながら、自室を見回した。そこには、鎌やクワ、鋤などの農具で体中を刺し貫かれた死体が転がっていた。すでに肉はなく、自分の死体は骨と着物の残骸だけとなっていた。目のくぼみには、ネズミが一匹だけ潜んでいた。おかげで、それがかつての自分の身体であるということに気づくのに時間を要した。


 己の死体が目の前にあることで、やっと自分が村人たちに殺されたことを思い出した。自分のことを妖怪の類だと勘違いした村人たちが自分の家を襲い、力なくぐったりとしていた自分を殴り、蹴り、鋤を突き立て、鎌で切り刻んだ。クワを振り下ろし存分に自分を凌辱した村人たちは、恐らく、満足げに自分の屋敷を後にし、家に戻って『妖怪を退治してくれた』と家で自慢していたのだろう。


 すべてがバカバカしくなり、沙雪は屋敷の外に出た。戸口に何か張り紙がしてある。周囲は暗闇だが、不思議とその文字はよく見えた。


――コノ屋敷ニ住ム醜女、赤子喰ライナル物ノ怪ノ類イ也


「そうか。私は物の怪か……」


 夜の村を歩いてさまよってみる。村はとても静かで、人の気配がない。はじめ沙雪はこの静けさの理由を夜に求めたが、どうやら違うようだ。


 戯れに中を覗いてみたあばら家には、幾人かの家族の死体が転がっていた。


 他の家も覗いてみたが、やはり中には死体が転がっていた。よく見ると、村中に死体は転がっている。どれも骨と服の残骸だけとなった、見るも無惨な死体だ。


「流行り病か……」


 いくら物の怪となっても、生前に培った薬師としての経験が、そのことを沙雪に告げていた。




 その日、沙雪は己が名を捨て、物の怪『赤子喰らい』となった。栄田と出会う数百年前の出来事である。


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