5 初恋だったんです

 頭の無い高鶴千代子の父親の死体をを見下ろしながら、栄田は自身のポケットに手を入れ、中を探る。ポケットの中には、ジャラジャラと音が鳴る程度の数の弾丸が入っている。それらの雷管を指でなぞり、梵字が描かれていない弾丸を探すが、一向に見当たらない。


「クソッ……もったいねぇ……ッ」


 仕方なしに栄田は梵字の弾丸を数発取り出し、それを拳銃に装填した。怨霊調伏の効果がないと分かっていても、今の栄田には、この梵字の弾丸しか有効な武器がない。


「その弾は効果がないのではないのか」

「うるせぇ」

「同じものを使って違う効果を願うは愚かの極みぞ」

「んなことはわかってんだよッ」


 沙雪の当然の指摘にも、ついイライラを募らせ、声を荒らげてしまう。人間は誰しも充分に理解していることをことさらに指摘されることは不快極まりない。栄田もそれは変わらない。


 イライラを抑えながら栄田は弾丸を装填し終え、改めて拳銃を千代子の父の死体へと向けた。頭部が根こそぎ吹き飛んでいるその死体は、一向に動く気配が無い。


「沙雪、どう思う」

「動く気配は感じぬ。死んでおるのは確実だ」


 沙雪と二人、死体を見下ろす。わずかでも動き出せば即座に撃てるよう引き金に指はかけているが、確かに沙雪が言う通り死体は動く気配が無い。


 不意に廊下からパタパタという足音が聞こえ、栄田は慌てて入り口を振り返った。音がどんどん近づいている。誰かがこの部屋に向かって走ってきている。栄田は死体に向けていた拳銃を下げ、身体を静かに入り口へと向けた。


「どうしました!? 何か大きな音が聞こえましたが!?」


 声が聞こえたその途端、栄田は下げていた拳銃を素早く入り口へと向けた。入り口に姿を現したのは、夕方に栄田を心配してくれた中年男性の医者だ。栄田から向けられた拳銃を見て驚く素振りを見せたが、息を切らせてはいない。


「な、何事ですか!?」


 栄田は慌てて拳銃を持つ手を下げた。


「ああ先生、失礼しました。実は……」

「そ、その方は……!?」


 医者が栄田の足元の死体を指差した。そういえば男性の死体を処分していなかったことを思い出し、栄田は舌打ちをする。


「ああ、これは……」

「千代子さんは! 千代子さんは無事なのですか!?」


 そういいながら、医者は眠る千代子に近付いていく。先程はあれだけ驚いていた死体には目もくれない。足元の血溜まりも気にせず、バシャリとスリッパを履いた足を突っ込む。そして千代子の白い手を取り、脈を測り始めたようだ。室内に入った時こそ取り乱していた医者だったが、やはり患者の前ではキチンと仕事にスイッチが入るようだ。その様子は栄田を安堵させた。


「ふぅ……」


 拳銃を懐にしまい、ため息を付く。疲労の色が吐息に混ざっていることを感じ、ドッと疲れを感じた。どこかに座れる椅子が無いかをキョロキョロと探すが、そんなものは見当たらない。


「疲れたのか」

「ああ。まぁな」


 背後の沙雪が声をかける。もはや沙雪は自身の姿を隠していない。そして緊張を解いた栄田とは異なり、その声には未だ緊張が走っている。


 その緊張感のまま、沙雪は栄田に告げた。


「まだ気を抜くな栄田。終わってはおらぬ」

「?」

「今までどのように襲われたか思い出せ」


 栄田はハッとして千代子を見た。医者はいつの間にか、千代子の脈を取るのをやめていた。千代子の頬に両手を添え、愛おしそうにさすっている。


「千代子さん……千代子さ……ちよ、ちよ、チヨチヨチヨチヨチヨコサンサンサンサンサン」

「な……先生!?」


 気絶している千代子の眉間に、彼女の不快感を告げるシワが寄る。しかし医者は愛撫をやめない。恍惚のため息を漏らしながら、ただ一心に千代子の頬を撫で続けている。


「先生もかよッ!!!」


 栄田は勢いよく立ち上がり、そしてその勢いのまま医者のもとに歩いてきた。栄田のことなど気がついていない医者の肩に手を置き、そして猛烈な力で医者をこちらに振り向かせた。


「な、なんですか!?」


 急にこちらを向かされた医者の目が泳ぐ。左右の目がまったく同期せず別々に動いているところを見ると、医者は、もはや医者ではないようだ。


 栄田は、自身の拳に猛烈な力と怒りを込め、医者を思い切り殴り抜いた。


「グガッ!?」


 思い切り殴られた医者は、栄田に背を向けてうつ伏せに倒れ伏した。勢いで椅子や千代子の点滴などの物が崩れ、医者の身体へと次々に倒れてくる。


「クソッ! ここも安全じゃないぞ!! こいつは一体ナニモンなんだよッ!!」


 これ以上ここにいるわけにはいかない。栄田は千代子を連れて病院から脱出するべく、千代子の身体を抱えあげようとするが……


「チヨコサンカラハナレロォォオオオ」

「な……!?」


 自身の足元からのたどたどしい声と共に、何者かが栄田の両足に絡みついた。見ると、先程栄田が頭を撃ち抜いたはずの男の死体が、栄田の両足にしがみついている。


「こいつ……まだ……ッ!!」


 慌てて懐の拳銃に手を伸ばす栄田だが、それより先に今度は背後から何者かにしがみつかれた。先程栄田に殴られた医者が、栄田を背後から拘束したのだ。


「……ッの!」


 医者は全身の関節を逆に曲げて栄田の身体にしがみついていた。同じ人間のそれとは思えないぐらいの力で栄田の身体をギシギシと締め上げてくる。しかし人間の体の構造とは真逆に関節を曲げているため全身に無理が生じているのか、医者の全身からはギリギリバキバキと激しい音が聞こえてくる。


「動けねェ……ッ!」


 栄田はいま、完全に拘束された。足は死体に、身体は医者に締め上げられ、ピクリとも動かすことは出来ない。渾身の力を込めて振り払おうとするが、医者も死体も微動だにしない。


「ナン、デ、ジャマヲ、スルスルスルンデスカ……ケイジ、サン」

「あン!?」


 栄田の耳元で医者がささやく。途中聞こえるゴボゴボという音は医者の気管が潰れていく音だろうか。話し方がたどたどしい。


「テメーが千代子さんを襲おうとするからじゃねーかッ!」

「ソソソソ、ソンナ、コト、コト、コト、ゴボッ……シマ、センヨ」

「だったらなんでここに来た! 答えろ!」

「ボクハ、タ、タダ、チ、チヨコさんと、フレ、フレ、フレアイ、タクテ」

「フカしてんじゃねーぞ!!!」


 聞き覚えのあるあの悍ましい喋り方が、医者の声で再生されている。がんじがらめにされてはいるが、右腕は懐の拳銃を握ることはできている。撃とうと思えば、この拳銃で医者を撃つことも出来るが……


「デ、デデ、デキマセン、ヨネ。ウテ、ウテ、ウテウテウテマセン、ヨネ」

「クソがッ!!!」


 撃ってしまえば、まだ生きていると思しき医者の身体を傷つけてしまう。それを覚悟で撃ったとしても、この相手に効果的にダメージを与えることは難しい。リスクを負ってもリターンが少なすぎる。撃つ意味がまったく無い。


 栄田はこの状況を打破する術を必死に考えた。しかし思いつかない。相手は人の身体を操る正体不明の敵だ。おまけにギリギリと身体中を締め上げられている状況では、思いつくものも思いつかない。


 不意に栄田の足の拘束が解けた。


「!?」

「……」


 足元の死体が塵のように細かく舞い上がり、そして部屋の隅、ある一点に集まっていく。拘束が解けた栄田の足が自由に動かせるようになり、足の踏ん張りが効くようになった。


「沙雪かッ!?」


 栄田は死体の塵が集まる一点を見た。いつの間にか姿を現していた沙雪が、集まった塵をおのが右手で吸い込んでいた。


「そろそろ控えよ」

「ア、アナタ……」

「お前は人の身体を渡り歩く化け物なのであろう。調子づくのも終いにいたせ」

「ボ、ボクト、オナ、オナオナ、オナ、ジ」


 医者が沙雪に気を取られたその瞬間を、栄田は見逃さなかった。踏ん張りが出来るようになった足に力を込め、自身を締め上げる医者の身体を思い切り振り払う。振り払われた医者の身体はその勢いのまま背後の壁にぶつけられ、その場にうずくまった。


「ふぅ……助かった」

「精彩に欠くな栄田。いつものお前であれば、もっと注意深く動いたであろう」

「うるせぇ」


 沙雪への礼を済ませ、栄田は沙雪の方へと歩み寄る。確かに普段に比べ、注意力が散漫なように感じる。普段の自分なら、父親を撃ち殺した段階で気を抜くなどしない。


 その理由はおそらく、先程の居眠りで見た夢。沙雪と母を重ね、子供に戻った自分がその沙雪に甘える……あの、ある種異様とも思える夢を見たせいで、中々状況に集中ができない。


「『うるさい』ではない。自省せヨ」

「はいはい……」


 沙雪の苦言は続く。それらをすべて聞き流し、栄田は医者を注視した。まさか壁にぶつけただけで死んだとは思えないが、気を失ったのかピクリとも動かない。身体中の関節が逆に曲がっているのが痛々しい。


 医者のそばに寄り、しゃがんで医者の手を取った。肘が完全に関節とは逆向きに曲がっている。命は助かったとしても、このままでは重症は免れない。


「なぁ沙雪。先生の身体、治せるか?」

「案ずるな。その男ノ身体を治しテ後、お前へは説教をくれテやる」


 沙雪の口から出た『説教』という言葉が、妙に栄田の胸に刺さった。先程見てしまった夢の後遺症なのだと自分を納得させ、そんなことで軽い動揺を覚えてしまう自分の心の弱さに辟易していると……


「……な……なんだト……」

「?」


 栄田の肌が、部屋の周囲の空気が硬質になったことを感じ取った。硬度が上がった空気が栄田の肌を撫で付け、その部分の熱が奪い取られるような感触が栄田を襲う。


「?」


 沙雪を振り返る栄田。次の瞬間、栄田は沙雪と距離を取り、拳銃を抜いた。


「ば、バカ……な……わた、シ……ヲモ」

「野郎……ッ」

「アヤツ……ル……カ……」


 宙に浮かぶ沙雪が、ガクガクと痙攣を起こしている。右目が横を向き、左目は白目を剥いた。まるで拘束されたまま上に釣り上げられるかのように浮かび上がり、右腕と左足が捻り上がる。骨の音だろうか。バキバキという音が部屋中に鳴り響いている。


 栄田は沙雪に拳銃を向けた。照星の先では、沙雪の頭が血の涙を流しながら痙攣している。


「さ、さかエ……ケ、ケ、ケ、ケイジ、サン」

「……ッ」

「ドウ、デスデスデス、カ、カノ、カノ、カノカノ、ジョ……ウ、ウテウテウテ、マス……カ……」


 神経を逆なでするあの話し方が、聞き慣れた沙雪の声で、見慣れた沙雪の口からこぼれ出る。しかし、広角を上げてニヤリと笑う今の沙雪の顔は、栄田から見て違和感しかない。


 小刻みに揺れる沙雪の頭を、栄田の拳銃は捕捉し続けている。栄田はそのまま引き金に指をかけた。

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