2 いつの時代も、いくつになっても

「ほら。この前預かった20発、全部だ」


 その若い僧侶の男は、栄田の目の前で20発の銃弾をテーブルの上にジャラジャラと広げた。すべての銃弾の雷管の部分には、まったく同じ梵字が刻まれている。栄田は広げられたその弾丸を無造作に集め、綺麗に並べ始めた。縦に5列、横に4列の銃弾の列が出来上がった。


「……確かに20発だな。いつも助かる」

「ったく……一発仕上げるのにどれだけの時間がかかると思ってるんだよ。お前ぐらいだよこんなめんどくさい事を私に押し付けるのは」

「悪ぃな。けどお前じゃないとこの銃弾は作れない。それに、作り方を考えたのはお前なんだから、最後まで責任持て」

「だからって私に頼り過ぎなんだよ!!」


 僧侶はそう言って栄田に怒鳴り散らすが、栄田は気にしない。綺麗に並べた銃弾をザッと右手で掴むと、それをジャラジャラとポケットへ放り込んだ。


 この僧侶、名を妙庵(みょうあん)といい、妙心寺(みょうしんじ)の住職をしている。栄田とは古くからの付き合いで、栄田がこの世ならざるものを知覚出来ることを知る数少ない人物だ。酒は飲む、肉は食う、女は抱く、とおよそ僧侶らしからぬ男の妙庵だが、僧侶としての腕前は確かなようだ。


 栄田が使う梵字入りの銃弾を考案し、作成したのもこの男である。ただし本人に霊力のようなものはなく、銃弾の作成も『効果がありそうな摩利支天の梵字を書いて、護摩を炊いて経をあげて、それっぽく仕上げただけ』とのことだ。


 今日、栄田は妙庵からの連絡を受けて妙心寺に足を運んでいた。先日栄田が預けた20発の弾丸への梵字の処理が終わったから取りに来い、とのことだったが、ついでにもう一つ用事がある……と栄田は妙庵本人から聞いていた。


「んで? 話があるんだろ?」


 銃弾をポケットへとしまい終わった栄田は、その手でテーブルの上の湯呑を取った。茶を啜る音がこれみよがしに部屋に響く。さっきまでイライラが抑えられないとでも言うように顔から怒気を発散させていた妙庵も、その音でハッとする。どうやら頭に血が上ったせいで、自分が栄田を呼び出した理由を忘れていたらしい。妙庵は急に背筋を伸ばし、軽い咳払いをした。


「……あー、オホン。実はな。お前にちょっと相談事というか……会って話を聞いてやって欲しい人がいるんだが」

「なんだ女か。お前また女を泣かせたのかよ」

「違うわボケナス。女じゃなくて男だよ」

「珍しい」

「私がいつも女を泣かせてるみたいに言うのは止めろっ」

「俺が何人の女を慰めたと思ってやがる」

「最近やり手の実業家らしいんだけどな。そらぁもう運が悪いんだそうだ。それで、私のところに相談に来たんだが……」

「無視すんじゃねぇ」


 栄田の無気力な突っ込みを無視し、妙庵はその男性の話を続けた。


 話によると、その男性は実業家で、名を木村光一という。ある日を境に運が悪くなったのだそうな。


 悪くなったと言っても、心身に悪影響を及ぼすような重大な事件事故が起こるわけではない。例えば、金を財布ごと落とす……買った小物が不良品で使えない……街を歩いていて空を飛ぶ鳩に糞を落とされる……といった些末なことが多い。


 しかし些末なものとはいえ、それが続けば人は不安にかられ、恐怖におののく。まして、その木村光一は実業家である。己の事業に確たる自信があったとしても、最後の最後は運がからむケースも少なくない。そんな木村が、運が悪いことに不安を抱くのは当然といえた。


「それで私に相談してきたんだ。知り合いのツテを頼ってきたらしい」

「バカバカしい……そんなん本人の気の持ちようじゃねぇのか」

「私もそう思った。ついでに気持ちの切り替えになればと思って経もあげてやったんだが、やっぱり悪いことが続くのだそうだ」


 そういい、妙庵は自分の顎を右手でさすって上を見上げた。バカバカしいとは思いながらも、その木村という男のことを心配しているようだ。


 栄田は栄田で、鼻で笑いながらポケットのタバコを取り出し、咥える。テーブルの上にあるマッチを手に取り、それで咥えたタバコに火をつけた。一瞬、硫黄の香りが栄田の鼻を突いた。


「なんかキッカケみたいなのはあったのか? そいつ」

「キッカケかどうかは分からないが、運が悪くなるのと前後して、街で祀られていた石が目の前で無くなったと言ってたな」

「ふーん……」

「あと、同じ日に出会った女と今度結婚するそうだ」

「その女がサゲマンなんじゃねーか?」

「会ってみたが、そんなふうには見えなかったぞ」

「数多の女を泣かせてきたお前が言うと説得力があるなぁ」

「そうなんだよサゲマンの女は特徴が……って今は私の女性遍歴は関係ないだろ!」


 憤る妙庵の怒声を涼風のようにやり過ごし、栄田はタバコを吸いながら考えた。


 もし、妙庵が心配する通り木村光一の運の悪さの原因が霊的なものであるならば、おそらくキッカケはその『街で祀られていた石が無くなった』だろう。


 『街で祀られている物』が、その土地に眠る凶悪な化け物を封じ込めるものだったという事例は、栄田が知っているだけでもかなり存在する。沙雪と合流する以前に、栄田はその手の事件で命を落としかけたこともあるぐらいだ。


 恐らくはただの気の持ちようの問題だとは思うが……妙庵の頼みだし、万に一つということもある。栄田はその木村という男に会ってみることにした。


「……わかった。とりあえず会うだけ会ってみる」

「恩に着る! やっぱ持つべきものは友達だなぁ!」

「お前にゃいつも世話になってるからな。その礼みたいなもんだよ」

「先方には私から伝えておくよ! 日時が決まったらまたお前に連絡するから!」


 さっきまで時折見せていた不機嫌そうなしかめっ面はどこへやら……妙庵は今、栄田に屈託のない無邪気な笑みを浮かべている。栄田が木村光一の件を承諾してくれたのが、そんなにもうれしかったのか。


 その様子をジッと眺めていた栄田は、この眼の前の生臭坊主に数多の女が泣かされてきた理由が、なんとなくわかった気がした。ため息がてら口から吐いたタバコの煙が少々苦い。


「? どうした?」

「……ああ、すまん。ところで妙庵」

「ん?」

「お前、相変わらず化け物は見えないのか」

「見えてたら木村光一さんの件は自分で解決してるよ……」

「そらそうだ」


 さっきまで嬉しそうに笑っていた妙庵が、今度はガックリと肩を落とす。栄田はその様子を鼻で笑ったあと、自分のタバコを灰皿に押し付けた。くすぶったタバコの煙が、一筋、細く伸びていた。




 妙心寺を後にし、栄田は徒歩で署に戻っていた。その道すがらである。


「なぁ沙雪」

「なんだ」


 栄田が沙雪の名を呼び、沙雪が栄田の背後にぼんやりと浮かび上がった。出会って当初は沙雪は気まぐれにしか姿を見せなかったが、最近では素直に栄田の呼びかけに応じることも増えてきた。周囲はすでに夕焼けを通り越し、夜に近い明るさとなっていた。


「人間に取り憑いてそいつの運を下げる化け物なんていると思うか?」

「いるかどうかはわからんが、いるとすればかなり強大な力を持った者であろうな」

「なんでだよ」

「運を操るのだぞ? かような芸当が出来る者なぞ、私は天しか知らぬ」

「神様みたいな奴ってことか」

「あるいは天そのものやもしれぬな」


 運というものは、化け物ですら操りきれないもののようだ。今回の犯人がもし本当に化け物の仕業であったのなら、自分だけで対処出来るだろうか……小さな不安が栄田の頭にチリッと芽生えた。


 フと視線を感じ、栄田は沙雪の顔を見た。沙雪はジッと栄田を見つめていた。


「なんだよ?」


 沙雪と共に行動するのもそろそろ慣れてきた。しかし、いくらそんな沙雪が相手だからといえども、こうまでジッと見つめられるのも座りが悪い。


 沙雪にジッと見つめられ、栄田が次第に居心地の悪さを感じ始めたときだった。


「栄田よ。先程の坊主は、お前の古くからの馴染みなのか?」


 沙雪が口を開いた。なんだそんなことか、と無意識が安堵したことを栄田は感じていた。


「幼なじみというほどじゃないが、付き合いは長くなってきたな」

「そうか」

「なんだよ……」

「いや、いつの時代もいくつになっても、おのこはおのこと思うてな」

「なんだそりゃ……」


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