3 想像以上に手強い

「それで!? 俺ってやっぱり幽霊とか化け物みたいなのに取り憑かれてるんすかね!?」

「ま、まだそうとは……」

「でも妙庵さんがあなたみたいな人を紹介してきたって、そういうことですよね!?」

「いやただ単に俺はあんたを安心させるために……」


 喫茶店内に木村の声が鳴り響く。本人の性格もあるだろうが、木村の声は存外に大きい。木村が声を上げるたび、店中のガラスがガタガタと鳴り響いているように栄田には感じられる。


 そしてその度に店内でくつろぐ客たちの視線が刺さり、栄田は居心地の悪さを感じている。にも関わらず、木村は栄田を問い詰めてきて、栄田はほとほと困り果てていた。


 それでも、友人である妙庵の頼みだ。銃弾をいつも仕上げてくれている恩もある。周囲の視線は痛いが、栄田は粘り強く会話を続けることにした。


「命の危険を感じるような事故はなかったんですよね?」

「そうなんですよ。せいぜい車に轢かれそうになったことぐらいで……あとは犬のクソを踏んだとか、市場で魚を買った帰りに猫に取られたとか……ホントにそんな程度なんですが……」

「んじゃ気の持ちようだと思うんだがなぁ……」


 そういい、気が昂ぶっている木村を尻目に、栄田は自身の頭を無気力に掻いた。




 本日、栄田は妙庵の取りなしで、件の木村光一と喫茶店で会っていた。


 『祀られていた石が無くなってから運が悪くなった』という情報があったため、当初栄田は化け物に取り憑かれているのではないか……と先に喫茶店に入って警戒していたのだが……


「こんにちは。妙庵さんにご紹介いただいた警察の方ですよね?」


 こうやって店内に姿を見せるなり栄田に挨拶してきた木村の姿を見て、栄田は化け物の介入という線を消した。


 化け物や幽霊に取り憑かれている者は、総じて独特の暗い雰囲気を発していることを栄田は知っている。そういう者は無気力で顔が暗く、うつむきがちで覇気が無い。周囲の空気が黒く変色していると言い換えてもいい。


 もちろん全員が全員そうだとは言い切れないが、栄田の経験では、取り憑いた化け物から何かしらの害を受けている場合、被害者は例外なくそういう雰囲気を纏っていた。


 だが、この木村という男はそうではなかった。周囲の視線を独占してしまうほどの覇気を持ち、声も力強く、目の力も強い。とても化け物に取り憑かれているようには見えない。


 このような人物が化け物に取り憑かれているとは思えない……だとすれば、日々の物事に対して本人が過剰に反応しているだけなのだろう。栄田の結論はこうだった。


 あとはいかにして木村光一に納得してもらうかだが……


「しかしお石さまが無くなってからですよ!? やはりバチがあたったとか、そんなことも……!」

「人の話を聞いてくれよ……そうやって理由をつければ安心なのは分かるが、あんたのはたまたま運が悪いのが重なってるだけなんだって……」

「俺は自分たちだけじゃなくて、たくさんの従業員も守ってかなきゃいけないんだ! 運が悪いことは気になるんだよ!」

「いや気持ちはわかるが……」


 とこんな様子で、木村は栄田の説得の言葉をまるで聞こうとしない。「従業員も守らなければならない」と言い切る姿には好感が持てるが、こう話が通じないと説得のしようがない。


 栄田が頭を抱えていると、木村がフと思い出したように懐から懐中時計を取り出した。さっきまで取り乱していたかと思えば、今は落ち着き払っている。この切り替えの早さは実業家らしい。


「ああ、そろそろハナが来る時間だ」


 懐中時計の蓋をパチリと閉じ、木村が店の入り口を見た。栄田も振り返り、自分の背後の方にある入口を見る。くもりガラスの向こう側に、ゆらりと人影が見えた。


「んじゃ、そのハナってのが……」

「俺の婚約者です。お石さまが無くなったその日に出会って意気投合して、今では俺の大切な人です」


 そういい、木村は若干熱のこもった視線を入り口に向けた。そしてそのまま立ち上がり、足早に入り口の方へと向かう。


 栄田は軽くため息をつき、自分の目の前のコーヒーを見た。黒く澄んだコーヒーがよい香りを栄田の胸に届けてくれるが、その香りも、栄田の気持ちを上向きにはしてくれない。


「……どう思う?」


 思わず口をついて出た。こちらを圧倒してくる木村の勢いにほとほと困り果ててしまい、誰かに助け舟を出して欲しかった。たとえそれが、自身に取り憑く化け物であったとしても。


 栄田の問いに答えるように、沙雪がフワッと姿を見せた。しかし栄田の肩口ではなく、栄田の隣の席に、いつもの顔で澄まして座っている。


「化け物に取り憑かれているようには見えんな」

「だよなぁ……」

「お前を圧倒出来るだけの活力があるのが良い証拠だ」


「その元気のせいで困ってるんだよ!」と沙雪に当たりそうになり、栄田はグッとこらえた。


 入り口に背中を向けたまま、聞き耳を立てる。入り口からここまでは離れているため、正確な会話内容までは分からない。だが大した会話はしてないようだ。『刑事』『妙庵先生』『紹介』そんな言葉が聞き取れた。


「んじゃやっぱり話して分からせるしかないのかよ……でもこっちの話に全然耳を貸してくれねぇぞ……」


 栄田はそういい頭を抱えた。もう結構長い時間、木村への説得を試みていたと栄田は思っていたが、さして時間は経ってないようだ。目の前のコーヒーはまだまだ温かい。短い時間を長時間と錯覚してしまうほど木村の説得に疲れているということか。


「栄田よ」


 隣の沙雪が栄田をジッと見ている。コーヒーを口にした栄田が沙雪の視線に気付くのに、さほど時間はかからない。


「なんだよ」

「その判断は早計やもしれぬぞ」


 いつもの口調で、沙雪がそう口にする。栄田と沙雪の背後からは、木村とその連れと思われる足音が、離れた場所から少しずつ近づいてきた。


「どういう意味だ」

「まだ分からぬか」


 沙雪がそう言い終わるか終わらない、その時だった。栄田の全身が粟立ち、心臓が上に引き抜かれたかのような歪な不安感が栄田を襲った。


「なッ!?」

「……」


 木村たちの足音が近づくにつれ、ビリビリとした重圧感に身体が押さえつけられる。重りでもつけられたかのように動かなくなった右腕をなんとか持ち上げ、懐の拳銃に手をかける。


「なんでも刑事さんらしいぜ」

「あら素敵。一度警察の方とお話してみたかったんです」


 男女のそんな会話が聞こえてくる。男の方は木村だ。とすれば、女の方が先程話が出たハナとかいう婚約者なのだろう。そしてこの重圧は、おそらくハナからのものだ。ハナの話し方は可憐だが、この重圧はいつか感じた沙雪のもの以上だ。


「沙雪」

「うむ。相手は妖かしだ。それも、私よりも格がかなり高い」


 ある程度覚悟はしていた栄田だったが、まさか本当に沙雪よりも霊格が高い化け物が相手になるとは思わなかった。途端に胸に巨大な不安が芽生え、押しつぶされそうになる。


「その髪飾り、やっぱり似合ってるなぁ」

「ありがとう光一さん。でもあなたの服も素敵ですよ?」


 木村には栄田のような化け物を感じる才能はないようだ。でないと、これだけの重圧を相手に押し付けてくる化け物と平然と会話が出来るわけがない。ましてや結婚しようなどとは思わない。


 しかし不思議なのは、これだけ強大な重圧を押し付けてくるにも関わらず、命の危険は一向に感じないところだ。


 沙雪と出会った時は、強大な重圧だけでなく『これ以上こいつと対峙していると命を落とす』という如何ともし難い命の危機を感じた。故に当時の栄田の精神は恐怖で押しつぶされそうになり、身動きが取れなくなったという経緯がある。


 だが今回の相手は、こちらに身の危険を一切感じさせない。にも関わらず、殺気がこもった沙雪以上の重圧をこちらにぶつけてくる。


 うなだれた頭が、ギチギチと硬直して動かない。目だけをなんとか動かして、沙雪を見る。平静を装っているようだが、目に緊張が走っているのが分かる。


「刑事さん……あれ、こちらの女性は? 先程までいなかったはずですが……?」


 木村と連れのハナが栄田たちのテーブルに戻ったようだが、栄田は顔を上げることが出来ない。まるで筋肉質の腕で上から押さえつけられているかのように、持ち上げることが出来ない。かろうじて右腕だけが懐の拳銃を握れる程度には動かせる。


「まぁいいや。こいつが俺の婚約者、ハナです」


 そう言いながら、木村とハナは栄田たちの向かいの席に腰掛けたようだ。今しかない。この化け物に拳銃をつきつけ主導権を握る好機は今しかない。意を決し、栄田は顔を上げて懐から拳銃を抜き放とうとした。


「待て栄田」


 唐突に右手が動かなくなる。ビリビリとした重圧で動かせないのではない。何か見えないものにがんじがらめにでもなったかのように、力を込めても動かせないのだ。


「ッ!?」


 栄田は渾身の力を込めて拳銃を抜き放とうとするが、右腕はどれだけ力を込めても動かない。次第に頭が落ち着いてくる。と同時に、動かない右腕に、ひんやりとした冷たい触り心地がまとわり付いていることに気づいた。


 ハッとして沙雪を見た。沙雪は栄田を見ず、木村たちをまっすぐに見据えていた。


「沙雪か……?」


 栄田はかすかに口を開き、沙雪に問う。一方の沙雪はその問いには答えない。ただ、


「控えよ」


 静かにそう口にするだけだ。


「あのー……どうかしました?」


 木村の不思議そうな声が栄田の耳に届く。たしかに公衆の面前で、拳銃を一見人間の女に見える化け物に向けるのはよくない……。そう思い直した栄田は拳銃を握る右手の力を抜いた。


「いや、なんでもない」


 そういい、右腕を懐の拳銃から離す。沙雪の拘束は外れたようで、案外と簡単に動かすことが出来た。それだけ自分のことを理解しているのか……はたまた、それだけ自分が分かりやすい人間なのか……栄田は心の中で舌打ちをした。


 栄田は改めて顔を上げた。そこには、先程まで栄田に対して自身の不運を訴えていた木村と、もう一人、洋装の上等な身なりの割に、華のない田舎臭い顔つきの女が立っていた。


「はじめまして。私がハナです」


 女はにっこりと微笑んでいた。その微笑みは美しくはないがどこか人懐っこくて屈託がなく、栄田から見ても、先程までの重圧の原因がこの女だとは思えなかった。


 目を見開き、沙雪に視線を移した。いつもと変わらない表情の沙雪だったが、頬が少しこわばっているように見えた。

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