3 嘘が下手な神父
栄田は教会の事務所へと通された。事務所といっても普通の会社や栄田の勤める警察署の事務所とはまったく違う。部屋の奥に作りが粗雑な机と椅子、そして中央には素人が作ったかのようなテーブルとソファが置いてある。ソファだけは作りはしっかりしているが、座るとホコリが立ちそうなほど古めかしいものだった。
そんな古めかしいソファに座る。革張りで少々硬いが、歩き疲れた栄田の身体を、ソファはギュッと音を立てて優しく包んでくれた。
「ここでしばらくお待ち下さい。私はコーヒーか何かを入れてきます」
「お気遣いなく」
そういって、菅野神父はドアを開いて部屋から出ていこうとした。ズリズリと右足を引きずる神父の姿が、妙に栄田の気を引いた。
「あの、神父」
「はい?」
「右足はどうかされたんですか?」
「ああ、これですか」
栄田に指摘され、菅野神父はフッと微笑んだ。神父の右腕が、右足を静かにさする。
「若い頃に怪我をしましてね。今でも自由に動かすことは出来ません」
「ああ、すみません。失礼なことを聞いてしまい……」
「いえいえ」
一瞬、栄田の胸を気まずさが襲う。だが菅野神父を見る限り、古傷に触れた怒りのようなものはなさそうだ。神父の背中を、胸をなでおろしながら見送った。やがて神父は足を引きずりながら部屋を出た。ドアが静かにガチャリと閉じた。
神父の姿が見えなくなったところで、改めて室内を観察する。部屋の奥にある事務作業用と思われる机や、いま栄田の目の前にあるローテーブル……それら家具はすべて作りがいびつで、歪んでいるように見える。
座っているソファから腰を浮かせ、ローテーブルを詳しく観察することにした。足の取り付けが甘く、揺らせばガタガタと音を立てた。天板と足の間には隙間があり、釘がよく見える。
「まるで素人仕事だな」
ぽそりと口ずさんだ。
「栄田の指摘は間違っておらぬ」
背後から沙雪の声が聞こえた。振り返らなくても分かる。沙雪がいま姿を現している。少なくともあの赤い眼差しが栄田の背後に浮かんでいることだろう。右肩に感じる心地よい冷めたさがそれを示している。
「どういうことだ」
「かつての農民どもは、家を建てる術など持たぬ身で自らの家を建てた。それらは例外なくいびつで建付けが悪く、粗雑で歪んだ家であった。この卓は、それらとよう似ておる」
「素人が作ったテーブルってことか」
「釘すら満足に打てておらぬ。金槌すら握ったことのない者の仕事であろう。卓と呼ぶのもはばかられる出来だ」
不意にノックが鳴った。同時に肩口に感じていた冷たさが急激に無くなり、沙雪の雰囲気が無くなった。沙雪が姿を消したようだ。再び優しくドアが開いた。
「お待たせいたしました」
菅野神父がコーヒーカップを2つ乗せた盆を持って、部屋に帰ってきた。途端に部屋の中にコーヒーのよい香りが立ち込める。
「テーブルが気になるのですか?」
「ええ。その、ずいぶん……」
「作りが粗雑で、まるで素人が作ったようなテーブルだ……と?」
「ええ。まぁ。……ひょっとして、神父が作られたのですか?」
「そうではありませんが、確かに素人が作ったものです。ですが、大切な思い出が籠もったテーブルなんです」
そんな会話を交わしながら、菅野神父はコーヒーカップをテーブルの上にコトリと置く。テーブル自体が斜めになっているためか、カップの中のコーヒーが斜めになっていた。
栄田は懐から手帳を取り出した。開いたテーブルには、事件と遺体の概要が雑な字で記載されている。栄田の文字はお世辞にも美しい文字とはいえない。他人には中々読み辛い文字だ。
「では神父。事件のことを色々と質問していきます」
「わかりました」
こうして、栄田による神父からの聞き取りは一時間ほど続いた。といっても特に収穫はなく、せいぜい犠牲者の慰霊を教会で申し訳程度に行ったことぐらいしか新発見はなかった。
「では、5人目も?」
「はい。当教会で慰霊のみ行いました。警察の方より検視に回すというお話でしたので。簡素なものですが」
「……犠牲者全員に共通する知り合いとか、心当たりはありますか? 誰かから恨みを買っていたとか」
「犠牲者の方々はいずれもこの街に流れ着いた方々です。友人知人もおらず、誰とも繋がってなかったでしょう。私も実際に慰霊を行うまでは、この方々のことは存じ上げませんでした」
「確かに……」
対して事件の進展もなく新しい証言もない。栄田はカップに手を伸ばし、コーヒーをすすった。タバコを止めた栄田の口に苦味が広がったのはずいぶんと久々だ。久しく心地よい苦味は栄田の疲れを多少癒やした。
「……美味しいコーヒーですね」
「お口に合うようでよかった」
「ありがとうございます。今日のところはこれで失礼しますよ」
これ以上粘っても何もない……そう判断した栄田は、署に戻るため、ソファから立ち上がった。
「もうよろしいのですか?」
「ええ。欲しい情報が手に入ったとは言いませんが」
「お力になれましたか?」
「ええ。ありがたいです」
「ならよかったです」
そんな他愛ない会話を交わしつつ、手帳を懐にしまう栄田。窓の外を見ると、ここから礼拝堂の屋根の上の十字架がよく見える。十字架は赤黒い輝きの太陽を背後にし、逆行の中で黒くそびえ立っている。
「そういえば神父。お気を悪くされたら申し訳ない。形式的な質問をさせてください」
「なんでしょう?」
「あなたは、今回の事件の犯人ですか?」
特に何か別な理由があるわけではない。栄田にとって、それは本当に形式的な質問だった。
だがその質問を行った途端、神父の顔つきが変わり、部屋の空気が冷たく、硬質になったことを感じた。
「……」
「……」
神父は口を開かず、栄田は神父の返答を待って、二人共に沈黙する。
無意識のうちに、栄田の手がポケットに伸びた。タバコを欲してのことだったが、ポケットの中にあるのは、代替品として準備した飴の包み紙……栄田の無意識が舌打ちをする。
夕日が窓から差し込み、部屋中を赤く照らした。栄田の服も菅野神父の服も赤く染まった。そんな赤い事務所の中、二人は沈黙し続けた。
そうして1分ほどの沈黙のあと、菅野神父は静かに、柔らかく微笑んだ。
「はい。私がやりました」
その答えを聞いた途端、栄田はプッと吹いた。知らぬ間にピリピリとした緊張感に包まれていたようだ。栄田が吹いたことで、事務所の空気は一気に軽く、暖かくなった。
「キリスト教の神父の方が冗談を言うとは思いませんでした」
「なぜ冗談だと思うのでしょう?」
「今の嘘は下手すぎましたから」
「これは手厳しい。肝に銘じておきましょう」
「いえいえ。美徳ですよ嘘がつけないというのは。コーヒーごちそうさまでした」
「神のご加護があなたにもありますように」
玄関のドアを閉じ、栄田は教会を後にした。すでに日は落ち、周囲に人影はまったく無い。
栄田はポケットに手を入れる。包み紙に包まれた飴を一つ取り出し、口に放り込んだ。途端にクドい甘みが口に広がり、栄田は顔をしかめる。
「コーヒーうまかったなぁ……」
思わずそう口ずさみ、後ろを振り返った。すでに周囲は薄暗い。次第に黒くなりつつある空に、屋根の上の十字架の影が、不気味にぼんやりと浮かんでいる。
「そんなに飴が苦手なら、別のものを口に入れればよかろう……」
右肩にひんやりとした冷たさと沙雪の雰囲気を感じた。見ると、薄ぼんやりと沙雪が肩口に浮かんでいる。宵闇に紛れた半透明の姿は、普段にも増して希薄に感じる。
とはいえ、最近はこうして沙雪も栄田に声をかけることが増えてきた。取り憑いている栄田に沙雪も慣れてきたということだろうか。栄田自身はそう解釈することにしている。
沙雪の顔を見た。相変わらずの虚ろな眼差しだが、不思議と今の沙雪は、その眼差しから熱をほんのりと感じた。
「うるせぇ。思いついたのがこれしかなかったんだよ」
「やはりお前はワラシか」
「黙れ」
悪態をつき、飴をガリガリと噛んだ。大小の破片は飲み込む事ができたが、奥歯に糊着した飴の残骸が栄田を不快にさせた。再び奥歯を噛みしめる栄田だが、奥歯がギチギチとなるだけで、飴は取れない。
「くそっ……歯にくっつきやがる……」
「そのように飴を喰らえば当然であろう」
「うるせぇ黙れ。……んで。初めての教会はどうだったんだ」
「どう……とは?」
「異国の宗教に触れたのは初めてなんだろ? そもそもお前、化け物のくせに神様のお膝元に来て平気なのか?」
『ああ……』と相づちを打ち、沙雪が何かを言いかけたときだった。
「あ! あんた!!」
女性の声が周囲に響いた。栄田は声の方を向き、沙雪はスッと姿を消す。
「き、教会から出てきたのかい!?」
声の主は大人の女性だ。ツギハギだらけのくたびれたモンペを履き、手に持つカゴには食材の数々が入っているようだ。一見栄田と同年代の人間にも見えるが、口元にほうれい線があり、よく見ると髪にも少なくない白髪が混じっている。
栄田は慌てて懐から警察手帳を取り出そうとしたが、それよりも早く、女性が栄田のすぐ側までやってきた。なぜかその顔には驚きが感じられる。悪い意味での。
「あ、ああ。あんたは?」
「大丈夫だったかい!? 神父様に何かされなかったかい?」
「は?」
女性は栄田の言葉を無視し、しきりに栄田の体に触れる。最初は何かの冗談かと思った栄田だが、女性にイタズラめいた意思は感じない。本気で栄田の身体を心配しているように見えた。
女性のこの様子は、栄田の意識に確信をもたらした。
「あー、大丈夫です。それより……」
「ならよかったよ……」
栄田は懐から警察手帳を出し、その表紙を見せた。
「警察です。ちょっとさっきの話を聞かせてくれませんか?」
「なんだおまわりさんかい……」
「ええ。なんでこの教会に来ただけでそんなに大騒ぎされるのか、そこんとこを聞かせてくれませんかね?」
「……え。まさかあんた、よその街から来た……?」
『この事件にあの神父は深く関わっている。その鍵をこの女は握っている』栄田の無意識は、栄田にそう告げていた。
周囲は、互いの顔が闇に紛れてぼんやりとしか見えないほど、暗くなり始めていた。
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