4 久子の昔話
栄田は懐中電灯で照らした腕時計を見た。時刻は午前1時。周囲はすでに明かりがなければすぐそばも見えないほど暗い。礼拝堂のステンドグラスから漏れる光だけが、周囲の光源となっている。
「神父はまだ起きてるのか」
「そのようだ」
少し中を覗いてみたが、中の様子はステンドグラス越しではよく分からない。人が一人いるであろうことが、かろうじて分かる程度だ。
「神父か? なにをやっているんだ?」
「分からんが、それでお前の目的が変わるわけではないはずだ」
「……」
普段に比べて妙に積極的に見える沙雪。その様は、栄田に妙な違和感を植え付けた。
栄田はしばらく別のルートを考えたが、見取り図もない今の状況では、他のルートが思いつくはずもない。苛つきを抑えるため、口の中の飴をまたガリガリと噛み砕いた。
栄田に声をかけてきた女性は、名を『久子(ひさこ)』と言った。教会が建てられる以前よりこの街で暮らしており、かつては菅野神父とも親交があったそうだ。
栄田は久子の家に招かれ、そこで話を聞くことになった。久子の家は外観はもちろん、室内、家具にいたるまで古めかしく、ちゃぶ台も年季が入ったものだ。しかし手入れはよく行き届いており、部屋の中にはホコリ一つ落ちていない。時折ジジジと明かりが霞む裸電球が、この家……もっというと、この地区の状況を暗にこちらに囁いているように、栄田には感じられた。
いま、久子は一人暮らし。結婚しており亭主もいるそうだが、今は出稼ぎに出ているとのことだ。
「二番茶だけど勘弁しとくれ」
「いえ、おかまいなく」
今のちゃぶ台の前に座って待つ栄田の元に、久子がお茶が入った湯呑を2つ持って帰ってきた。客用の湯呑にしては薄汚く、使い古された藍色の円筒形の湯呑だ。
「旦那の湯呑でごめんね。普段客なんて来ないしさ」
「……」
「で、聞きたいのは何だい?」
栄田の向かいに座る久子。栄田は湯呑のお茶をすするが、二番茶らしく若干薄い。湯呑を置き、右手の人差し指と中指を立て、それを久子に向けた。
「聞きたいことは2つある」
「……」
「一つ。なぜ教会に入った俺のことをあんなに心配したんだ」
「……」
「二つ。あの教会のこととなると、この街の奴らはみんな口をつぐむ。理由はなんだ」
栄田の疑問を、久子は黙って聞いていた。目線は自身の湯呑に落とし、ほんの少しだけの微笑みを浮かべている。やがて湯呑を手に取り、一口、口を付けた。
「……あの教会が建ってしばらくした頃から、神父様の隣にはシスターがいたんだよ」
「シスター?」
「ああ。静って言ってね。元々は孤児でこの街に迷い込んだのを神父様が助けたんだ。可愛かったよ。小さい子なんだけど、ちゃんと洗礼を受けて、いっちょ前に小さな修道服を着てね」
久子の言葉を受け、栄田は昼間の教会での菅野神父との会合を思い出す。事務所や礼拝堂の中は手入れが行き届いていたが、子供の気配はなかったはず……たとえ綺麗に整理整頓がされていたとしても、子供がいる痕跡は中々に隠しきれない。
「待ってくれ。教会の中に子供がいる雰囲気はなかったぞ」
「当たり前さ。しばらくして亡くなったんだから」
「そうか……」
「あんた、この街の警察じゃないから分からないかもしれないけど、数ヶ月前に子供が殺される事件があったんだ。それが静さ」
「殺されたのか……」
「ひどいもんだったよ。身体は傷だらけで落書きだらけ。おまけに犯されてた。10歳ぐらいの子がさ……」
そういい、久子はうつむいた。顔は確かに微笑んでいるが、その表情は決して明るくはない。薄暗い部屋の明かりも手伝って、久子の顔に影を落としていた。
「その事件は解決してるのか。犯人は捕まったのか」
そんな様子の久子に、栄田は当然の疑問をぶつける。しかし、久子の表情は晴れない。やるせない微笑みを浮かべたまま、静かに頭を振った。
「……いや。結局犯人はまだ見つかってない」
「そうか……」
「……だけどさ」
湯呑を持つ久子の手に力が入り、両肩が強張ったことが栄田に伝わった。小刻みに体が震えている。
「静が殺された次の日、浮浪者が一人殺されたんだよ」
「……」
「そいつ、『ガキを犯した』って自慢して回ってた奴だったんだけどさ……私がそのことを神父様に伝えたんだ……そしたら、その翌日に殺されてさ」
「……?」
「私も現場を見たんだけど、あいつ、ものすごく怖い表情で死んでてさ……胸に大きな十字架が刺さって、立ったまま死んでたんだよ……」
その後、久子は栄田にその日のことを震えながら話してくれた。
浮浪者死亡の一報を受けた菅野神父は、警察よりも早く現場に駆けつけた。そして浮浪者の死体をジッと見つめた後……
「彼の罪もこれで贖われたでしょう」
そう言い、死体から巨大な十字架を抜き取った。支えを失った浮浪者の死体はぐしゃりと崩れ落ち、その様子を菅野神父はジッと見つめていた。神父の服に、浮浪者の血がべっとりと付いた。
「あの……神父様?」
「何か?」
たまらず久子は声をかけたが、菅野神父は恐ろしく冷たい声色で素っ気ない返事を返す。声だけではない。目も表情も、何もかもが冷たい。そんな菅野神父の表情を見るのは、久子にとって初めてのことだった。前の晩、浮浪者の存在を伝えた時に見た憤怒の表情とはまた違った極低温の怒りが、神父の顔を彩っているように感じた。
「い、いや……」
「そうですか。では私は失礼させていただきます。警察の方々の捜査が終わったら、この方の死体は教会に運んでください。私が弔いましょう」
最後に菅野神父はそう言い放ち、血がついた十字架をかついで教会に戻っていった。血は神父の黒い服にベッタリと付着し、赤黒くてらてらと輝いている。
冷酷な顔で静かに血まみれの十字架をかつぐ姿に、住民たちは誰も声をかけることが出来なかった。ただ、血で汚れた神父を遠巻きに見守ることしか出来なかった。
ひとしきり話した久子は、自身が持っている湯呑を両手で包んだ。その様子は、茶の温かみで暖を取っているようにも見える。両肩がカタカタと震えているから、なおさらだ。
「……今回の事件、街のみんなは神父様がやったって薄々気付いてる。でもさ。あの人はこの街に来てから、私達に本当によくしてくれたんだ」
「それがみんなが口をつぐむ理由か」
「信じたくないし、戻って欲しいんだよ。あの頃の神父様にさ」
「……」
「……でも、静が殺されたのが神父様が変わり果てたきっかけだったんだ。戻るってのも、難しいかもね」
そう言うと、久子は寂しそうにほほえみ、お茶をすすった。
「……もうぬるいね」
言われて栄田もお茶をすする。かなり長い時間話を聞いていたからだろうか。久子が言った通り、お茶はすでにぬるい。
「なぁ、刑事さん? 神父様はさ。戻るのかな?」
「ん?」
「あんたが神父様を捕まえて逮捕してくれりゃ……そうすりゃ、あの人の心の中の淀みみたいなものが無くなって、前みたいに笑ってくれるのかなぁ……?」
栄田は久子を見た。変わらず寂しそうに微笑んだまま、目に涙を浮かべていた。
おそらく、久子の目には今、菅野神父の姿が写っているのだろう。ここ最近の神父ではない。この街の皆に献身的に尽くす、以前の菅野神父の姿が。
そしてその傍らには、きっと、静という少女もいるのだろう。屈託なく笑う修道服姿の静を、きっと菅野神父は笑顔で見下ろしていることだろう。
栄田は、湯呑の中の茶をすべて飲み干した。すでに温度を失っている茶をすべて飲み込み、栄田は湯呑をタンと置く。
その時、栄田は心の中で菅野神父が今回の一連の事件の犯人である確信を持った。
「久子さん。それで菅野神父が救われるかどうかは正直分からん」
「そうかい……」
「だけどな。もし本当に一連の事件の犯人が菅野神父だとしたら、罪もない人間を五人も殺害した罪は償わせなきゃならねぇ。たとえあんたらが世話になり、慕っている人間だったとしても」
「そうか……そうだね。立派な犯罪だからね」
「ああ」
そうして、栄田は教会への潜入を決意した。潜入して建物内を捜索し、事件解決の手がかりになるものを探すためだ。
久子いわく、この教会は、礼拝堂だけは入り口の施錠を行ってないそうだ。建立されてまだ間もない時、菅野神父は深夜に教会を訪れた人物にも即座に招き入れる事ができるよう、礼拝堂だけは施錠しなかったらしい。
そのため礼拝堂から忍び込むルートを計画していたのだが……予想が外れた。礼拝堂の中に誰かが……恐らくは神父だろうが……がいる。
礼拝堂の中の様子をステンドグラス越しに伺っていた栄田だが、そのステンドグラスがひらめきを与えてくれた。他の教会のステンドグラスに比べ、この教会のそれは建付けがどうも甘い。少し力を入れれば、素手の栄田でも簡単に外れそうに見える。
沙雪の雰囲気は自身の背後に感じる。姿こそ見せてはいないが、沙雪の存在は栄田にも感じ取れていた。
「おい沙雪。お前、以前にこの建物は素人が建てたって言ってたよな」
「それがどうした」
「簡単に窓を外したりってのは出来るか?」
「私自身が素人ゆえ、そのような質問に明確に答えることは出来ぬ。ただ、この建付けの甘さであれば、その答えも自ずと分かろう」
普段はあまり積極さを見せない沙雪だが、今日はやけに栄田に対して協力的に見える。だがその違和感は、まだ小さい。
「やってみる価値はありそうだな」
栄田は礼拝堂から離れ、夕方に入った事務所の外へと移動した。暗闇の中おぼろげな記憶を頼りに敷地内を移動し、少し迷った後、事務所の窓を見つける。
「ここか」
窓枠を両手で掴み、軽く揺すってみた。思った通り立て付けが悪い。栄田が少し力を入れただけで、窓は枠ごとガタガタと震え始める。
意を決し、栄田は力を込めて窓枠を強く揺さぶった。周囲の静けさに慣れた栄田の耳には驚くほど大きく感じるガタガタという音が周囲に轟音のように鳴り響き、窓は思った以上にあっけなく白旗を上げた。窓が枠ごと外れ、栄田の前に、事務所への入口が開いた。
「入るぞ」
誰にいうでもなく口ずさみ、栄田は外した窓を足元に置いて事務所に入った。
事務所の中の空気は思った以上に冷たく、そして妙な匂いが鼻につく。少し顔をしかめた栄田の手は、自然と懐の拳銃を抜いていた。
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