閑話

童(ワラシ)

「ほら。前に預かってた弾丸15発だ」


 椅子に腰掛ける栄田の目の前のテーブルに、15発の弾丸がジャラジャラと広げられた。雷管の部分にはもれなく同じ摩利支天の梵字が描かれ、それが栄田の切り札の弾丸であることを如実に伝えている。


「いつも悪いな。妙庵」


 栄田はいつものように礼を述べると、これまたいつものように無造作に広げられた15発の弾丸をテーブルの上に綺麗に並べていく。数分後、縦三列横五列の整列した弾丸の列が二人の前に姿を見せた。


「悪いって思うんなら、もう少し銃弾の消費を控えたらどうだ?」

「俺は無闇矢鱈と撃ってるわけじゃねぇ」


 妙庵の苦言に適当な返答を返し、栄田は弾丸の縦列を崩してポケットへとしまう。ジャラジャラと音を建てながらそれらは栄田のポケットへと姿を消していった。


 そのまま、同じくポケットの中から飴を取り出し、それを口に放り込む。いつもならくどく感じる甘みが、今日はなんだか心地良い。妙庵が淹れてくれた苦い緑茶のせいか。


「タバコやめたのか」

「まぁな。そろそろ一ヶ月ぐらい経つかな」

「意外と長続きしてるなぁ。愛煙家だったくせに」

「うるせぇ」


 口の中で飴を遊ばせ、コロコロとその味を堪能する。その途中で口に含む緑茶の苦味がスッキリと心地よい。そして緑茶で洗われた口の中では、また飴の甘みが心地よくなる。栄田は今、禁煙の手持ち無沙汰をごまかすための飴を始めてうまいと感じていた。


 ……フと、妙庵が神妙な面持ちでこちらをジッと見ていることに気付いた。


「なんだよ?」


 飴を口の中でコロコロと転がしながら妙庵に問う。


「……いや、お前、最近変わったな、と」

「そうか?」


 『そうか?』と首をひねらずにはいられない。沙雪はおろか仲間の誰にも言われたことのない一言には、栄田も違和感を感じずにはいられないからだ。


 そもそも栄田は、自身が変わった自覚など微塵も無い。確かにタバコは止めたが、妙庵が言いたいことはそういうことではないはずだ。


 妙庵が言いたいのは、栄田の内面が変わったということだろう。


 人は、自身の変化には意外と気付き辛い所がある。内面の変化であればなおさらだ。


 ここ最近で栄田にそんなことを言ってきたのは妙庵一人。仕事仲間からも沙雪からもそんなことは言われていない。妙庵だけが気付いた変化というものが栄田に訪れているらしい。普段から栄田に接しているから気付いたのか、はたまた坊主としての確かな神通力がなし得た業か……もっとも妙庵は、肉は食う酒は飲む女は抱く……と言った具合の生臭坊主の代表格で、そんな神通力があるとはとても思えないが。


 興味が湧いた。栄田は妙庵が感じた変化というものをもう少し掘り下げて聞いてみることにした。


「どういうところがだ?」

「お前、自分の変化に気付いてないのか」

「自分の変化なんて、そうそう気付くことじゃねぇだろ」

「まぁなぁ……」

「んで? どういう風に変わったんだよ?」


 栄田は口の中の飴をコロコロと転がし、そのまま緑茶をすすった。ズズッという音が鳴り響き、口の中に芳しい茶の香りが訪れる。


 栄田の問に、妙庵はなぜか答えるのをためらっているようだった。迷ったように口を開こうとしてはまごまごと動かし、そしてまた閉じる。妙庵が女性であればその仕草に栄田も可愛げを感じたかもしれないが、相手が妙庵ではただイライラが募るばかりだ。


 しばらくの間妙庵のその繰り返しが続き、栄田がそろそろ『言いにくいなら無理に言わなくていいぞ』と痺れを切らそうとした、そのときである。


「……怒るなよ?」


 上目遣いで栄田を伺うように、妙庵がそう呟いた。


「内容による」


 改めて栄田は緑茶をすすった。今日の飴は、思った以上に硬く、未だに栄田の口の中に残り続けている。


 妙庵は栄田の方を見ずに視線をそらして、ぽそり、ぽそりと話し始めた。


「……えっとな。以前のお前は危なっかしかった」

「どういうことだ」

「なんていうか……死に場所を求める軍人って言うのかなぁ……危険な場所に自ら突っ込んで、自分の命を危険に晒す……見ていて、そんな危なっかしさを感じてたんだよ」

「死に場所を求めたことなんて一度もねーぞ」

「最後まで黙って聞けって。確かに化け物が絡んだ事件を解決したいって気持ちは本当だろうさ。そいつらに苦しめられてる人達を助けたいって気持ちも本当だろうさ。……だけど、その中で死にたい……どこかでそんな事を考えてるんじゃないか……そんなふうに見えてたんだよ」

「ふーん……」

「だから正直、見ていて危なっかしいと思っていたよ。私が何か力になれれば……そう思っていたんだが……」

「俺がお前の力になることが多かった……てことか?」

「そうだよ私が泣かせた女たちを一体どれだけ助けてくれたことか……いや待てその話は今はしなくていいだろ」


 栄田なりの冗談を言うが、普段と違って妙庵の顔に変化はない。普段のように怒りもしなければ笑みもない。至極真面目に話をしているようだ。


「そうだな。茶化して悪かった。んで?」


 すぐに謝罪し、続きを促す。


「……とはいえ、化け物を怖いと思う気持ちもあったみたいでな。死地を求めながらも、命が惜しいというか……化け物のことを怖がっていたというか……とにかくなんだか矛盾してたんだよな。死にたいのに死にたくない、みたいな」

「まぁ、死にたくはねぇな」

「だが最近の栄田からは、そんな感じが見れなくなってるというか……」

「?」

「相変わらず人の助けになりたいってのは本心だろうさ。人に仇なす化け物を残らず殺したいってのも本心だろう」

「まぁなぁ……」

「だがそれ以上に、その状況を楽しんでるというか……」


 栄田にとっては、あまりよい話ではない。聞き方によっては化け物の殺戮を楽しんでいると捉えてもおかしくない話である。そんな悪趣味な感情を抱いたことは、栄田はただの一度もない。


 しかし、妙庵が言いたいのはそういうことではないらしく……


「んじゃ、まるで俺が化け物殺しを楽しんでるみたいじゃねーか」

「いや、そうではない。そういう方向ではないんだ」


 栄田の言葉を妙庵は慌てて制止する。その慌てぶりから、本心から『違う』と言っているようだ。けっして場のごまかしではない。


 では、妙庵は一体、何を持って栄田のことを『楽しんでいる』と評したのだろうか。


「んじゃどういうことだ?」

「ああ。怒らないで聞いてほしいんだが……」

「冗談でなら怒るが、冗談じゃないんだろ?」

「ああ」

「なら安心して言えよ」


 促す栄田の口の中には、まだ飴が残っている。この飴は相当にしぶとい。噛み砕こうにも硬すぎて噛み砕けない。そろそろ飴の甘みにくどさを感じ始めてきた。


 妙庵の次の言葉は、そんな栄田の心に、返しがついた針としてブスリと突き刺さるものだった。


「なんかさ。下卑た楽しさっていうよりも、純粋で無邪気な楽しさって感じがするんだよ」

「?」

「強いて言えば……うーん……母親とどこか遊びに行くのを楽しみにしてる子供って言うのかなぁ……」

「……」

「明日、母親と海とか山に遊びに行くことを楽しみにしてる五歳児……銃弾を受け取るお前からは、そんな印象を受けるんだよ」

「……ッ」


 栄田は、無意識のうちに口の中の硬い飴をバリバリと噛み砕いていた。飴が柔らかくなったのか、それとも栄田の感情が硬い飴を噛み砕くほど昂ぶったのか、理由はわからない。だが次の瞬間、噛み砕かれた硬い飴は細かく砕かれて歯に糊着し、栄田の歯にギチギチとした不快感を与えた。


 この不快感は、妙心寺を出るまで栄田を悩ませ続けていた。妙庵の話を聞く間、栄田は自身の奥歯に糊着した飴を引き剥がしたい衝動をずっと抑え続けていた。




 茜色の夕日が浮かぶ田んぼのあぜ道を、栄田は一人歩いて家路についている。妙心寺を出た栄田はその後帰り道の定食屋で夕食を取り、そのまま徒歩で家路についていた。


「おい沙雪」

「なんだ」


 一人は寂しいというわけではないが、つい沙雪を呼んでしまう。夕焼けというものは、否応なしに人の心の中の郷愁を誘う。隣に人にいてほしいと無意識に思わせる魔力が、美しい夕焼けにはある。


 栄田に呼ばれて目の前に姿を見せる沙雪は、いつものように純白の姿をしていた。夕焼けに彩られ茜色に染まってはいたが、それでも沙雪の白さは際立った。周囲に溶け込んで無くなってしまうほど存在感が希薄な沙雪だが、それでも、不思議と今日は沙雪の姿は周囲から浮かんでいるように見えるほど、栄田の目には鮮明に写った。


「妙庵の話を聞いてたか?」

「私はお前に取り憑いておるゆえな」

「どう思う?」

「どう、とは?」

「お前から見て、俺は変わったと思うか?」

「……」

「お前から見て、俺は五歳児だと思うか?」


 遠くの方でカラスの鳴き声が聞こえた。沙雪がそちらに顔を向け、栄田も遅れてそちらを見る。真っ赤な夕日に向かって、数匹のカラスたちが飛び立っているのが見えた。


 栄田は沙雪の様子を伺った、沙雪の眼差しは、そのカラスたちよりも、その夕焼けよりも、ずっと遠くの景色を見ていた。


「沙雪?」


 栄田は、沙雪の目に映るものがどんな風景なのか、少し気になった。


「……よいではないか」


 ほどなくして沙雪は小さい声でそう呟いた。


「どういうことだ?」

「分からぬか?」


 沙雪が何を言いたいのか、栄田にはまったくわからない。


 だがこれだけは分かる、沙雪の表情は、いつになく穏やかに微笑んでいる。


「分からぬなら分からぬで別によい。ほんの戯れよ」

「……」

「のう。宗介?」


 そういうと微笑む沙雪は後ろを振り返り、そしてそのまま景色の中に溶け込んでいくように消えた。


 栄田の背骨には、一筋の冷たい感触が走っていた。栄田の身体は、この上ない恐怖を感じていた。


 沙雪にではない。沙雪の笑顔を見た、自分自身の心にである。


 沙雪が栄田に穏やかな笑顔を見せていたその時間、栄田の心は、明らかに沙雪の微笑みに母の面影を感じていた。


 それが沙雪の呪いの所業なのか、疲弊した栄田の精神のブレなのか、原因ははっきりしない。


 ただ、一つだけハッキリとした事実がある。


 栄田の精神は、沙雪の微笑みを『母』だと認識し始めていた。


 沙雪の存在は、栄田の精神を確実に蝕み始めていた。記憶の中の母の姿を歪めるほどに。




~続く~

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警部補の男と赤子喰らいの女 おかぴ @okapi

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