第13話 限られた中で二人は触れ合う
午後五時。激しく燃える太陽が落ち着いてきた頃、フェスと共にスタッフの活動が終了した。
一時間後にはホテル内で打ち上げを兼ねた夕食会が行われる予定だ。今回は希望者のみで、参加者は集合時刻に集まって移動、不参加の人はホテル内もしくはホテル近辺で自由に食事をするようになっている。直前まで選択が可能なのは有り難い。
俺は潮李の参加の有無を知りたくてメッセージを送ったが、しばらく経っても既読がつかない。ホテルのロビーに立ち止まり電話を掛けてみるも、なかなか応答しない。ひとまず切ろうかと考えた時、
「潮李ちゃんのこと?」
と、ハートライトのしっかり者系の北口さんが声を掛けてきた。
「そうそう。メッセージも電話も繋がらなくて」
「それが、潮李ちゃんだけ疲れたから先にホテルに戻ったんだけど、うちらが帰った時には寝ちゃってて。緊張で、寝不足していたみたいだから」
「そうだったのか……」
通りで連絡が取れない訳だ。あれだけ悩んで最終的にステージをやり遂げたのだから、疲れるのも当然だ。
「なあ、潮李って、体調は悪くなっていないよね?」
「俺が責任を持つ」などと発言したものの、果たして本当に無事なのか心配ではあった。
少し考えてから、北口さんが返事をする。
「……うん。ほとんど一緒に居たけど、そんな風には見えなかったよ? 今もぐっすり眠っているだけだし」
「よかった……」
神様は、許してくれた。
フェスが始まった頃に抱き合って演奏後の昼間に控え室で体を近づけたりしたけど、それでも体調に問題が無かったのだ。今更ながら、潮李の体はよく維持できたと思う。
それから、俺は何気に心の片隅に残っていた疑問を彼女に伝える。
「てゆーか、俺達の関係って見ているだけで分かるものなの?」
「分かるものだよ〜 学校でも仲良さそうだったけど、昨日の中華街で潮李ちゃんが今村君の元へ行った時に三人で確信したね」
「あ……」
そうだ。あの時だ。
昨夜、潮李がバンドメンバーから離れて俺と中華街を回ったのだから気がつかないはずがない。
「私、二人の関係を推しているから! 見ていて微笑ましいよねっ」
「お、おう。サンキュ」
笑顔で北口さんに言われ、照れくさくなる。どこかのお調子者ガールは「潮李の単推し」とか言って俺を外したけどな。
それにしても、潮李はハートライトのメンバー、特に北口さんからすっかり可愛がられているのだと思った。あの容姿でいて健気だから、男でも母性本能をくすぐられる気持ちは確かに理解できる。
「そういうことだから、うちらは打ち上げに参加してくるから、潮李ちゃんが目を覚ましたら二人で過ごしてあげて?」
「わかった」
そう伝えると、北口さんは俺から離れて階段を上って行った。
おそらく、潮李の体力と俺達の関係を気遣って提案してくれたのだろう。もし起きていれば、潮李を含めたハートライトの四人で夕食会に参加した可能性も考えられる。
潮李も、恋人も友人も大事にしていると、どちらと行動をすればよいか迷うよな。
潮李から連絡が来るまでホテルの部屋で待機していると、それから約三十分後の六時過ぎに彼女から電話が掛かってきた。
「もしもし?」
「……ごめん……私、寝ちゃっていたみたいで……」
僅かに間が空いてから、潮李のはっきりとしない声が耳に届く。
「いいよいいよ。今から会える? 部屋の前まで迎えに行く」
「うん……。着いたらノックして? 私から開けるから」
といったやり取りをして通話を終えると、俺は一つ上の階にある潮李の部屋を目指した。
到着してドアをノックすると、ゆっくり開けた扉に身を預けるように潮李が現れた。体は半分眠った状態で、バンドTシャツは日中と比べて明らかによれている。
「おはよう」
「……おはよぅ」
さっきと変わらず腑抜けた声で反応も若干鈍い。
「まだ眠たそうだし、俺の部屋で休みながらご飯にしようか? さすがに、女子の部屋に入るのはまずいし」
「遠藤君は?」
「あいつは打ち上げの方へ行ったから、しばらく誰も居ないよ」
「じゃあ……行こうかな」
潮李は部屋のドアを閉めて、うとうとした表情と覚束ない足取りで俺の隣を歩いた。まだ睡眠が浅そうな潮李を心配しつつ、そんな彼女を可愛らしくも感じた。
安全を考慮してエレベーターで一階へ降りると、売店でそれぞれ食べたいものや飲みたいものを購入して、二階の俺の部屋へ向かう。とりあえず正常な意識はあるようで、部屋に着くまでに危なっかしい行動を起こすことは免れた。
「ベッドあるけど、もうちょい寝とく?」
「い……いい。少し目が覚めたから……」
自分のベッドに指を差すと、潮李は恥ずかしそうに両手を横に振った。
「俺の使ったベッドに寝っ転がるいい機会だとは思わない?」
「自分で言うんだね」
「とか言いながら普通に受け入れるんだな」
躊躇っていたことなど嘘のようにすんなりベッドの上で横になった潮李の隣に俺も体を預け、彼女に振り向く。澄んだ大きな瞳の潮李と目が合う。
「修我君……」
「潮李……」
お互いに名前を呼び合い、潮李の背中に手を回し、抱き寄せようとした時──
「待って」
と、彼女の声が俺の片手を止めた。
「私、今、汗をかいているから……。さっきので寝汗が……」
「俺は気にしないって。おいで?」
そう言うと、潮李は少し悩んでから受け入れるように俺に身を近づけた。改めて潮李の華奢な体をこちらに寄せると、潮李も俺の背中に手を回す。
確かにTシャツに染みた箇所が確認できるが、においはほとんど感じないし、感じたとしても俺にはドキドキの対象になる。今でも若干、若干だけど、興奮している。
「俺、潮李の汗なら全然嫌いじゃないぞ」
「前から思っていたけど、修我君って、たまにデリカシーに欠ける所があるよね」
いつになくストレートな物言いが聞こえ、瞬時に彼女に顔を向ける。
フォローも兼ねたつもりで言ったが、かえって潮李に恥をかかせたらしい。てゆーか、前からっていつから思っていたんだよ?
「いや、潮李のなら俺は何でも大丈夫、ウェルカム、って意味で……」
「だから、それを面と向かって言われるのが恥ずかしいの!」
「すみません」
怒られてつい敬語になった。言われてみればそうだ。今のに関しては彼女がまともだと思う。
ただ、相手の深い部分まで分かち合うのも愛の一つじゃないかな? なんて。
ベッドでしばらく体を寄せ合ってから、部屋に置かれてあるミニテーブルに売店で調達したものを並べて夕食にした。俺達は、ベッドの足側に腰を下ろして頂く。
「…………あ!」
「な、何……?」
突然、良からぬことに気づいてしまい思わず声を上げると、隣の彼女が、心臓に悪い、とでも言いたげな顔で振り向く。
「潮李、頭大丈夫? カルシウム足りてる??」
「──馬鹿にしているの?」
「あっ、いや、違う! 伝え方が悪かった! 頭痛や貧血になっていないか??」
さっきまでベッドの上で体を密着させていたのだ。それらの症状が現れてもおかしくはない。
汗がどうこう以前に、接近したら彼女の具合が悪くなることをすっかり忘れていた。今日は近づいても体に異変がなかったので油断をしていた。
「見ての通り大丈夫だよ。あと、貧血はカルシウムじゃなくて鉄分ね。イライラしているように見えたのかと思った」
「悪い。完全に凡ミス」
潮李に冷静に訂正を入れられた。自分の天然ボケの炸裂も気になるけれど、とにかく、彼女の体に問題がないことに安堵した。
「そういえば、距離、すごく近かったね。私も今まで気がつかなかった」
「お互い、夢中だったからな……。話にも体にも」
それにしては、未だに体調が崩れないなんて、今日の神様はちょっと優しすぎる気もした。勿論、このまま無事でいてほしいけど。フェス合宿期間は特別サービスだろうか。
夕食を終えた頃には、潮李を部屋に呼んでから一時間が経過していた。現在、午後七時三十分。
二人で俺のベッドに腰を掛けてのんびりと過ごしていた時、
「ねえ、今から散歩しに行かない?」
ふと、潮李がそんな提案をしてきた。
俺が賛成すると、階段を降りて一階へ着き、ホテルの出入り口前から潮李と恋人つなぎで外へ出る。ホテルは空調が効いていたので、日中よりはマシでもやはり蒸し暑い。
空はすっかり真っ暗で目に映るものも限られてくる。それこそ潮李の顔をはっきりとは確認できないが、代わりに都会らしい数々のビルや広大な海に架かる立派な橋が輝きを放っていた。夜の横浜は本当に絵になる。
少し歩いてからベンチを見つけて二人で座り、すごいなー、などと捻りのない感想を口にして眺めていると、潮李が言った。
「海って、果てしなく深いから恐ろしくもあるよね」
「わかる。見ている分にはいいけどな。そういえば、前にも似た話をしていたよね? 水を超えられる深いものってなんだろう? って」
「覚えていたんだ。恥ずかしいな」
隣から照れくさそうに笑う声が聴こえた。
大丈夫。それに対して「愛じゃね?」って返した交際前の俺に比べたら全然マシ。
「私、水を見ると、よくそんなことを考えちゃう」
「何かきっかけがあるの?」
「全然大したことじゃないよ。私の名前の『潮李』が水に由来するから、つい意識しちゃうだけ」
「そういうことか。言われてみれば……。どういう由来なの?」
「私が生まれた時、窓から見えた景色が満ち潮の綺麗な海だったらしくて。それで、響きが良いから『潮李』」
「潮李って、水の精みたいだな」
無意識にそんなことを呟いていた。
「ねえ、それこそ馬鹿にしていない?」
「していない! 褒めているんだって」
訝しげに聞いてくる潮李にしっかり訂正をする。
名前や水の話をしてくれる所もそうだけど、彼女の清楚な容姿や醸し出す雰囲気が尚更感じさせた。あと、炭酸水が好きな一面も。
「その海はいつの海?」
「秋の終わり頃かな」
「じゃあ、まだ十六歳なんだ」
「修我君はいつ?」
「俺、夏生まれだよ」
「えっ、もうすぐ? それとも過ぎちゃった??」
「えっと──」
といった感じに会話が弾み、それからも二人の誕生日や俺の名前の由来を教えたりして、お互いの情報をアップデートしていった。
今更な所もあるけど、こうして相手を知っていくことで心の距離が縮まっていったような気がする。
「いたっ……」
突然、潮李が繋いでいない手で額に触れる。
「頭、痛い?」
「うん」
とはいえ、この数分の間に彼女とは接近した記憶は無い。
「やっぱり、気づいていないだけで頭痛持ちなんじゃ?」
「そんなことないはずだけど……」
「膝枕しようか?」
潮李に向けた膝を軽く叩いて問い掛ける。
「気持ちはすごくしたいけど、距離が近づいてますます頭が痛くなるかも……。ごめん」
「そう、だったな。潮李は何も悪くないよ」
言われて気がついた。彼女に近づいて介抱したくても逆効果であることに。
──不思議だ。
この所、予想外のタイミングで潮李が体調が悪くなっている。密着しても異変がないと思えば、今みたいに近くもない時に頭痛になったり。本当に近距離病なのか、近距離病以外の何かなのか。
あまり触れて労れないことは彼氏として惜しいけれど、今の自分に出来る癒しを届けようと空いている方の手で頭を撫でる。
「潮李よ良くなれー 頭痛よ飛んでいけー」
「恥じらっているから棒読みになっているよ」
「言うなよ」
しばらくして落ち着いてから、俺達は夜景を眺めながらホテルへ戻った。
「は〜、潮李と同じ部屋に泊まりたいなぁ」
「私もそうしたいけど、高校の行事だもんね?」
「いつか二人で旅行しよう。修学旅行ならぬ"修我君旅行"、ってことで!」
「わぁーうまい。課題十枚あげるね?」
「あえて座布団を課題に置き換えるセンス、秀逸だなおい」
棒読みだし「課題十枚」ってむしろマイナス評価じゃないか? と内心突っ込みながらテンポ良く言葉を交わして、ホテル三階の潮李の部屋の前へ到着。
「じゃ、おやすみ」
「うん。おやすみ」
手を振って、潮李は部屋へ入り、俺は二階の自分の部屋を目指して解散した。
俺達は、俺達なりの青春を謳歌している。
今は、潮李とは決められた時間の中を限られた距離でそばに居るけど、いつかは気にしないで過ごせることを願ってこの
帰り際のしょうもないギャグもきっとこんな今だから言えるのだろうし、合宿や旅行だって大人になれば自分達で計画しない限りは始まらない。
今は今で、充実した時間だ。
合宿の最終日になった。二泊三日のフェス合宿はすべてが天候に恵まれたが、同時に少し暑すぎる気もした。
メンバーは朝食とホテルのチェックアウトを済ませると、横浜市内の水族館へと向かった。
ここでも、潮李は最初の半分の時間はハートライトのメンバーと共に行動して、残りの時間は俺と二人で過ごす予定らしい。それまで、クラゲやチンアナゴといった癒し組をぼーっと眺めたり、潮李が昼食は友達と摂ると話していたので軽く食事をした。その時に気づいたことだけど、中華街以降、クラスの男子が俺を誘うことはなかった。たまには一人も悪くないと思えた。
「お待たせ」
正午を回った頃、潮李が水族館や水の精らしく上下水色のミニスカートを靡かせて集合場所に現れた。
俺達は恋人つなぎで館内を回り、気になったエリアを見つける度に足を止めて楽しんだ。
「イルカだ、かわいい!」
「かわいい割に迫力が凄いよなぁ。うわっ! これこれ、こんな感じに!」
「噂をすれば修我君に接近……」
イルカがいきなり間近に来て懐かれた気持ちになったり、
「熱帯魚……目の保養になるな。潮李、目の保養同士、ちょっと水槽の前に立ってみて?」
「どういうこと?? いいけど」
「はい、チーズ」
「えぇっ!? ──わ、すごく綺麗……」
「やっぱり潮李と海は
熱帯魚が泳ぐ水槽を背景に潮李をスマホカメラに収めたり、
「中華街でも買ったからなぁー、どうしようかな?」
「見て見て。私達にピッタリのキーホルダー、見つけた」
お土産コーナーをじっくり回ったりと、潮李と水族館デートを満喫した。
潮李が片手に二つ摘んで見せたのは、ポップな海のイラストを背景に白の丸文字で「しー」と大きく描かれたキーホルダー。商品名は「しーホルダー」らしい。駄洒落か。
「──もしかして、俺達の名前の頭文字だから?」
「そう。面白くない?」
「面白いな。そのダサさ加減」
「喜んでくれたみたいだから買ってくるね」
「ちょっと待て。褒めたつもりはないぞ」
しかし、俺の引き止める声も虚しく、彼女は本当に二人分のキーホルダーを購入して俺に寄越してきた。
「まじか。いくらした?」
「お金なら気にしないで。今までのお返しだし、修我君とお揃いの物が欲しかったから」
「お揃い」という言葉を聞くだけで、このキーホルダーに少しばかり価値が付いてくるような気がした。素直に潮李の好意を受け取ろう。
「ありがとう。じゃあ、お揃いってことで」
そんな感じで水族館は盛り上がって、メンバー一同は電車に揺られて帰宅を始めた。早くも二泊三日の合宿がクライマックスを迎えようとしている。
新幹線以外の公共交通機関は指定席ではないので、俺は水族館からそのまま潮李と行動を共にして一緒に二人席に座った。終盤して初めて潮李と並んで電車に乗った。もう、お互い、関係がバレることは気にしなかった。
「来年も合宿に行こう? 潮李が歌って、俺がステージ付近のスタッフを担当する合宿!」
「私達、受験生だよ?」
「高校生最後の夏だよ?」
「……確かに」
考えてから納得したように窓際に座る潮李が答える。
来年こそは絶対に、潮李の歌を聴く。
それからは、お互いしばらく無言になっていると、コン、と肩に何かが乗っかってやや重みを感じた。目線を移すと、潮李が俺の肩に頭を預けてすやすやと眠っていた。
「やっぱり、すぐに疲れは取れないよなぁ」
彼女の寝顔を眺めながら小さく笑って呟く。
潮李にとって、昨日の夕寝と夜の睡眠だけでは足りないぐらいに体力と精神を消費した三日間だったのだろう。
起こさないように、そっと、彼女の額に触れてみる。──よかった。熱はないみたいだ。
最終日は、潮李に近づき過ぎなくても、潮李と素敵な夏を作ることが出来た。
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