第8話 そして夏休みになる

「お前、どうして萩野さんをおんぶしてんの?」

「朝から男女がイチャイチャしてんなー」

「そこの男子うるさい。萩野さん、具合が悪くなったんでしょ?」


 潮李を背負って校門を潜ると、顔見知りの生徒共からお節介な声が聴こえてくる。


「やっぱり、無理してでも歩けばよかったかなぁ……」


 顔が見えなくとも、潮李が心底恥ずかしそうなことが声で伝わる。興味、心配、重々わかるけど、頼むからそっとしてくれ。

 なので速度を上げて保健室まで行くと、俺は潮李をベッドに下ろし、前回もお世話になった養護教諭に彼女のことをお願いした。


「それじゃあ、また休憩時間に来るから」

「うん。ありがとう」

「あんた達、本当に仲が良いわね」


 とりあえず、先生は俺達を見て怪しむ様子はなかった……はずだ。




 一限目が終わると、俺は潮李の様子を窺いに再び保健室を訪れた。室内には、たまたま先生が留守にしていてカーテンで閉ざされた空間が一つだけあった。そこに一声掛けてからカーテンを開き、付近の椅子に腰を下ろす。俺は体を起こした潮李に話し掛ける。


「調子はどう?」

「少し良くなってきたと思う。三限目からは出られそうかも」

「それなら良かった」


 確かに、顔色も悪くないし治まりつつあるように見える。

 しかし、気になっていたが、頭痛といい貧血といい、この数日間で潮李はよく体調不良になっていて少し心配になる。


「気に障ったらごめんだけど、潮李って、もしかして体が弱い方?」

「……ううん?」


 考えてから潮李は首を横に振る。


「私、そんなに弱くはないはずだけど、修我君に会ってからなぜか体調を崩すことが増えたんだよねぇ」

「えっ、俺、疫病神じゃん。近づいたりしてまじでごめんなさい」

「あぁ、ごめん、違う! そういうつもりはなくって……」

「冗談冗談、分かってるよ。仮にそうだとしても、俺が潮李から離れることはないし」


 俺がそう言うと、潮李は胸の辺りに手を当てて呟く。


「胸が……」

「まさか、今度は胸が痛むの?」

「いや。……ドキドキ?」

「えぇー、ほんとに大丈夫?」


 動悸ではないかと疑いそうになるけど、潮李本人はしんどそうには見えない。やはり、彼女の体調は安定してきたのかもしれない。


「それにしても、不思議だなぁ。梅雨や夏ってやっぱり体調を崩しやすいのかな」

「私にもさっぱり……」

「あ〜! 先越された!」


 二人で会話している所に、突然、女子の大声がして振り向くと、保健室の入口に俺を指差した佐々木が立っていた。潮李の様子を見に来たらしい。しまった、カーテンを閉め忘れていた。


「いや、先も何も、これでも俺は潮李のかれ────んぐっ」


 手を伸ばした潮李に口を塞がれて発言を止める。

 あっぶな! うっかり自然な流れで公表してしまう所だったわ。潮李の反射神経に救われた。


「ちょっとー、何イチャついてんのー?」


 今は今で怪しまれるやり取りだったらしい。


「てゆーか、ずっと思っていたけど、二人って結構距離近いよね?」

「「えっ」」


 二人して声が重なった。

 いや……さっきから連続でバレる寸前まで来ているし、このまま佐々木と会話を続けていたら今の時間内に気づかれてしまうのではないか。潮李とは友達なんだし、俺は公表しても問題はないと思う。

 俺は上手い具合に潮李に目配せをして首を縦に振ると、理解したのか彼女も賛同するように頷く。


「「あの(ね)、実は……」」


 どうやら、俺達は息を合わせて同じことを伝えようとしていた。


「ああー、もう分かったよ。今日から俺達私達付き合うことになりましたー、ってやつでしょ?」

「なぜ分かった!?」


 今の一瞬で察した佐々木に驚いたのは俺だけではなかった。潮李も目を丸くしている。


「出だしがもう、伝えるソレだもん。しかも息ピッタシ。俺達私達相性いいんだよー、って惚気ているようなもんだよ」

「菜子ちゃん、さすがに恥ずかしいって……」


 からかう口が止まらない佐々木を制御するかのように彼女の肩に両手を添える潮李。


「ごめんごめん。ちょっと大袈裟に言ったかもだけど、でも分かりやすかったよ〜」

「本当に、ついさっきだけどね?」

「うんうん! おめでとー! あっ、一応、今村も」

「なんだよ一応って。めっちゃ関係あるだろ」

「あたしは潮李単推しだから、彼氏さんの方はさほど興味ないかなー」

「たん、しお?」


 違う潮李、それだと焼肉だ。


「大丈夫! あたしは潮李の舌なんか焼かないよ〜!」


 不気味なジョークを発しながら抱き着いてくる佐々木に潮李が戸惑う。


「おい。仮にも病人なんだからあんまり動かすなって」

「あ、何? 嫉妬? イチャつくなって?」

「そうだよイチャつくなよ、潮李とイチャつけるのは俺だけだ!」

「友達にもそれぐらいの権利あるわぁ! ってか、今の発言はさすがに引くわぁー」

「も、もうやめて……」


 潮李は、俺達の言い合いに恥ずかしくなって身を縮こませた。

 それから、


「そこの騒がしい来客二人。付き合う付き合わないは好きにしていいけど、ここ、保健室」

「「すみません」」


 俺と佐々木は、いつの間にか戻って来ていた保健室の先生から冷静にお叱りを受けたのだった。

 ──あれ? バレたな。


 佐々木菜子。

 最初の印象は永塚の取り巻きみたいで感じが悪かったけど、潮李の件で反省してからの彼女は"潮李大好き女子"のイメージしかなかった。そこに関しては俺と気が合うんだな。




 学校の一日が終わり、陽の光が落ち着きを見せ始める下校時間。

 保健室で話し合って、今日は潮李と二人で帰ることに決まった。交際初日だから今日はどうしても二人きりで居たかった。

 潮李は本当に三限までに体が回復して、それからは通常通りに送っていた。


「仲良かったね」


 帰り道の開口一番、潮李が前を向いたままそんなことを言う。


「……俺が仲いいやつって誰だ?」

「盛り上がっていたじゃん。保健室で」

「え? ああー、潮李とね?」

「菜子ちゃんとね!」


 痺れを切らしたように俺に振り向いて潮李なりに声を張ってきた。え? そっち??


「確かに、最近は潮李のお陰で佐々木とも話すようになったけど、全然、仲良くもないよ」

「でも、その仲良くない掛け合いが仲良さそうだった」

「待って混乱する。ってか、それを言ったら潮李の方が佐々木と仲良くしていただろ?」

「えっ、そう?」


 どう見たってそうだろ、と思ったけど、もしかすると自覚がないだけでお互い様なのかもしれない。


「そうしたら、お互い、菜子ちゃんよりも近い距離でいよう?」

「そうだな」


 顔を見合わせて笑う。

 今になって気づいたけど、俺と潮李は特に段階を踏まずに付き合い始めた。交際したはいいものの、"恋人"って何をするのだろう。ざっくりとしたこと以外は知識がない。

 それでも、初心者の自分でも分かることは実行しようと、潮李の小さな手の平にそっと自分の手の平を合わせて指を絡ませる。潮李がこっちに振り向いてはにかむ。付き合いたては「恋人つなぎ」から始める、というイメージが俺の頭にあったのだ。


「もうすぐ夏休みだね」

「今年の夏は二人で満喫しようぜ?」

「うん」


 今までの俺は、学校で関わるだけで、実質、友達がいないに等しいものだからしょうもない長休みだった。しかし、今年は違う。大切にしたい人が出来た上での夏休みだ。来年には受験生ないし就活生だから、青春を本格的に味わえるのはきっと今しかない。今年の夏は大事に過ごそう。


 そして……

 時間はあっという間に過ぎていき、期待が高まる高二の夏休みへと突入した。




 夏休み初日の土曜日。俺と潮李は初デートを決行した。

 彼氏として余裕のある姿を見せようと、約束の十五分前からいつもの公園のベンチで待っていると、その二、三分後には潮李がやって来た。


「おはよう。待った?」

「おはよう。ううん、全然?」


 これは社交辞令関係なく本当に。思いのほか早かった。

 挨拶の直後、俺は潮李の姿に目がいった。

 半袖の白のブラウスの上に黒のワンピースを纏っており、線の細い潮李に合う爽やかでお淑やかなファッションを着こなしている。

 また、いつも以上に甘くいい匂いを感じるけれど、今日の為に香水を加えたのだろうか。

 初めて見る私服姿といつも以上に女の子らしい潮李があまりに魅力的で、思わず心をグイッと掴まれる。


「私服の潮李、良い! めっちゃ可愛い!」


 彼氏として「良い」と思ったことは素直に口に出そうと決めていたが、さすがに気持ちが表に出すぎたかもしれない。


「ありがとう。修我君の私服も、新鮮で、すごく似合っているよ」

「そうか。サンキュ」


 顔を見合わせて褒め合うも、すぐにお互い照れくさくなって一瞬だけ顔を逸らした。


 それから、俺は潮李の指を絡ませるように手を繋ぎ、公園の最寄りのバス停まで歩いた。これからバスを使って自分達の街の駅へ向かう。駅から電車で移動はせずに駅構内やその周辺で遊ぶ予定だ。

 比較的大きな駅で、飲食店やカフェは多く、ファッションショップに本屋に駅前のカラオケなどとお店のバリエーションも豊富なので、意外と充分に楽しむことが出来る。普段は自分の家や高校からは少し離れているので、電車を利用する時以外はほとんど行かない。

 初デートの場所に悩んでいた時、潮李から「無理にデートに最適な場所を考えなくても自分達が簡単に楽しめるデートにしない?」と良い意見を聞いて二人でプランを決めたのだ。


 午前十一時。地元の駅に到着すると、まずは昼食として駅前のファーストフード店へ入った。

 初デート。本当にもっと定番スポットやアミューズメント施設にしなくてもよかったのか心配もあったけど……


「ハンバーガー屋って何気にほとんど行かないなー」

「私も久しぶりだから楽しみにしていた!」

「潮李のチーズバーガー、めっちゃ旨そうだな!」

「食べる?」

「まじ!?」


 といった調子に、二人して普通に盛り上がったので気にする必要はないのかもしれない。やっぱり、王道デートスポットよりも王道バーガーだよね!

 俺は潮李に差し出されたチーズバーガーをそのまま一口齧ると自分のダブルビーフバーガーも潮李の口へ運び、俺達はいわゆるあーん行為と間接キスを同時に行った。お互い、意外ともう照れはなかった。二人でのやり取りに慣れてきたのだろう。


「はい、チーズ!」


 食べ終わると、最後に初デート記念のツーショットを撮ってお店を出た。別にハンバーガーの「チーズ」と掛けたつもりはなくたまたまだということは理解してほしい。


 その後は、駅構内の飲食以外で気になったお店を見て回ってから、潮李が「行きたい」と話していた喫茶店でおやつタイムにした。

 駅に直結するお洒落な造りのチェーン店で、建物だけでなく商品も写真映えするので、幅広い世代から人気を集めている。


「わぁ……かわいい! おいしそう!」


 目の前の鮮やかな水色のクリームソーダのように瞳を輝かせる潮李。虹の時以来だ。このデートプランで正解だった。

 俺はスマホで複数回シャッターを切る彼女に話し掛ける。


「かわいいのは潮李だ──」

「いただきます!」

「今はクリームソーダ愛のが強いか〜」


 こちらの声が聞こえないぐらいには夢中らしい。

 俺も「いただきます」とクリームあんみつを口へ運ぶ。和と洋の甘味あまみが仲良く混ざり合っていて美味しい。

 正面の彼女からも嬉しそうな声が聴こえてくる。


「そういえば、私、明後日、バイトの面接に行ってくるよ」


 さっきまでクリームソーダに心を奪われていた潮李が、突然、俺にそう言ってきた。


「まじか! 何をするの?」

「カフェの店員、かな。ここじゃないけど」


 少し恥ずかしそうに潮李が答える。


「潮李にすごく似合うと思う!」

「そんなそんな、恐れ多い……」


 お世辞抜きで清楚な容姿と落ち着いた性格がとてもマッチしていると思ったが、本人は謙遜するように手を横に振る。

 それから、潮李は話を続ける。


「でも、来週の木、金、土はフェス合宿になったから、その三日間は入れないんだよね。働くならそれ以降になるかな」

「え! 潮李、フェス合宿に参加するん??」


「フェス合宿」とは、毎年夏に横浜で開催される各高校が参加する音楽フェスがあり、そのフェスを目的に行われる二泊三日の合宿のことだ。

 ステージ披露をする生徒と会場のスタッフとして働く生徒が参加することになっている。フェス自体は一日だが、前日のリハーサルや観光も含めて三日間の横浜合宿となる。


「うん。先日、急遽……役? をお願いされて……」

「役って……どういう?」

「…………バンド、の、ボーカル……」


 顔を下に向け目線だけ俺にやって、言いづらそうに潮李が答える。さすがに衝撃が大きくて唖然とした。

 確かに、以前に比べると潮李は本当に明るくなって学校にも馴染んできたように感じる。それでも、つい先日までの潮李を思えば急展開な気もするし、普段は控えめな彼女からは想像もつかなかった。そもそも、潮李って歌は上手いのか? ピアノ同様、話を聞いたことがないので決めつけられないが。


「えっと、それは……どういう流れで?」

「私、菜子ちゃん経由で軽音楽部の子と仲良くなれたんだけど、ボーカルの子が急遽不参加になったらしくて、代役をお願いできる人が私しかいないみたいで……」

「そりゃ、部員も大変な状況かもしれないけど、潮李の方は引き受けちゃってよかったの?」

「歌は好きな方だし、せっかく仲良くなれた子のお願いだし、それに、これを機に自分自身が強くなれるかもしれないから。でも……突然だったからあまり練習が出来ていないし、不安は大きいかも……?」


 俺の中では、潮李はもう充分に強い存在だ。

 この数日で、仲間を作って、蟠りのあった母親と和解して、彼女は色々なことを乗り越えていった。

 それなのに、潮李は、更に自分を高めようと大きな挑戦に向かおうとしている。不安にならないはずがない。


「あまり無理はしなくていいんだからね?」

「うーん……」

「まあ、俺もその合宿には参加するし、困ったことがあればいつでも話を聞くよ」

「修我君も参加するの!?」


 さっきまで大人しく悩んでいた潮李がバッと顔を上げて反応する。


「あれ? 言ってなかった?」

「言ってないよ!」

「俺は、会場のスタッフとして参加することになっている。内申にも響くし、仕事と言うよりも横浜旅行みたいで楽しそうだし」

「そっか。……よかった」


 下を向いた潮李が口端を上げて呟く。それから、再び顔を上げると、


「修我君も行くなら、私、やっぱり頑張る!」

「いや、ほんと、無理のないようにな? バイトも始めるんだし、先とはいえ合唱のピアノもあるんだから」

「大丈夫! 少し楽しみでもあるから」


 潮李の表情から、もう、不安や思い詰めた様子は確認できなかった。自信に満ちた顔つきになり、今では声を弾ませてクリームソーダを楽しんでいる。本人がこの調子なら心配することもないのだろう。

 むしろ、波に乗っている今こそ高みを目指せるチャンスなのかもしれない。俺は、頑張る潮李を抑えるんじゃなくて推していく。

 正直、俺も潮李と夏合宿に行けると知れて嬉しいし、何よりステージで歌う彼女を見たい。


 それから、潮李は照れながらも澄んだ瞳を俺に真っ直ぐに向けてこう言った。


「あの、もし、よかったら……これからうちに来る?」

「……えっ?」


 今回の場合の"潮李の家"って、つまりは……そうだよね?




 潮李に賛成して着いて行くと、やはり、今度は好意があって俺を誘ってくれたのだと知った。

 白と青を基調とした、シンプルかつ清潔、それでいて女子高生らしさを感じ、不思議といい匂いもする一室──潮李の部屋に、俺は招かれた。


「ここが、潮李の……」

「お母さん、今日もパートで居ないから大丈夫だよ」

「とはいっても、特にバレたらまずい事はないでしょ?」

「ちょっとでも、ない?」


 予想外の反応が返ってくる。

 思わず振り向いて「え?」と声を漏らすと、突然、自分の体は暖かくふにっとした何かに覆われて、甘い香りに包まれた。潮李が俺の肩に手を回し、抱き着いていた。


「私、ちょっとならあるんだけど」


 愛くるしい顔を目の前に近づけて潮李は言う。

 彼女らしからぬ行動に動揺が抑えられず、鼓動が急激に速くなる。

 正直、潮李から求めて来るとは思ってもみなかった。

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