第7話 そばにいることで

 翌日から、俺は一人で登下校した。

 二人ルートを一人で使用して学校へ着くと、クラスの男子数人と何気ない会話をして、また同じ道で帰る。そんな感じでこの週は終わった。最近までは潮李とよく二人で一緒に居たが、これが本来の自分である。

 その間、潮李も友達(女子のはず)と登下校していたので、都合よく彼女に接近するようなことはなかった。

 この一週間で、気がつけば、潮李はクラス自体とも打ち解けていた。


「潮李ちゃん、おはよう!」

「萩野さんっていつの間にか友達が出来ているし、笑うようになったよね〜」

「なあ? 萩野って可愛いよな??」


 などという声を耳にするようになり、嫌がらせの話も聞かなくなって、心の底から安堵した。おい、誰だ最後の男子。狙おうとすんじゃねえぞ。──自分のちっぽけな心の声はしまっといて。

 とにかく、今までの距離では「付き合っている」と誤解されかねないので、元の俺に戻ったのだ。




 新しい週を迎え、七月の第二月曜日。

 今日も変わらず一人で学校へ向かい、平凡に戻った高校の一日をやけに長く感じるようになって、やっとの気持ちで帰りのホームルームを迎えた。潮李と離れてからの学校生活は、退屈で、眠たい。

 今日のホームルームでは、毎年十月に開催する文化祭の二日目に行われる「合唱祭」の主な役割を決めるらしい。

 我が校の文化祭は土日の二日間にわたって行い、模擬店やステージ発表が開かれる一日目を「通常祭」、クラス毎に合唱を披露する二日目を「合唱祭」と称している。

 本日、決める項目は、全体をまとめるリーダー、指揮者、伴奏者の三点。


「ということで、残るは伴奏者だけど、誰かいないの?」


 学級委員長の女子がクラスに呼び掛ける。リーダーと指揮者はすぐに決まったのだが、伴奏者はまだ一人も名前が挙がっていない。

 今の所、立候補も推薦も出ないので、このクラスには音楽が得意なやつが居ないのか、と内心呆れていると、


「ピアノなら萩野さんが弾けますけどー」

「えっ!?」


 永塚がつまらなそうな顔で予想外の発言をした。それに対し潮李が反射的に驚く。

 潮李が伴奏者?? 彼女がピアノを弾けるという話はとりあえず俺は聞いたことがない。

 もしや、弾けない潮李に伴奏を押しつける永塚の嫌がらせなのか……?


「そうなの萩野さん!?」

「なんで挙手しなかったの〜」

「いや、それは……」

「このクラス、弾ける人が潮李ちゃんしかいないの。お願い!」


 永塚が情報を流したことで潮李に集まる生徒達と、当然ながら困惑する潮李。だが、


「わ……かりました。頑張ります」


 状況が追いついていないような顔をしながらも引き受けた潮李に拍手が送られる。ええ! 頑張る方向でいくの!?


「では、伴奏者は萩野さんに決まりました」


 決まっていいの!?

 クラスは完全にその流れになっていった。

 まさか、優しい潮李はクラスの期待に応える為に永塚の目論見に乗っかり、わざわざ一からピアノを覚えるつもりなのか??

 さすがにまずい気がして止めようと思ったが、どこか嬉しそうにはにかむ彼女を見ていたら声が出なかった。


 とはいえ心配なので、放課後になった所で俺は潮李を呼び出す。


「あの、萩野」


 席に座る彼女が目を丸くしてこっちに振り向く。それもそうだ。俺が久々に苗字呼びに戻したから。別に名前で呼んでもいいのだけど、学校では変な勘違いをされる気がして変えたのだ。


「な、何?」


 少し動揺して答える潮李。

 俺は彼女を廊下に誘うと用件を伝える。


「合唱のピアノだけど、永塚の嫌がらせなんか真に受けなくていいと思うぞ」

「私も、まさか自分が指名されるとは思っていなかったけど、美空が言ったことは嘘ではないから」

「潮李、ピアノ弾けるのか! ──あ」

「うん。──うん?」


 よりによって大声を出した時に潮李呼びをした。しまった、という俺の顔に潮李はきょとんとする。

 それぐらいに意外な答えが返ってきたのだ。また、永塚のいじめかと思ったけれど彼女は事実を話していた。だから、悩みつつも伴奏者を引き受けたのか。

 しかし、潮李が「弾けない」と最初から決めつけたのは偏見が過ぎた。すまん!


「一応? でも、中学卒業以来、ピアノを触っていないから自信がなくて。まあ、美空も同じなんだけどね?」

「待て。永塚も弾けるのか??」

「うん。中学の時に同じピアノ教室に通っていて、それで友達になったから」

「待て待て。情報が多いな……! つまり整理すると、永塚とは中学時代のピアノ教室で出会って友達になった。高校からは二人ともピアノをやめたので触れていない。と、いうことか」

「そうだね」


 まったく知らなかった。この僅かな時間の中で俺は潮李と永塚の大きな情報を得た。


「ん? だったら、なぜ自分は立候補せずに萩野を指名したんだろうな」

「そうだよね……」


 まあ、それに関しては、責任の大きい役を押しつけたい永塚の嫌がらせで合っているのかもしれない。


「時間、割いてごめん。教えてくれてありがと。じゃ」


 と、矢継ぎ早に伝えて潮李から離れようとすると、


「待ってっ──」


 彼女に呼び止められて、振り返る。


「最近、ほとんど二人で会っていないし話せていないけど、何かあった? それに、"萩野"って……」


 潮李からそんな心配をされるとは思わなかった。気にせずに友達と高校生活を楽しんでいると思ったから。確かにいきなり苗字呼びに戻したことは困惑させたかもしれないけど。


「何もないよ。ほら、二人で仲良く話していたら恋人だって誤解されかねないし。せっかく友達も出来たんだから、尚更な」

「誤解……」

「ああ。そうだろ?」


 ぼそっと呟く潮李にそう答える。

 間違ったことは、何も伝えていない。


「本当に、それだけ……?」


 それなのに、潮李はとても不安そうに訊ねてくる。何を疑っているんだ?


「私のこと、避けているわけじゃないよね?」


 それはない。と、伝えるように首をしっかり横に振り、


「まさか。考えすぎだよ」


 安心させるつもりで笑ってみせて、俺は教室へ戻った。

 避けているのではない。ただ、近づき過ぎて彼女の迷惑になると思ったから少し距離を置いただけ。正しい判断のはず、なのに、

 潮李は、どこか泣きそうな目をしていた。

 その瞳を見ただけで、胸が苦しくなった。


 それからというものの、俺は潮李の悲しそうな表情が頭から離れないでいた。

 どうして、そんな顔をしたの? 信じきれていないの? 理由が分からず、気になって仕方がない。

 もう、潮李に寂しい思いはさせたくない。傷つけたくない。俺は、穏やかに微笑む潮李や悪戯に笑う潮李を見ていたい。ずっと。

 友達とかの関係を超えて、もっと潮李のそばにいたい。


 "潮李の一番でありたい"と思うのは、俺が潮李に恋をしているからだ。




「わあああぁぁ……。この先はどうすれば……」


 家に着くや否や、自室で一人になって不安を声に表した。自分の潮李に対する想いに気づいてしまった俺は、そんな自分に衝撃を受けて、彼女との接し方が分からなくなったのだ。

 仕方がない。冗談抜きで生まれて初めての感情なのだから。異性と関わる機会がほとんどない俺にとって恋愛感情なんてものは新鮮すぎるのだ。

 ……告白? いや、今のままでは、さすがに段階を踏まなすぎて驚かれるか?

 まずはかっこいい所を見せてアプローチするべきだろうか。自分の苦手分野な気がして不安だ。足が重い。


 その日の夜。

 好きなのに自信がなくて作戦に気が乗らない。でも、このままの関係では嫌。と、複雑な思いに悩む俺の部屋に通知音が鳴り響いてスマホを手に取った。


『明日、一緒に学校に行きたい』


 それは、最近は現実リアルでも電子でも関わりが少なかった潮李から届いたメッセージだった。今の一言で、ほんの少しだけど潮李に対して前向きな気持ちになれたと思う。


『俺も行きたい』


 嘘偽りのない純粋な気持ちを送信した。




 こうして、翌朝になると、一週間ぶりに潮李とお馴染みの公園で待ち合わせをした。


「おはよう」


 公園に着いて潮李を見つけると普段通りに挨拶をする。胸がドキドキとうるさい。俺にもこんな恋愛漫画みたいな経験をする日が来るとは。


「……おはよう」


 若干遅れて、控えめに俯きがちに答える潮李。まるで彼女も緊張でもしているかのようだ。


 集合したので学校へ向かう。しばらく二人で無言で歩いていると、意外にも潮李の方から話し掛けられる。


「なんだか、一週間ほど会っていないだけで久々に感じるね。こういうの」

「そうだな」


 気を遣って話し掛けてくれただろうに俺は気の利いた返しが出来なかった。

 それから少しの間、また沈黙が続いて、ある時にまた彼女から口を開いた。なんだか初めて帰った日と逆みたいだ。


「嫌じゃなかった? 私と登校しても」

「それはないよ。だって、俺も一緒に行きたかったから」

「あ……そっか」


 昨日のチャットでもそう送ったのに、潮李は未だに俺に対して悲観的になっている。自分も彼女を意識してしまって好意的な回答にも関わらずどこか素っ気ない返事になる。

 今の所、二人とも笑っていない。自然じゃない。今までこんな感じじゃなかったのに。


「むしろ、潮李こそ、最近は友達と登校していたけどどうしたの?」


 登校に俺を選んだことには何か事情があるのかもしれないと素直に感じて聞いてみる。

 潮李からの返答を待つも、なかなか来ない。


「あれ?」


 というか、いつの間にか、潮李自体が隣から姿を消している。

 振り返った、その時だった。


「修我君っ──」


 潮李がそんな風に呼んで、自身の柔らかい体で俺をふわりと包むように抱き締めた。

 元々の体温か夏か緊張かまったく分からないけれど暖かいその身をくっ付けて、俺を立ち止まらせる。潮李の膨らみのある箇所が押さえつけられて尚更ドキドキして、彼女からも感じる鼓動と混ざり合っている。大胆な行動をしながらも彼女から緊張が伝わる。

 人気ひとけのない道端であることが幸いだが、それ以外は軽くパニックしている。

 俺が名前呼びをしても変わらずに「今村君」だった潮李が「修我君」と呼んで体を密着させてくる。好きな相手からされて冷静でいられる行為ではない。


「好き」


 透き通る、高い音色がその二文字を放った。

 それから、潮李がようやく顔を上げて澄んだ目でこう伝えた。


「私と付き合ってください」


 その一言に、俺の心に更なる衝撃が走った。

 まったく気がつかなかった。彼女が、こんな俺に恋愛感情を抱いていたことに。

 潮李も、同じ気持ちだったんだ。

 驚いた。けれど、それ以上に嬉しかった。泣きたいぐらいに幸せを感じている。お返しに、俺も潮李に対する素直な想いを表さなくてはならない。


「まさか、潮李に先を越されるとは。俺もチキンだな」


 そう笑う俺を不思議そうに上目遣いで見つめる潮李の背中に両手を回し、ぎゅっと抱きしめ返す。彼女の温もりが体に染み渡る。


「俺も、潮李のことが好き。よろしくお願いします」


 潮李の大きな瞳を真っ直ぐに見据えて言った。自然と、声と表情に気持ちが籠もった気がする。


「はい」


 喜んで答える潮李の瞳には涙が浮かんでいた。

 嬉し泣きかなと思ったけれど、きっとそれだけじゃない。しばらく一緒に居られなかった俺に対する不安が解消されたことで安堵したようにも感じられた。

 大丈夫、と笑いながら潮李の小さな頭に手を添えると、彼女は微笑んで頷く。涙が頬を伝う。


「っと。まだこうしていたいけれど、そろそろ行かないと遅刻するかもな」

「そうだね」


 そう言って潮李は俺から離れると、体をふらつかせて前によろける。俺は慌てて前から彼女の肩に手を置いて支える。


「潮李?」

「ごめん、急に気分が悪くなって……」


 それから少しすれば今までのように「もう平気」と言って自分の足で立つ──と思っていたが、今回の潮李は、むしろ力を失くして俺に身を預ける体勢になった。


「本当……ごめんね? どうして、このタイミングなんだろう……」


 潮李は、息が混ざる声で悔やみ、申し訳なさそうにする。


「気にするな。この状況をポジティブに捉えればいいんだ。付き合えたタイミングで早速、潮李とお姫様抱っこ体験が出来る!」

「意外とそういう趣味もあるんだね……。でも、ありがとう……」


 俺は潮李の腰に手を回して持ち上げ──ようとした所で、彼女が口を開いてめる。


「やっぱり、恥ずかしいから、せめておんぶとかで……」


 お姫様抱っこと大した差はないのでは? と思ったけど、潮李が気にするのであれば仕方がないので前を向いて屈むと背中に潮李が乗っかる。恋人になったばかりの彼女の感触を意識してしまい心臓がうるさいが、煩悩を抑えて立ち上がると改めて学校へ向かった。


「潮李と保健室に行くのは早くも二回目だな」

「先生から怪しまれそうだね……」

「いっそのこと『付き合ってます』って言うのは──」

「それはやめて」

「……おう、そうだな?」


 一瞬だけ強い口調で反対され、反射的に従った。潮李は周囲に交際を知られたくないタイプなのかもしれない。

 その後も、学校に着くまで少し会話があったが、体調は優れないものの内面に関してはもう明るそうに感じられた。だって、


「好きだよ」

「……うん。……も」

「うん?」

「私も好き……!!」


 ぼそっと言うので聞き返したら、恥ずかしいのかちょっと怒っていたけど。怒れるぐらいに心は元気ってことだよね。


 俺が近くに居れば潮李の青春の邪魔になる。そんな風に考えていたけれど、それが間違いだったんだ。

 これでよかったんだ。

 もう、自信を持って潮李のそばにいて、潮李を愛せる。

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