第6話 君はもっと変化を目指す
「んじゃ、寄りたい所があるから俺はこれで」
空気を読んだのかたまたまなのか、遠藤はそう言って俺達と違う方向へ歩いて行った。彼が挙げる手に潮李だけが手を振っていた。
ようやく二人きりの下校となって再び足を進めると、俺は開口一番に潮李に伝える。
「本当に変われたんだな」
なんだかんだで真っ先に抱いた感想はそれだ。確かに潮李は自分を変えられた。
「うん、でも、まだ全てではなくって、変われていない所もあるから……」
潮李は俯きがちに答える。本人はまだ納得しきれていない様子らしい。「そうか?」と疑問を口にすると、
「お母さんに本当のことを伝えたいのに、出来ないの。だから、今村君に相談に乗ってほしい」
俺を真剣に見据えて潮李は言った。
潮李の母親が誤解しているいじめの件について真実を打ち明けられていないのだろう。
「もちろん、俺でよければ話を聞くよ」
「ありがとう」
「それにしても、親もひどいよね。潮李の事情も知らずに物の管理の悪さを娘のせいだと誤解して」
「いや、あの……」
「確かに俺も誤解していた時期はあったけど、お金を出さないのはやり過ぎだよなぁ」
彼女から反応が来ないので様子を窺うと、無表情のまま黙り込んでいる。不思議に思ってじっと見ていると、
「ちょっと、ある場所で相談しよう?」
いきなり俺の手を引っ張って早歩きでどこかへ連れて行こうとする。珍しく積極的な潮李に従うと、白をベースにした洋風な外観の一軒家に到着した。え、待って待って、
「ここって……」
「私の家」
何でもないかのように即答すると、潮李は自然な流れで玄関の鍵を開けて俺を上がらせようとする。
「え? 俺も入るの??」
「じゃなかったら、連れて行かないよ」
「そうだけどさ」
相談という目的で男の俺を家に誘うというのか? そもそも、俺達は恋人ですらないんだぞ??
潮李の意図が読めないのは気になるが、結局、俺は流されるまま彼女の家に上がった。いつになく潮李に行動力があったし、女子の部屋にはやっぱり男として興味を惹かれたから。
「お邪魔します」
「これ見て」
足を踏み入れてすぐ、潮李は玄関のある場所に指を差して言う。その先にあったのは傘立てだ。入っている三本の内の二本は、真っピンク傘と前に俺がプレゼントしたクリアな群青色の傘。あのピンク傘、捨てていないのか。
「お母さんね、離婚して、シングルマザーなんだ。今はパートに行って居ないけど」
唐突に潮李がそんなことを口にした。
「そう……なのか。ごめん、気の利いた返事が出来なくて」
「気にしなくていいよ。しばらくの間は寂しかったけど、慣れてきたから。たまに会うこともあるし」
「そっか」
潮李が父親と離れたことで辛い思いをしていないのであれば、とりあえずは安心した。
すると、潮李は俺にある話を始めた。
「あの傘、今となっては恥ずかしくて使えないけど、幼い頃の私は確かに好んで使っていたの。たぶん、母に傘を買ってもらった時に一番喜んだのはこれだと思う。最近では、傘一つに喜んだりすることもないから。だから、なんだかんだで捨てられないんだ」
潮李の家族は、今はお母さんしかいない。だから、母から貰って一番嬉しかった傘を大切に保管しているのだ。確かにそれは捨てられない。
そういえば、
「俺達が出会うきっかけをくれたのもあの傘だったな」
「うん。尚更、捨てるのはもったいなく感じるね」
二人でピンクの傘を見つめながら話す。
「今は違くても、私が実際にあれを好きだった時期はある。周りからすれば変わった物でも中には好む人や何かしら思いがある人もいるんだろうな、って、私は思うよ」
人それぞれに好みや価値観があるから否定をせずに認めること。俺やクラスの連中はそんなことなど気に留めずに馬鹿にしていた。
潮李から教えてもらい、反省する。自分は彼女のお陰で一つ学びを得た。思えば、先週の金曜日も潮李をきっかけに反省が出来た。きっと、相談する前にこの事を伝えたくて俺を家に呼んだのだ。
使いたくないとしても、買ってもらった当時の自分とプレゼントしてくれた母親をずっと大切にしている潮李に素直に感激した。
「潮李は、俺が気がつかないことをよく教えてくれるよ。真面目で、正しい」
「え?」
「いや、気にしないで。でも、ありがとう」
潮李はとりあえずコクンと頷いて、それから呟く。
「でも、ついこの前、喜びを更新する傘が現れたかも」
「それって……あぁ」
何のことか分かると、自然と顔に笑みが表れた。
「ずっと立ち話も疲れるから、上がっていいよ」
「え、本当にいいの? 自分の部屋に俺なんか入れても──」
「違う。リビング」
きっぱり、否定された。
やはり、潮李は好意があって家に誘ったのではないらしい。ちょっと期待してしまった俺は馬鹿野郎だ。
玄関の奥へと進むと、白とベージュを基調としたシンプルな居間が広がった。
潮李から木のテーブルとチェアの場所で待つように指示を受け、座っていると、彼女が氷を入れた麦茶を持って来てくれた。潮李も俺の正面の椅子に腰を下ろした所で、早速、本題に入っていく。
「お母さんに伝えられない理由は何かあるの?」
潮李は少し黙って考えてから、目線を麦茶に移してこう答える。
「今更、話した所で信じてもらえないかもしれないし、信じたとしても、きっとお母さんを悲しませることになるから……。それに、お金を貰わない今の生活の方が家に負担は掛からないし」
娘のいじめに気づかずに誤解していたことを知れば、確かに潮李母はショックを受けるかもしれない。ただ、金銭面においては潮李は貰う権利があるのではないかと思った。まだ彼女は俺と同じ高校生だ。
潮李は、自身の優しい性格が故に言い出せないんだ。
「だけど、お母さんに嘘を吐き続けたくなくて、本当は正直に伝えたい。どっちなんだよ、って話だよね」
自嘲する潮李に首を横に振る。
「全然、おかしいことじゃないよ。潮李の気持ち、よく分かるよ」
潮李の家に来てから分かったが、彼女はお母さんのことをとても大事に思っている。シングルマザーの二人家族だから尚更なのかもしれない。
潮李が俺を家に呼んだ理由は、人それぞれの価値観について話したかったから、だけじゃない。たとえ冷たくされても大切な存在であることを、彼女の母を悪く言った俺に伝えたかったんだ。だから、いつになく積極的に家に誘った。傘の時点でそれに気がつかなかった俺は鈍感だ。
「帰り道では、お母さんのことを悪く言ってごめん。大好きなんだね」
潮李は照れながらも、うん、と頷く。
「それなら、伝えられる! 最初は悲しむかもしれないけれど、母親思いの潮李なら、その後のお母さんのことを慰められるはずだから。俺が背中を押す!」
どこか無責任にも聞こえるアドバイスだけれど、熱くなった想いを潮李に伝えたかった。悩んでいるのか、潮李は思い詰めた表情で黙っている。
その時、ガチャリ、と鍵を回す音が響いて、二人して玄関のある方へ振り向く。心臓の鼓動が早くなる。
「お母さん、帰って来たかも」
「まじか……。どっかに隠れているか」
「ごめんね。今日、帰りが早いことを忘れていて」
「いや。俺はいいけど、潮李はどうする?」
「どうするって……」
「タイミングもタイミングだし、この流れで打ち明けてみればいいんじゃないか?」
「まだ、心の準備が出来ていなくて……えっ、どうしよう……?」
靴を脱いで家に上がる足音が耳に入る。俺は後ほんの少しで隠れるしかないから、潮李に何か働きかけるなら今の内だ。
もう、物理的にいくか──。
「大丈夫。だから、俺が背中を押すからっ……!」
ふっ、と両手で潮李の柔らかい背中を押すと、軽いからか潮李は思った以上に前に進んでよろけそうになった。瞬間、近くのカーテンに身を潜めて潮李の様子を窺うと、タイミング良く潮李の前に彼女の母親が現れた。「お母さん」と言われないと気づかないぐらいには若い容姿をしている。
「何?」
「いや……あの……」
ぶっきらぼうに放つ母に怯む潮李。イメージ通りの冷ややかな印象を受ける。
「何もないならどいてくれる? こっちは、あんたのだらしない管理のお陰でパートが増えて疲れているんだから」
「そのことなんだけどっ……!」
不満をボヤきながら離れて行こうとする母を潮李が声を大きくして呼び止める。
「私、高一の時から、クラスメイトに物を隠されたり汚されたりしていた」
潮李が伝える真実に彼女の母は目を丸くして不穏な表情を作った。
「そんな話、今までしなかったじゃない?」
「私がいじめられていることを知ったら、お母さんを悲しませると思ったから。だけど、嘘を吐くこともしんどいって気がついた」
「え?? 何を言って……」
「今更、信じてもらえるか分からないけどね。私、これ以上、負担を掛けないように夏休みからバイトを始めるから! だから、もう──」
そう畳み掛けるように話す潮李の口を止めたのは、彼女を抱き締める母親だった。
「どうして、ずっと言わずに抱えていたの? 辛いじゃない……!」
潮李母から涙交じりの声が聴こえてくる。
「ごめんなさい……。お母さん」
「ううん? 私の方こそ、勘違いしてしまってごめんね。信じないわけないよ」
そう言って、潮李母は潮李から体を離すと彼女の肩に手を添えて話し出す。
「だらしない割に部屋は綺麗だから違和感はあったけどね。自分自身のことで精一杯で、潮李をちゃんと見てあげられていなかった」
「それは、お母さんにたくさん負担を掛けていたから仕方がないよ」
「潮李のせいじゃないでしょ? 私の為に無理して働こうとしなくていいんだよ? 私が忙しい時、疲れた時にご飯を用意してくれたこと、お母さん、嬉しかった。それだけで充分だから」
「うん。でもね、家族二人で協力していきたいから。まだ頼りないかもしれないけれど、バイトしてみたい」
「わかった。体には気をつけてよ?」
「うん」
微笑む母に、
そうか、潮李はバイトを始めようとしているのか。なんて感心していたその時、
「あのね、今、実は家にクラスメイトが来ていて、今村君って人が背中を押してくれたんだよ」
「え? クラスの男の子が来ているの? 今??」
は!? 俺がこの場に居ることをバラすの!?
急に心拍数が上昇した。潮李は何事も無いようにカーテンを開けて俺の姿を母親に公開する。
「すみません。潮李さんに相談があると誘われたのですが、お母様が帰って来たので慌てて隠れてしまいました……。あっ今村修我です」
内心、慌てて取り繕う俺。
呆然としている潮李母。その様子を確認してから潮李に小声で話す。
「ちょい待て。お前、何でバラした??」
「ごめん! 力になってくれたのに紹介せずに終わるのは今村君に悪い気がして」
「いきなりカーテンを開いて身を晒される方が心臓に悪いわ!」
極力抑えたけれど、今のツッコミは潮李母の耳にも届く声量だったかもしれない。
「なんだか、恥ずかしい場面を盗み見されていたみたいね?」
「ほんと、すみません」
「こちらこそ、家族の複雑な事情に付き合わせたみたいでごめんなさいね? あと、ありがとう」
そうはにかむ潮李母に「いえいえ……」ととりあえず笑う。まあ、警戒や危ない人扱いをされずに済んで助かった。
無事に解決したことで萩野家を出ると、潮李が家の外まで着いてきてくれた。
「じゃあ、また明日、学校で」
「今村君」
帰ろうとした俺を潮李が呼び止める。振り返ると、
「今日は、本当にありがとう。私の今の家族はお母さんだけだから、本当はずっと仲直りがしたかったの。お母さんとまた笑い合うことが出来たのは、今村君が背中を押してくれたお陰だよ」
安堵したように、心の底から嬉しそうに微笑んで潮李は俺に伝えてくれた。
「俺も、潮李に頼ってもらえてすごく嬉しかった。和解が出来て良かったよ」
それから改めて「また明日」と交わすと、俺は潮李と別れて帰路についた。
翌日。登校は今日も潮李と二人だったが、下校では、どうやらそうはいかないようだ。
「ごめん。今日は菜子ちゃん達と帰ることになったの」
「あ……そうなんだ」
「そーそ。今日は女子同士で帰るから、今村はバイバイ」
潮李が座る席の前に立っていた佐々木が手を振ってくる。見た目は小動物系の彼女だが、なんだか言動が鼻につく。
「菜子ちゃん達」と言うのでまさか永塚も? と、一瞬だけ耳を疑ったが、佐々木の隣に別の女子二人が居るのできっと彼女達のことだ。
まあ、下校の約束はまだしていなかったので潮李が誰と帰ってもしょうがない。
「わかったよ。バイバイ、潮李」
「バ、バイバイ」
「あたしにはしないんかい」
二人で手を振り合ってから俺は教室を出る。
昨日の母親の件といい、潮李はこれで本当に変わることが出来たのだと俺は思う。かっこよく映って見えて、少し羨ましい。
一人で帰路につこうと昇降口で靴を履き替えていると、
「今村、帰宅部メンバーで帰ろーぜ」
と、声を掛けてきた生徒を含む男子三人がそこに居た。……確か、俺がたまに一緒に話す三人だ。
一瞬、こいつらと仲が良かったか思い出せずに固まってしまった。
「おう。帰ろ帰ろ」
そういえば、普段の俺はこんな感じだった。特定の人を作らずに浅く広く付き合ってきたから、声を掛けてくる男子も基本的にバラバラ。つい、一人で帰宅しようとしていた。
潮李には、佐々木菜子、という特定の友達が出来た。しかし、俺にはいない。強いて挙げるとすれば潮李になるのかもしれない。でも、俺が入る隙はちょっと狭くなった。
外靴に履き替えて、四人で横に並んで昇降口を出る。
「なあ? それで、奥田さんとは話が出来たのか?」
「したした。おはよう、お疲れ、また明日、って」
「それだけ!?」
どうやら、男子の一人が同じクラスの奥田さんに好意があってアプローチをしているとのことだが俺だけ初耳の情報だ。しばらく一緒に話していないからだ。
「なになに? お前、奥田さんのこと好きなの?」
「そうなんだよ。俺ら応援してんのに、こいつ、相変わらずのチキンっぷりでさー」
「あーもううるさいなー 俺だって頑張ってるわ」
周回遅れの自分にとってはなんだか盛り上がりに欠ける話題だ。とりあえず、相槌で少しでも着いていけている風を装う。
「そもそも、それは会話じゃなくて挨拶だろ? もっと楽しい話題を見つけたら?」
「それなー」
ブーメラン。
今の俺こそ、もっと楽しめる話題を見つけたい。
……寂しい気持ちになることなんて、今までにあっただろうか。
その日の夜、潮李からメッセージが届いた。
『明日、登校も一緒にできないかも』
『本当にごめんね』
友達と登下校なんて高校生からすれば極々当たり前のことだ。今日の俺だって同じだ。
『大丈夫』
『気にしないで』
と、返信してスマホを閉じる。
そういえば、潮李は相手の名前を出していない。今日の下校は佐々木達だと言ったが明日もあの女子達だろうか? ……遠藤陸也じゃないよね?
不安になって思わずスマホを手に取る。誰と登下校するのか聞こうとして、すぐにそれは「重い」と気づいて置いた。
俺は、潮李に楽しい学校生活を送ってもらいたいと願っておいて独占欲でも湧いたのか? 恋愛感情なんて無いはずなのに、どうして? 嫉妬だなんて、全然、自分らしくない。
どんなに鈍い俺でも分かる。このまま潮李のそばに居たら、せっかく手に入った彼女の高校生活を邪魔してしまうかもしれない。今の俺は、体も心も彼女に近づき過ぎている。
少し、潮李から離れた方がいい。
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