第5話 私は強くなりたい

 放課後から少し遡って月曜日の朝。梅雨明けによって空も気分も明るくなる一方で暑苦しい気候に疲れる、そんな真夏日。

 私、萩野潮李は、私と今村修我君というクラスの男子と登校ルートが重なる小さな公園で彼と待ち合わせをした。彼から送られてきたメッセージでやり取りをして、集合場所と時間の約束をしたのだ。

 表では嬉しい素振りを見せなかったものの、今村君とこれからも登下校できることになって内心では喜んだ。


「おはよう。お待たせ」

「おはよう。今日、暑いなー」


 私が到着した時には、今村君は既に園内の日の当たらない場所に立っていた。

 澄んだ白の半袖に紺色のネクタイを結び、真っ直ぐに伸びた同じく紺色のズボンを履いたシンプルな夏の制服を纏っている。

 彼は、焦茶色のショートヘアと年齢の割にはやや幼い顔立ちが印象的で、男子の中ではあまり背は高くない。一般的には「中の中」と評価されそうな外見でも、私の主観ではもっと優れて映っていた。不器用な少年のようでかわいいし、時々、かっこよくも見える。


「行くか。日陰から離れるのは惜しいけど」

「雨の次は太陽が敵かもね」


 何気ないやり取りをしながら私達は学校へ向かった。

 教室へ入ると、今村君は数人の男子から金曜日の早退を心配されつつもいじられていた。誰とでも仲良く話す彼とは対照的に私には声を掛けてくれる友達が一人もいない。変わらない日常。しょうがない。高校入学を機に友達だった美空からいきなり敵対されたことがショックのあまり、私は誰とも馴染む気になれなかったから。

 今日は時間に余裕があるしどうせ一人なので読書でもしようか、と、鞄を開けた時だった。


「萩野さん」

「え?」


 その声に振り向くと、私の席の横に一人の女子が立っていた。背は私よりも少し低くてどちらかといえば小柄、茶色いボブショートと大きな瞳はまさに朗らかな彼女に相応しい。佐々木さんだ。

 しかし、そんないつもは笑顔の彼女が今は硬い表情で私を見ている。


「ちょっと来て」

「あの、どうして……」

「いいからっ」


 彼女は私の戸惑う声などお構いなしに手を引っ張ってどこかへ連れて行こうとする。前回も勢いよく連行されて意地悪をされた。でも、今日は佐々木さん一人だし、先日、初めて私に謝罪してきたからいじめではない可能性もある。分からない私は若干怯えながら流されるまま。無意識に今村君の席に目をやったけど、タイミングが悪く彼の姿はなかった。

 教室を出て、すぐそばの階段前の廊下で彼女の足が止まった。佐々木さんは手を離すと私の正面に立って、


「本当にごめんなさいっ!」


 と、大きな声量で深く頭を下げた。

 まさか、いじめに関わっていた生徒から二人きりにされて二度も謝られるとは思わなかった。その姿は本当に申し訳なさそうで、驚いて言葉が出ない。


「あたし、高一の時から美空と仲が良かったから、今まで一緒になって萩野さんをいじめていたけど、今村が駆けつけに来た日に『こんなのはおかしい』って気がついた。だって、考えてみれば、萩野さんを嫌いになる要素がどこにもないから。今更、遅いかもしれないけど」


 前に今村君がサラッと私に言ってみせたことと同じことを伝えてくれた。佐々木さんの反省をひしひしと感じる。


「だから、美空に『あたしはもう付き合えない』って断ってきた」

「じゃあ、二人って、今は……」

「ああー、『いじめに付き合えない』って意味で、美空との仲はとりあえず良好だよ。自分でもびっくりだけどね」


 苦笑しながら佐々木さんは答える。確かに、流れ的に二人の関係性に変化が表れないのは少し意外だ。

 客観的に見れば、佐々木さんの行為も「いじめ」に当たるのかもしれない。ただ、私は、彼女からそこまで悪意を感じていなかった。


「でも、佐々木さん、美空に付き合っていただけで、意外と私にいじめらしい事はしなかったよね。ただ、隣で笑ってからかう言葉を掛けるだけで。心のどこかでは、最初からいじめる気なんてなかったんじゃないかな?」


 いつになく一度に長く話した。普段はこの系統の会話をしないので、上手く伝えられたか定かではない。上から目線に聞こえなくもないし。

 不安に思っている時だった。


「そう……かも、しれない……」


 私を見つめる佐々木さんの瞳が潤み、涙を浮かばせた。


「本当に思っていたかは曖昧だけど、でも、なんだか自分の気持ちを理解してもらえたような気がして……。それも、何度も傷つけてしまった萩野さんに……。嬉しい」


 流れる涙を手で拭いながら佐々木さんは言った。

 どうやら、佐々木さんにしっかり届き、彼女の心に想像以上に刺さったらしい。


「泣かないでっ……? 私はもう、大丈夫だから」


 体が自然と佐々木さんのそばに寄って背中を摩る。


「萩野さん、優しすぎるって……」


 それから、静かに泣く佐々木さんに寄り添って一分ほど経った時、彼女は泣き止んで私に話し掛ける。


「あの、烏滸がましい事は承知の上でお願いなんだけど……」


 そう言って少しだけ間が空くと、佐々木さんは大きな瞳で真っ直ぐに私を見据えて、


「あたし、萩野さんと友達になりたい」


 ドキッ、とした。

 佐々木さんが私のことをそんな風に考えてくれていたとは思わず、しかも、しばらく独りだった自分が友達の申請を受けたことが衝撃だった。緊張なのか強張った体で私を見つめる佐々木さんになるべく早く返事を出そう。


「はい。私でよければ、友達になろう?」


 若干、告白にも似た台詞だけれど、想いが伝わるように出来るだけにこやかな表情を作って答えた。

 "烏滸がましい"なんて、全然、思わなかった。

 純粋に、"嬉しい"という気持ちだけだった。


「えっ、本当に!? ありがとう……!」


 おそらく今の私以上に屈託のない笑みで私の手を両手で握る佐々木さん。それに応えるように私も更に口角を上げ、うんうん、と頷く。


「ねえ? 潮李、って呼んでもいい?」

「下の名前、知っているの?」

「もちろんだよ! 何? こんな可愛い子の名前を知らない人がいるの?」

「高校では誰とも馴染めていなかったから、きっと、大半はそうじゃないかな」


 それこそ、ついこの前まで今村君が知らなかったから。彼に関してはお互い様、どころか、私は彼の苗字すら存じ上げなかったけど。

 だから驚いたけれど、同時に嬉しかった。


「あ、佐々木さんは確か……菜子、ちゃん?」

「逆にあたしの名前、知っているんだね! 嬉しい!」


 合っていたようで安心する。美空や女子が彼女を呼ぶ声を何度か耳にしていて記憶に残っていた。


「あたしのことも名前で呼んでいいからね!」

「ありがとう。──菜子ちゃん」

「潮李〜!」


 やや緊張気味に口にした私を菜子ちゃんが大きな声で私を呼んで抱きしめる。菜子ちゃん、体まであったかい。

 久しぶりに友達らしい会話が出来た。曇りがかった高校生活に差し込まれた眩しい光に涙が溢れそうになる。でも、これぐらいで泣いたら弱虫みたいでヤダな、と耐えているとタイミング良くホームルーム開始のチャイムが鳴り響いた。


「やっば! 潮李、戻ろうっ?」

「うんっ」


 私達は小走りで教室へ戻った。

 今村君が尽くしてくれた金曜日に続いて今日は友達まで出来て、生活面において着々と良い方向へ進んでいる。これも、きっかけを作ったのは今村君なんだと思うと感謝しかない。私は、そんな彼のことも友達として見ているのだろうか。……いや、なんだか少し違うかも。




 それからしばらくが経過して、帰りのホームルーム前に行う掃除の時間となった。

 この学校では二週間に一度、担当場所が代わる当番制で、今回、私は自分達のクラスが使用する二階廊下を任された。さっき菜子ちゃんと話した場所だ。しかし、通常なら三人で行うのだが、タイミングが悪いことに今日は後の二人が欠席らしい。

 十五分と限られた時間内での作業である為、間に合いそうにない場合、本来は周囲の生徒に協力を依頼すべきだとは思う。それでも、私はクラスでまともに話せる人がほとんどいない。僅かな希望の今村君と菜子ちゃんも近くに見当たらないので、どうしようかと悩みながらとりあえずバケツに水を汲む。

 ……いや。やっぱり、一人は無理がある。このまま独り居残りで掃除をしていてはまた悪目立ちしてしまう。

 付近には多くはないけどクラスメイトは居る。その中でも特に力になりそうな人を挙げるとすれば、掃除がいつもテキパキと早い男子・遠藤えんどう陸也りくや君。

 緑がかった茶色の短髪で背が高く、やや彫りが深い、整った顔立ちをしている。教室で見ている限りは強く頼もしく落ち着いた姿勢が印象で、容姿と合わせてなかなかの人気者だが、その一方で個人的に話し掛けづらい雰囲気を感じる。

 だけど、弱気になっていたら自分の状況は変わらない。勇気を出さなくちゃ。私は、強くなりたい。

 彼に近づいて、声を掛ける。


「あの……遠藤、君」


 緊張が分かりやすく声に乗った。恥ずかしいけど、遠藤君が振り向いてくれたので、後はこのまま用件を伝えるだけ。


「もし、時間があれば、私の掃除場所を手伝ってもらえる……? 今日、たまたま一人だけで……」


 訊ねると、彼は一度、私の周辺を見回してから視線を私の目に移して、


「おう。手伝うよ」


 そう、クールでいて頼もしい表情で笑った。


「雑巾は俺がやるから、萩野は箒掃除をお願いできる?」


 遠藤君は言いながら、私が両手で持つバケツの取手を難なく片手で掴む。そっと手を離しながら「ありがとう」と答えると、彼はそのたくましい力でバケツを運んで掃除に取り掛かった。

 想像以上にすんなり事が運び、少し呆気に取られてしまう。ひょっとしたら、そんなに気に病むことでもなかったかもしれない。私があまり気が乗らない雑巾掃除を自ら引き受けてくれた事にも救われた気持ちになり、それも含めて、一瞬、ぼんやり状態。

 ……もしかして、


「雑巾のこと……察してくれた?」


 おそらく気配りが出来る彼がテキパキと雑巾で窓を拭いていく。

 私も、ぼうっとしている場合じゃない。

 箒とちりとりを持って来て廊下の清掃を始めると、目線を雑巾に向けながら彼が私に話し掛ける。


「俺も気づいてやれなくてごめんな?」

「い……いえいえ! 手伝ってくれるだけで充分助かっているよ」

「困った時は遠慮なく、誰かに頼っていいから」

「そう、だね」


 私も箒を掃きながら答える。

 ほとんど進んでいない掃除箇所を見て、私が勇気を出すのに一苦労したことに気づいたんだ。嬉しいけど、少し自分が情けなく思える。周囲と打ち解けることが今の私の課題だろう。

 その時、視線を感じて顔を上げると、


「とりあえず、俺のことはいつでも呼んでいいから。安心して?」


 遠藤君が私に自信に満ちた瞳を向けて、そう言った。

 なんだか、本当に安心した気がする。まだまだ多くはないけど、これからは、今村君と菜子ちゃんだけじゃなく遠藤君のことも信頼できる。

 それから、遠藤君が「二人でも厳しいかも」と近くに居る生徒に呼び掛けて、男子と女子一人ずつを助っ人に加えた。そうして、始めは間に合いそうになかった一人の掃除が、四人に増えたことで無事に時間内に仕上げることが出来た。


「みんな、ありがとう。助かった!」

「ありがとう、ございますっ……!」


 本来、お礼を言われる側であろう遠藤君が真っ先に感謝を伝えていたので慌てて私も頭を下げる。

 いつの間にかこの廊下で団結力みたいなものが生まれて、独りの時と景色がまるで違って見える。彼の優しさが起こしたものだ。

 この数日間で、私は、"仲間"や"絆"といった温かいものを何度も感じられた。

 勇気を出して、本当に良かった。




 帰りのホームルームを終えてお手洗いへ行った後、


「あれ? 潮李、偶然!」


 私は、手洗い場でたまたま菜子ちゃんと会って、二人で並んで教室へ向かうことになった。

 すると、


「お疲れ、萩野。佐々木も一緒なのか」


 途中の廊下で遠藤君にも遭遇し、今度は三人になって連れ立った。

 それだけでも珍しいのに、


「今村君」

「おう」


 なんと、直後に今村君ともばったり。

 こうして、私が安心できる三人全員が揃う放課後に至ったのである。




「驚く、ってレベルどころじゃない展開だな」


 学校の帰り道。

 潮李が、二人と仲良くなるまでの経緯を俺に分かりやすく説明してくれた。


「びっくりだよね? こんな偶然の連続ってあるんだね?」

「いやいや、それもそうだけど、なかなかに濃い一日だな?? 俺が知らない間に二人もの生徒と仲良くなっていたとは」

「むしろ、今村君とは、放課後以外は珍しく会わなかったからね」

「だよなー。んで、どうして帰り道に遠藤も着いて来ているんだ?」


 ずっと気になっていたことをようやく聞けた。この男、俺と潮李の帰り道にさりげなーく同行してくれる。今日は潮李と二人で登下校する予定だったのに。


「悪いか?」

「いや、悪いっていうか──」

「ううん? 全然、悪くないよ! 今村君、それぐらい別にいいでしょ?」


 俺が否定する前に、潮李が遠藤を庇うように語気を強めて言う。表情がむすっとしている。もしかして、今、潮李に怒られた?


「遠藤君、困っていた私に、他の生徒にも呼び掛けて協力してくれて。優しいんだよ?」

「そうだよな。優しいよな。でもそれさっきも──」

「いやいや。それを素直に言葉に出来る萩野こそが優しいんだよ」

「いえいえ……! こちらこそ!」


 謙遜してお互いを持ち上げる潮李と遠藤。

 おい! 俺はスルーですか! と、内心で突っ込むなんだか釈然としない俺。

 勿論、仲間が増えたことは素直に嬉しいし、お陰で明るい潮李が見られて安心はしたのだけど……。


 さっきの潮李の話によれば、遠藤陸也は、とても気配り上手の頼れる男らしい。

 よく見ると外見もそれなりに整っていて"イケメン"に分類されても過言ではない。認めたくないけど、現時点では欠点が見つからない。

 なぜ、良い意味でクラスで目立ちそうな彼を俺はほとんど認識していなかったのか。あっ、お笑いの俺とは立ち位置がまるで反対だからかー。

 基本、男子とは誰ともそれなりに話せるけれど、遠藤とだけはなぜか仲良くしたい気持ちが湧かない。そして、何故だか彼もその気がなさそうに見える。


 潮李、まさか、遠藤に気が合ったりしないよね?

 俺の名前は言うまで知らなかったのに遠藤のことは頭に入っていたようだし…………ん、何? この負けた気分は?

 自分がこんなにムキになっているのも意外だ。まさか……嫉妬? まさかな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る