第4話 青春のひと時
「でも、改めて謝りたいことがある。あの時、傘を取りに行ったついでに自分の為にウケを狙ったこと」
「いいよ。確かに、最初は『はぁ?』って思ったけど」
「まじでごめんなさい」
意外と言葉が強めの潮李に、膝に両手をついて頭を下げる。学校生活が順調だったので、つい調子に乗ったことを反省。
だけど、と彼女から声が聴こえて体を起こす。
「どんな動機であっても、今村君が私を助けてくれたことに変わりはないから。もう気にしない」
「ありがとう。潮李」
「しおっ……こちらこそ」
呼んですぐに「知った瞬間に名前呼びは軽すぎたか」と懸念したけど、潮李は一瞬、びっくりはするが、流し目で照れながらもすぐに受け入れてくれた。可愛い反応に口元が緩む。
彼女と笑って話せることが嬉しくて、思わず呼んでしまった。
「体調、良くなってきたかも。ごめん。授業、始まっているよね?」
潮李がベッドから降りて、床に揃えてある上靴に足を入れる。
ふと、面白い提案を思いついて俺は立ち上がった。
「なあ、今日はこのまま二人で早退しようぜ?」
「でも、本当に落ち着いてきたよ?」
「だからこそ、だよ。たまにはサボろう? 青春ぽいだろ?」
一年の時から今まで孤立といじめを受けていたのだから、学校に来ても楽しくないことばかりだったはずだ。俺は、そんな潮李に青春らしいことをさせてあげたい。
それに、あの空気の教室には行きづらいだろう。ほとぼりが冷めるまで、時間か日にちを置いてから行った方が安心だ。ちょうど今日は金曜なので、このまま早退し、月曜にさりげなく登校すればよい。それだけで潮李に対する陰口やマイナスイメージが払拭されるとは思わないので、その点はこれから考えていく。
「そんなことをしたら、先生と親に怒られそう……」
「真面目だなー 後で俺が安全な言い訳作っとくから大丈夫だって。嘘は得意なんだよ」
事実、たった昨日も先生から呼び出しを喰らった時に嘘でやり過ごした。一日でバレてこんな展開になってしまったけど。
「でも……」
「ほら、行くぞ? 梅雨明け記念だ!」
俺はうじうじしている潮李の手を引っ張ると小走りで保健室を出た。潮李は「えっ……!?」と声を上げながらも流されるままこちらに合わせてくれている。
同じ一階の渡り廊下まで来た所で一度足を止めてから、上靴のまま地面に着く。やはり靴について指摘されたが、潮李はすぐに手を離して"あるもの"に目を光らせた。
「虹……!」
じめじめした気持ちに幕を閉じてこっからは晴れやかに行こう。さっきまで薄暗かった空が明るくなり、色とりどりな橋を架け、まるでそんなことを伝えてくれていた。
「綺麗……久しぶりに見たぁ」
見上げながら、光が差した空のようにキラキラと無邪気な顔で微笑んでいる。今までで一番嬉しそうな顔だ。天気と一緒に潮李の心も久しぶりに晴れたのではないか、なんてことを思った。
先程、時刻を確認しようとスマホを開いた時に画面に梅雨明けの速報が入っていたのだ。これは潮李と虹が見られるのではないかと
「ほんとなー。上靴のまんまだけどな?」
「それは、今村君が引っ張ったからでしょ?」
「自分だって見惚れていたじゃないか」
「見惚れ……て……?」
「虹に」
「あぁー……そうだね?」
若干、顔を逸らして潮李が答える。今の流れで虹の他に何があるというのか。
「さあ、早退許可をもらいに行こう」
俺達はそのまま職員室へ行き、担任に「気分が悪くなった。熱はないけど授業を受けられる状態にないので今日は帰る」と、あながち嘘でもない言い訳で早退の許可をもらった。
職員室を出た所で鞄の存在を思い出すと、俺は教室へ、潮李は保健室へ取りに向かい、昇降口で集合した。
校門へ向かいながら潮李が呟く。
「なんか、いけないことをしているみたい……」
「背徳感?」
「罪悪感」
何となく分かってはいた。潮李の性格ならそうだろう。無鉄砲気味な俺とは違う。
「これぐらい、大したことないよ。それに、あの二人のせいで気分が悪くなったのは間違いじゃないし」
「そっ、か」
と、完全には納得しきれていない様子で潮李が目線を下げる。何に悩んでいるのか不思議に思っていると、彼女は意外な話を始めた。
「
「美空って……えっと──」
「永塚美空」
潮李の口から衝撃の言葉が飛び出た。親しげに響く呼び名でいじめの主犯の本名も知れた。
「まじ!?」
「でも、高校に入ってから、急に『ムカつく』って私に敵意を向けるようになって……それがエスカレートしていったの」
「どうして、永塚の態度が急変したのかは分からない?」
「分からないし、全然、答えてくれない。女子って何気ないきっかけで仲間割れやいじめに繋がったりするから、私の何かが気に障ったのかな」
「潮李を嫌いになる要素なんてどこにもないのに」
「嬉しいけど直球だね、今村君」
無意識にベタ褒めしていたようだが、事実だからなんてことはない。
「一体、永塚は何がそんなに気に食わないんだ? 水までかけなくてもいいのにな」
「あの……」
「あ、ごめん。また思い出させるようなことを言ったな」
「じゃなくって、あの水、暖かった」
返答はとても意外な方向からやって来た。
「え? それって、お湯?」
「お湯ってほど熱くもないけど、あったかい……適温?」
「人にかける時点で適温も何もないだろう。まーでも、つまり、ぬるま湯みたいなものか。なぜ? 夏だから温度が上がった?」
「分からないけど、私、美空なりの気遣いかな、と思った」
「だから、いじめる時点で気遣いなんてなくないか?」
「そうかなぁ……」
疑問に感じながら潮李は言う。俺は、やはり気温が関係しているか、潮李を嫌がらせる為の計算以外には考えられない。
それから、彼女はまたしても予想にもない言葉を口にする。
「あの子、なんだか、寂しそうに見えた」
「寂しそう? 永塚が??」
さすがに、それは思い過ごしだろう。だからきっと、
「潮李は優しいんだな」
「だって、本当にそう見えたから」
「えー、そうか?」
といった会話をしながら、傘がバレて梅雨が明けても自然と変わらず二人ルートを歩いていた。晴れた空の下、お互い、元に戻った傘を提げて。
人生初のサボりはどんな青春ぽいことをしようか。そんなことを考えて、一つの案が浮かぶ。
「潮李、今から傘を買いに行こう?」
「──どうしたの? 突然?」
「梅雨が明けたとはいえ、いつかの雨に備えて新調した方がいいだろう?」
「でも……さっきも言ったけど、私、買えるお金がないから」
潮李の母親がお金を出さなくなって手元に今の傘しかない、と聞いたので、勿論、理解している。
「じゃあ、潮李の誕生日、今年から七月一日な。誕生日プレゼントを買ってあげるよ」
「無理があるよ。全然離れているし」
ですよね。夏生まれではないことは把握しておく。
「全然離れていても、今日だけ俺からのサービスってことで」
「そんなの、悪いよ」
「いーから。傘ぐらい気にすんなって」
そう押し続けると潮李はどうにか誘いに乗ってくれ、俺達はこのまま付近のショッピングモールへと足を運んだ。
モールは俺の自宅と高校のおよそ中間で、どちらも徒歩で行けなくない距離にある。今の場所からも十分ほど歩いて到着した。
実用品のお店は勿論のこと、飲食店やファッションショップも種類が豊富で、映画館まである、老若男女に愛用される充実した施設だ。高校から近いこともあって、放課後や休日にうちの生徒も遊びに行くことが多い。俺も行かなくはないが、基本、必要な物を買う時以外は利用しない。学校で仲良くすることはあっても、遊びに出かけるような友達は生まれてほとんどいないのだ。これは、高校生らしいズル休みになりそうだ。
俺と潮李は、モールへ入った所で目に映ったタッチパネル式のフロアマップで傘を取り扱うお店を探した。そうして辿り着いたのは、女性が好むようなお洒落な雑貨ショップ。俺達は壁際に色とりどりの傘が並ぶ場所で足を止めた。
「どれがいい?」
「私が選んでいいの?」
「そりゃ。潮李の傘になるから」
そっか、と潮李が下を向いて呟く。おそらく、ここへ来て、また俺に申し訳なさを感じているのだ。
バイト代が貯まっているので平気で「傘ぐらい」とは言ったものの、考えてみれば、特に記念日でもない時に同級生にちゃんとした傘を買ってもらうのは少々気が引けるものかもしれない。
だから、
「やっぱり、プレゼントとして買う。『これからも俺と仲良くしてください』のプレゼントな!」
気にさせないよう調子良く笑ってみせる俺を潮李がじっと見つめる。少々恥ずかしい気分にさせられていると、潮李は体の向きを傘のコーナーに変えて少し悩んでからクリアな群青色の傘を手に取る。
そして、俺の方へ体を戻すと、
「ありがとう。こちらこそ、よろしくお願いします」
胸の前で選んだ傘を大事そうに両手で抱え、顔を上げて微笑んだ。
かわいい。
瞬時にその四文字が浮かんだ。思わず開いてしまった口を拳で隠す。胸の辺りが熱い。
自分がこんなにも動揺しているのは、ただかわいいからだけじゃなく、言い方的にまるで告白の返事を受け入れてもらえたような気分になるから。
「よ、ろしく! ……ん??」
動揺が抜けないままの状態で答えてから改めて潮李が選んだ傘を目にして、一つ、とても気になる点を見つける。
「この傘、潮李にしてはデカくないか?」
「うん。でも、これでちょうどいいから」
「どゆこと?」
サイズが合わないのにちょうどいい。矛盾していて訳が分からない。
「え? 秘密」
潮李は小悪魔風に笑うとレジの方へ歩いて行くので、それを追いかける。
大きめの傘を選んだ理由は確かに気になるが、それ以上に、つい数時間前まで暗かった彼女の笑う顔やお茶目な姿を見られたことを嬉しく思った。
レジに着いて俺は店員さんにこう訊ねる。
「ラッピングって出来ますか?」
「わぁ、本格的……」
潮李に傘をプレゼントすると、俺は自分の傘と一緒に元潮李の傘も提げて歩くことにした。
その後は、モール内の人気お値打ちファミレスで昼食にしてからCDショップを覗いたり軽くゲーセンで遊んだりして、帰路についた。その
「疲れていない?」
「大丈夫。むしろ、少し元気になれたかも」
「それは良かった」
改めて確認してみても問題はなさそうだ。今のように何気ない会話の時も彼女は笑顔が増えた。
「私、変わるよ」
突然、潮李が凛とした声で言った。「潮李?」気になって聞き返すも、
「傘、本当にありがとう。またね」
「ああ。また……な」
特に答えることなく笑って離れようとする潮李につられて俺も同じように返す。一体、どう変わろうとするつもりなのか。
その時、
「潮李!」
ふと潮李に伝えたいことが浮かび、少し間が空いてから潮李を呼び止める。振り返った彼女に俺はこう伝える。
「せっかくだし、これからも、この道で二人で登下校しない? だから、連絡先、交換しよう?」
昨日に比べて大分打ち解け合ったはずの潮李相手にどこか緊張して話す自分がおかしく感じる。
「いいよ。交換しよっか」
そんな俺を潮李は快く受け入れてくれ、スマホを取り出すと、互いに操作して連絡先を交換した。
「ありがとう。また連絡する!」
「うん。じゃあ、また月曜日に」
「おう。また月曜日」
俺達は、改めて笑顔で別れてそれぞれの帰路につく。
勿論、これからも潮李と登下校したい気持ちもあるけど同時に連絡先を聞き出す口実でもあったので、心の中でテンションが高まった。
気がつけば、彼女ともっと一緒に居たいなんて思っていた。これまで特定で仲が良い相手がいなかったからか、あるいは、異性としての感情なのか。いや、さすがに後者は考えられないか。
迎えた月曜日、の、放課後のこと。
俺は教室へ戻る途中の廊下で潮李とばったり会った。二人の男女と仲良く話しながら歩く萩野潮李と。
「今村君」
「おう。あの、この二人は……どういう?」
「えっと、友達になった
そこに居たのは、同じクラスの男子だがほとんど話したことのない遠藤と、先日まで潮李をいじめていた佐々木だった。
「…………ん?」
つい三日前まで孤立といじめに遭っていた彼女からは考えられない展開に衝撃を受けて、引きつった笑みしか出ない。
潮李は、本当に変わった、のかもしれない。
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