第3話 萩野を知る
「何やってんだよ!」
情けない自分に対しても含め、着いた場所に向かって叫ぶ。そこには、雨の中、地面に立ち尽くす萩野と、体育館の屋根の下で萩野を見下ろす永塚と佐々木の姿があった。永塚はつまんなそうな顔で萩野の制服にジョウロをかけ、隣の佐々木はそれを見てニヤニヤしている。
この光景だけでも"いじめ"と見て取れる。
永塚はジョウロを下ろすと、俺の質問に視線と顔色を変えることなく淡々と答える。
「何って、この子にちょっと痛い目見せてあげているだけだけど」
「たとえどんなに不満があったとしても、いじめてもいいケースなんて一つもないだろ」
「関係ないでしょ」
「なあ? どうして、こんなことを?」
「だから……あなたに関係あるの? 先生でもなければ、この子とも親しくないでしょ?」
「萩野さん、友達いないしねー」
否定は出来ない。今だって、どうせ自分が気持ち良くなる為に正義を振りかざしているんじゃないのか?
……いや。
最初に助けた時はそんなくだらない動機だった。でも、今回は、半分は萩野に対しての罪悪感だけど、もう半分はクラスで萩野の陰口が耳に入って、萩野がいじめられている予感がして──じっとしていられなくなった。
「答えないなら俺が決める。萩野がこんな扱いを受ける要因は、これっぽっちも本人にない! 彼女は決していじめられても仕方がないような子じゃない、良い子なんだよ」
目は二人を見て、手は萩野に向かって広げ、彼女の良さを熱く語った。無意識に熱が入ってしまい、少し恥ずかしい。
「テキトーなことを……。あんたからも何か言ってよ?」
「二人って、おそらく昨日の傘からしか接点ないよね? どうして、そう言えるの?」
永塚に指示をされて佐々木が質問する。棘のある永塚と違ってごく普通の口調で。
「その接点だけでも分かったんだよ。萩野は少し暗い所はあるけれど、穏やかに、こんなイタイ俺との時間を楽しんでくれたんだ」
そう返すと、俺は目線を二人から萩野に変えて、
「俺も、誰かと居て、久々に楽しい気持ちになったよ」
伝えると、萩野が俯いていた顔を上げて見つめ返す。表情の淀みが僅かに薄れていったように感じる。
「ねー? それ、本当に萩野さんも思っていること?」
佐々木が横から痛い所を突いてくる。
「それは、俺の勘だが……自信はある!」
「わー 誤解だったらそれこそイタイねぇ」
「うるせえ!」
まったく、余計なお世話だ。
腹が立つ笑顔でからかってくる佐々木は、いじめっ子である点以外は永塚とタイプが全然違う。お調子者だ。
その時、
「私……も!」
萩野が、繊細な声を精一杯張って叫んだ。
全員から視線を向けられた萩野は、真っ直ぐな瞳で俺を見据えると、
「上手く感情表現が出来なかったけど、本当は、今村君と一緒に居られて嬉しかった。今だって、こんなにも、私のこと……」
恥じらいながらもそう伝えた。俺の自信過剰でも萩野のお世辞でもないのだと分かる、嘘偽りのない、眼差しと声で。
萩野も、俺と同じように思ってくれていた。
「あぁ……もう。頭がおかしくなりそう。仲良しごっこなら
永塚は呆れながら額に手を添える。その時、彼女の隣に立つ佐々木が萩野に近づいて来た。不安を抱きながら様子を見ていると、佐々木は足を止め、
「萩野さん、ごめんなさい」
頭を下げて、謝った。至って普通に真面目な姿勢で。萩野は戸惑った顔で言葉に詰まっているように見える。
この場を収める為の限定なのか、本当に認めたのかは分からない。でも、さっきまでニヤニヤしていた彼女が途端に真剣に謝罪をしたので後者の可能性も捨て切れない。
佐々木は萩野の返答を待つことはなく元居た場所に戻ると、永塚の手を掴み、
「仲良しごっこが見てらんないんでしょ? 撤退するよ?」
「ち、ちょっと、待ってっ……」
口角を上げて掴んだ手を引っ張って、二人でこの場から離れて行った。
雨は、少し弱まった。
これでいじめが解決したと断定は出来ないが、伝えたいことは伝え、二人が離れてくれたので、ひとまず安心した。
朝のホームルーム開始を知らせるチャイムが校内に鳴り響く。遅刻ギリギリに到着することはたまにあっても、紛れもない遅刻は初めてだ。でも、今はそんなことどうでもいい。
腰が抜けたのか萩野がその場にしゃがみ込む。萩野っ、と名前を呼びながら彼女に近づく。
「大丈夫か──」
その時、自分の体が、ひんやり冷たく柔らかい感触がする何かに包まれた。──萩野だった。
濡れた制服で俺の胸に顔を埋めるように抱き着くその身は、冷えたのか少し震えている。
「萩野?」
返事の代わりに、彼女からすすり泣く声が聴こえる。
「私、高一の時から、ずっと二人から意地悪されていてっ……でも、自分じゃ
今まで抱えていた辛い気持ちを吐き出しながら、萩野が泣く。
冷えだけじゃない。きっと、過去の恐怖を思い出して震えているのだ。
「そっか。しんどかったよな」
背中を摩りながら相槌を打つ。やばい。俺まで泣きそうになってくる。
「傘も、二人から取られたと思ったら、先生が持ってきた時に泥だらけになっていて、今村君に迷惑を掛けたっ……」
「迷惑を掛けたのは萩野じゃないだろう? 大丈夫だって」
それから、萩野が二人ルートを使っていた理由も、永塚と佐々木に出会さないように彼女が新しく見つけた通学路であることがこの話で判明した。
萩野は続けて、子どものように泣きながら内に秘めていた本音を曝け出す。
「それに、私だって、今はあんな傘は使いたくないっ……! でも、私の物が次々と汚れたり消えたりしたから、お母さんが怒って、お金を出さなくなって……もう、昔の傘しか残っていなくて……」
「ちょっと待って。物を汚したり失くしたのってあの二人だよね? お母さんが怒る相手って、萩野なの?」
「だって、誰にも打ち明けられなかったから……」
学校だけでなく、家でも、本当に誰にも言えずに独りで抱えていたのか。
そんな萩野の事情も知らずに優越感に浸っていた自分がますます薄情に思えてきた。
「俺も気づいてやれなくて、ごめんっ……」
さすがに堪えきれなくなり、とうとう、俺も涙を流した。
萩野は俺の体からゆっくりと離れると、
「もう、誰からも優しくされないで、助けてもらえないと思っていた。だから……ありがとう……」
落ち着きを取り戻しながら話して、それからまた、瞳を潤ませて静かに泣いた。止まることを知らない雫を手で拭う。
俺は笑いながら彼女の頭に手を乗せる。
「おーおー、もう泣くなよ。大丈夫だから」
「今村君だって泣いてるよ……」
萩野の両手が俺の頬に触れると、流れ続ける涙を小さな指で拭っていく。
「ほんと、人のこと言えねーよな」
言いながらまた笑ってみせる。
直後、水に濡れて透けた萩野の際どい制服姿に目がいくと、その状態で彼女の体としばらく密着していたことに気づいて顔が熱くなっていった。代わりに涙はすっと引っ込んだ。弱まったとはいえ雨の中、抱き合っていたことに気が回らなかった。
今思うと、女子との関わりが極めて少ない俺にはとても刺激が強い……。
俺は立ち上がり、萩野に手を差し伸べる。
「とりあえず、早く保健室で着替えをもらおうか? 雨も止まないし」
「…………ひゃっ!」
萩野は自分の制服に目をやった瞬間、すぐにそれを両手で精一杯に隠す。顔も見る見るうちに赤くなっていく。涙もすっかり止まっている。彼女も今になって我に返ったっぽい。
その体勢のまま立ち上がるとこっちに目も向けずに無言で歩き始めたので、俺も足を進めて萩野の隣に着く。そうなるのも無理はない。
保健室に到着すると、萩野は女性の養護教諭から着替えのセットを貰い、ベッドが置かれたカーテンの奥へ入る。
衣擦れの音がして、考えないようにしていても勝手に耳が集中して、脳がカーテンの奥の状況を想像しようとしてくる。これは、今だけこの場から去るべきか?
「君は、もう教室に戻っていいんだよ?」
養護教諭の声でハッとなる。
そうだよ。どうして、俺は未だに萩野が着替えるカーテンの前で待機しているんだよ。傍から見たら、空気が読めないやつもしくはただの変態だよ。
しかし、よく考えると、今、俺達のクラスでは萩野の悪い印象が広まっていて、しばらく彼女を一人にしておくには危ない気がする。
「あの、色々あって、俺達は今、教室に戻れる状態にないんです。着替えが終わるまでは外に出ていますから」
「担任の先生は知っているのよね?」
先生に言われてしばらく時間を意識していなかったことに気づくと、ポケットからスマホを取り出してホーム画面に目を通す。そこには、一件の速報と現在時刻が表示されていた。
遅刻扱いは当然だが、既に一限目も開始してしばらくが経過していたので、内心驚く。
「いえ……学校に出席したことにすらなっていません……」
「しょうがないわね……。今回だけ、後で私から伝えておくから」
「ありがとうございます」
世話が焼けるような顔をした先生に出来るだけ感謝の意を込めてお辞儀をする。
そんな会話をしていると、サーッとカーテンを開く音が室内に響いて顔を上げる。俺が保健室を出るよりも早く、シワ、汚れひとつない新品のような制服を纏った萩野が立っていた。
「サイズは大丈夫みたいね」
「早いな。もう終わったのか」
「近くに今村君が居るのが気になって、急いで着替えたの」
「それは、ごめん」
その時、萩野は体をふらっと傾かせるとベッドに腕を乗せる状態で床にしゃがみ込んだ。息は小さいけど荒くなっている。
「ちょっと。大丈夫??」
「萩野!?」
萩野に駆け寄る先生の後に俺も着く。よく見ると顔色も青白くなっていて、体調が悪いことは明らかだ。
昨日の初対面からずっと頭痛が続いていたので気にはなっていた。さっき、水をかけられて悪化したのかもしれない。
もう、萩野にしんどい思いはさせたくない。
「貧血ね……。萩野さん、少し休もうか?」
先生は言いながら、動くこともままならない萩野を抱えてベッドへ寝かせるとカーテンを閉めて彼女から離れた。
「先生、萩野、昨日から頭痛があったみたいですけど大丈夫ですか??」
「特に重たい病気ではないはずよ。女子特有のものかもしれないし。大丈夫。私は担任の先生と話しに行くから」
と、先生は俺の肩に手を置いてから保健室を後にして、この場には俺と萩野の二人きりになった。
先生の言うように大丈夫かもしれない。けれど、俺がもっと早くいじめに気づいていれば、頭痛は続いていても倒れるまで悪くはならなかっただろう。
しばらくして、
「んん……あれ?」
と、カーテン越しから萩野の声が聴こえた。
「萩野、開けるよ」
一声掛けてカーテンを開くと、目を覚ました萩野がゆっくりと体を起こしていた。
ベッド横の丸椅子に腰を下ろしながら俺は話す。
「よかった……。体、大丈夫??」
「今村君……。そっか、私、倒れたんだ。今日は迷惑を掛けてばかりでごめんね」
「俺の方こそ、倒れるまで気づいてやれなくてごめん」
萩野は否定するように首を横に振る。
「ううん? 今村君は、あの二人から私を助けてくれたから。さっきはたくさん泣いちゃって、今、思い出すとすごく恥ずかしいけど……」
「あれは、俺も普通に泣いたからお互い様だ」
「でも、本当に嬉しかった。ありがとう」
表情が笑っているわけでもないのに、心なしか嬉しそうに見えた。自分がきっかけで萩野が喜んでいるとこっちまで気持ちが晴れる。
彼女を笑顔にしたい。もっと、彼女のことを知りたい。はじめは、何気に今の今まで知らない、大事なことから。
「ねえ、萩野の名前、何て言うの?」
「えっ?」
「あ、萩野は萩野だよな。聞き方おかしいか」
「伝わってるよ」
萩野は首を横に振った。そして、
「私、
潮李は笑った。
こちらを見つめながら、嬉しそうな感情を初めて微笑んで表して、初めて自分の名前を透明感のある声に乗せた。一見、涼やかだけど可愛らしい響きを持つ三文字が彼女にとても合う。
胸の辺りがドキドキする。今度はこっちが熱でも出そうだ。
「お、俺は、今村修我っ」
「知ってる。一番最初に聞いたから」
また、悪戯っぽく彼女が微笑む。満面の笑みとか大笑いじゃないけど、潮李らしさを感じて俺は好きだ。
「あ、そっか」言いながら、俺もお返しに笑う。大きく口を開けて。
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