第2話 初めての女子のこと

 初めて女子と二人きりの下校を試みる俺は、緊張を隠し、初心者なりにありきたりな話題を提供して頑張ることにする。


「萩野は、いつもあの道で登校しているよね? 帰りもそうなの?」

「うん」

「珍しいよね。遅刻しそうな日の俺を除けば萩野一人だけだし」

「確かに、不思議だよね……」

「まあ……」


 低めのトーンで他人事ひとごとのように言う彼女に対して返答に困ると「聞かれたくないことを聞いてしまったのかも」とプチ反省した。誰も使わない道で登下校。考えてみれば、何かしらの事情があるのだろう。

 この話題はそっとしておいて、気を取り直す。


「あれは? 中学、どこ中?」

花火中はなびちゅう

「花火中かー あの学校って、確かよくネタにされていなかった?」

「うん。氷柱中つららちゅうの生徒が面白半分で真冬に花火しに校舎へ侵入した動画がSNSにあがって、一時期、問題になったから」

「……なんか、ごめんなさい」


 少しでも会話が弾むことを信じて軽い気持ちで訊ねるも、想像以上のいじりを受けていて笑い話には変えられなかった。

 次の話題を振る。


「休日って、何をして過ごしているの?」


 何これ? さっきからクラスメイト相手に合コンしてんの?


「音楽を聴いたり……とか?」

「いいね! 俺も音楽はよく聴く」

「どういうのが好きなの?」

「そうだなー、俺は────まって萩野、けてっ」


 ようやく会話のテンポが良くなりつつある所で、萩野がこのまま真っ直ぐに歩けば踏み込んでしまう深い水たまりを見つけて呼び掛ける。しかし、今の注意では萩野は対象に気づかず、俺は彼女の背中に手を回し、そっと自分の方へ寄せる。

 軽くて柔らかな肌触りを覚えた瞬間、自分は今、反射的に女子に触れてしまったことに気がついてすぐに体を離す。しかも、結構かわいい女子の。ちょっと嬉しい感情も生まれ、なお罪悪感が増す。

 萩野が少しばかり目を丸くしてこちらを見つめる。


「ああ、ごめん! 今、大きな水たまりを踏みそうだったから、つい、萩野の体を動かした」

「ううん? だい、じょうぶ」


 萩野は目線を下に逸らし、顔を赤く染め、「ありがとう」と言った。

 自分にも同じような感情が移り、さっきとは別の気まずさに黙っていると、萩野は頭部を手で押さえて顔をしかめた。


「ちょっとちょっと。やっぱり、痛そうに見えるけど」

「痛いけど、少しだから」

「頭痛は朝からあったの?」

「いや、さっきが初めて。今までこんなことはなかったから、少し不思議」

「そうか。しんどかったら言ってよ?」

「うん」


 それから、萩野は足元の深い水たまりに目をやると、それを避けるように歩きながら意外なことを口にした。


「細かい雨でも、たくさん降れば、やがて深くなるんだよね」

「洪水、って言うぐらいだから、降る時は相当降るんだよな」

「海も川も深いけど、水を超えられる深いものって、何だろう?」

「愛じゃね?」

「へ?」


 きょとんとした表情で俺を見てくる。

 萩野から話し掛けてくれたことが嬉しかったのか、つい調子に乗ってくだらないジョークを口走った。


「ごめん、冗談にしてはちょっと引くやつだな! 今のは!」


 なんとか明るく笑って誤魔化すと、萩野は戸惑いながら首を二回縦に振ってみせる。

 反応に困ってとりあえず返事を合わせただけだろうがあくまで否定はしない萩野が面白くって、今度は本心でクスッとした。萩野はそんな俺をまた不思議そうに見つめていた。


 それからは、音楽の話を再開して多少は会話が弾み、小さな公園が見えた所で俺達の帰り道は分かれた。


「じゃ、また明日」

「うん。また明日」


 軽く手を振る俺に萩野は頷いた。


 思えば、男子相手でも二人で下校する機会があまり無いので、萩野と会話をしながら帰った時間を今になって貴重に感じる。始めは自信がなかったけど、思いのほか話せた気がする。

 萩野は相変わらず物静かで特に笑ったりもしないけど、俺の話に嫌そうに乗っている様には見えなかったので安心した。少しの時間でも彼女が良い子だってことが伝わる。

 意外と心地よい時間だった。




 一晩明けて、七月初日の朝。

 昨夜におさまった雨が再び降り出していて、仕方なく真っピンク傘を差して二人ルートで登校する。別に、ちょっとはウケ狙いたいなぁとかいう気持ちなんてなく、しかたなーく。

 黒のシンプル傘を差して前を歩く萩野を見つけたので声を掛ける。登校時間が重なったらしい。


「おはよう。萩野」

「今村君。おはよう」

「雨、降ってほしくなかったわ〜」

「そうだね」


 何気ない挨拶をしながら隣に並び、学校まで歩く。

 それからすぐに萩野が首を左右と後ろに振って辺りを気にし出したので名前を呼ぶと、こちらを見て「ううん? なんでもない」と答えた。ふと視線が気になったとかで、大した意味はないのだろう。


「そういえば、今朝は頭は痛くない?」

「うん。心配を掛けてごめんね」

「本当かぁ?」


 無理をしていないか気になって、黒の傘に顔を覗かせて確認する。見る見るうちに色白い頬が赤みを増していく。やはり体調が良くないのか、もしくは何かに恥ずかしがっているのか。


「ちょっと、近いっ……」

「わわ。ごめんっ」


 後者だった。

 原因が俺にあると気づいてすぐに真っピンク傘に戻ると、隣から、いたっ、と声がしたので振り向く。萩野が今日もこめかみの辺りを人差し指で押さえていた。


「嘘じゃん」

「いや。なんか、今、急に痛くなったんだけど……」

「まさか熱は無いよね?」


 昨日、傘を差さずに下校しようとしたことが原因で本当に風邪を引いたのではないかと心配になる。さっき、顔が赤らんでいたのは実は風邪も関係しているのかもしれない。


「大丈夫。また、天気痛てんきつうってやつだと思う」

「雨の日の頭痛のこと? 初めて聞いたな」

「昨日、調べたらそう書いてあった」

「そっか。早く梅雨が明けるといいよな」


 ということだから、彼女を信じてそのまま学校へ向かった。同じクラスなので、萩野とはお互い自分の席に着くまで一緒に行くこととなる。


 昇降口に入り、傘置き場の前で傘を閉じていると、通りすがったクラスの男子に声を掛けられた。

 

「お前ら、傘、交換しているだろ」

「は?」


 と、反射的に返す。無理もない。隠し通そうと二人で計画した行動が翌朝には見抜かれたのだ。

 俺は平穏を装って答える。


「いや、交換していないぞ?」

「もう隠しても意味がないよ。よく考えれば、高校生の、それも男のお前がこんな傘を使うはずがないし」


 彼のストレートな意見に言葉に詰まるも、口調に棘は感じられない。この男にだけはさすがに限界を感じたので、ここで折れるしかない。


「わかった。認めるから、他の誰にも話すなよ?」

「俺は別に話しやしないけど、もう教室中……いや、下手したら他クラスの生徒にも知られているな」

「……は??」

 

 何故だ? この男が今、憶測で判断しただけではなくて?

 広まっている。それが本当なら、この嘘は誰に見破られ、どうして、傘ごときの情報が拡散した??

 

「確認だけど、お前は喋っていないんだな?」

「いない。俺は、心配になってお前らに報告しに来ただけ。それもだけど、教室の空気が感じ悪いから抜けたかったんだよ」

「感じ悪いって……どうして……?」


 真っピンク傘の持ち主が萩野と判明しただけで、なぜ教室の空気が悪くなるのか? 思い当たる節は無いが、嫌な予感がする。


 「話している内にも早く行った方がいいぞ?」


 それもそうだ、と、


「少し、ここで待機していて」


 萩野に言うと、彼女は不安気な表情で小さく頷く。万が一、教室で萩野の気分を害する声が聞こえた場合を想定して、俺一人で状況を確認しに向かうのが得策と考えた。


 急いで上靴に履き替え、教室へと走り出す。着くと、確かに良くない空気が漂っていた。


「まさか、あのぶりっ子傘、萩野さんのだったとはね? それも、泥だらけで手洗い場に捨てるとか、マジありえない」

「普段は大人しいのにあんな一面があったなんて……ちょっと引くよな?」


 男女問わず、萩野への陰口が次々と聞こえてくる。

 ──おかしくないか?

 自分の時と反応がまるで違う。

 俺は爆笑されて終わったのに、どうして、萩野の場合だと悪口が聞こえてくるんだ?

 

「自分の行為を今村君になすりつけたんでしょ? それこそ感じ悪くない?」

「あの子の嫌がらせ、陰湿」

「違う! あれは、俺が吐きたくて吐いた嘘なんだ。萩野は何も知らなかったんだよ」

「いやいや。だとしても、あの傘はさすがに……ねぇ?」


 俺が否定した所で、クラスの様子は特に変化を見せない。だから、ずっと引っ掛かっていたことを聞く。


「なあ? どうして、教室の空気がこんなにギスギスしているんだ? 俺の時と温度差があり過ぎないか?」

「だって、萩野さん、いつもぼっちで暗いから衝撃デカすぎるってゆーか……」

「はっ……?」


 ある女子がぼそっと言うと、付近の女子達も控えめに頷く。

 確かに、無口でぼっちの生徒がそんな突拍子もないことをすれば気味悪がる人も多いだろう。だからといって陰口が許されるとは思わないが。

 しかし、萩野が暗いことには賛同するが、友達がいないはずはない。他の生徒が知らないだけで、萩野には永塚と佐々木と言う二人の友達が存在する。……待て。本当に"友達"と呼んでいいのか?

 二人は萩野に明るく話し掛けていたが無理矢理作っているようにも感じられ、大分強引に連れて行った。それに、あの二人と友達であることが、正直、とても意外だった。ということは、永塚と佐々木は友達ではなく萩野は独りぼっち、それどころか、わざとらしく友達を装って連行した数時間後にドロドロの傘が発見…………まさか──

 最悪な答えが浮かぶと同時に不穏な予感がして教室を見回すと、そこにはあの二人の姿はなかった。


「萩野って、クラスの女子二人に連れて行かれたりした?」


 違っていることを願いながら近くの男子に問い掛けるも、


「あー、うん。昇降口で誘われて、なんか教室じゃない方向に歩いて行ったけど」


 遅かった。萩野は、永塚と佐々木に捕まってしまった。

 俺は三人が進んだ方向を聞いて、教室を飛び出した。


 どこか上手く立ち回れている自分に少し浮ついていた。

 親しい友人を作らず公平に関わって、だからこそ時にクラスメイトのウケを狙って、その上「困っている萩野を救った」と優越感に浸っていた。そんな自分が恥ずかしくなって、惨めで、がむしゃらに廊下を走る。

 一人で勝手に動いたくせに何が「好きで交換しているんじゃない」だ。

 傘を取りに行くついでに笑わせて何がクラスと一体だ、萩野という生徒の気持ちは考えていないじゃないか。

 "本来の萩野"に気づけなかったくせに何を人助けした気持ちでいるんだ。


 男子に教えてもらった方面に近づいた所で、さっきから脳内でループ再生してくる女子二人の声が俺の耳に届く。声がする方向へ走ると、体育館の出入り口に到着した。


「何やってんだよ!」

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