第18話 彼女を愛する人たち
翌日の正午前、俺は理枝さんに呼ばれて佐々木家を訪れた。伝えたいことがあるそうで、昼食に招かれたのだ。
「先に大事な話をしてからお昼にしたい」と理枝さんが言って、テーブルを挟んで対面になって腰を下ろす。理枝さんの隣には佐々木妹も座っている。
「本当にごめんなさい」
第一声で理枝さんが頭を下げる。突然の謝罪が何に対してなのか見当がつかなくて黙っていると、彼女は続けて話す。
「ここで近距離病を説明した時に『心理的距離』であることを伝えるべきだったけど、いきなり二人を引き離すのは心が痛くてしばらく様子を見ていたら、彼女、その間に想像以上に悪化していたみたいで……。山瀬先生から連絡を頂いて、つい先日、知ったの」
説明を聞いて理解する。自分が理枝さんの立場でも同じように考えただろうから、仕方がないとは思う。
「謝らないでください。医師ですので、忙しかったと思いますし」
「ううん? そんなの、言い訳になるから」
首を振って答える。とても責任を感じているようだ。
「それで、潮李ちゃんだけど、病状が進行しているみたいなの」
「そうでしたか……」
入院する程の高熱を出したぐらいだから納得するしかなかった。分かっていても自然と顔が下を向く。
「もちろん心配ですけど……でも、きっともう、大丈夫です。彼女に嫌われるような別れ方をしたつもりですから」
「本当……残念、以外の言葉が出ないわ」
その時、椅子を引く音が静かな空間に響いて顔を上げると、佐々木菜子が立ち上がって俯いていた。珍しく彼女の周辺が暗く淀んでいる。
「ごめん。ちょっと、耐えられない」
佐々木妹は小さく呟いて、リビングの扉を開けるとこの場から出て行った。
俺と潮李が別れたことはさすがに把握していると思ったけれど、まさか心理的距離で別れざるを得ない状況にあったことまで佐々木の耳に届いていたとはこの家に来るまで知らなかった。俺達の関係を喜んでいた彼女からすれば、それはしんどい空気に感じるだろう。
佐々木の跡を追うと、彼女の部屋の前に着いた。閉まったドアに声を掛ける。
「佐々木、ごめん。ショックな気持ちにさせて」
「やめてよ。誰も悪くないんだから。仕方がないよ」
扉越しに彼女の覇気のない声が聴こえる。
「そうかもしれないけど……でも、少なくとも俺が関係している話だから、傷ついていると心配になる」
「もしかして、潮李への罪滅ぼし?」
「い、言われると、そんな気はしなくもないけど……でも! 本当に佐々木のことが……!」
ガチャ、と、目の前の扉が開かれて佐々木が姿を現した。
「ごめんごめん。今の冗談は配慮が足りなかったね」
と、申し訳なさそうに佐々木は笑う。表情が気持ち明るくなっている。
「あたしのこと、気にかけてくれてありがとう。どうしても、潮李の気持ちになると悲しくって……あ。あと、今村もね?」
「俺のことは気を遣わなくていいから」
佐々木は仲間思い──特に潮李思いだから、きっと感情移入してしまうのだ。
すると、彼女は扉の右にずれると壁にもたれ掛かって俺に話し始める。
「あたしね、これでも、あたしの周りの人達のことはみんな大事に思っているよ? でも、潮李はちょっと特別なんだ。いじめてしまった申し訳なさもなくはないけど、あの子って健気でいい子だから、平和な付き合いが出来て居心地いいんだよね。美空とは嫌がらせをする仲で連んでいたから、尚更、感じるのかも」
「それは、ちょっと共感できる」
潮李は心が綺麗で、そして強い。思い出すと切なくなるけど。佐々木が潮李を慕っている理由がこれで判明した。
「ちなみに、永塚とは今も付き合いはあるの?」
「……まあー、そだね?」
少し間を置いて曖昧に笑う。
佐々木のことだ。潮李推しが強いあまり、最近は少し付き合いが減ったのだろう。へ〜、とニヤリ顔で返す。
今日は佐々木と珍しく真面目な会話をしたが、このような機会があったのは良かった。
その後は、再びテーブルを囲み、理枝さんが用意した夏バテ防止にこだわった薬味付きの
「このお昼で、お詫びになるといいのだけど」
「お詫びだなんてとんでもない! 美味しいです!」
困ったように笑う理枝さんにすかさずフォローを入れる。やはり、彼女の罪悪感はまだ抜けていないらしい。
「ちょっと味薄いけど美味しいよねー」
「もっとお水足そうかー?」
一言余計な佐々木妹に容赦ないツッコミを入れる理枝さん。この姉妹は見ていて飽きないなとたまに思う。
素麺で涼んだこともあり、先程の重かった空気は少し和らいだ気がした。
その日の夜は、毎年、この時期に開催される地元の夏祭りへ足を運んだ。行動を共にする相手は居なくて一人。当然、浴衣なんて着ないで朝から変わらない格好で。潮李が一緒なら用意したかもしれないが。
普通ならカップルや友達、家族で混雑するイベントに一人で行きたいとは思わないが、母親に夕食のおつかいを頼まれたので仕方がなく。屋台飯より母さんが作る飯の方が旨いよ、と、こういう時にだけ褒めたりする。まあ、事実だし。
自分の分と合わせて屋台飯を買っている時に、見覚えのある姿を発見した。
長い黒髪を後ろでお団子の形に結っていて、藤色の生地全体に白百合が描かれた清楚な浴衣を着こなしている。手にはりんご飴を持つその女性は──潮李だった。
彼女の普段と違うヘアスタイルは初日のバイト上がり以外に見たことがなかった。ましてや浴衣×お団子ヘアなどギャップが大きくて、可愛くて、ついつい長いこと視線を向けてしまう。当然だけど潮李とは目が合ってしまい、気まずくなる。彼女をあんなに冷たく振ったくせに容姿には惹かれるなんて、傍から見たらクズ野郎だ。
「いつか俺と一緒の時に髪を結ぶ」と約束をしたが、別れた以上は無効で、潮李は違う人の前でヘアアレンジをしていた。仕方がないのだけど、寂しかった。
そばには同じく浴衣姿の四人がいる。三人は合宿で関わったハートライトのメンバーで、もう一人はおそらく合宿不参加だったボーカルの子だ。彼女等とも目が合ってしまうが、一度、北口さんが潮李に向いて、
「行こう? 潮李ちゃん?」
「う、うん……」
ハートライトの女子グループはまた俺にちらっと冷めたような目を向けてから、この場を離れた。
動く気力を失い突っ立っていると男性客二人と体がぶつかったので、邪魔にならないよう、無理矢理足を動かして屋台探しを再開する。
本来なら俺と潮李の二人で夏祭りへ行ったりしたのかな、などと考えてしまうけど、彼女が元気そうなことには安心した。もう、体を壊す必要なんてないのだから。
そうだ。これが、本来の萩野潮李なんだよ。
ヒュ〜〜〜〜、ドドドン!!
背後で花火の音が鳴る。楽しめる相手が居ない分、正直、やかましく感じる。特に目もくれずに帰路についた。
あの病気がなかったら、きっと、潮李と素敵な思い出を作っていたに違いない。
家に到着すると、居間のソファでテレビを観る母に「買ってきたよ」と声を掛けてダイニングテーブルに屋台飯を置く。
「おかえり。早くない? 友達を誘ったりしなかったの?」
「一人だよ」
「あら、本当にただ買ってきただけなのね。まあ、あんたって案外、友達はいないよね」
「余計なお世話だよ」
母も俺が本当に友達と呼べる相手が居ないことに気づいていたようで、指摘され恥ずかしくなる。
「彼女は?」
「いるわけないだろ」
苦笑して答えると、そうよね〜、と母が笑う。
母は俺が先日まで潮李と交際していたことを知らないので、この返しが妥当だ。それに、俺自身、早くなかったことにしないと距離が遠ざからないから。
なんだかんだ、段々と強くなっていく潮李を自分と重ねて、羨ましくなって、嫉妬みたいなものが心の片隅にあったような気がしてきた。さっきの夏祭りもそうだ。俺にはない"青春"を潮李は手に入れた。
彼女をそんな目で見ている自分もきっと存在する。だから、もう、彼女を"好き"だなんて思わなくたってやっていけるはず。たぶん。
数日後のこと。
自室に籠もっている時、スマホが振動して手に取ると「遠藤陸也」と表示された通話の呼び出し画面になっていた。交換した記憶がない彼から電話が来て、不審に思いながらも応答すると、
「もしもし?」
「おう、俺だ。遠藤だ。驚かせたな」
確かに遠藤の声で名乗った。
「本当だよ。どうして、俺の連絡先を知っているんだ?」
「萩野にお願いして、送ってもらったんだよ」
連絡手段として世間で一般的に使われるこのアプリは、相手の連絡先を送信したりIDを教えて追加することが可能なのだ。潮李も潮李で、なぜ遠藤なんかに教えちゃうんだよ。
「それで? お前のことだし、まさか『友達になろうぜ』的な意味で入手したりはしないよな?」
「当たり前だ。伝えたいことがあって、だよ」
それから、遠藤は続けて言った。
「萩野の病気のこと、佐々木から聞いた。心の距離を遠ざけないとならないから諦めさせるように冷たく言って別れたんだろ? 何も知らないのにキツイ態度を取ったりして、悪かった」
普段から俺に厳しい遠藤が謝罪をした。それを伝える為に遠藤は俺の連絡先を追加したのか。
珍しい状況に驚いて声を出せないでいると、
「だから、俺、萩野に告白して付き合った」
「は! お前、潮李のことが好きだったの!?」
「気づいていなかったのかよ。鈍いなぁ」
衝撃の報告に声を上げた俺に呆れ笑いをするように遠藤が言った。
まじか。潮李、男女問わずモテモテじゃないか。
「萩野、ずっと落ち込んでいた。別れてからも大好きだったんだよ。でも、そういう訳にはいかないから、萩野の心から今村が離れてくれるように付き合うことにした。彼女は俺に恋愛感情がないから、お前と永塚の関係と同じように仮ではあるけど」
「そうだったのか……」
あんな別れ方をしたのに、まさか、潮李がしばらく俺に想いを寄せていたなんて……。確かに、あの時の彼女は俺の頬に手を添えて、俺と永塚を応援してくれて、俺に怒りを抱いている様子はまるでなかった。
彼女の好意に喜びそうになるが、病気のことを踏まえると決して良い方向ではない。というか、それって……
「まさかだけど、たまに潮李の具合が悪い時ってある?」
「……たまにだけど、ある」
重たい口を開くように遠藤が答える。
俺と潮李の心理的距離は、別れた今でも縮まる時がある、と言うのか。
「こうなったら、もっと嫌われることをするしかないか……?」
「ただ……萩野だけが近距離病の真実を知らないままで本当にいいのか、考える時がある」
ふと、遠藤が予想外の発言をした。
「知られたら、俺の諦めさせる作戦が潮李にバレて心の距離はむしろ縮まりかねないだろう?」
「そうだけど……萩野だけに隠し事をするって心が痛いし、それに、お前が萩野を鬱陶しく感じて永塚に乗り換えたクズだって彼女に誤解されたままなんだぞ? 辛くないのか?」
遠藤の言う通りだ。本当は潮李に隠し事なんてしたくないし、俺も誤解されるのはしんどい。
遠藤は、基本的に強気な口調だが、それはお節介なぐらいに俺を心配してくれるからで、彼も根は優しい奴かもしれない。
だけど、
「辛いに決まっているだろ。悔しいよ。それでも、俺に失望してくれた方が潮李の為なんだよ。それとも、他に距離を空ける方法があるのか?」
「悪い。無責任な発言だった」
「いや、俺の方こそ言い過ぎたかも。潮李のこと、よろしくな」
「任せてくれ」
頼もしい返事を受け取ると、通話を切った。
潮李、大丈夫。遠藤はとてもいい奴だ。特に潮李のことは気にかけている印象があるから、安心して彼と幸せになってくれ。
強くて頑張り屋な潮李と真面目で頼もしい遠藤だから、今度こそ、きっと上手くいく。
俺はもう、もう……大丈夫だから。
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