第17話 運命に抗えない二人

 雲行きが怪しい八月のお盆前日の昼下がり。

 俺と潮李の家の境目にあるいつもの公園の隅に立ち、潮李が来るのを待っていた。悩みに悩んで、病院から帰宅して「伝えたいことがある」とチャットで誘ったのだ。


「どうしたの?」


 少し経過してから潮李が俺のそばへ来て、きょとんと気持ち首を傾げる。あぁ、くそ。いちいち仕草が可愛くて……辛い。

 だけど、もういい。もう、彼女にどう思われたって構わない──いや、むしろ俺のことなんか忘れたいぐらいに嫌いになってもらわないと。だから、ただ何も気にせずに好感度を下げる発言を繰り出せばいい。


「ごめん。単刀直入に言うけど、俺、永塚と付き合うことになったから、潮李のことはもう好きじゃないんだ」

「……え?」


 平然と伝えると、潮李の表情が一瞬にして曇る。今の天気と同じようにすぐに雨が降り出してもおかしくない。


「あの人、意外といい人でさ、潮李をいじめたことも反省していたんだよ? もう過去を気にするのも馬鹿みたいだよな?」

「えっと……修我?」


 今度は口を悪くして少し笑ってみると、潮李が「何を言ってるの?」とでも言いたげな顔でこちらに短く手を伸ばす。矢継ぎ早に話す俺を止めようとするみたいに。

 思いのほか悪役になりきれている。この調子だ。このまま、もう、最低な男になってしまえ。


「そういうことだから、悪いけど、俺と別れて? 勿論、二人で会うとか通話するとかも、これ以降はなしで」


 このように、どうにか潮李に別れを切り出す気になれたのには、ついさっき、病院のソファで永塚とした会話が関係していた。

 それは、数時間前に遡る──。




「ねえ、私と付き合わない?」


 シリアスなムードを一変させるように、永塚が突拍子もない発言をした。違った捉え方をしている可能性もあるから、とりあえず確認する。


「えっと、付き合う、と言うのは、どういう意味?」

「恋人同士になる、ってことだけど」


 全然、違くなかった。


「いやいや、ちょっと待って。さすがに急すぎるんじゃないか?」

「まあ、本気の告白ならさすがに空気読め、って話よね。違う違う、恋人のフリ。こんなことは言いたくないけど『潮李への恋愛感情が無くなって私と付き合った』って潮李が知ったら、効果があると思うのだけど」


 何を言い出したかと思えば「偽装カップルになる」という提案だった。彼女の考える作戦は一理あると思った。

 しかし、永塚は俺を驚かせる発言をよく繰り出してくる。おそらく意図的にやっているのだろう。


「それに、今まで潮李に嫌がらせしてきた私が今村と付き合ったりすれば、尚更、うちらのことを嫌いになってもらえるでしょ?」


 永塚は意外にも、心なしか声に弾みがあって口角も上がっていた。


「確かに大きな効果は期待できそうだけど、そんな悲しい話、よく明るく出来るなぁ」

「辛いわよ。それでも、明るく持って行かないと、人生、やっていけないでしょう?」


 またも微笑んで言う。ついさっき彼女の真実を知ったばかりだから、妙な説得力があった。何度も悲しい思いを味わってきた永塚が強い存在に感じた。

 しかし、いくら偽の恋人とはいえ、今の俺には、潮李以外の女子と二人きりの時間を過ごす、また、カップルに見られることに心の余裕がない。


「ちょっと、考えさせて?」

「わかった。とりあえず、連絡先は交換しておこう?」


 その案には乗って、スマホをポケットから取り出してお互いの連絡先を教え合った。付き合わないにしても、今後、永塚と近距離病に関する話をする機会が増えそうだから。

 それから、永塚にお礼を伝えると、飲み終わったカフェオレを自販機のゴミ箱に捨てて病院の出口を目指した。


「ねえ、これだけは言わせて」


 すぐに彼女の声が聞こえて、足を止めて振り返る。


「どんなに辛くたって、逃げたりしないで、行動を起こさないと、だからね?」


 真剣な顔つきで、真っ直ぐに俺を見据えて永塚は伝えた。

 わかった、と答えて、再び帰路につく。

 相変わらず彼女の説得力は強い。同じ悩みを持つ者同士だから、尚更だろう。

 帰宅途中、彼女の言葉が頭から離れないでいた。

 そして、家に到着した辺りで前に進む決心がついた。思い立ったが吉日。永塚に作戦を決行する旨をチャットで伝えてから潮李を公園に誘い、現在に至る。




 気がつけば、曇り空は雨を降らせて、たちまちそれは強さを増していった。

 当然、体は濡れるが、俺達はこの場から動こうとしなかった。雨を気にしている場合ではないのだ。俺は潮李に嫌われて、距離を遠ざけないといけない。


「な? 最近、上手くいかないことばかりだし、そろそろ別れよう?」

「私の病気が原因だったら、ごめんなさい。だけど、まだ、二人で居られる可能性が少しでも──」

「可能性なんてないんだよ!」


 自分でも想定していなかった大声を上げてしまい、潮李がビクッとして一歩下がる。先程、山瀬先生から持続不可能な関係であることを知ってしまった為、潮李の発言に思わず敏感に反応した。

 軽く深呼吸をして気を取り直し、改めて「最低なヤツ」の設定を体に取り込む。


「いい加減、潮李の体調不良には付き合い切れないんだよ。もう、面倒くさいっていうか、疲れたっていうか……俺が潮李のことで悩んでいた時に彼女が優しくしてくれて、それが嬉しかったんだよ。はは……最低だよな」


 嘘とほんの少しの事実を混ぜ合わせて潮李に放つ。誰が耳にしても冷たく聴こえる口調で。

 潮李の手が伸びた。引っ叩かれる。それでいいんだ。そう、思ったのに、彼女の手はなぜか俺の頬をそっと両手で包んで、


「ばか。ひどい。でも、私も、修我に今まで辛い思いをさせてきて、本当にごめんなさい。これからは、美空と幸せになれるよ?」


 優しい眼差しで俺を見つめて、そう微笑んだ。瞳に溜まる雫を零すまいと耐えながら。雨の可能性もないとは言えないけど、きっと違う。


「ごめん……」


 無意識の内に、口からは情けない三文字と、目からは液体が流れた。雨だと信じたかったけど無理なぐらい分かりやすい涙だった。最後まで悪役に徹するつもりだったのに。あぁ……潮李にバレていないといいな。

 頬から手が離れ、温もりが消えると、潮李はこちらを見ずに「じゃあね」と言って俺の前から姿を消した。

 俺は、永塚が考えた作戦で、潮李と恋人関係を解消した。

 出会いも別れも、雨の日だった。

 これでよかったのだろうか。

 潮李があんな優しい終わり方をしてきたから、本当に彼女に嫌われたのか判断がつかない。

 大丈夫かな。潮李、体を壊したりしないかな? いや、今になってまで何を気に掛けているんだ。もう他人じゃないか。

 永塚の言うように行動には起こせた。それでも、当たり前だけど気分はまったく晴れない。しばらく、雨に濡れて立ち尽くしていた。




 その夜、夕食も摂らずに自室のベッドで横になっている所についさっき偽装カップルになった永塚からのメッセージが届いた。


『大丈夫?』の一言だけ。今の俺にはあんまり長文で送られて来ると疲れるから、これぐらいの心配がちょっとだけ救いになった。

『大丈夫ではないかも』そう送ると、少し経過してから、


『今村はよく頑張ったよ』

『潮李にきつく当たったからって自分を責めちゃダメだよ』


 と、二通の返信が来た。また、心が安らいでいく。

 永塚とは、偽の恋人でもありながら頼もしい同志でもある気がした。彼女に対する印象がこんなにも大きく変わるとは誰が予想しただろう。


『ありがとう』


 それだけ返信してスマホを置くと、自然と、目も意識もシャットダウンしていった。

 初めて潮李と外出した時に訪れたショッピングモールで潮李と笑って歩いていると、いきなり居場所が部屋のベッドの上に変わった。


「潮李……」


 潮李とデートしている夢を見ていたらしく、両頬が生暖かい液体で濡れていた。

 涙を大雑把に拭い、スマホを取って時刻を確認すると、永塚から二通のメッセージが送られていたので開く。


『16日って空いてる?』

『2人で遊びに行かない?』


 永塚の控えめな気遣いに好印象を抱いたばかりなのに、意外にもグイグイ迫って来た。やはり、偽装のデートも実行するのか。行動にも移すタイプらしい。

 別れた直後で、正直、気力は湧かない。ただ、このまま独りで居ても潮李を思い出して更に悲しくなるだけかもしれない。外に連れ出してもらえるチャンスがあるだけで有り難いのではないか。


『いいよ』


 とはいえ、永塚と会う日までの俺は本当にだらしない生活をしていた。

 夏休みだし、たまたまバイトもなかったが、それにしたって、ほとんどの時間を部屋の中で悲しみに暮れている自分はさすがに問題があると自覚はしていた。

 何もしない方がかえって悲観的になる。行動を起こさないと変わらない。分かっていても、永塚のように連れ出してくれる相手が居ない限りは動けなかった。俺は弱いんだよ。

 そんな、お盆の三日間を過ごした。




 お盆が明けた十六日。気分とは裏腹に燦々と照りつける太陽の下、俺と永塚は近所のショッピングモールの入口付近で集合した。初の偽デートはモール内で行われることになった。先日に見た潮李の夢と被ってしまうが、他に近所で楽しめる場所など俺達は知らないので仕方がない。


「何というか、想像していたよりもお洒落だな」


 永塚は、紫のTシャツと純白のロングスカートを合わせた可愛らしい格好で待ち合わせ場所に現れた。


「ほら。偽装の交際だからこそ怪しまれないように力を入れないと、でしょ?」

「それもそうか」

「てゆーか、想像の中ではお洒落をしないイメージだってこと?」

「そんなことは言っていない!」


 訝しげな目で聞いてくる永塚にきっぱりと否定する。今のは俺の伝え方に問題があっただろう。


「手は繋がないでおくよ。他にも触れたりはしない」


 突然、永塚が俺にそんな宣言をした。潮李と別れたばかりの俺への配慮なのだろう。


「ありがとう。俺のこと、気遣ってくれたんだよな」

「それもあるけど、そもそも別に今村と繋ぎたいとは思わないし」

「そりゃそうだ」

「いや、ごめん。さすがに言い方がストレートだったかも」

「全然、気にしないって。素の永塚はやっぱり優しいよな」

「えっ……?」


 永塚が大きくした目をこちらに向ける。

 当たり前のことを言っただけなのに謝ってくれた永塚は、この数日間、俺を精神的に支えてくれたことも含めて本来は真面目で親切な人だ。


「──って、俺に言われても困るよな?」

「そうじゃなくて、しばらくの間、悪役を演じていたようなものだったから、本来の自分を認めてもらえて嬉しい」


 そう言いながら、永塚は胸に手を添えて微笑む。

 よかった。こんな俺でも永塚を喜ばせることが出来た。最近は彼女に助けられることが多かったから、少しお返しがしたかった。




 午後の暑い時間に集合したので、俺達はレストラン街に構える喫茶店で人気のかき氷を注文した。

 アイスクリームが乗ったボリューミーなかき氷を口にしながら「潮李と来たらきっと盛り上がるのかな」と、永塚という相手が居ながらそんなことを考える自分に酷く罪悪感が生まれる。


「そういえば、文化祭っていつだっけ?」

「十月十五と十六」

「十六日が合唱よね? 練習、夏休み明けで大丈夫かな? 勝手にピアノに潮李を推薦した私が言うのもおかしいけど」

「距離を遠ざける為の嫌がらせで仕方がなかったんだろ?」

「まあ……それもあるけど、単純に、私が潮李のピアノを久々に聴きたかったんだよね」

「そうだったのか……」


 潮李と永塚の出会いがピアノ教室と聞いているので、今でも内心潮李を大好きな永塚にとっては、是非、彼女に伴奏をしてもらいたいのだろう。あの嫌がらせの裏にそんな想いまで隠されているとは知る由もなかった。


「……いたっ」

「ああ、かき氷って頭痛くなるよな?」


 ふと、こめかみに五本の指を当てて頭を傾ける永塚に共感して答える。


「いや、違う。この痛みは近距離病かも」

「それって……」

「今の会話で潮李への想いが膨らんだから、距離が近づいたんだと思う」

「近距離病って、そんな、僅かなことでも……?」


 潮李と離れている今でも体調を崩すことは前に聞いたが、実際に様子を目の当たりにして、更にこの病気の恐ろしさを知った。


「うん。でも、この症状って、特別近い時以外は不定期で現れるみたい。だから、毎回、調子が悪くなるってことはないよ」

「言われてみると、潮李の時もそうだったかも」


 山瀬先生と理枝さんからも教えてもらわなかった情報だから、永塚のファインプレーに感謝だ。


「てゆーか、かき氷を食べていながらよく頭痛を判別できたな?」

「私はもう慣れているから! だから、いちいち心配することはないからね?」

「無理は禁物だけど……まるでベテランみたいだな」


 ドヤ顔で伝える永塚に対してそんなことを呟いた。


 その後は、お互いの気になる店を軽く見て回って俺達は解散した。

 沈んでいた心がまた少し穏やかになり、気分転換にはなれたと思う。永塚が偽装のデートを企画した意図はそれも含まれていたのかもしれない。

 とはいえ、独りになると、まだ潮李のことを思い出してしまって寂しくなる。しばらくはこんな日々が続きそうだ。




 三日後のこと。

 俺は教室に夏休みの課題の一つを置き忘れたことを思い出して、学校へ足を運んだ。

 課題を持って教室を出ようとした所、入口に立つ遠藤陸也と出会した。


「今村」

「遠藤。どうして、お前も?」

「俺は部活で来ている」


 普段から俺に厳しい遠藤だが、今日はいつも以上に険しい表情で俺を睨んでいる気がする。


「へー、陸上部とか? ぽいよな〜お前……」


 何となく嫌な予感がして興味もないのに部活の話題に持って行こうとすると、遠藤が教室に入ってきて俺の目の前で立ち止まった。


「お前、萩野と居ることが疲れて永塚に乗り換えたんだって?」

「そんな情報……どこで聞いたんだよ?」

「いいから答えてくれ」

「あ、ああ。そうだけど?」


「だから何?」と言葉には出さないものの表情で見せつける。


「やっぱり本当なのか……。最低だな、お前」

「いや、別に俺と潮李のことなんかお前に関係ないだろ? さっきから何を怒って──」


 バッ! と、音を立てて胸ぐらを掴まれ、僅かに体が浮く。遠藤に体を持ち上げられていた。さっきよりも目つきが鋭い。

 この状態のまま沈黙が続き、しばらくしてから遠藤が手を離して俺は尻餅をつく。遠藤は黙って教室を後にした。

 体はもちろんだが、心も痛かった。

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