第20話 今日だけは特別な日
夏休みも残り僅かとなった八月の最終日曜日。俺と永塚美空は今日も偽装デートをしている。
形にこだわる永塚に誘われ、俺達は定期的に二人で会っていた。とはいっても、やはり定番のデートスポットには行きづらくて、基本はチェーンの飲食店やカフェで世間話をしたりショッピングをする程度のもの。
今日は、駅付近のゲームセンターで遊んでいる。
「ここで押せば……よし、取れた。今村にあげるよ」
「ありがと。本来は彼氏の見せ場なんだろうけど……頼もしいな」
「どう? UFOキャッチャーが得意な彼女はアリ?」
「そりゃ、アリなんじゃない? ──って、え??」
UFOキャッチャーで彼女の特技を知って、戸惑ったり、
「よっし! マッチポイント!」
「ちょっと、一応は彼女なんだし手加減してよ?」
「悪い悪い。何気に初めてだから熱くなった」
「そうなんだ! ストレス発散になるでしょ?」
初挑戦のエアホッケーで少年のように
恋愛感情はさすがに芽生えなかった。まだ、完全には忘れられないから。
それでも、彼女と一緒に居ることで独りで悲しい思いを抱える必要はなく、時間の経過も相まって以前に比べて僅かだけど明るくなれた。
午後三時過ぎ。ゲームセンターを出て、次の行き先について話し合いながらとりあえず駅の方面へ向かっていた──時だった。
「「あ」」
声を合わせたのは俺と永塚だ。
それもそのはず。反対から歩いてきた潮李&遠藤ペアと鉢合わせをしたのだ。四人は無意識に立ち止まった。第三者から見れば「Wデート」と迷惑な誤解をされかねない。
「「…………」」
四人全員が気まずくなって黙り込む。
誰が上手いことを言ってこの場を収めるのだろうかと待っていると、
「修我……っ」
一番最初に沈黙を破ったのは、俺を見つめて名前を呟く潮李の声だった。特に意識などしていなくて、思わず溢したように。
心臓が、ドキッとした。
こっちも危うく、潮李、と返しそうになったが、ギリギリで抑えて彼女から目を逸らす。あからさまに見えたかもしれない。
「「…………」」
再び沈黙が生まれる。永塚と遠藤は複雑そうな顔を俺に向け、潮李は困ったように俯いていた。
「俺達は、これから、あそこのカラオケに行ってくる。じゃあ、またな」
「あ……おう。また……」
遠藤が近くにあるカラオケボックスに指を差して言うと、こちらに軽く手を振って自然な流れでこの状況に終止符を打った。
俺も小さく手を挙げ、潮李と永塚は軽くお辞儀をして、お互い相手のペアと別れた。
最後まで気まずかったが、遠藤のファインプレーによって無事に解散が出来た。
「待って? 今の何??」
隣を歩く永塚が俺に迫り来るように顔を覗かせる。
「そういえば、永塚は知らないのか。潮李が俺のことを忘れられるように、って遠藤が交際を申し出て、仮で付き合い始めたらしいんだ」
「ふぅん」
「──その反応は?」
「遠藤君、本当にそれだけのつもりなのかな? って。あわよくば潮李を落とす気なんじゃない?」
「確かに、潮李に好意があった上で告白したとは言っていたが……まさか……」
もう、潮李のことを考えないで生活していける可能性を少しでも感じたばかりなのに、潮李と遠藤が正式に付き合ったことを想像すると気分が重たくなる。さっき、潮李が不意に俺の名前を口にしたからだ。どうして、呼んだのだろう?
「ねえ、今村」
今度は永塚が俺を呼ぶ。隣に目をやると居ないので振り返ると、少し離れた所で立ち止まっていた。
次の言葉を待っていると、
「私達、このまま、本当に付き合ってみない?」
永塚は、何気ないように俺を見つめて言った。
「それって……」
「さすがに気が早いのは分かっている。でも、私、今村の彼女になりたい」
真剣な瞳をこちらに向けて伝えるそれは、恋の告白以外の何物でもなかった。
「偽の恋人」という
言われてみると、確かに俺を定期的にデートに誘うし、匂わせるような言動も時折見掛けられた。こんな俺なんかのどこに惹かれる要素があったのかは謎だけど。
答えは、決まっていた。
「永塚には、辛い時に慰めてもらって本当に感謝をしている。だけど、ごめん。正式に付き合うことは出来ない」
誠意を持って断りの返事を伝えると、
「そっか〜 そうよね?」
永塚は口角を上げ、すっかり諦めたような調子で俺の立つ所へ追いついた。
本当に吹っ切れたのか強がっているのか分からなくて、もう一度「ごめん」と口にすると「二度も振らないでよ」と笑って背中を叩かれた。明るい彼女を信じて、これ以上は心配しないようにした。
まだ、どうしても、潮李以外の女性を恋愛対象として見ることが出来なかった。
八月三十一日。とうとう、夏休みは最終日を迎えた。
午前中はしとしと雨が降っていた空もお昼を境に明るくなり、午後二時半現在は相変わらず太陽が暑苦しく地上を照らしている。
どうせ、もうやることもない。課題は先程終わらせたし、残り数時間の夏休みは家で体を休ませようかと考えていた、その時、デスクの上のスマホが通話時の振動音を鳴らし始めた。そばへ行って画面を確認すると、
「──なんで……?」
表示されてある名前は「萩野潮李」だった。
別れて以降、連絡は一切なかったのに、どうして、今になって通話を? 間違えて触れたのだろうか? 人のことを言える立場ではないけど、そもそもなぜ俺の連絡先を消していないのだろう?
彼女とはきっぱり関係を終えた。それなのに、声を聴きたい気持ちを抑えられずにスマホを取って、応答ボタンに触れてしまった。
「……はい」
あえて素っ気ない声で反応すると、
「今日、一日だけでいいから会いたい」
涼やかな声で、真剣に、前置きもなく、ただその一言を告げられた。衝撃的なそれに、途端に心臓の鼓動が激しく脈を打つ。
「市内の海岸で待っているから」
そう続きを伝えると、俺が返事をしないからか数秒後に通話が切れた。その瞬間、急いでプライベート用のリュックを背負い、勢いよく部屋を出た。
扉を閉める直前で"ある存在"が頭に浮かび、それをデスクの引き出しから手に取ると改めて部屋を後にして、サンダルを履いて自宅を飛び出した。
これから、海岸へ向かう。
嫌われても決しておかしくない態度を取ったのに、それでも、潮李の俺に対する想いは変わっていなかったのだ。あの一言で、俺の感情もこれ以上は制御し切れなかった。
潮李に会いたい。
身体的にも心理的にも、しばらくは距離が遠かったんだ。半日──いや、数時間だけなら、病状が急激に悪化することもないだろう。
明日からはまた他人同士に戻るから、今日の一日ぐらいは潮李を愛したい。早く潮李のそばへ行きたくて、体が走り出す。
急いで家を出たが、それでも、彼女が指示をした場所へ到着するまでに一時間を要した。
地元に存在する唯一の海岸で、市内でも、大きな駅やショッピングモールを設ける自分達の町から少し離れた自然に囲まれた地域にある。夏休み最終日の今日、思いのほか人は少ない。
青い海と白い砂浜のセットに目を惹かれながら砂の上を真っ直ぐに歩いていると、反対側からこちらに走ってくる、長い黒髪を後ろで束ねた少女の姿を目が捉えた。白いキャミソールのワンピースを纏い、肩には黒い鞄を掛けている。正体に気づいた俺も足を加速させて彼女に近づき、放るようにリュックを砂浜に置いて、そして──潮李を抱きしめる。潮李もそれに応えるように俺の背中に手を回し、ギュッと力を込める。
俺は潮李を頭から腰にかけて撫で回し、久々の彼女の感触を味わう。一ヶ月も経っていないのに懐かしい温もりや匂いに感動して、泣きそうになる。今日はシャンプーの香りも加わっていて、いつになくふんわりと温かい。
お互いに顔を上げて、目を見合わせる。
「ずっと……会いたかった」
「私も……すごく会いたかったよ」
それから、ほとんど同時に瞳を閉じて、唇を重ね合わせる。桃色に輝く潮李の唇は相変わらず柔らかい。
明らかに体も心も密着しているけれど、この感情を止められない。
唇を離すと、潮李に問い掛ける。
「ふと感じたけど、もしかして、お風呂上がり?」
「午前中にバイトで体を動かしたからね。久々に修我と再会するから、いつも以上に綺麗でいたいでしょ?」
「本当に会えるか分からない状況だったのに、そこまでしてくれたの?」
「今日だけは、本気だったから」
気持ちが揺らぐことのない瞳で見据えて、潮李は微笑む。彼女の強い愛に自分の口角も上がる。
きっと、俺の為に、様々な部分でお洒落に気を配ってくれたのだと思うと嬉しくなった。だって、
「髪、結んでくれたんだ」
「約束だから。前回みたいに後ろで縛っただけで、何の捻りもないけどね」
「いやいや。シンプルだからこそ、すごく可愛い」
「……ありがとう」
潮李が上目遣いではにかむ。
「お互い、砂浜に鞄を置いたままだったな」
目線の先に潮李の鞄を見つけて呟くと、俺達はひとまず体を離す。
それぞれ鞄を持とうとした時、俺が"あること"に気づくと同時に潮李が言った。
「修我も付けて来てくれたんだね」
「しーホルダーな。やっぱり海だからな」
砂浜には、横浜合宿の水族館で潮李がプレゼントしてくれた「しーホルダー」を付けた俺と潮李の黒い鞄が置かれていた。家を出る前に思い出してよかった。ダサかわいいそれは、まさに海に来た今日の俺達を表しているみたいだ。
二つのミニチュアな海岸を眺めていると、俺の垂れ下がる手に潮李の手が掴まる。
「さ、行こう?」
そう笑いかけて、潮李は俺の手を引っ張って青い海へと走り出す。
俺は慌ててサンダルを脱いで裸足になり、潮李に着いて行く。よく見ると、潮李も裸足で、チラッと後ろを向くと白のサンダルが揃えられていた。積極的な彼女につられて口角が上がる。二人一緒に助走をつけて浅瀬に足を潜らせ、水飛沫が少し服を濡らした。日差しで熱くなった足がひんやり冷たい海に浸かり、急激に温度を下げていく。
「わ〜! 気持ちいいな」
「それっ」
「うわっ?」
呑気に感想を述べていると、潮李が手を離し、俺の顔に目掛けて海水を浴びせてきた。少量の海水が口に入ってしょっぱい。
「ちょっ、何すんだよ」
「もっと気持ちいいでしょ?」
笑って突っ込む俺に潮李もニヤリと返す。
「俺がお返しできるようなことにしてよ」
「修我もかけてきていいよ?」
「本当か? じゃあ──」
「きゃっ……!」
多少の手加減で海水を潮李の顔にかけると、片目を閉じてソプラノの声を上げた。嬉しそうな顔をしている。
「お返し──の、お返しっ」
「えっ? じゃー、お返しのお返しのお返し?」
「わ〜、ワンピースにかかったぁ」
「嘘? ごめん! て、何度もかけ合っていたら濡れ──」
「えいっ」
「わ!? こいつ……わざとだろ?」
「修我もかかっておあいこね?」
と、服まで濡らしたりして、何ともたわいない水遊びで笑い合った。
広大な海を前に、俺と潮李は笑みを零す。
「やっぱり、水より深いものなんて無いかもなっ」
「うんっ」
しばらくして海から足を離すと、俺は海岸内にある自販機でサイダーを二本買って潮李と岩の階段の頂点に腰を掛ける。
服も少し濡れてしまったので、乾くまではなるべく砂浜に体を付けないように場所を変えたのだ。
「「カンパイ!」」
お互いのペットボトルをコン、と当て、動かした体に冷えたサイダーを流し込む。隣の彼女は相変わらず美味しそうに飲んでいる。涼やかな潮李には、やはり、海とサイダーがよく似合って絵になる。
俺は、気になっていたことを潮李に訊ねる。
「ねえ? あんな態度を取って永塚に乗り換えたのに再び潮李とこんなことをして、俺のこと、最低だと思わないの?」
「別れた時は思ってた。だけど、もう、それは違うって分かったから」
「どういうこと?」
詳細を求めた俺の口に潮李の冷えた甘い唇が触れる。同じサイダーを飲んでいるから彼女も俺の唇にそんな感想を抱いているはず。不意の行動に、今まで以上に心臓バクバクのキスだった。
口を離した潮李が自信ありげに笑う。
「美空よりも、絶対、私達の方が"愛し合っている"って分かるから」
二人に対する俺の感情が見抜かれた。
久々に潮李のそばに居られることが嬉しくて、必死に我慢していた「好き」が、つい、溢れ出てしまった。
俺達の深い愛に絶対的な自信がある潮李に照れながらも口角が緩んだ所で、我に返る。
ダメだダメだ。何とか誤魔化して、心の距離を遠ざけないと。
「なっ、何言ってんだよ。嫌いだよ、潮李のことなんか……」
「愛情の裏返し?」
言いながら、俺の頬を指でツン、と
それもそうだ。あんなに体を密着させて、愛し合っておいて、弱々しいたったの一言で信じてもらうなど無謀すぎる。
時間は掛かるけれど、また明日から距離を遠ざける策を練ればいい。「あの日は潮李の気分だっただけ」とか、また嘘のクズ発言でも放てばいい。本当は嫌だけど。
今だけは難しいことを考えずに、ただ、思うままに潮李を愛そう。
その後、互いの指を絡ませて町周辺を散歩している内に少しずつ髪や服が自然乾燥してきて、空は日が暮れ始め茜色に染まっている。やや乾いた体で再び砂浜に戻った頃には、薄暗く、黒に近い灰色に変化していた。
砂浜に着いてすぐ、
「修我、あっち向いて、目を瞑ってて?」
いつものヘアスタイルに戻った潮李が左に指を差して俺に伝える。
「え、何をするの?」
「もう。そういうの、いちいち聞かないで」
片頬を膨らませる潮李に「わかったよ」と答えて彼女に従う。
何度か鞄のチャックを開閉する音と鞄の中身同士で擦れるガサガサ音が聴こえる。俺には見せられない物を取り出しているのだとようやく察し、ここでもデリカシーの欠如に痛感する。
彼女の「もういいよ」で振り向くと、俺達は砂浜に腰を下ろす。
夏休みも最終日だからか周囲には俺達以外に見当たらず、見上げるとすっかり夜の真っ暗な空に微細な白い光が舞っている。潮李が九月から正式加入する「ハートライト」を連想させ、明日が待ち遠しいようなここで時間が止まってほしいような複雑な感情を抱く。
だって、今日が終われば、潮李とは居られなくなる上にまた冷たい態度を取らなければならないのだ。
飽きてもうイヤになるぐらいまで、潮李を感じたい。
「潮李……」
呟いて、潮李の肩を掴み、彼女の紅唇に自分の唇を合わせる。そのまま舌を数ミリ伸ばすと受け入れるように潮李の口が小さく開き、更に伸ばして唾液で温かく湿った彼女の舌に触れる。お互い、相手をもっと知るように、欲求を満たすように舌を絡ませる。
しばらくして、どちらからともなく口を離し、
「修我……」
呟くと、潮李は肩に置かれた俺の腕を掴み、それを自分の胸部へと伸ばして俺の手の平を被せるように乗せる。初めて触れた彼女の乳房はやはりそれなりに膨らみを持っていた。
「もっと……私を感じて」
頰を上気させ、息切れに近い呼吸をしながら潮李がはにかむ。彼女も同じぐらいに性欲を求めに来ている。
希望に応えるように潮李の魅力的な胸を揉んで感触を味わう。今まで触れた部分の中でも極めてふにふにと柔らかくて、更に興奮が高まる。潮李も、あぁっ……、と喘ぎそうになるのを抑えながら控えめに声を漏らしていて、気持ち良さそうにしている。
二人の欲はしばらく落ち着きを見せず、続けて互いの太ももからお尻にかけて触れて快感を得たり、砂浜に寝転んで抱き合わせたりして戯れる。今まで強いられてきた我慢が爆発したかのように。
潮李が、興奮なのか体調が悪いのか激しい呼吸で熱い吐息を漏らしていて心配になったが、本人が気に留めていなかったので、俺も変わらずに彼女との濃密な時間を満喫した。体も心も、絶対に今までで一番距離が近い。病状が悪化すると分かっていてもこの感情は抑えられなかった。
神様、今日だけだから……夏の最後の一日だけは何も考えずに、潮李のそばにいさせて。
俺達の町の、俺達の集合場所である公園に着いた頃には夜の九時に迫っていた。楽しい時間は刹那のように過ぎていく。
二人しか居ない夜の海をいいことにこんな時間まで食欲よりも性欲を満たしていた俺達は、まったく、ヤンチャな高校生だ。
「大好き」
街灯に照らされる潮李が満面の笑みを浮かべながら、離すまいと力を込めて俺を抱きしめる。
俺も、大好きだよ。すごくすごく大好き。でも……
「治療法が見つかって、病気が治ったら、必ずまた会おう」
「うん。もし、そんな時が来たら、絶対ね」
たとえ分かりやすいぐらいに愛が溢れていても、彼女に「大好き」の言葉を伝えたりはしない。
明日から、またしばらくは潮李を嫌う態度を取らないといけないから期待を持たせたくなくて、口に出したら潮李への本心を制御できなくなりそうで、とても言えなかった。
だから、いつか──
「おやすみ。また、いつかね」
潮李は、最後は涙ひとつ見せずに笑った顔で、俺の前から姿を消した。
「ああ。いつか……な」
いつか、また、愛し合える日が訪れた時に「大好き」って伝える。
こうして、潮李と出会った二ヶ月の夏は終わった。
翌日、九月一日。
朝のホームルームにて、萩野潮李が息を引き取ったことを担任の先生から知らされた。
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