第25話 青春が紡ぐ歌
文化祭一日目の通常祭は、各クラスが模擬店を開いたり各部活や有志が出し物を披露する、いわば王道の内容となっている。
うちのクラスは、教室で一日限定の喫茶店を開き、生徒達で接客や調理等の業務を全うする。八月にカフェでアルバイトを始めた潮李はウェイトレスを務める予定だった。俺は、ビラ配りや旗を掲げて校内を回る宣伝係だ。
今日も文化祭であることに変わりはないし、当日も他のクラスの演奏を鑑賞する決まりがあるので、おそらく合唱の練習が出来るタイミングはもうない。後は本番に臨むだけだ。きっと、今の状態ならいけるだろう。
「二年四組で喫茶店を開いていまーす。海のソーダ、おすすめでーす」
感情の無い声だと自覚しながら、手作りの旗を手に歩きながら呼び掛ける。
海のソーダ。
オーシャンソーダがこの夏の思い出になった俺が提案したメニューだ。
「海のソーダだって。あそこのカフェみたい」
「商品名、まんまじゃん(笑)」
と話す、女子生徒の声。……否定は出来ない。
「海のソーダ、おすすめでーす」
「お前、さっきから自分のメニューだけ宣伝しすぎ」
背後からツッコミを入れられ、体をビクッとさせて振り返る。遠藤だ。
「いやぁ、潮李と飲んだソーダをモチーフに考えたから、つい……」
「そういや、萩野って炭酸が好きだったな」
「知っているのか?」
「本人から聞かなくても伝わるぐらい、よく飲んでいたから」
潮李と時間を共に過ごした人が知る彼女の情報について軽く会話していると、
「これ。差し入れ」
遠藤が言いながら、透明のパックに詰められた焼きそばを俺に差し出す。
「おお。誰から?」
「俺から」
受け取りながら聞くと、彼は即答した。たまに見せる彼の優しさに感心していると、
「話したいこともあるから、一度、昼休憩にしないか?」
そう提案され、俺達は、外から校舎へ繋がる階段の頂上に移動し、腰を掛けて、温かい透明の容器を開けた。
「話したいことって?」焼きそばを食べながら訊ねる。
「もう一度だけ、今日の文化祭後に合唱の練習をしたいと考えている」
焼きそばを頬張る俺の目を真っ直ぐに見て、遠藤は言う。急いで飲み込んで俺は答える。
「──まじ?」
「永塚と佐々木には伝えて、了承を得ている」
俺は勝手に、今日は皆が忙しいだろうからもう練習は行わないものだと考えていた。それなのに、三人はやる気でいたのか……。
「頼みがあるのだけど、俺達で、練習に参加できる生徒を集めないか?」
「俺も練習できるならしたいけど、厳しいんじゃないか?」
「焼きそばのお返しは、それでいいから」
「お返し前提の焼きそばかよ、これ……。食べちゃったじゃん」
彼はニヤついた。確信犯だ。
結局、遠藤に従って、俺も業務と並行して人集めを開始した。のだが……
「悪い! 今日は時間がないや」
「いや忙しいし。体力的にも無理でしょ」
「それもいいけど、ちゃんとクラスに貢献してるわよね?」
クラスメートはそういった調子で、やはり協力してくれる生徒は一人も見つけられなかった。さすがに今日は仕方がないと思い、無理強いはしなかった。
一日目の文化祭が無事に終わった所で、遠藤からのメッセージで呼ばれ、俺達四人は音楽室に集まった。
どうやら彼が音楽室の確保をしてくれたらしく、その行動力には感激だが、
「練習、この四人で行うのか」
「仕方がないだろ。何もしないよりかは全然マシだ」
「練習できなくもないけど、パート的にソプラノが一人居てほしかったね」
俺はテノール、遠藤はバス、佐々木はアルト。
佐々木が言うように、ソプラノパートの生徒が一人でも居れば全パートが一人ずつ揃うから、正直、惜しいのだ。
それでも、遠藤の意見も御もっともだ。集まった生徒で行うしかない。
そんな時だった。
「ソプラノなら私がいるわ!」
まるでヒーローの登場シーンのように音域の高い女声が背後から掛かり、四人は振り返る。
音楽室の入口に、北口さんが立っていた。
「あれ? 軽音部と模擬店の片付けで忙しくなるんじゃなかった?」
「そう思っていたけど、そっちは急いで済ませて時間を作った。私も合唱を成功させたかったからね。連絡せずに乱入する形でごめん」
遠藤の問い掛けに北口さんは笑って答える。
実は北口さんにも声を掛けようか悩んでいたけれど、潮李と別れてから気まずくなり、その後にあんな事が起きてしまったのでとても頼みづらかった。
遠藤が聞いてくれていて助かった。というか、北口さんと繋がっていたのか。
「乱入だなんてそんな! ナイスだよ、日花里!」
「うん。ありがとう、北口さん」
佐々木と、ピアノ椅子に座る永塚は笑顔で北口さんを迎え入れた。
すると、北口さんは俺が立つ場所へ近づいて、
「潮李ちゃんの件、聞いたよ。すごく……悔しいけれど、潮李ちゃんも今村君も大変だったんだよね。別れた話をあの子から聞いた時は、今村君のこと、ちょっと憎んでいた。ごめんなさい」
トーンをいくつか下げ、申し訳なさそうにお辞儀をする。
体を起こした北口さんに、俺は伝える。
「気にしないで。ほんと、第三者から見れば気づかないのも当然な奇病だったから。来てくれてありがとう」
「ううん? やっぱり、私は二人の関係が大好きだよ」
そうやって北口さんが微笑み、俺は少し照れくさくなった。
会話を終えると、本番の並び順に沿って歌唱を務める四人が並んで立った。今日は指揮者は不在なので、永塚のタイミングで鳴らす前奏から合唱は開始される。
──安心した。
この四人だけでも、綺麗に歌声が揃っている。それぞれが異なる音色を生かしていて、一人一人の練習の成果が現れている。
明日のステージで全員が揃い、きっと、素敵な演奏を遠くまで響かせられるだろう。
文化祭二日目・合唱祭の当日を迎えた。
校内の体育館を会場として使用し、午前に一クラスずつ合唱、一時間の昼休憩を挟み、午後に結果発表と表彰式を行う流れとなっている。合唱は三学年六クラスの計十八曲を一年一組から三年六組の順で披露し、結果発表は各学年から「最優秀賞」と「優秀賞」の二クラスが選出される。
俺達の二年四組の出番はちょうど真ん中に当たる。「トップバッターでも大トリでもない二年はラッキー」と誰かが言っていたが、緊張の度合いにさほど大差はない気がする。
まず始めに、一年生の部が行われた。
きっと初々しいものだろうなと聴いてみると──侮っていた。
高校生活が俺達と一年分少ないのに、どのクラスもお手本に沿ったような歌声、指揮、伴奏で、とても良く出来ている。いや、そもそも、自分に合唱のレベルを見極める力が備わっていないのだ。違いが分からない。
ただ、これだけは言える。違いに気づけないぐらいに全クラスが上手で、自分達もそのレベル以上の合唱が出来ているのか少し心配になってきた。
そして、あっという間に二年生の番が回って来た。
「今、二組が終わったから、次の次だ!」
「やば、緊張してきたー(笑)」
付近の男子達が小声で盛り上がっている。
二年の一組も二組も、やはり様になっている。俺の視点から言えば、何もかもがピタッと揃っていて気持ちよく鑑賞できる。
「あいつ、テキトーなことを……。一番、緊張が凄いのは
「大丈夫? 吐きそう?」
後ろから永塚と佐々木の会話が聞こえて、ふと女子の列に振り返る。
「ん……ちょっと、気持ち悪いかもっ……」
「あらま」
冗談めかして訊ねた佐々木だったが、永塚は本当に顔色が悪そうに口元に手を当てて小走りで列から離れて行く。
あの夏、代理でバンドのボーカルを務めた潮李も緊張のあまり泣いていた。人前で目立つ披露をした経験のない平凡な俺からは想像が出来ないほど、不安になるのだろう。
「永塚、大丈夫かなぁ……」
思わず呟くと、隣に座る遠藤がこちらに話し掛けてくる。
「皆それぞれ、自分のすべきことに集中すればいいんだよ。永塚なら、きっと大丈夫だ」
遠藤の言う通りだ。仲間を信じて、自分の役目を全うすればいい。
俺は頷いた。
「続いては、二年四組の皆さんによる合唱です。四組の皆さんは、準備をお願いします」
女子生徒によるアナウンスで俺達のクラスは立ち上がり、背筋を伸ばして二列でステージを目指した。いよいよ、出番が訪れた。
ちなみに、一つ前の三組は特に上手かった印象がある。自分の耳でもようやく多少の違いに気がつける演奏に出会えた。
ステージに上がると、歌唱者、指揮者、伴奏者、それぞれが自身の位置に立ち止まる。
指揮者の合図で歌唱担当の俺達は足を軽く広げ、歌う姿勢を作る。指揮者の振りに合わせて永塚が鍵盤を鳴らすと、ゆっくりと穏やかな大自然を連想させる前奏が館内に響き渡る。とても好調な始まりだ。
イントロからしばらくして、ソプラノとアルトの音色が重なり、やさしいハーモニーを奏でていく。
女声パートが休止した瞬間に俺は口を開き、今までの練習で培ってきたテノールボイスを響かせて、低音のバスと合わせる。力強い男性パートの出番だ。良い。上手いのか自分では分からないけれど、歌っていてとても心地が良くて、意識しなくても口角が上がる。歌い出したら緊張やプライドなんて一瞬で消えた。昨日、練習に参加できなかった他の生徒達の声も仕上がっている。さすがは我等が二年四組だ。
メインのサビに突入し、全パートが重なる。決して邪魔をしている音はなく、見事な具合に調和されている。歌声に指示を送る堂々たる指揮と、歌声を支える美しいピアノの伴奏があっての出来だ。いや、それだけじゃない。クラス一員の、潮李への想いがあってこその演奏だ。
潮李の伴奏、永塚がしっかりと引き継いでいるよ。さっきまであんなに緊張していたとは思えないほどに。
潮李に、みんなの演奏と表情を、最後まで見守っていてほしい。
練習の成果と歌うことへの喜びを全面に出し、潮李とステージ上の仲間達で、今、最高のバラードを築き上げている。
すべての演奏が終了して、午前の部は幕を閉じた。
結局、どのクラスも大差なく上手だった。強いて言えば、うちの学年では三組が群を抜いていたかもしれない。自分のクラスは、技術面で考えるとどの位置にあるのか分からないのでノーカウント。
ただ、やり切った。
全員が最高の心地で披露して、ステージから捌けると、達成感に満ち溢れた表情と声になっていた。
結果を知る前でも、既に「成功」と呼べる合唱を届けることが出来た。
結果発表と表彰式まで残り十分を切った十二時五十分。
ほとんどの生徒がぞろぞろと会場に戻り、開始時刻までそれぞれの列で暇を潰している──そんな時だった。
談笑する声で溢れる会場内に一人の女性の歌声が響き渡る。
最近のヒットバラードをカバーするその歌声に、騒がしい声が薄れていき、多くの人がそれに意識を向ける。
「え、誰? この歌手?」
「きっと新人アーティストのカバーだね」
「声かわいくね? しかも選曲がピッタリ」
他のクラス、学年の生徒からそういった感想が聞こえてくるが、これは──違う。
確かに歌唱力もあるのだけれど、それ以上に、透明感があって、純真で、一つ一つの音を大事に紡ぐ、鈴のような音色が心に深く刺さる。
魅力的で、唯一無二の……
「潮李の、歌声だ……」
その瞬間、自然と、涙が頬を伝った。
一度でも流れると、もう、それは留まることを知らないほどに溢れ出る。
耳を澄ますと、その曲は、恋愛にももっと広いものとしても捉えられる人との繋がりを描いたメッセージを歌っていることが分かり、ますます潮李の存在が脳裏から離れなくなった。
潮李と笑った、泣いた、愛し合った、数多くの紡いだ時間が鮮明に甦る。
それを踏まえた上で、潮李は、この曲を歌ったのだろうか。
「ねえ……これ! 潮李ちゃんの声だよぉ……」
「すごい上手……。生で聴いてみたかったぁ……」
自分だけでなく、後ろの列のクラスの女子からも泣く声や鼻を啜る音が耳に入る。涙を拭いながら振り返ると、潮李と仲良くしていた女子達が一緒に固まって泣いている。
その付近に居る永塚も瞳を隠して泣いていて、我慢が出来なくなったのかこの場所から飛び出した。同じく涙を溢す佐々木が永塚を追いかけて、出入口前でしゃがみ込んだ彼女の背中を優しく撫でる。
クラスの異変に気づいた担任がこちらに近づいてオドオドと困惑している。が、俺を含めて誰一人として説明できなかった。
フェス合宿で、遠藤が俺にどうしても聴かせたかった理由がようやく分かった。やっぱり、あの日、生で聴きたかった。
望みは叶わなかったものの、潮李が生み出す繊細で美しい音色はしっかりと会場全体に響き渡り、俺を始め、彼女を知る人から知らない人まで多くの心を揺さぶった。たくさんの人に歌声を届けたい、という潮李の夢が少しでも叶ったのではないか、そう思った。
潮李は、夏が終わり、季節がすっかり秋に変わった今でも、こうして、俺達のそばに居続けてくれている。
「綺麗……綺麗だよ、潮李……」
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