第24話 彼女へ向けるがっしょう

 潮李が仲間達に遺したメッセージがすべて終わり、しばらくの間、四人は言葉を発さなかった。

 遠藤は目を伏せて立ち尽くし、永塚は床に膝をつけて顔を覆ったまま静かに泣き、佐々木はそんな彼女の背中に手を添えて腰を下ろしている。俺も、突っ立った状態で、潮李のことを思っていた。

 その空間で、最初に声を出したのは、永塚だった。


「私の選択、これでよかったのかな……」


 三人は永塚に目線を合わせ、耳を傾ける。


「いくら距離を遠ざけないといけないからって、何もいじめることはなかったのかも……。今村の時みたいに、ほんの一瞬でも、潮李を抱きしめれば良かった……」

「美空だって、頭を抱えるぐらい複雑な状況にあったんだから、しょうがないよ」

「ごめんね……。私の問題なのに、いじめに付き合わせたりして」

「もういいから。自分を責めない」


 悔やむ永塚に佐々木は変わらずに寄り添っている。


「私、現実を受け入れること、出来るのかなぁ……」


 ぽろっと呟く永塚のそばへ行って、俺は自信を持ってこう伝える。


「潮李と別れて辛かった俺が少しでも前を向けたのは、永塚の言葉や存在が支えてくれたからだよ。だから、今度は俺達四人、いや、五人で乗り越えていこう?」


 すると、俺の隣に遠藤が来て、


「おう。今村の言う通りだな」

「そうだよ。ゆっくりでいいから、潮李に笑顔を向けよう?」


 二人も、永塚を励ますような言葉を掛けた。

 永塚は、涙を拭うと、隠れていた幾分赤い瞳をようやくこちらに向けて、


「ごめん……ありがとう。みんな」


 まだまだ明るいとは言えない表情だけれど、少しだけ負の感情が薄れたように感じた。

 それから、俺は、こうしてそばに集まった仲間達に伝える。


「文化祭の合唱、精一杯、練習して、俺達で潮李に最高の歌を届けないか?」


 ただ落ち込んで時間の経過を待つよりも、団結して、素敵な歌を作り上げることを潮李もきっと望んでいる。そんなことを思ったのだ。


「もちろんだよ!」

「他とは一週間しか遅れを取っていないんだ。こっから追い付ける、いや、追い越せるさ」

「上手く弾けるといいけど……」


 想像以上に早く、提案に乗るように三人は答えた。




 落ち着いた所で、俺はお茶とお菓子を用意しにキッチンへ足を運んだ。おもてなしが出来ていなかったし、四人はこれまで一切何も口にせずに録音に集中していたので、涙を流したこともあってさすがに水分の摂取が必要に感じた。

 その時に、後をつけて来たであろう遠藤にこう話し掛けられた。


「萩野がこうなった原因をクラスのやつに伝えたのは俺だ。あの時は今村のことが許せなくて、つい、他の生徒に愚痴ってしまった。広まって、いじめに繋がるまでの考えに至らなかった。悪かった」

「そうだったのか。いや、もう気にしていないよ」


 頭を下げる遠藤にそう伝えると、


「俺は、みんなが思うほど良いやつじゃないぞ?」


 彼は困ったように自分の首に手を回した。

 卑下する遠藤に「そんなことはない」と俺は否定をする。


「仕方がないよ。俺はそれぐらいの過ちをしてしまったから、怒られるのも当然だ。遠藤は、ストレートな物言いだけど、潮李は勿論のこと周囲をよく気にかけて動けるし、正義感もある。正義感もある。嫉妬したいほど出来たやつだよ。だから、そんな自分を責めたらこの俺はどうなるんだって話」


 正直に気持ちを伝えすぎたかもしれない。


「そうか……ありがとうな。今村も、そんなに悪いやつじゃないぞ」

「そんなには、な?」

「本当は人を傷つけることが苦手なお人好しだし、今日は仲間思いの一面も見られた。何より、萩野から一番愛されていたのだからな。こっちが羨ましいよ」


「そんなに」と言う割には、遠藤は俺を大いに褒めてきた。

 強気に見えるけれど、その言葉は、本当に俺のことを気にかける人からしか出せない褒め言葉のように聴こえて、思わず感動して言葉を失った。


 別れ際に、玄関前で、永塚からも話し掛けられた。


「今村、今日はありがとう。朝のホームルームで私を庇ってくれたことも、録音を聴かせてくれたことも。時間は掛かるけれど、進んでいかなきゃ、って思った」


 また少し柔らかくなった顔つきで、永塚が感謝を述べる。口角は上がっていた。


「でも、後悔が消えるまでには、もっと時間が必要かも」


 それから、僅かに目線を下げて付け加える。


「そういうネガティブな感情って、特別な変化が無い限りは消えないんじゃないかな。だから、その分、前を向いて和らげていくんだと思う。俺も、潮李は最期に俺の好きな所を語ってくれたのに、俺は彼女に伝えそびれたから、心残りはあるよ」

「それは、大丈夫だと思う」


 言った直後に意外な返事が来て、驚いた調子で永塚に目を向けると、彼女は続けてこう伝えた。


「わざわざ詳しく伝える必要がないぐらいに、二人の愛は、深く結ばれていると思うよ?」


 その理由が、ストン、と胸に落ちた。

 言葉にしなければ伝わらない潮李の好きな部分もたくさんある。それでも、確かに、俺達の愛はもう充分に深い。今でも、体は離れていても、心では愛で繋がっている。

 誇りを持とう。


「今ので、少しでも心が晴れた気がするよ。ありがとう」

「私こそ。今村の言葉には納得が出来たよ」


 俺達は、そうやって不安を補い合った。

 ──そして、永塚は、本気の真っ直ぐな瞳をこちらに向けて宣言する。


「潮李の伴奏は、私が、心を込めて引き継ぐから」


 俺は、深く頷いた。




 翌朝、昨日の一日で随分と自信を取り戻せたことで、今まで通りに登校することが出来た。今日は試しにほとんどの生徒が歩く通常ルートを使ってみたけれど、人目は気にならなかった。

 というか、もう、学校に怯えている場合なんかではない。本日から、早速、うちの二年四組も合唱の練習が開始されるのだ。

 少し早めに教室に集まってホームルームに行う朝練と、帰りのホームルームから放課後にかけて行う時間、そして音楽の授業の主な三つで練習を設けている。

 ちなみに、教室にはピアノが無いので、音楽の時間、または音楽室か体育館を使用できる間のみ永塚の伴奏と合わせられる。六クラスが三学年分あるので、合わせられる機会は限られ、伴奏者は個人練習が多くなってしまう。


「さあ、今居る人達で始めましょう?」


 教室で、リーダーが朝練の開始を呼び掛ける。

 部活の朝練に行っている、もしくは気力が湧かない生徒も多いのか、初日は七割程度しか集まらなかった。


「これからしばらく、毎朝、こんな感じなの?」

「そこまで根詰めることもないよな。萩野がいなくなって俺ら辛いし」

「お前ら、面倒くさいことへの言い訳に萩野を利用している暇があるならその口で歌えよ」


 やる気のない男子共の声に遠藤の容赦のないツッコミが入る。潮李のせいにされたみたいで癇に障ったので、遠藤に感謝だ。

 俺も、彼のように、今はまとまりのないクラスが団結できるように働きかけたい──。


「なあ、みんな!」


 教室全体に向かって声を張る。緊張が混じって少しだけ震えた。

 ほぼ全員の生徒が俺に視線を向ける。大胆な行動に出ているのだと気づいて内心怖じ気づくが、もう引き下がらない。


「合唱祭、潮李の為にも、クラス一丸となって成功させよう!」


 熱血感のある、傍から見たら少々イタイ掛け声をしてしまったが、どうしても、クラスで仲間意識を高め合ってこの合唱を成功させたい思いでいっぱいだった。数秒間、教室に無音が流れる。


「それ、リーダーか学級委員長の台詞じゃない?」


 静寂を破ったのは、そうやってクスッと笑う男子の声。

 やっぱり、少しズレていたか……? 不安に思っていると、


「今村がここまで熱意あるとは思わなかったな。気合い入れるか」

「ウチらの歌、潮李ちゃんに聴かせよう!」


 連鎖するように、生徒の意欲的な声が増えていった。

 よかった。俺の声で、状況が変わってくれたのだ。

 もう、昔のように、考えなしの軽い気持ちでは行動しない。自分から見ても多少は成長できたように感じられた。


 初めの練習では、皆、正直に言って覇気のない歌声で、かえって指揮者の腕の良さだけが目立ってしまっていた。永塚の伴奏が合わさる時も、久々に弾いた割にミスはほとんどないものの、どこかきごちない演奏で、自信のなさが窺える。しばらくは、決して綺麗に揃うことはなかった。

 それでも、


「お願いします。もう少し、練習しませんか?」

「えぇ〜 ちょっと、さすがに疲れた」

「模擬店の準備で進めたいこともあるし、そろそろ……」

「休憩時間も挟むからさ! そこを何とか……!」

「頼む。みんなの時間、少しでも分けてくれないか?」


 遠藤、永塚、佐々木の三人の熱い説得で練習時間を延長したりして、合唱もクラスも少しずつまとまっていった。

 当然、俺も同じ気持ちで、放課後の練習終わりに労いの言葉を掛けたりもした。


「みんな、いつも遅くまで残ってくれてありがとう」

「今村! 帰宅部合唱参加組で帰ろーぜ!」

「おう!」


 そんな期間の中で、俺は、クラスの男子達と以前のように打ち解けて、帰宅を共にする機会が増えていった。帰宅だけじゃない、通常ルートで登校している時に時間が重なった生徒と学校へ向かう日も出来た。

 潮李が教えてくれた人と繋がる大切さに、ようやく、気づくことが出来たのだ。




 十月に入り、あんなに暑苦しかった気候も、時折、心地よい涼風を吹くようになった。馴染み深かった夏服も、とうとう、冬仕様の制服に移行した。

 こうなることならもう少し前に潮李と関わって冬服の彼女も目に焼き付けるべきだった、と、また後悔が生まれるが、同時に前向きになれることもあった。

 文化祭本番まで約一週間となった頃の練習で、合唱は、初めて合わせた時と比べて見違えるほど様になっていたのだ。歌っていて、我ながら、歌もクラスも成長したのだと感じる。

 最終的には、勝っても負けても構わない。自分達が満足の出来る演奏を、潮李を始めとした多くの人に届けられたら、それでいいのだ。それが、この合唱の「成功」だから。


 そんな週末の土曜日のこと。


「いらっしゃい」


 玄関口で、うっすら微笑んで、潮李のお母さんが俺達を出迎える。その表情は、やっぱり、潮李のことを思い出させた。二ヶ月ぶりに潮李の家を訪れたのだ。

 潮李母から萩野家の出入り許可の連絡をいただいたのではなく、出来れば合唱本番前に潮李に手を合わせたく俺からお願いをして許しをもらったのである。

 そして、


「潮李の仲間達を連れて来ました」


 遠藤、永塚、佐々木の三人も潮李と会わせてもらえないか潮李母に頼んで、今日は四人で彼女の家に来た。

 潮李母はリビングへ通すと「独りにしては広すぎるうちよねぇ」と淋しそうに呟く。

 夫と離婚し娘と死別した彼女の気持ちを考えると、確かに辛い。しかし、完全に"独り"とは言えない気がした。

 リビングに着いてすぐ、潮李の写真が飾られた白い五角形の置物が視界に入り、潮李の仏壇であることが分かったから。四人は、その小さくてお洒落な仏壇に近づく。


「この潮李、すごく、綺麗……」


 ふと呟いた永塚の目線を追った先には、横浜の水族館で熱帯魚の水槽を背景に俺が撮影した潮李の一枚があった。


「あの子単体の写真がなかなか無かったから……怒られるかもしれないけど、潮李のスマホにある写真を探って、一番良いと思ったのが、これだったの」


 潮李母は、そうやって、永塚を始め三人に説明した。確かに、我ながらよく撮れていて、潮李は美しかった。

 それから、潮李母は皆にこう尋ねる。


「ところで、文化祭の合唱ってどうなったのか、聞いてもいいかな?」

「今、クラスで団結して、一生懸命、練習しています!」


 極力、明るく見せるように答える。今も実際にそれぐらいの気持ちはある。


「そう。良かったわ。ちなみに、伴奏者って……?」

「私です」


 永塚が控えめに手を挙げて答えると、


「やっぱり。美空ちゃんなら、潮李も私も安心して任せられるわね」


 温かい眼差しと声色で、潮李母は微笑んだ。

 中学の時から始めたピアノ教室が出会いだから、永塚のことはその頃から知っているのだろう。


「潮李、伴奏の練習を始めた直後にこうなっちゃったから、無事に本番を迎えられるかが心配だったの」


 潮李は、亡くなる前に、短い間だけど練習していたのか。欲を言えば、潮李が奏でるピアノの伴奏も一度でいいから聴いてみたかった。


「あの……もしかして、私が潮李をいじめていたことって、知らないですか……?」


 恐る恐る、永塚が潮李母に問い掛ける。隠していることが苦しくなったのだ。


「そうだったの。知らなかった」


 潮李母はやや驚いた顔つきにはなるも、特に不快そうには感じられない。


「本当に、すみませんでした!」


 永塚は潮李母に真っ直ぐに体を向け、深々と頭を下げる。

 すると、


「あの! 美空も近距離病で、距離を遠ざけないといけない相手が潮李だったから、潮李に嫌われるようにいじめてしまったんです! そんなことも知らずにいじめに付き合っていた、あたしが悪いんです! ごめんなさい!」


 透かさず補足を入れる佐々木も、永塚の隣に並んで頭を下げた。

 そんな二人の頭上に、優しく落ち着いた潮李母の声が降りかかる。


「潮李ね、夏休みに入る少し前から『菜子ちゃん』って名前を出すようになったの。きっと、あなたよね?」


 その問い掛けに、佐々木が顔を上げる。


「高校に入って、ようやく潮李から聞けた友達の名前があなただったの。ありがとうね」


 笑って伝える潮李母に、佐々木は目に涙を浮かばせて「はい」と笑顔で頷いた。


「それから、ついこの間の話だけど、ピアノの練習を始めてから、何度か美空ちゃんの名前も呼んでいた。久々に聞いた名前だから何かと思ったら『大丈夫かな』『苦しくないかな』って、呟いていたの。あなたの近距離病のこと、気づいていたのかもね?」


 潮李……そんなことを口にしていたのか。

 前に潮李も録音で話していたが、その頃から永塚の病気を察していたんだ。

 永塚はゆっくりと顔を上げる。彼女の瞳にも透明な雫が浮かんでいる。


「ピアノ教室の頃からそうだったね。一見、強気そうだけど、本当は不器用で、繊細で、優しい子。こうして、また家に遊びに来てくれて、おばさん、嬉しいよ」


 そっと、永塚の頭を撫でる潮李母。

「ありがとう、ございます……」瞳に溜まった涙を流して、永塚は答えた。

 潮李も潮李母も、永塚の存在を同じように話していた。親子だから考え方が似るのかもしれないし、永塚をよく知る人物なら、きっと、多くの人がそう答えるのかもしれない。

 次に潮李母は遠藤の近くへ移動して、


「夏休みの後半辺りから聞こえた名前は『遠藤君』。電話中の潮李から、よく『ありがとう』って声がしていた。あなたよね?」

「はい。遠藤陸也です」

「想像通り、頼もしそうね。詳しい事は分からないけれど、私からも、潮李の為にありがとう」


 そうお辞儀をする潮李母に合わせ、遠藤も背筋を綺麗に伸ばして礼をする。

 潮李母は頭を上げると、最後に俺に近づきながら、


「でも、一番呼んでいたのは、やっぱり、修我君だったね」


 そうやって、笑顔を見せてくれた。


 長らく立ち話をした後、俺達四人はかわいらしい仏壇の前に正座をして、手を合わせる。

 ──潮李。

 四人のお陰で、俺には素敵な仲間が出来て、クラスではまとまった合唱になっていきました。

 まだまだ、あなたとお別れをした悲しみは消えません。いや、完全にそれが無くなる日はきっと来ないです。それでも、少しずつだけど、前を向いて成長しているつもりです。ありがとう。潮李のお陰です。

 どうか、これからも、俺達のことを、そばで見守っていてください。

 合唱、成功してきます。




 帰り際、俺は、三人に先に行って待ってもらうように伝えると、リビングにて潮李母に話し掛ける。


「今日は、時間を作ってくれて、本当にありがとうございました」


 潮李母はゆっくり左右に首を振ると、


「潮李を失った悲しみは永遠に消えることはないけれど、修我君には、とても感謝をしているの。私達親子が和解できたのも、しばらく閉ざしていた潮李の心が開いたのも、修我君のお陰だから」


 そう伝えられて、初めてこの家に来た日のことが甦る。

 大きな過ちを犯してしまったけれど、潮李の大事なお母さんからこうして感謝をしてもらえることに、とても心が救われる。


「潮李には、素敵な仲間達がいるのね。また、顔を見せに来てちょうだいね」

「はい」


 穏やかに笑う潮李母に、俺も笑って答えた。




 そして……

 とうとう、文化祭当日の朝を迎えた。

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