第23話 彼女が愛した仲間たち
潮李のビデオメッセージを観た翌日の月曜日、俺は一週間ぶりに登校する。悩みに悩んだ結果、学校へ行くことを決意した。
生徒と顔を合わせることが怖くて躊躇っていたが、あの動画で潮李から生きる希望をもらい、勇気を出そうと心に決めた。潮李との約束も果たさないといけないから。
今日の通学路は、潮李と使用していた懐かしの二人ルート。通常ルートで生徒と目を合わせるのが怖くて甘えてしまった。潮李と出会ったばかりの頃を思い出して目頭が熱くなるけれど、そばで彼女が背中を押してくれている気がして安心もした。
校舎に近づき生徒がちらほらと視界に入り、緊張して、少し体が震える。そのまま、昇降口へ入ると、
「おい。今村が登校してるぞ」
「うわ、ガチだし。萩野さんをあんな目に遭わせて、よく来れたな」
分かりやすい声量の陰口が耳に届き、下駄箱の扉を開けようとした手が止まる。先日、上靴に悪戯をしたクラスメートの声だ。
やはり、俺が原因で潮李が亡くなったのは間違いないし、もっと自粛すべきだっただろうか。体の震えが増していく。──その時、
「本当、よく来れたよな」
思わず声の方へ振り向くと、遠藤が彼ら二人に話し掛けていた。彼が俺に恨みを持たないはずがない。納得の発言だ。
「今村のやつ、お前らにいじめられたのに、よく勇気を出して登校したよな?」
しかし、遠藤は続けて二人を嘲笑いながらまるで俺を褒めるようなことを口にした。
「は? えっ、何? これって俺らが責められてんの?」
「当たり前だろ。何が『クズ』『人殺し』だよ? お前達が、今村の心を殺そうとしているんだろ?」
意外な場面を目撃してしまった。俺を見損なったはずの遠藤がこちらの味方に着いてくれている。
──いや。きっと、彼なら人で選んだりはしない。歯に衣着せぬ物言いだからこそ、彼はいつも正しい選択をするのだ。
遠藤への不満をボヤきながら二人は退散する。気がつけば、一連の流れをじっと眺めていた。
「遠藤、あの……」
「ぼーっとしていないで、早く履けよ」
感謝の言葉を考えていると彼に促され、上靴を履いて、ふと思い出す。
当たり前のように身に付けたが、この上靴、先週の時に暴言を書かれてゴミ箱に投げ捨てたのではなかったか。
もしかして、遠藤が元の状態に戻してくれたのだろうか。
「あのさ! これ……」
声を掛けた時には遠藤の姿はなかった。
こういう場合、ヒーローってものは姿を見せない。きっと、彼なんだ。少し前まで軽い気持ちで正義を振りかざしていた自分とは、全然違う。
「俺の周りは、光っているやつばかりだな」
それからは、遠藤が庇ったお陰もあってか生徒の目をあまり気にしなくなった。
教室に着いてしばらくすると、朝のホームルームが開始された。教壇に立った合唱祭のリーダーの女子が全体に呼び掛ける。
「えーっと……そろそろ、萩野さんの代わりの伴奏者を決めなきゃなんですが」
この一言で、クラスの空気が一変して重くなる。
夏休み明けに通常祭の準備や合唱祭の練習を始める予定だったが、潮李の件があって、俺達のクラスだけしばらく触れてこなかったのだ。
「いや、まだ、そんな気分になれないっていうか……」
「練習が出来るまでに立ち直れていないよね、ウチら」
「気持ちは分かるけれど、文化祭まで、あと一ヶ月しかないんですよ」
「俺らのクラスだけは合唱なしでいいんじゃね?」
「お前がやりたくないだけだろ(笑)」
「そこ! この状況でふざけるとか信じられない!」
何とも険悪なムードになってしまった。
元々、この二年四組は他のクラスに比べて少しギスギスしていたが、潮李がいなくなってから更に居心地が悪くなったように感じる。
「私が、伴奏を引き受けます」
そんな時、俺の近くの席の永塚が声を張って立ち上がった。
クラスメートが永塚に注目し、ざわめき出す。
俺も内心ではびっくりしたが、唯一、潮李のピアノの演奏を聴いたことがある永塚が潮李を伴奏者に推薦したのだ。永塚が適任な気がする。
しかし、
「永塚、萩野さんのことをいじめて、伴奏もあんたが萩野さんに押し付けたのに、今更、何をいい人ぶっているの?」
「それは……すごく、反省している」
一人の女子生徒に責め立てられ、永塚は俯きがちになる。
確かに、情報に誤りはない。永塚を深く知る前の俺なら同じ感情を抱いたはずだ。
それでも、永塚にはそうせざるを得ない複雑な事情があって、本心では彼女も潮李のことが好きなのだ。
そもそも、永塚に限ったことじゃない。傘の一件で陰口を叩いていた今の女子を含む多くのクラスメートも、潮李のいじめに関わっていたようなものだ。だから、感じ悪い。
「あのさ、萩野さんの死を機に手のひら返しって、さすがにないんじゃない?」
同じく以前まで潮李に対して引いていたもう一人の女子の発言が、とても聞き捨てならなかった。
永塚が、これまでどんな思いで潮李と関わってきたのか何も知らないくせに、悪者扱いするように決めつけやがって……。潮李が聞いても、きっと悲しむ。
「手のひら返しているのはそっちだろ!」
思わず立ち上がって、叫んだ。
教室が、途端に、しん……と静まり返る。
それでも気にせずに、女子二人に目線をやって声を上げる。
「以前までは潮李の陰口を叩いていじめも見て見ぬ振りだったくせに、今では何もなかったかのように永塚だけを悪者扱いして……二人の方こそ、潮李と永塚への態度が変わりすぎなんだよ。二人だけじゃない、同じような態度を取っている人は、他にもいるんじゃないか?」
特に返事を待つことはなく、変わらず無音が続くクラス全体に向かって俺は話し続ける。
「俺だって、表面上だけ笑って友達多い風を装った実質ぼっちかもしれないけど、損得勘定で立ち位置を変えるような悪知恵は持ち合わせていないんだ」
何を自分語りしているのだと突っ込まれても無理はないが、勢いのまま一切隠さずに"本来の自分"を伝えたかった。
「俺は、永塚なら、潮李の代わりが務まると思う」
そして、永塚と目を合わせて、彼女の立候補に支持をする。
「今村が今村らしくないよな」「それも萩野をいじめた永塚を支持するなんて」男子達の意外そうに呟く声が耳に入る。
それから……
「俺も、永塚に一票を投じる」
「あたしも」
遠藤と佐々木も立ち上がり、永塚を推した。
「──と、いった感じですが、永塚さんが伴奏者で異議のある人は挙手をしてください」
困惑したリーダーの問いに、数秒間、誰一人、手を挙げることはなかった。
「それでは、伴奏者は永塚さんに決定します」
数ヶ月ぶりの一日授業をどうにか終えた午後四時。俺は、遠藤、佐々木、永塚を自宅に招いた。
「どうしても聴かせたいものがある」と懇願し、不思議そうにしながらも三人から承諾を得たのだ。
潮李を失った悲しみは大きく、部屋に着くまでの道中は、四人全員、ほとんど無言の無表情だった。
「聴かせたいものって、なんだ?」
遠藤の問いに、早速、スマホの潮李のチャット画面を開いて答える。
「潮李が三人に遺したメッセージらしくて、彼女に頼まれて、俺が聴かせることになったんだ」
そう言ってすぐ、皆の反応を待つこともなく、画面に表示される録音の再生ボタンに触れる。潮李がみんなへの思いを伝え終わるまで、離さないように、大事に両手でスマホを抱えていようと思う。
屋外で撮ったと分かる微かな風切り音が流れた直後、
『遠藤君、菜子ちゃん、美空、元気にしていますか? この録音を聴いている、ということは、修我も居るよね?』
録音特有のノイズ混じりでも、夏が
ああ、ちゃんといるよ。そう、心の中で答え、頷く。
「潮李の声だ……」
小さく呟いた永塚の声が少し震えている。
『原因は、既に耳に入ったかと思いますが、みんなよりも一足先に、勝手に旅立ってしまって、本当にごめんなさい。三人に、最期にメッセージを遺したので、聴いてください』
四人は静かに、真剣に、潮李が紡ぐ言葉に耳を傾ける。
『始めに、ここに居る全員に伝えなくてはいけないことがあります。私は、途中から、近距離病を引き起こす本来の原因を知っていました』
「「えっ……?」」
この場に集う人達の声が重なった。おそらく、一人を除いて。
『ある時に、菜子ちゃんが、電話で教えてくれたのです』
全員が反射的に佐々木に振り向く。小さく口を開ける彼女の頬には涙が伝っていた。
「ごめんっ……潮李、今村……」
衝撃だった。
潮李は、近距離病の原因が心理的距離であることに気づいていたのか。
「潮李に隠し事をしているのがしんどくて、悲しむ潮李や今村を、これ以上、見たくなくて、我慢できなかった。まさか、そのせいで、二人が再会するとは思わなくて……あたし……」
泣きながら、悔やみながら、事情を打ち明ける佐々木。
そうか──潮李は、本当の意味を知っていたから、あの日だけ俺を誘ったんだ。心の距離が縮まれば危ないことを理解した上で、海で戯れたり、互いを深く知るように体を触れ合ったりしたのか。
と、いうことは……
『だから、修我が私を嫌っていない……本当は愛してくれていたことも、その時に気がつきました』
そういうことだったのだ。
出来れば、最後に「大好き」って潮李に返事をしたかったが、それでも、潮李への変わらない好意が彼女に伝わっている上であの一日を過ごせたのなら、本当に嬉しい。
『教えてもらわなかったら、修我の想いを知らないままだったし、あの日、修我にも会えなかったから……菜子ちゃんには、感謝しています』
潮李の言う通りだ。佐々木に非はない。
「佐々木、俺からも、ありがとう」
「どうして、二人とも、あたしを責めないの……?」
「潮李を失ったことは、本当に、たまらなく悔しい。だけど、こうなってしまったのは、馬鹿な俺達の愛が強すぎたからなんだよ。佐々木は、何にも悪くない」
どうか信じてもらえるように、しっかりと佐々木を見据えて首を大きく横に振る。
伝わってくれたのか、佐々木は涙を拭いながら二回頷いた。
『まずは、そんな菜子ちゃんへ』
それぞれに向けたメッセージを伝え始める潮李の声がして、スマホに注目を向ける。
『久しぶりに出来た、すなわち、高校に入って私に初めて出来た友達が、菜子ちゃんでした。友達になってから、私のことをすごく慕ってくれて嬉しかった。たぶん、全てじゃないけど、いじめへの罪悪感で優しくしてくれた所もあるよね。そうだったら、もう、何にも気にしないで? 短い間しか関われなかったけど、私は、菜子ちゃんの愛から、たくさんの元気をもらったから。ありがとう。大好き』
佐々木との思い出を浮かべるように、温かい声色で潮李は伝えた。
「潮李……! 罪滅ぼしもゼロじゃなかったけど、最近では、いじめのことなんか忘れるぐらいに潮李と笑い合っていたよ……。これからは、もう、気にしないようにするね? あたしも大好き……!」
佐々木は再び泣きながら、そして、最後は笑顔で潮李に返事をした。
『次に、遠藤君へ。遠藤君は、イケメンだと思います』
潮李の遠藤への第一声におそらく全員が目を丸くした。意外な、拍子抜けする出だしだったので。
『あ。見た目もそうだけど、中身がね。いつも紳士的に振る舞うから、モテモテなんじゃないかな』
「え? 何これ、潮李の彼氏って、一応、今村だよね?」
「ああ……。まあ、一瞬だけ遠藤の時期もあったけど……」
永塚の反応には納得する。潮李、やはり遠藤に高評価を付けていたのか……。
『でも、なんだか、修我には厳しいよね。違っていたら恥ずかしいけど……おそらく、私が亡くなってから修我に一番怒ったのが遠藤君だと思います』
「ああ……間違いない」
目を伏せ、照れくさそうに遠藤が答える。
『私のことを、いつも真っ先に考えてくれるから、修我に厳しかったんだよね。ありがとう。けれど、私の中の一番のイケメンは、やっぱり、修我です。好意を持ってくれた遠藤君に、こんなことを言うのは酷だけど……どうか、修我を──私達の愛を許してください』
俺にとっては少し心が救われる話だが、遠藤からすれば複雑でしかないだろう。
それでも、
「分かっているさ。確かに悔しいけど、俺は、萩野が好きだから、萩野が愛する今村と幸せになることを願っていたし、そんな今村のことも気にかけていた」
あの許し難い様子だった彼がすんなりと受け入れてくれた。
それどころか、ただ潮李のことが好きで彼女の役に立ちたいだけでなく、好きだから、俺達の関係を応援してくれて、俺のことまで考えてくれていたのだと知って、とても驚いた。
「えっ……まじで?」
「嘘を吐いてどうするんだよ?」
それもそうだ。
俺はまだ、遠藤のことを分かっていなかったのだ。更に彼のことを見直した気がする。
『気持ちには応えられなかったけど、私に恋をしてくれたこと、嬉しかった。遠藤君は、私が辛かった時に支えてくれた大切な仲間です。大好き』
「ああ。俺も大好きだ」
遠藤からもらった愛と優しさを充分に感じて潮李が伝えると、彼も彼らしく凛々しく答えた。
二人の「大好き」の意味は今は同じかもしれないし、まだ遠藤の方には恋愛感情があるのかもしれない。それでも、どちらも互いへの愛を持っていることに変わりはなかった。
『最後に、美空へ』
「私に伝えることなんてあるかな……」
潮李から指名されて、永塚がネガティブに呟く。
しかし、俺も、潮李がいじめ役に徹していた永塚に伝えたい内容が想像つかない。
『美空とは、何気に、四人の中で一番付き合いが長いね。中一の、ピアノ教室から。──いや、高校からは、私達の関係は急変しちゃったから、付き合い、ではないか』
心なしか途中から声のトーンが徐々に下がっていく潮李。その声は更に低くなり、
『正直、先日までとても仲が良かった美空から、入学した途端にいきなり敵対心を向けられて、怖かったし、すごく、ショックだった』
「ごめんっ……潮李、私のせいで、人が変わったように暗くなったよね……」
永塚は俯いて、泣きそうな声を出す。
やはり、潮李は永塚の本心を知らないまま最期を迎えたのだろう。第三者の俺が口を挟むことではないが、こればかりは、さすがに悔しい。二人の立場になってみると、心が痛い。
──その時、潮李の声色が少し明るくなった。
『でも、私、修我がわざと嫌われようとしていた事実を知った時に、美空のことが思い浮かびました。もしかしたら、私と美空の距離も縮まると近距離病を発症する、だから、イヤでも私をいじめたのかも? って』
潮李は、誰かから聞いたのではなく、俺への経験を元に自ら正解に辿り着いていたのだ。
『それに、本当は優しくて繊細な美空がいじめるなんて、おかしい気がしたから。少し、怪しいって思う時もあったよ。──まあ、私の勘が当たればの話だけど』
「そうなの? 美空……?」
へたり。
永塚は腰を抜かすように床に膝をつき、両手で顔を覆うと、声を大にして泣き出した。
「そんなっ……」
おそらく号泣する永塚から事実であることを察し、佐々木が悲しげに零す。直後、佐々木はすぐに彼女のそばへ寄って、抱きしめるようにして背中を摩る。
「ごめん、美空……。あたし、知らなくって、美空が潮李をいじめることに途中から不満になって、心のどこかで避けていた。もう、美空から離れたりしない。辛かったね……」
佐々木が優しく慰める声を紡ぐ。
『だから……私は、そんな美空のことを信じて、旅立ちます。いじめられても、ずっと、大好きだったから』
録音の音質からでも伝わる、シルクのように繊細で柔らかい潮李の声が室内に響き渡る。
永塚が最近でも頭痛を感じていたのは、潮李も、最後まで永塚への愛があったからかもしれない。
「私もっ……あなたのピアノを聴いた日から、ずっと、潮李のことが大好きっ……!!」
これまで内に秘めてきた想いを出し切るように、永塚は、潮李に叫ぶ。
友情が甦った瞬間だった。
目線の先で、二人と一緒に潮李も抱きしめ合っているように感じられた。切ないのに、温かい空間が、そこにはあった。
『私……本当は、すごく悔しい。死にたくない。伴奏だってあるし……本来なら、明日から軽音部に入る予定だった。やり残したことがたくさんあるし、それに……まだまだ、みんなと一緒に居たい』
少し経って、吐息が強まった、微かに苦しそうな潮李の寂しげな声が耳に届いて、全員がスマホに視線を向ける。さっきまで伝えることに集中していて、体調にさほど異変を感じなかったのだろう。
潮李は、俺宛ての動画では一度も出さなかった悔しい思いを口にした。潮李の本音が──生きることへの希望が聴けて、切ないけれど少し嬉しくなった。
『それでも……非常に、勝手なことを伝えます。結果的に自ら命を絶った馬鹿な私を許して、悔やまないで、どうか笑顔でいてください。私は、この結末を、受け入れるから……』
三人は何も言わずに、ただ、潮李が紡ぐ音に耳を傾けていた。すぐには答えが出せないのだろう。
俺は、潮李と一緒に受け入れる。
『最後の最後に、修我へ』
どうにか調子を取り戻した声で潮李に呼ばれ、俺はすぐに意識を向ける。
そして、
『どうか、素敵な仲間たちと笑い合ってね』
凛とした声で微笑むようにして、潮李は俺に伝えた。
「おう」
もう、涙は流さないで、笑って答えた。
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