第11話 限られた中で二人は過ごす

 打ち合わせ等を終えるとホテルに戻り、一時間の自由時間となった。

 しかし、くつろぐ気分になれない俺は部屋のベッドに腰を下ろして項垂れていた。

 潮李がバンドで歌う午前十一時半、俺は室内の仕事を任されている。よって、彼女のステージを観られないかもしれないことに頭を悩ませていた。

 そうなれば、さすがに悔しい。けれど、スタッフとしての責任があるし、担当の先生が意外と厳しいので今になって変更を許してくれるとも思わない。諦めるべきだろうか?

 そんな時だった。


「今村って、友達がいないのか?」


 悩んでいる最中に、同じく自分のベッドに座る遠藤が喧嘩を売ってくるような発言を浴びせにきて眉根がピクッと上がる。俺は俯いていた顔を勢いよく上げて、彼に振り向く。


「お前を見ていたら、ちょっと気になって」

「いやいや。こう見えて、俺には話せるクラスメートが多いんだぞ? つーか、同じクラスなら分かるだろ?」


 さすがに不愉快な誤解をされたので俺も強気に言い返す。


「だから思ったんだよ。あれ、その場のノリなだけで『友達』とは違うだろ? 今日なんか、浮いていた所を気にかけて誘われたような──」

「もういいもういい。え、何? どれだけ俺のことを見ていたん?? まじで余計なお世話だから」


 自分を奮い立たせようと笑って言うけど、終わりかけで不快の感情が口調に表れた。

 腹が立つ。それでも、遠藤の意見は、正直な所、当たっている気もした。

 俺は話せる生徒はいるけど、思えば彼らのことを「友達」と呼んだことは一度もない。心の中では「ちょっと仲良し」程度で止めていたんだ。

 それでも、仮に友達がいなくたって構わないではないか。会話が出来る相手は多いし、何より俺には同じクラスに潮李というかわいい彼女がいる。

 逃げる気持ちで部屋のドアノブを握った時、彼がこう言った。


「あんまり、萩野ばかりになるなよ? 『彼女』と『友達』は別だから」


 心を読んだかのように忠告する遠藤。こいつ……やはり、そういう優れた所があるよな。

 さすがに彼が言うほど頭の中が「潮李」な訳ではないし「友達がいない彼女持ち」だって別に問題はないと思う。

 なぜさっきから上から目線で助言するんだよ。俺の何なんだよ。てゆーか、


「なぜ俺達の関係を知っているんだよ!?」

「二人を見ていたら普通に分かるだろ」


 佐々木といい、俺達ってこうも分かりやすく仲良く見えるのだろうか。

 意外にも遠藤と(悪い意味で)会話が弾んだ所で改めて部屋を出ると、タイミングが良いのか悪いのか潮李からメッセージが来た。


『中華街の時、途中から二人で会えない?』

『会える!』


 即答だった。

 ようやく潮李の隣に居られることにテンションが上がったが、直後に彼女の歌を聴けない件を伝えるという任務を思い出して複雑な気分になる。「楽しみだ」と言っておいて約束を破るのは非常に心が痛いが、やはりステージの観覧は諦めることにした。

 潮李に会える貴重な機会に話すべきだよな。




 空は薄暗いがまだはっきりと辺りが見える真夏の午後六時。気温も一日の中で大した変化がなくて、蒸し暑い。

 自由時間が終わってロビーに集合した一員は、ホテルの最寄駅から電車に揺られ、合宿のメインイベントの一つである横浜中華街へ着いた。

 派手に装飾された赤い門の奥に中華を中心とした様々なお店がずらりと並んでいて、人気スポットと時期が相まって人の賑わいが凄い。テレビや写真でしか見たことのない景色を目の当たりにして、実在するんだな、と感動すら覚える。

 ここでも二時間の自由行動となり、潮李は先に軽く友達と回るらしいので、それまでの間、俺は一人でふらっと散策をしていた。

 潮李と回る時にも何か食べるだろうと小籠包だけ買うと、彼女から合流できないかメッセージが送られてきた。俺はすぐに連絡を取り合い、雑踏の中で潮李を見つける。


「よかった、居たっ……! 暑いねぇ」


 久々に間近で見た潮李は明るそうで、熱った顔に少し汗をかいていて、それが俺の目に美しく色っぽく映った。こっちまで頬が熱くなる。


「夏にこの人混みだからなぁ」


 しばらく会えない時間が続いたからか、興奮して、いつも以上に彼女を可愛く感じて、自然に言葉が出ない。


「混んできたし、食べたいものを探しながら歩こう?」


 潮李が声を弾ませて俺の腕をぎゅっと両手で掴み、体を寄せてくる。いつになく嬉しそうで積極的な彼女に完全に心を奪われてしまう。


「お、おう」


 と、俺は、俺を引っ張って連れて行く潮李に体を任せた。

 そのギャップはずるい。尚更、ドキドキする。


「ねえ、どこ回った? 私、さっき友達と小籠包のお店に行ってきたよ」

「俺も、食べたよ。小籠包」

「そうなんだ。じゃあ、それ以外のお店にしよっか。食べ歩きがいいよね?」

「そう、だな? おうっ」


 感情を揺さぶってくる対象が多くて、全然、自分らしくいられない。


「あ……少し強引だった?」


 潮李の足が止まったかと思うと、不自然な俺の様子を気にかけるようにそう訊ねる。

 俺は慌てて本心を伝える。


「いやいや、そんなことない! むしろ嬉しい! ただ、しばらく会えていなかったから変に緊張して……」

「そっか。そうだったね」

「だからか、今日は、寂しくなる時が多かった」

「……なんか、嬉しい」


 流れで潮李への想いを正直に呟くと、潮李は再び歩き出しながら目線を少し下げてはにかむ。


「今日、修我君の所には行きたかったけど、軽音部の子と一緒に動いていたからなかなか抜け出せなくて、まあ、私達の関係が気づかれることもないからいいかな? と思って、しばらく会えなかった。ごめんね?」


 一緒に行動する友達がいればそうなるのも当然だろう。

すると、潮李が声のボリュームを若干弱めてこう呟く。


「でも、私も、本当は寂しかったんだから」

「そうなの?」

「そうだよ!」


 今度は大きめの声量で返ってきた。


「友達と居る時ももちろん楽しいけど、だからって、修我君のそばに全然居られないのも……違う。やっと会えたね」


 俺の為に微笑みかける潮李が最高に可愛くって、抱きしめてしまいたくなる。

 ──けど、やめた方がいい。

 この人混みの中では恥ずかしいのもあるけれど、それ以前に、あまり接近すると彼女の具合を悪くさせてしまうから。

 新しい恋愛様式で付き合っていくと決めたものの、やはり思うままに彼女に触れられないのは少し悔しい。

 それでも弱気になりそうな自分を振り払って、今の俺に出来る愛し方で潮李と接していく。


「さ、人生初の中華街を二人で満喫するぞ! 何から食べようか?」

「私、中華まんが食べたい!」


 活気よく言った俺に潮李が楽しそうにリクエストをした。

 少し歩いた所で中華まんの専門店を見つけて、俺は豚角煮まんを、潮李は人気商品のブタまんをテイクアウトした。

 横浜中華街を代表するグルメの一つに待ちきれない俺達は、受け取るとすぐに口に運んだ。ふわふわ生地とジューシーな角煮の餡の組み合わせがたまらなく旨い。


「わ……ボリューム、すごい」


 齧って出来たブタまんの断面を見て驚く潮李。目をきらきらさせている。


「肉がぎっしりだよな。そうだ、潮李、口を開けて?」

「え、口? ──わぁ」


 振り向いた潮李の口にちぎった豚角煮まんを近づけると、開いた瞬間、中へ入れる。食べ合うやり取りも定着してきた。


「これ、美味しい……! 好きな味かも」

「もっとあるぞ? ほい」

「──はむ」


 お気に召したようだから、もう一度、一口分サイズの豚角煮まんを向けると、潮李は素直にすぐに口で受け取った。小動物みたいで癒されるのでもう一回やった。


「……って、私ばかり食べさせてもらっているから、お返し」

「──おぅ」


 今度は潮李がブタまんをちぎって俺の口へ入れた。さすがは中華まんの王道、とても旨い。潮李からのサービスも含めて高ポイントだ。

 体に触れることに制限がかかっても、こうして二人で心地よい時間を過ごせるだけで、今は充分嬉しかった。


「ったっ……あれ?」


 その時、潮李が少し前までよくしていた仕草を見せる。若干痛そうに額に手を当てると不思議そうな表情を浮かべる。


「もしかしなくても……頭痛あった?」

「……頭痛、あった」


 二人してきょとんとした顔を見合わせる。それもそのはず。


「この時間内で接近したっけ?」

「……しなかった、と思う」


 強いて言えば最初に潮李が俺の腕に捕まった時だけど、あれから時間は経過しているし、それだって特に近すぎた訳でもない。


「あれかも。暑い中、人混みに居るから」

「それか。さすがにそうだな」


 他に原因は考えられなさそうだ。

 どうしても近距離病とリンクさせそうになるが、必ずしも関わってくる訳ではない。あまり病気に囚われすぎないよう、冷静でいよう。

 とはいっても頭痛は放っておけないので、俺達は水分補給を兼ねてタピオカミルクティーを買うと座れる場所を見つけて涼んだ。


「潮李の杏仁ミルク、想像以上に甘いな!」

「修我君のスタンダードとは味が全然違うね」


 と、さっきのように飲み合いをしている時、ふと、自然と目の前の風景に視線がいった。

 気がつけば紺色に染まっている空の下で、横浜を象徴する立派な門と左右を彩るお店がギラギラと光り輝いていた。

 ああ……これがあの中華街か。と、到着した時以上に感激した。潮李も同じことを思ったようで俺に声を掛ける。


「綺麗だね」

「ああ。すごく」


 軽く一休みしてからは、甘い匂いにつられて買った台湾カステラをタピオカと一緒におやつタイムにしたり、佐々木や家族、自分へのお土産を選びにお店を回ったりした。

 どれも美味しかったし、鮮やかな景色は目の保養にもなったし、それを潮李と味わえたことが何よりも良い思い出になった。


 集合時間が近くなった時、潮李が友達の所へ戻るのでひとまず手を振って別れた。

 ……ふと、大事なことを忘れているような気がしてきた。


「──あ!」


 思い出して一人で声を上げる。

 ステージを観られない件を伝えるつもりだったのに、すっかり忘れていた。

 それぐらい、潮李と会ってドキドキしたり舞い上がっていたと思うと少し恥ずかしくなった。

 後でもう一度、俺から潮李を誘おう。




 時刻は夜の九時半に迫っている。

 ホテルに戻り、それぞれに入浴を終えた参加者は十時の消灯時間まで好きなように過ごしていた。

 ロビーで潮李と待ち合わせの約束をした俺は、時間よりも随分と早めに着いて、自販機で買ったドリンク二本を手にベンチに腰を下ろす。五分後には潮李が来た。


「あれ、もう来ていたんだ?」


 立ち上がった俺は、真っ先に彼女の姿全体に目線を向ける。

 潮李は、薄紫色をベースに白の水玉を散りばめたもこもこパジャマを着こなしていた。

 お風呂上がりだからか、いつもの長い黒髪の美少女に変わりはないのにどこかしら雰囲気が違う。

 油断していた。入浴後のこの時間は、皆、お風呂上がりの寝巻き姿だった。そういえば、自分だって大した格好じゃないけどパジャマに着替えている。

 もう、ただただ良き。可愛い。

 普段の匂いとは違うシャンプーの香りもあってまた抱きしめたい欲に駆られるけど、グッと堪え、代わりに気持ちを言葉にして愛を伝える。


「めっちゃ可愛い」

「何が? ……パジャマ?」


 僅かに首を傾げて服の上の辺りを摘む潮李。


「パジャマとパジャマ姿の潮李が。あー、抱きしめたいわー」

「私も、パジャマ姿の修我君をぎゅっとしたい」


 心の声をとにかく表に出していると、照れながら潮李も素直にそう答える。"ぎゅっと"の表現まで可愛くて"グッド"だな。──寒くてごめん。


「ぎゅっとしたいわなー でも、ごめん。今は出来ない代わりにどっちかあげるよ」


 言いながら、左に紙パックのフルーツオレ、右にペットボトルのサイダーを持った手を彼女の前に伸ばす。


「じゃあ、サイダー」


 はい、と右手を伸ばしてサイダーを渡す。


「ありがとう。嬉しいけど、どうしてこの甘い二択なの? わざわざ別の自販機で」

「風呂上がりに飲みたいドリンクといえば? って考えて思い浮かんだから」

「意思疎通ゲームみたいだね」

「ああー……あれね」


 今日のぎこちない昼食を思い返して苦笑する。潮李相手ならきっと楽しめそうだ。

 でも、今はそんなことより、


「呼んだのは、潮李と会いたかったのもあるけど、一つ、伝えるべきことがあって……」


「ちょっと座ろっか」と俺が言って二人でさっきのベンチに腰を下ろすと、彼女を誘った目的である用件を伝える。


「明日の潮李のステージだけど、俺、観れなくなったんだ」

「えっ……?」


 潮李の表情が途端に曇りがかったように見えた。


「どうして……?」

「実はスタッフの担当時間が今日になって発表されたんだけど、俺の時間が潮李の出番と被っていたんだ。なぜ前日まで知らせないんだよ、って不満もあるけど、俺もそのことに早く気づくべきだった。本当、ごめん」


 説明すると、潮李に体を向けて深く頭を下げる。


「そうなんだ」


 潮李の声が聴こえて、顔を上げる。彼女は、意外にも特に寂しそうでも何でもない顔をしていた。


「ちょっと残念だけど、まだ上手く歌える自信がないから、むしろ、修我君に聴かれなくて良かったのかも」


 そして、苦笑いをして言った。


「そうか……。ほんと、申し訳ない!」


 俺は手を合わせて再び謝る。潮李には悪いことをした。とはいえ、彼女がさほど落ち込まなかったことに安堵もした。

 俺の合わせた手に潮李の両手が覆い被さる。気になって振り向くと、


「抱きしめられない代わりに、修我君の手を包む」


 はにかみながら潮李は答えた。

 潮李の手は、炭酸を持っていたから表面は冷たいけど、入浴後が関係しているのか内側では少し熱が籠もっている。


「しばらく、こうしていようか」


 俺も潮李に賛成して、少しの間、このまま二人で落ち着いた時間を過ごした。




 合宿二日目の朝を迎えた。

 八時にホテルの一階で朝食が行われ、和と洋を取り揃えた美味しそうな上に健康的な定食がメンバー全員に用意された。ホテルや旅館の朝食って特別に豪華に見えるよね。

 ここでも男女別の出演者側とスタッフ側に分かれ、俺は今日も彼女から遠ざかる場所に腰を下ろす。

 それでも今日は潮李の様子が見える位置に居たが、心なしか潮李が浮かない表情をしているように感じた。食事も進んでいなそうだ。体調を崩していたら……と一瞬は不安になったがそこまで接近していないので、気のせいか、もしくは単純に眠たいのかもしれない。


 午前十時を迎えると、お祭り日和と言える眩しい快晴の中、とうとう「高校生こうこうせい☆ミュージックフェス」と題した音楽フェスが開幕した。

 ここ横浜で、各高校の生徒がバンド、ソロ歌唱などと言ったジャンルを問わない音楽のパフォーマンスを披露するイベントが夕方まで開催される。

 その一日にスタッフとして参加する俺は、休憩時間とは別で特定の業務が無い今みたいな時間は、専用のゼッケンを着用したまま会場内で軽く見回りすることになっている。場所を聞かれたり質問を受けた際に答える、簡単な案内係を担うらしい。

 なぜ十一時半には居られないんだよ!? なんて内心で不満を垂れながらよく出来た高校生バンドの演奏を眺めている時だった。


「今村君っ……!」


 俺の名前を叫ぶ女子の声がした。潮李の声ではないし、そもそも彼女なら苗字で呼ばないはず。

 振り返ると、今日、潮李とステージで演奏する茶髪のポニーテールの女子が立っていた。俺達と同じクラスで、確か名前は北口きたぐち日花里ひかり。走って来たのか、若干、息を切らしている。


「ちょっと来てくれる? 潮李ちゃんのことでお願いがあるのだけど」

「──どうして、俺なんだ?」

「だって、今村君、彼女と付き合っているんでしょ?」


 潮李関連で俺を指名するので、もしや? と思って聞いてみると、やはり北口さんには俺と潮李の関係がバレていたようだ。


「それ、どこ情報?」

「見ていたら分かるよ。バンドメンバー全員知っている。そんなことはいいから早く来て?」


 気になることはあるが、今の彼女にとってはそれよりも緊急の用があるらしい。そういえば、先程から行動や口調に焦りが滲み出ている。

 それからすぐに北口さんは俺に言った。


「潮李ちゃんが、泣き出しちゃったの」

「……は?」


 潮李が、泣いている……??

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る