第12話 それでも俺は守るから

 北口さんに慌てて呼ばれた俺は、想定外の情報に疑問が尽きない中、ゼッケンを着用したまま小走りで彼女の後を着いて行く。ただ、心当たりがないことも無かった。


 着いたのは、俺も十一時半からスタッフの仕事を行う建物の中にある一つの和室。硝子戸に自分達の学校名を記した紙が貼られた扉を開くと、うちの高校の生徒達が軽く練習や休憩をしていた。控え室として使用しているのだろう。

 こっち、と手招きする北口さんに続いて行った場所には三人の女子が立っていた。すぐにそれが、流れる涙を手で拭う潮李と、背中を摩ったりしながら潮李を慰めるバンドメンバーの二人であることが確認できた。

 女子四人は、黒い生地の右上に白のハートを五つ彩ったTシャツと黒のハーフパンツを合わせたお揃いのコーデを纏っている。おそらくステージの衣装で、潮李は相変わらず何を着ても似合うなと思った。


「潮李……どうしたんだ?」

「朝から元気はなかったんだけど、本番が近づくにつれて緊張が強くなって、怖くなったみたいで……」


 潮李の背中に手を添える女子が俺の問いに答える。彼女は高本たかもとさんだ。

 もしかすると──いや、ほぼ間違いないと思うけど、昨日、俺が直前になってステージの観覧を断ったから本番への不安が強まったのかもしれない。


「わかった。少しだけ、潮李と二人きりにしてもらってもいい?」

「うん。うちらはいいけど……潮李ちゃん?」


 もう一人の牧田まきたさんという女子が潮李の顔を覗いて確認すると、潮李はコクっと頷いた。


「みんな、気にかけてくれてありがとう。行こうか潮李?」


 言いながら、潮李のそばへ寄って彼女の背中に手を添えるとそのまま二人で控え室を後にした。




 建物内の人気ひとけの少ない場所を見つけて足を止める。それでも、部屋とは違うので、誰一人通らないような所は無かった。

 一時的なのか潮李は今は泣いていない。


「こういう時、何をしてあげたら正解か知っている訳じゃないけど……今、抱えている不安や恐怖を俺に伝えたいだけ伝えてみて?」


 少しでも気持ちが軽くなることを願い、また潮李が緊張する理由を詳しく知りたくて、そんな提案をする。


「昨日の夜までは、自信はないけど頑張れると思ったの。でも、修我君に『観れない』って言われてから、安心できる理由を失ったような気がして……。修我君が見ているって分かるだけで、緊張や不安から守られている気になっていたの」


 弱々しい声で潮李が言葉を紡ぐ。

 やはり、潮李の涙の原因は昨日の俺の発言にあった。俺は、潮李に彼女を守るベールを自分でかけておいて剥ぎ取ったのだ。

 謝る以外の言葉が思いつかなくて、今は、うんうん、と相槌を打つ。


「それを知ってから、大勢の知らない人達の前で歌うことを想像したら、すごく怖くなった……。人前で歌ったことなんてほとんどないのに、どうして引き受けちゃったんだろう? って……」


 潮李の瞳にはまた涙が浮かんでいた。溢さないように耐えている。

 ごめん、と言いながら、彼女に近づいて頭を撫でる。


「緊張はするけど、本当は、修我君に私達の歌を届けたかった。私、修我君が居なかったら、体は平気でも、心がしんどい……」

「本当にごめん。俺も、すっごく楽しみだった」


 俺は空いている手で涙を流す潮李をそっと自分に寄せて彼女を包むようにすると、小さな背中を摩る。潮李は俺の背中に手を回してぐすぐすと泣いた。彼女のいつもより高い体温が伝わる。熱ではなく夏だから、泣いているからだ。

 明らかに密着した距離なのは分かっている。それでも、今だけはこれが最善の選択な気がした。

 ベールの代わりが務まるかは分からないけれど、少しでも潮李を守れることをしたかった。


「──って、私、こんなに修我君に近づいている……!」


 涙が弱まった時、潮李は距離を縮めたことに気がついたようで俺の胸から勢いよく顔を上げる。しまった、とでもいうような表情だ。


「こんな時ですら許してくれない神様なんかいないよ。俺が責任を持つ」

「……わかった。修我君に、預けた」


 そう伝えると、心なしか口角を上げて、また俺の胸に顔を埋める。

 人目のこともあるけど、お互い気にしなかった。

 しばらくして、もう大丈夫、と潮李から声が掛かって俺達は体を離す。


「時間は……まだ問題ないか。ちょっと会場の方で気分転換しないか?」


 壁に掛かっている時計に目をやって俺は提案をする。

 現在、十時四十分。最後の練習や準備があるのか分からないが、潮李達の出番までもう少し時間はあるはずだ。

 賛成した潮李の手を繋いで二人で屋外へ出る。クーラーの効いた屋内から一歩進んだ所で急に強い熱気を浴びてやはり戻るべきかと考えたけど、それを上回る良さが外にある気がして続行する。

 会場へ着くと、ステージでは俺達と同い年ぐらいの女子がギターの弾き語りをしていて、観客は優雅な気分に浸っている。焼きそば、お好み焼き、かき氷、射的などのお祭りらしい屋台も開かれていて、気温が高い中でも会場は賑わっている。


「水分補給をして気分をスッキリさせな? 何か飲みたいものある?」


 暑いからこまめな水分の摂取が必要なのは勿論なのと、これから歌うし、泣いた後だから尚のこと喉を潤わせるべきだと思って提案する。

 飲み物を買いにわざわざ会場まで足を運んだのは、夏フェスの気分を二人で味わう為だ。スタッフの俺はきっと時間が限られるので、今の内に。


「じゃあ……ラムネ」

「オッケー。──潮李、炭酸率が高いな」

「私、炭酸水、好きだから」


 ふと気になって呟いたことで潮李の好みを知った。そういった情報は今更ながら初めて得た。交際期間が長くなるにつれ更新されていくのだろう。

 ラムネを販売する小さなテントを見つけて二本購入すると、水の入ったクーラーボックスの中から取り出した懐かしい瓶を気のいいお兄さんから受け取った。とてもひんやり冷たくて期待が高まる。

 付属の蓋でビー玉を押してシュポッと開けて、


「カンパイ!」

「カンパイ」


 潮李の持つ瓶に自分の瓶をカラン、と当てて言うと、彼女も合わせてくれた。

 待ちきれなくてすぐに喉へ流し込むと冷えた液体が体中に染み渡るようで爽快な気分になる。潮李も気持ち良さそうな顔で微笑んでいるのでホッとした。

 と、二人でラムネを満喫している所に、


「あっ、居た〜」

「なかなか戻らないから心配したんだけどー?」

「外でラムネなんか飲んでいるとはね」


 世話が焼けるかのように笑いながら潮李のバンドメンバーの三人がやって来た。


「悪い。さすがに遅すぎたか」

「まあ、まだ出番まで時間があるからいいけど? 一回ぐらいは練習したいかな」

「ねー、二人だけずるいからうちらもラムネ買お?」

「賛成ー」


 彼女達がいつもの調子で話しながらラムネを買って戻ってくると、俺と潮李は終わりがけのラムネで、三人と再び乾杯をした。

 乾杯後、一番最初に口を開いたのは潮李だった。


「あの、さっきは迷惑を掛けてごめんなさい。私、頑張ります……!」

「わ、偉い! さすがはうちの二人目ボーカル!」


 自信を取り戻してきた顔つきでメンバーに伝えると、ムードメーカー系の高本さんがそんな潮李の頭を撫で回す。


「謝らないといけないのは俺の方なんだ。ステージを観る約束をしたのに、スタッフの関係上、無理になって潮李をすごく不安にさせた。みんな、ごめん」


 俺は四人に向けて頭を下げる。顔を上げると北口さんと牧田さんはこう言った。


「いーよ。こうして、潮李ちゃんのことを元気にしてあげたんだから」

「それに、今村君が見ていなくてもうちらが潮李ちゃんを守るって」

「本当……?」


 潮李が訊ねると、


「当たり前だよ! "ハートライト"の大事な仲間じゃん?」


 高本さんが笑顔で答えた。

 それに対し、うん、と潮李も口端を上げて返事をした。後の二人も潮李を見つめて頷いている。

 よかった。潮李の心は、もう、前を向いている。

 ハートライト。

 その黒いシャツの上に煌めく白いハートのように、夜空を照らす星をハートに見立てたバンド名だろうか。潮李と、潮李の仲間達にとても似合う。


「さ、出番も近づいてきたし、そろそろ戻るよ?」


 北口さんが舞台に目をやって、ハートライトのメンバーに声を掛ける。

 メンバーの三人は明るい顔で答えてこの場から離れて行く──と思ったが、潮李一人がこちらに来て、俺の手を両手で包んだ。暑さと緊張だけではない、やる気に満ちたような熱が籠もっている。


「……うん。もう大丈夫。行ってくるね?」


 まるで俺の手からパワーをもらったかのように言って手を離す潮李に「行ってらっしゃい」と声で背中を押す。

 彼女の姿が完全に見えなくなるまで目で追ってから、俺も見回り係として会場内を軽く歩き始めた。

 少しの間、席を外してしまったが、外の見回りは一人ぐらい居なくてもさほど変わらないだろう。むしろ、彼氏として潮李に着いているべきだ。




 時刻は経過して、午前十一時半。


「こんにちは。観客の方の休憩所はあちらになります」

「あの、お手洗いってどこにありますか?」

「ここを真っ直ぐに行って右に曲がった所にあります」


 俺は、室内の案内スタッフとして活動していた。

 主に出演者や屋内で休みたい観客、場所が分からない方に部屋を案内したり、場合によってはドリンクの配布を行う業務だ。


 潮李は、本当に強い。

 これまで経験してこなかった"ステージ歌唱"という大きな任務に、今、俺が居ない中で立ち向かっている。

「もう大丈夫」そんなことを言って潮李は俺から離れたけれど、彼女が勇気を発揮できるように、俺も自分に決められた役割を全うしながら遠くから潮李を応援している、守っている。

 どうか、届いていてほしい。




 一時間程してから俺は休憩に入った。

 潮李と笑顔で再会できることを願って控え室で昼食を摂っていると、食べ終わった頃にハートライトのメンバー四人がやって来た。

 すると、すたすたと三人よりも早く潮李がこちらに近づくと、あぐらをかいている俺の胸に脱力したように顔を埋めてきた。


「やってきたよ……私……」


 その声まで力が抜けている。


「お、おう。よく頑張ったな。お疲れ様。え? この様子って……」


 嬉しいのか悔しいのかホッとしたのか、歌唱後の潮李の感情が分からずに三人に問い掛けると、


「大成功。めっちゃ良かった!」


 指でグッドのサインを作って高本さんが笑ってみせた。後の二人も口角を上げて頷く。


「そうか……すごいな! 潮李、本当によく頑張ったんだな」

「ありがとう。修我君と三人のお陰だよ」


 手を伸ばして、日差しや緊張や情熱で暖かくなった潮李の背中を撫でる。上手くいったことを知って心の底から安心した。

 大舞台を成し遂げた分、気が抜けた潮李は俺に甘えて補給しているように感じられた。


「充分務まっていたよ。ミヨもきっと納得すると思う!」

「そうだね。先生か誰かビデオを撮っていたら見せたいぐらい」


 北口さんと牧田さんも潮李の出来を絶賛している。ミヨさんとは、急遽出られなくなったボーカルのことだろう。この会話だけでも潮李は本当に歌が上手かったのだと知る。てゆーか、そのビデオあるならまじで欲しいんだけど。


「せっかく再会できたことだし、また二人で会場へ行ってきたら?」

「俺もそうしたいけど、そろそろ仕事に戻らないといけなくて……悪い」


 牧田さんの提案に、誰に向けてなのか自分でも分からない謝罪を口にする。


「そっかー スタッフって忙しいんだね」

「とはいっても、今とか会場の見回りとか、休める時間も多いけどな」

「じゃあ、少し涼んでからうちらと行こう? 潮李ちゃん?」

「うん」


 すっきりと晴れた表情で潮李が微笑む。

 俺が居なくても、彼女達、ハートライトのメンバーが居る。寂しくない、と言えば嘘になるけど、潮李が大事な仲間を持てたことに安心したし、潮李が青春していることに嬉しい気持ちもあった。


「それじゃあ、俺は戻るよ。みんな、お疲れ様。潮李、また後で」


「こちらこそー」「またね」四人の返事を聞いて俺は控え室を出る。

 一時は潮李がステージに立てるのか不安もあったが、潮李が乗り越えたことで無事に解決、大成功に終わった。自慢の彼女だ。

 後はもう、潮李が頑張ったように俺が全力で働くだけだ。




「どうして、萩野のステージを観に行かなかった?」


 会場内のゴミを集めている時、同じ担当場所の遠藤が俺に問い掛ける。相変わらず口調に棘を感じる。どれだけ俺のことが気に食わないのさ。


「同じスタッフなら知ってるだろ。俺だってすごく観たかったけど、担当時間が被ったんだ」

「そうじゃない。被ったとしても、一瞬だけ仲間に交代してもらうとか先生に怒られてでも優先するとか、何とかしてでも萩野の歌を聴こうとは思わなかったか? ってことだよ」


 ここまでムキになった言い方をされると腹立たしさを通り越して疑問を抱くが、彼の意見は筋が通っている気がした。


「それは……確かに、すぐに諦めた俺も悪いとは思う。だけど、お前だったら交代してくれたのか?」

「したよ」


 即答だった。終わった今だからテキトーに答えただけでは?


「嘘を吐くなよ。俺の頼みを聞いてくれたりしないだろう?」

「聞くよ。本当は、俺よりも、お前が萩野の歌を聴くべきだったんだ」


 心なしか寂しそうに、まるで彼氏の俺の為を思うかのように遠藤が答える。潮李の出番の時に休憩時間だった彼はステージを観たのだろう。

 それから、真剣だがいつになく優しい眼差しをこちらに向けて、


「聴かせたかったよ」


 そんなことを俺に言った。

 普段の遠藤らしくない、珍しい、と思った。


「また部屋でな。ヘタレ」

「おう…………っておい、テメェ」


 通り過ぎる時、遠藤は無表情をチラリと俺に見せて言い放つと俺の返しも聞かずに去って行った。

 どうして、彼は、そんなにも俺と潮李のことを気にかけるのだろう。しかも、昨日は鬱陶しく感じたそれを今日は素直に受け入れる気になれた。

「離れていても守る」って自分に都合がいいように解釈しただけで、観に行かなかった俺はやはり情けないのだろうか。

 俺が聴くことをあんなに勧めるなんて、潮李ってそんなに歌が上手いのだろうか。

 いくつか気になる点が残ったまま、あっという間に時間が過ぎて、夕方五時に音楽フェスは幕を閉じた。

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