第10話 俺達の距離

「きんきょり病、って、何ですか……?」

「まあ、そういう反応になるよね」


 理枝さんは共感するように言うと話を続ける。


「実は私も詳しくはなくて、勤務先の先生の会話に聞き耳を立てただけだけれど、名前の通り、ある特定の人との距離が縮まることで体調を崩す病気が、最近、発見されたそうなの。おそらく、潮李ちゃんはその相手が偶然にも修我君だったから、二人が接近したことで体調を崩したのだと思う」


 真剣に、落ち着いたトーンで奇病の説明をした。真面目な表情の中に深刻さも窺える。


「つまり、俺が潮李から離れれば、潮李の体は問題ないんですか?」

「……そうなるかな」


 重たい口を開くようにして理枝さんは答えると、それから安心させるつもりなのか「でも、まだ確定ではないから」と付け加えた。

 すぐに潮李に目をやると、彼女は暗い顔を俯かせていた。


 なんだよ、それ。本当に、そんな作り話のような、俺達への嫌がらせのような病気が存在するのか?

 有り得ない病気だとは思ったが、医者の仲間から聞いた話と言うのなら嘘じゃないだろうし、今までの潮李を振り返るとピタリと一致するので、信じるしかなかった。診断前とはいえほぼ間違いないのだろう。

 前に冗談で自分を「疫病神」だと言ったけど、本当に、俺が原因で潮李が……。


「そんな……潮李、これから今村と幸せになれる所だって言うのに……」


 目を赤くして悲しそうに呟く佐々木に、俺も無意識に「佐々木……」と声を漏らす。半泣きの彼女の仲間思いに自分もつられそうになる。佐々木も、潮李の病名については聞かされていなかったのか。


「ちょっと。どうして、あんたが泣きそうになっているのよ?」

「だって……今村のそばに居る潮李がとても嬉しそうにするから……」

「はいはい。泣かないよ」


 隣の妹を自分の方へ寄せて頭を撫でる理枝さん。長いこと一緒に暮らしてきた姉妹だからこその絆を垣間見た気がする。


「同期の知り合いに大学病院で近距離病の研究に努める専門の先生がいるから、早い内に検査をしてもらえるか後で連絡を取ってみるよ」


「よろしくお願いします」と、理枝さんに誠意を持って伝える。

 その時、


「私が、ちょっとの不調ぐらい、耐えられる体になる……とか」


 さっきから黙っていた潮李の声がようやく俺の耳に届く。


「潮李? 何を言って……」


 なぜ、潮李がそんな苦労をしなくてはならない? これには素直に賛成できない。


「気持ちは分かるけれど厳しいと思うよ。近づけば近づくほど、体は勢いを止めずに蝕まれていくから。キリがないんじゃない?」

「ごめん、修我君……」


 理枝さんから反対を受けて潮李が謝る。俺も理枝さんの意見には同意だが、潮李が謝罪をする理由など一つもない。


「どうして、潮李が謝るんだよ」


 まったくこの子は、といった気持ちで俺の手は自然と潮李の頭上に触れた。

 すると、何かに気がついたような顔をして「そうだ」と佐々木が呟く。そのまま、


「キスとか触り合ったり──しているか分かんないけど、あまりに密着する行為は控えて、潮李の体に問題がない距離で付き合っていくのは……?」


 佐々木はそんな提案をしてきた。


「限定されてくるのは残念だと思うけど、このまま離れるよりも全然マシかな、って」

「それ……いいと思う」


 確かに、ここから、という時に距離や恋人らしいやり取りに制限がかかってしまうのは悔しい。

 しかし、無理に遠ざかろうとしなくても安全な距離に調節していけば、これからも潮李のそばに居ることは可能だ。新しい恋愛のスタイルを二人で築いていけばよいのだ。


「でも、どうして急にそんなことを?」

「今村が潮李の頭を撫でた時にこれぐらいの行為ならアリかも? って気づいた。ほら、今は普通に元気そうだし」


 潮李は、うんうん、と言うように首を軽く二回縦に振る。


「潮李はどう思う?」

「私も、試しにやってみたい」

「お姉ちゃんは?」


 佐々木が呼び掛けると、理枝さんは少し考えてから答える。


「……うん。いいんじゃないかな?」

「ほんと??」

「その方法で様子を見てみるのはアリだと思うよ」


 理枝さんは、悩みながらもどうにか許可を出してくれた。


「よかった〜 安心したら喉が渇いてきちゃった、コーラ飲もー」

「あんた、目の前の健康なお茶には口を付けずにそんなものを飲むの?」

「普段から部活で体動かしているから大丈夫!」


 途端に気が抜けて元に戻ったテンションで冷蔵庫へ向かう佐々木に、理枝さんが呆れたようにツッコミを入れる。

 俺と潮李も二人のやり取りに安堵して、口角を上げた顔を見合わせる。


「何とかなるよ。きっと」

「うん。そうだね」


 その後は、学校やお姉さんの勤務先の様子についての会話で盛り上がり、俺達が佐々木家を出た時には空が淡い茜色に染まっていた。


「今日は本当にありがとうございました」


 玄関前にて、そう言って頭を下げる俺に続いて潮李もお辞儀をする。


「いえいえ。検査の日時が決まったらすぐに連絡するね」


 二人で「よろしくお願いします」と返すと佐々木姉妹とは別れた。佐々木妹に送って行こうかと聞かれたが、大体の道は把握したし、今は潮李と二人で居たい気分だったので断った。

 俺は、角を曲がって佐々木家が見えなくなった所で潮李の手を握る。


「修我君……」

「これぐらいは、いいんじゃないか?」


 ただ、手を繋ぐだけだ。初デートの日みたいに指を絡ませたりベタベタ触っていない。神様だって許してくれる。

 それでも、心の中では「どうかお願いします」と潮李の体に異変が来ないことを祈る不安な自分がいた。


「いや……」


 しかし、それどころか、まず潮李が許してくれない雰囲気を出している。

 少し寂しくなって手を離そうとした時、潮李の指が俺の指の隙間にはまり、それを彼女がぎゅっと握ってきた。恋人つなぎだ。


「これぐらいのことはしても、いいと思うよ?」


 心なしか得意気な笑みで俺を見る潮李から愛が伝わってきて、こちらも自然と口端が上がった。

 でも、同時に照れくさくもなって俺は目線と話題を逸らした。


「明々後日から合宿だけど、潮李はそれまでの二日間は予定あるの?」

「うん。明日と明後日、学校で一日バンドの練習があるよ」

「一日??」


 思わず潮李に振り向く。


「今日を休んじゃった分、頑張らないとだから。まあ、私は歌だけだし、楽器のみんなの方が大変だと思うよ?」

「いやいや、ボーカルは充分に大役でしょう? 最近は体調も優れないだろうから頑張り過ぎは──いや、俺が近くに居なければ体は問題ないんだ」


 つまり、潮李の体力と体調の為にも俺は練習に顔を出さない方がよいだろう。

 だから、


「本当ならそばに居てほしいんだけど……でも、本番できっとかっこいい姿を見せるから、待っていて?」

「おう。待ってる!」


 木曜日、合宿で潮李と会えることを、金曜日、潮李のステージを見られることを楽しみに残りの二日間を乗り切る。

 長い帰り道を会えない日の分まで楽しんで、あっという間に集合場所によく使う公園に到着して、俺達は別れた。

 潮李は、今日は珍しく一度も具合を悪そうにしなかった。問題のない距離だった、ということだろう。この調子だ。


 ここ最近は潮李と特に一緒に居た分、一人になった時に膨らむ寂しい気持ちは今までよりも大きなものだった。彼女の多忙さを考慮すると通話でさえしづらかったし、向こうもやはり掛けてこなかった。


「潮李、今、何しているかなぁ」


 だから、そんな風に潮李の様子が度々気になったりしたが、俺も自分のことに集中しようと課題とバイトに励む二日間を送った。




 日は登り、フェス合宿当日の朝を迎えた。縁起が良く、天気は快晴だ。

 俺達、参加メンバーは夏休みになってから急に利用回数が増えた地元の駅に集合で、潮李が軽音部のメンバーと待ち合わせをして向かうらしいので俺は一人で赴く。

 自分が着いた頃には既に多くの参加生徒が集まっていて、そこに女子同士で固まる潮李の姿を発見した。白いTシャツと紺色の台形スカートを合わせて爽やかにコーデしている。


「おはよう。早く着いたんだな」

「修我君、おはよう。さっき、みんなと駅で軽く買い物していたから」


 今のやり取りに対してなのか、軽音部の女子達がこちらに視線を向けてニヤニヤ笑っている。

「そうか。じゃ、また」と、友達同士の時間を邪魔しないよう、俺達の関係を聞かれないように挨拶だけを済ませて俺は離れた。


 集合時刻が迫った所で、合宿に参加する約三十数名の生徒と男女一名ずつの教員と、"プラス一人"が駅に集まった。

 プラス一人、というのは……


「潮李が行くならあたしも行きたかった〜! あたしも潮李の歌、聴きたかったし! ねー先生、連れて行って〜!」


 合宿に不参加の佐々木菜子だった。担当の男の先生に申し立てている。

 友達を見送りにわざわざ駆け付けた良い人なのか、無謀なのに合宿の参加を掛け合おうとわざわざ足を運んだ変人なのか。──どちらの説も濃厚だ。

 潮李は困惑したように彼女に目線をやっている。


「全て自腹でホテルの部屋も自分で確保できるなら構わないぞ?」

「無理に決まってんじゃーん!」

「なら無理だわ」


 交渉は一瞬で不成立に終わった。


「菜子ちゃん、お土産、買ってくるから」

「潮李ー! 今度、カラオケ行くからね!? 絶対!」

「わ……わかった」


 声を掛けに近づいて来た潮李を佐々木は抱きしめた。二人の状況を見て密かに笑う声が聴こえてきたが、こればかりは無理もない。潮李は恥ずかしい思いをしているだろうなとちょっと可哀想にはなったけど。

 改めて、佐々木は本当に潮李を慕っているのだと感じた。


 参加メンバーが全員が集合したことを先生が確認すると、俺達は出発した。電車で移動して到着した駅で新幹線に乗り換えて、横浜を目指す。

 新幹線の駅に着くと先生から席番号を記した切符が配られたのだが、これが学校らしい分け方で、出演者とスタッフで分けた中から更に男女別に分かれている。当たり前と言えばそうだけど、お陰で潮李とどちらも異なる俺の席は彼女から遠く離れ様子を窺うことすら叶わなかった。おそらく軽音部の子達と一緒なのだろう。俺は二人席の通路側で、隣席は顔しか知らない男子生徒だった。




 二時間ほど掛けて、ついに横浜市へ到着した。こちらも変わらず晴れた空模様だが、お陰様で今日も安定の猛暑だ。

 やはり、横浜は凄い。自分達の街の町とは比較の対象にならない派手なお店や銀色に輝くビルの数に圧倒されてしまう。それぐらいに大都会だ。

 新幹線を降りた広大な駅に団体で固まると先生から説明を受け、そこから一時間は駅構内で各自自由に昼休憩となった。

 何となく予感はしていたが、潮李はやはり昼食もバンドメンバーと時間を共にするらしい。思わず目が合った潮李に控えめに手を挙げると、潮李も小さく手を振ってからグループに着いて行った。

 まあ、そういうものだろう。俺達の関係がバレる可能性も減るし、これでよいではないか。

 今は自分のお昼のことを考えよう。そう思ったが、考えるも何も俺はいつもクラスの男子に誘われて一緒に食べている。うちのクラスは参加者が多いから誰かしら声を掛けてくるはず。それなのに、何故だか今日はその気配を感じない。

 こうなったら自分から誘うか、一人で食うか──そう悩んでいると、


「おーい、よかったら今村も食べに行こうぜ?」

「おうー」


 俺はリーダーっぽい立ち位置のクラスメートに誘われて、他クラスを含める男子四人が固まる場所へ小走りした。全員、話したことはある。そうだ、自分にも仲のいい奴くらいはいるんだ。

 ──あれ?

 これって、分け隔てなく仲良くしていた今までとは少し違うような……? まるで、一緒に食事する相手がいなくて困っていた俺を気遣って誘っているみたいだ。

 いつの間にか、自分の立ち位置が変わっている?


 俺を入れて男子五人になったメンバーは、飲食店が並ぶエリアのラーメン屋で昼食を摂ることに決めてテーブル席に通された。


「はい、意思疎通ゲームin合宿いきまーす!」

「「いえーい!」」

「いえーい……!」


 ラーメンが出来上がる待ち時間、リーダーポジションの彼がいかにも学生の旅行気分で王道の言葉遊びを開催した。俺は皆が当たり前に返すノリに慌てて着いて行く。


「第一問! ずばり、『神奈川県』といえば?? 十、九…………二、一……せーのっ!」

「「中華街」」

「お〜、お見事! 全員一致!」

「あれ? お前、今『ユウカがいい』って言ったか?(笑)」

「馬鹿だろ、言ってねーし(笑)」

「今村、お前も早く彼女作ってこいつに見せつけてやれよ?」

「おおう。そうだな?」


 言いながら、とりあえず笑う。そもそも俺にも彼女はいるけれど言わない。

 せっかく優しさで呼んでくれたクラスメートには申し訳ないが、彼らと以前みたいに心からは楽しめていない。内輪ノリに感じてしまう。しばらく関わらなかったからだ。

 やっぱり潮李と離れると寂しいし、潮李と一緒に居られる彼女達が羨ましくなる。合宿に少々期待をし過ぎていた。

 運ばれてきた家系ラーメンの濃い旨さだけがそれらのことを紛らわしてくれた。




 昼食の時間が終わると、電車と市バスに揺られてフェス会場付近のホテルに到着した。高層ビルが並ぶ中の一つで、都会と海のセットが美しい場所に位置する。昼下がりの時間でも綺麗だけど、夜になると更に絶景を味わえそうだ。俺達はここで二泊三日を過ごす予定だ。

 メンバー一員はホテルのロビーに集うと、先生からこれからの流れの説明を受けた。

 部屋の鍵を受け取った生徒は各自荷物を置いて再度ここへ集合、揃い次第、打ち合わせやリハーサルを行う為に会場へ移動するとのこと。最後に「速やかに行動するように」と付けると、一度、解散した。

 俺も自分の部屋を目指し、鍵を持つ男子が扉を開けると、一般的なホテルでよく見る小洒落た洋室が広がった。学生にとっては修学旅行以外でなかなか泊まれる機会がないので少しテンションが上がる。

 しかし、一方でちょっと納得がいかないこともあった。


「突っ立っていないで早く入れよ。速やかに行動、って言っていただろ?」

「わ、悪い」


 ぼーっと部屋を眺めていた俺を遠藤陸也の厳しい一言が現実に引き戻す。

 そう。よりにもよって、俺がどうも好きになれない彼と二人部屋なのだ。潮李曰く優しい彼が俺にだけ当たりが強いので、尚更、複雑だ。


「俺、手前のベッドを使うけどいいか?」

「ああ。どっちでもいいよ」


 きっと、俺達の会話もこういった事務的な内容以外には無いのだろう。二人で部屋に居る時は気まずいが、スマホでもいじって時間を潰そうと思う。


 参加メンバーが再びロビーに揃うと、会場へ移動、到着すると、出演者とスタッフに分かれて打ち合わせやリハーサルが行われた。この時も、出演者の潮李はステージ側へ行き、スタッフの俺は室内で打ち合わせをしているので、一緒になれない。

 合宿が始まってから気づいたが、そもそも、俺と潮李は合宿の目的からして違うので会える時間が限られても無理はないのだろう。それでも、高二の夏合宿ぐらいは青春したいと思うけど。

 ……あれ? 急に嫌な予感がしてきた。

 俺の担当は、今居る室内の案内係と会場のゴミ集めになっている。ゴミ集めは同時進行でステージを観覧できると思うが、室内での仕事中は不可能だ。

 俺はすぐに、たった今、先生が黒ペンでホワイトボードにて発表したスタッフの担当時間と手元の合宿のしおりのステージプログラムを比較する。


「──は!!?」

「おい、そこ。うるさい」


 思わず大声が出て、担当の男の先生に冷ややかに叱られる。

 これは、完全に想定外だった。

 俺の案内係の時間帯、潮李のステージ披露とぴったり被っている。

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