第14話 そうだ、この距離でいよう

 八月になった。

 フェス合宿を終えてまだ二日しか経たない八月一日、月と共に潮李がアルバイトの初日を迎えた。合宿から帰宅した直後に合格の連絡が来たそうで、同日の通話でお祝いの言葉を掛けた。

 正午にバイトが終わるらしく、その時間に合わせて職場の前で集合する約束をした。ちょうど十二時になった頃に到着して、彼女を待つ。

 十分後、


「修我君?」


 カフェの扉を見つめている所を馴染み深い声で呼ばれて、振り向くと、目の前に髪を一つ結びにした少女が立っていた。──潮李だ。


「おおっ。どこから来たん?」

「従業員の出入口があるらしくて、そこから」


 潮李が出入口のある方向に指を差しながら言う。それで見つけられなかったのか。

 いつもの長い黒髪を一つに束ね、白い無地にちょこんとメロンのクリームソーダを描いたTシャツと黒のショートパンツで夏らしく爽やかに魅せている。

 髪型を変えた彼女を初めて目にしたので、一瞬だけ戸惑った。新鮮で、コーデとよく似合っていて、とても可愛い。


「今のヘアスタイルもいいね! 爽やかで似合っている!」

「いや……そんなことないよ。解くのを忘れていた」


 潮李が謙遜しながら髪の束を解こうとする。


「ええ〜! もう終わりなの?」

「バイトの時は長いと困るから纏めていただけだから」


 と、恥ずかしそうに普段のロングヘアに戻す。これはこれで、もちろん好きなのだけど。せっかく髪が長いのだし、潮李の様々なヘアアレンジを見てみたい。


「全然、照れることなんかないのに」

「修我君の前では慣れていないし……またいつかね?」

「絶対な?」

「わかったって」


 仕方がなさそうに潮李が答えてから、俺達は隣に並んで歩き始めた。

「初バイトお疲れ様」と潮李に労いの言葉を掛け、バイトの感想について会話しながら少し進んだ所でバスに乗車、降りた停車場付近のコンビニでそれぞれ昼食を買って、また少しだけ歩いて到着したのは俺の家だ。本日は「お家デートin今村家」を決行する。


「いくら修我君でも、男の人の家って緊張する……」


 家に入って開口一番、潮李が呟く。それでも、勝手ながら男が女子の家を訪ねることの方が勇気がいるように思えてしまうのは何故だろう。

 俺は潮李と自室に入り、真ん中に置かれたテーブルに俺のカレーライスと潮李の冷やしうどんを出して昼食にした。


「そういえば、私、九月から軽音部に入部することになったよ」


 食べている時に潮李が俺にそんな報告をした。


「そうか! おめでとう!」

「ありがとう。まだハートライトのみんなの誘いに賛成しただけで、入部届はこれからだけどね」

「夏休みだからな、それでも確定したようなものだよ。フェス合宿以外でも聴けるかな?」

「かもね?」


 潮李は口角を上げて言った。潮李が正式にハートライトのメンバーになることに安堵と嬉しい気持ちになる。

 バイトに伴奏者に軽音部。この夏から途端に忙しくなった彼女だけど、充実した青春を送っているようで応援したい。これからの潮李が楽しみだ。

 潮李は、宙に目線を移してからこう呟いた。


「合宿が終わってから、私、たくさんの人に自分の歌声を届けたい、って思った」


 少し照れくさそうだけど自信に満ちた表情と前だけを見つめている瞳の潮李を見て、俺は静かに頷いた。


 のんびり近況報告等をしながら食事を済ませると、机上をコンビニで買ったお菓子や飲み物に変え、更に夏休みの課題を並べた。

「ここは……こうすれば簡単だね」「問題文の最初の方にヒントがあるぞ」などと、たまに補い合いながらも少しずつ済ませていく。

 しばらくして、


「ちょっと休憩〜 潮李も休もう?」

「あ……うん。そうだね」

「潮李のも一口ちょーだい。今日のは、はちみつレモンのサイダー? 美味しい?」

「──え? あ、美味しかったよ」


 潮李の反応がパッとしない。

 疑問を抱いて彼女の様子を窺うと、体をそわそわと小さく揺らしていることが分かった。何となく察して声を掛ける。


「気にしないで、ここの使いなよ」

「えっ。でも……」


 否定しない辺りは予想通りなのだろう。潮李は今村家に気を遣ってトイレを我慢していたようだ。俺が言っても、まだ躊躇っている。


「さっきのコンビニに行って来るよ」

「わざわざ、そこまで行くことないって」

「あっ、いや……そう。喉が渇いて飲み物が欲しくって」

「まだこのサイダー、ほとんど飲んでなくない?」

「それは……」

「俺の家だからって気を遣っているなら、全然いいから。別に気にしないって」


 誤魔化してまでトイレを使おうとしない彼女の説得に力を入れる。配慮してくれる気持ちは有り難いけど、そこまでしてまで我慢をさせたくない。

 しかし、次に潮李が予想にもないことを口にする。


「だって、大の方だから……!」


 痺れを切らしたように、口調は強気に、頬は紅潮させて潮李が言った。

 一瞬だけ言葉の意味を理解できなかったが、気づいてから「あ、やらかした」と思った。

 普通に考えて潮李があっちの方でもおかしいことは全くないのに、勝手にイメージで「違う」と決めつけて、彼女がただの配慮で躊躇っていると思い込んでいた。言われてやっと恥ずかしがっていたのだと気づく。いや、用が何せよ、彼氏の家で使用するには勇気がいるのかもしれない。

 そんな潮李を前に、想定外の発言にドキドキしてしまっている自分が最低なヤツに思えてくる。どうか、俺に罰でも与えてくれ……!

 親しい付き合いとはいっても相手は年頃の女子だ。本当は伝えたくなくて隠していただろうに……この俺は……。


「えっと……ほんと、ごめん」


 何を伝えるのが正解か分からずに、とりあえず、まずは謝った。潮李はぷいっと俺から顔を逸らす。そりゃあ目を合わせたくないよね。


「じゃあ……気をつけて、コンビニに行って来て?」

「もう言っちゃったし限界も近いから、ここ借りる!」


 潮李は俺を睨み、怒気が混じった声で言い放つと部屋を出た。

 無理はない。俺のせいで恥ずかしい気持ちにさせたと反省している。

 だけど、潮李だって、俺が気がつかなくてもカミングアウトしない選択も出来たのではないだろうか。


 数分後に潮李が戻って来た。

「もしかして同時に気分もスッキリしたか?」と期待してしまった俺は単純馬鹿だ。俺に目もくれずに部屋の隅へ行って体操座りをする。さっき居た場所よりも俺から離れている。

 ……室内に沈黙が流れる。

 こんな時間は嫌だけど、俺は自分の悪い部分を認めて謝罪をした。後は潮李が自分自身で気持ちを切り替えるしかないと思って俺からは何も言わないでいた。


「…………」

「…………」


 ──とはいえ、二人で居て、ここまで気まずい空気になったのは初めてだ。そもそも、俺達は、今まで喧嘩をしたことがないのだ。

 やっぱり、こんな状態で潮李との一日を終わらせたくない。仲直りがしたい。

 俺は潮李の背後から彼女の肩に手を回し、体を包むようにする。


「ちょっと……距離」


 チラッとこっちを見て言った潮李に「今だけだから」と答えると、続けて話す。


「ごめん。さすがにデリカシーがなさすぎたよな。でも、俺の前では全然恥ずかしがらなくていいから。なんて、無理かもしれないけど」


 そもそも当たり前のことなんだから「恥ずかしがるものではない」と俺は捉えるが、世間の認識ではそうはいかない場合が多いだろう。


「無理だよ。好きな人だからこそ、知られたくないことだってあるから」

「そうだな。ただ、愛し合っているからこそ、ありのまま伝えられるものでもあるんじゃない? 体に触れたりキスをするみたいに、愛情表現のひとつ……的な」

「それは……言えているけど、限度があると思う」

「今回に関しては、無意識とはいえ踏み込み過ぎたと思っている」


 俺は潮李から体を離して彼女の正面に移動すると、そう言って頭を下げる。


「私も、冷たくしてごめんなさい。結局、自分から打ち明けたというのに。修我君だから恥ずかしいけど、修我君だから、バレてもまだ許せる」


 同じように謝った潮李に、おう、と返事をして、俺達は和解した。

 一般的に、どんなに愛し合う恋人や仲間でも言いたくない事情はある。それは間違いなかった。

 俺が潮李のどんな事にもウェルカムだとしても、本人が気にしているのなら触れないようにすべきだ。

 また一つ、勉強になった。潮李のことも更に知れた。


 仲直りしたとはいえ出来る限り潮李を安心させたい俺は、自分のエピソードを語ってフォローに励んでみる。


「それに、俺はたまに腹を壊すからしょっ中してるぞ。男同士だと『お前またうんこか?』なんていじりはザラにあるな」

「修我君はしょっ中してる……。頭にメモしておこう」

「な? 好きな相手のことって、こういうプライベートすぎる情報が気になるものなんだよ。俺も、正直に言って、さっきは少し興奮したし……」

「え……」

「おい待て、そんな目をするな! 少し! ほんの少しだから……!」


 汚い物を見るような目を俺に向ける潮李に慌てて声を上げる。これでは全然フォローになっていないような。いつになく冷ややかな彼女のギャップに一瞬だけ心が惹かれたけれど、でも、やっぱり引かれるのは嫌だ!

 潮李には俺の悲痛の叫びが届かないのか、立ち上がり、俺から遠ざかって行く。


「ちょ……何? そんなに引いたの??」

「違う。引いたは引いたけど、勉強に戻るの」


 そこは認めるのかよ。と、心の中で突っ込むけど、離れた理由は違ったようでホッとする。

 ──その時、潮李の体がぐらっと揺れて倒れそうになり、どうにか自身で壁に手を付けて支える態勢を作った。


「大丈夫??」

「立ちくらみが……」


 すぐにそばへ駆け付けて彼女の肩に手を添えると、そのまま寄り添った状態でベッドへ移動して二人で腰を下ろす。

 体調を崩した原因は、おそらく、お互い理解している。


「ごめん。さっき、俺が抱きしめたばっかりに」

「いいよ。でも、これからは抱き合うのはやめにしようか」

「そうしよう。本当、さっきの件といい、俺は潮李を困らせてばかりだな」


 自分のポンコツっぷりを痛感して自嘲すると、突然、膝に乗せた自分の手に温もりを感じた。見ると、潮李の手が重なっている。


「そんなことない。いや、困った時もあったかもしれないけど、不器用なりにいつも私を支えてくれる修我君が私は大好きだよ?」


 俺を純真な瞳で見つめて、潮李は伝えてくれる。彼女からの好意をひしひしと感じて俺は幸せ者だ。


「俺もだよ。振り回されても俺のそばに居てくれる潮李が俺は大好きだ」


 お返しに俺も潮李の瞳を真っ直ぐに見据えて、想いを言葉にする。


 自分は潮李のことをよく振り回してしまうダメな彼氏だけど、彼女はそんな俺のことを認めてくれている。

 距離を空けないといけなくなったり、喧嘩をして気まずい空気が生まれたりもした。順調にいかないことも多いが、俺達は俺達なりに工夫をして、二人でかけがえのない時間を過ごせている。







 三日後。夏休みだから潮李と二人で会う機会が多く、本日も彼女とデートをする予定でいる。

 今日の天候は久しぶりの雨。元々、雨の日って気分が上がらないのに、加えて先日のいじめや汚れた傘を思い出してしまうから、尚更、憂鬱だ。まあ、潮李と会えるだけで充分に恵まれているのだけど。

 デートとは言っても、実は当日の午前十時現在までそれ以外の計画を立てていなかった。さすがに連絡を入れなくては、と思ったその時、スマホに潮李からの電話が掛かってきた。


「行きたいカフェがあるんだけど、一時間後に修我君の家に行ってもいいかな?」


 彼女は通話でそう伝える。


「それはいいけど、雨だし、俺が迎えに行くよ」

「大丈夫。ゆっくりして待っていて?」


 それでも心配すると「いいから」と潮李が言い切るので、お言葉に甘えてのんびりと外出の準備をした。まったく、頼もしい彼女だ。


 一時間後に家のチャイムが鳴って玄関を開けると、見覚えのある透明な群青色の傘を差して潮李が立っていた。俺がプレゼントした傘だ。こうして広げてみても傘のサイズは彼女に合わないけれど、それでも気に入ったから選んだのだろう。


「わざわざありがとう。やっぱり、少しサイズが大きいな?」

「わざわざ、なんてことないよ。傘の大きさについては出かけた時に分かるよ?」


 俺の言葉に彼女が意味ありげな返答をするので、とりあえず必需品を持って外へ出ようとした時、


「傘は持たなくていいよ。こっちに来て?」


 と、潮李が手招きするので、傘を持たずにそばへ行って群青色の傘の中へ入ると、潮李の案内に従って歩き始める。今日は白のフリルブラウスと紺のジーパンを着用している。

 気がつけば、俺達は相合傘をしていた。潮李一人じゃ広い傘も俺が隣に入ることでちょうど良いサイズ感になる。あの時に大きめの傘をチョイスした理由がようやく分かって思わず口角が上がった。


「そういうことね?」

「そういうことです」


 潮李に微笑んで言うと、彼女も微笑み返す。


「潮李と初めて話したのも、傘を差して歩いている時だったな」

「そうだね」

「まさか、一ヶ月でこんなに距離が縮まるとは思わないよな」

「心の距離がね?」


 補足をするように潮李が言う。

 体は理由があって近づけないが、様々な問題と向き合ってきた俺達の心の距離はぐっと縮まった。叶う事なら両方とも近距離でありたいけれど、強いて言うのであれば心理的距離の方が大事だ。想い合っている、ということだから。


「あ、もうすぐ着くよ? 修我」

「……おう。楽しみだな、潮李」


 お互いの手が触れて、そのまま指を絡めてぎゅっと繋ぐ。

 突然の"ある変化"に一瞬だけ驚いたが、更に距離が近づいた気がした。雨の日でも嬉しいことってあるんだな。


 これといって友達がいなかった俺に、初めてこんなにも大切にしたい人が出来たんだ。絶対に、手放したりしない。







 潮李が教えてくれたカフェに到着。俺の家からそれなりに近所らしく、それも込みで潮李は迎えに来てくれたのかもしれない。

 俺達はソファのテーブル席に通されて向かい合わせに座る。雨で蒸し暑い外から解放され、空調が効いた店内に癒される。


「潮李のお目当てはソーダ?」

「そうだよ」

「今の駄洒落?」

「違うよ」


 どちらも一切ブレのない笑顔で答える潮李にちょっとツボる。


「そうだなー、俺も同じソーダにしようかな?」

「押すね?」


 そう言って潮李は呼び出しベルを押した。俺のギャグにはスルーだった。

 数分して運ばれてきたのは「オーシャンソーダ」という、南国の一面に広がる青い海を思い浮かべる鮮やかな色のドリンク。俺にとっては、何となく潮李をイメージしたソーダにも見える。

 正面の彼女のように写真を一枚撮ってから飲む。体が更に涼しくなり、仄かに表情も明るくなった気がする。


「そういえば、寒い時期でもこんなに冷たいものを飲むの?」

「いくら炭酸をよく飲むからってそこまでこだわっていないよ。冷えちゃうし」

「なるほど。冬の潮李も楽しみにしとこう」


 潮李の炭酸好きの度合いを大体把握してから、俺達は夏休みの課題を広げた。

 今日も協力し合って順調に片付けている時、気づけば手が止まっている潮李が気になって彼女の顔を見るとぼうっとしていた。それだけならまだしも、頬が赤らんでいる。


「潮李?」


 呼びながら顔の前に手を振ると、潮李はソファにぱたっと背中を預けて苦しそうに呼吸をし出した。まさか……?

 嫌な予感がして、手を伸ばして潮李の額に手を当てる。熱い。

 潮李は、熱を出していた。

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