天井についたもの

 幼稚園から中学校卒業までを過ごした横浜市旭区希望ヶ丘は、絵に描いたような郊外のベッドタウンで、僕が住みはじめた八十年代は同じくらいの子供で溢れていた。

 開発される前は田畑と里山があるくらいで曰く因縁があるようには思えなかったが、子供たちの間ではまことしやかにお化け屋敷や幽霊が出る路地、自殺がよく起きる空き地などの噂が飛び交っていた。

 八十年代はエクソシストや様々な心霊番組の影響でオカルトブームがいまだに尾を引いていたから、その影響もあったかもしれない。

 僕が子供時代を過ごした中希望が丘の一戸建てにも不思議なことがあった。

 二歳年上の姉と子供部屋として使っていたのは二階の洋間。その天井板に小さな足跡がくっきりと付いていた。

 幼児の足くらいの大きさ。両足分がちゃんとある。五本の指もはっきりとあった。それが天井の真ん中辺りからゆっくりと曲線を描いて天井の端まで続き、まるでそこに出口があるかのように、ぷつりと消えている。

 いつからあったのかは分からないが、姉と僕はしっかりとこの目で見ている。先日、姉に確認してみたが、姉も足跡のことは覚えていた。

 不思議なのは、父にも母にもそれが見えなかったことだ。

 指をさして、そこに足跡があるでしょと訴えても、まるで伝わらない。隣にいる姉には見えているし、僕にも見えていたが、両親には見えない。

 この前、足跡のことを尋ねたら、その記憶そのものがないようだった。当時は子供たちの嘘、ぐらいにしか思っていなかったのだろうか。

 その足跡は幼少期から、家を離れる中学校卒業まで見ることが出来た。

 引っ越しが決まった時期あたりだったか。

 寝ていたとき、生まれて初めての金縛りにあった。

 意識はある。

 しかし、体が動かない。

 なんだ、これ!

 布団のうえで微動だに出来ず、訳が分からない僕は恐慌をきたした。

 助けて、助けて、助けて。

 心の中でそう叫んでいた、そのとき、目だけが開いた。

 暗い部屋、離れたところで灯っている電灯が、洋間に茶色い薄明かりを広げていた。

 足跡がある天井だけが見える。

 助けて、助けて、助けて、助けて!

 家族の誰かに届いて欲しいと声にならない叫びを続ける。

 そのときだった。

 足跡がある天井から何かが垂れてきた。

 黒くて、バスケットボールぐらいの大きさのなにか。

 助けて、助けて、助けて、助けて!

 天井から少しずつ垂れてくるそれが恐ろしく、目を瞑りたいがどうにもならない。

 助けて、助けて、助けて、助けて、助けて!

 天井から垂れてくる黒い何かが目の前に近づいてくる。

 目をつぶらせて!

 黒い何かは目の前まで垂れていた。

 近くで見ると黒い煤が固まったよう。

 その中に、小さな目があるように見えた。

 恐ろしさに見開かれ、黒目が痙攣している。

 僕の目?

 そう思ったところで記憶は途絶えた。

 数ヶ月後、僕は引っ越した。

 その家は十数年前に取り壊され、今は別の一戸建てが建てられ、別の家族が暮らしている。

 あの足跡をつけた何かがあの家に憑いていたのか、それとも土地に憑いていたのか僕には分からない。

 その家があったのは横浜市旭区中希望が丘二十二の…。

 

 

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