正法寺の怪
母の実家は福島県二本松市の正法寺町で、かなり特殊な家だった。
敷地内に湯殿山と刻まれた大きな石碑があった。出羽三山のうちのひとつ。有名な山形県鶴岡市の、とは違う。
東北地方の各地には、それぞれその土地ごとに出羽三山があるらしい。その二本松版、なのだろう。
もともとは修験道だったらしいが、明治の頃に神仏分離令を受けて天台宗を名乗った。
夏になると母の姉弟たちが集まった。従兄弟たちを含めると多いときで二十人近く。賑やかなお盆だ。
あれは、僕が小学生の低学年の頃だ。正確な年齢は覚えていない。
お盆で何組もの家族が集まっていた。
子供だけでも八人はいただろうか。
そんなお盆の夜に、大人たちが子供たちを置いて外出をした。どこに行ったのかは、いま親に確認しても覚えていない。何しろ四十年前のことだ。
当時は墓参りに行くと言っていたと僕は記憶していたが、いま考えればそれはないと思う。
田舎で、日が沈んでから灯りも何もない墓地になど行くはずはない。
たぶん食事か酒でも飲みに行ったのだろう。
湯殿山の母屋に子供だけが残された。それほど遅くはなっていなかったと思う。よく見ていたテレビ番組が流れていたから、七時過ぎぐらいか。
八時前には仕事からおじさんが帰ってくる。
親たちはそう行って出て行った。
不安も怖さもなかった。何しろ小学生の子供が八人だ。親がいないのは好都合だったかもしれない。
好きなテレビが見られて、田舎の広い母屋で好き勝手に遊べるのだ。
親たちがいなくなってから、残された僕たちはかなりはしゃいでいたと思う。
夜に子供たちだけでいる、というのも新鮮で楽しかったのかもしれない。
そんな感じで楽しんでいたら、玄関の引き戸を誰かが叩いた。
ガシャン、ガシャン。
引き戸のガラスが大きな音を立てた。
「おじちゃんだ!」
おじさんが仕事から帰ってきたと思い、誰かが玄関に向かった。
確か僕もあとからついていったと思う。
ガラスの向こうに、玄関の灯りに照らされた人影があった。
「おかえりー!」
引き戸を開ける。
そこには、誰もいなかった。
母屋から遠くのバス通りに続く、畑や石碑、蔵がある敷地が暗闇の中に沈み込んでいるだけだ。
「いま誰か来たよね」
誰ともなしに言い合った。
みんなが引き戸が叩かれる大きな音を聞いた。
「気のせいだったのかな」
一度目は、みんなそれほど気にすることもなく、またはしゃぎだした。
しかし、それは二度、三度、四度と続いた。
恐怖が広がっていった。誰かが泣き出した記憶がある。
引き戸が叩かれる。
人影も見える。
しかし、誰もいない。
一度などはバス通りから母屋に向かってくる沢山の足音も聞いた。
もちろん、誰も現れなかった。
その夜がどのような結末を迎えたのかは覚えていない。
しかし、僕の姉も含めて、あの夜を体験した従兄弟たちは、今でも、あの夜のことを覚えている。
恐ろしいのは、全員が結末を覚えていないことだ。
僕らはあの夜、何に行き着いたのだろう。
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