朝比奈にて、ついて来るもの

 あれは確か二十七歳ぐらいの頃か。興味がホラーから怪談に移り、地元のスポットを積極的に回っていた。

 その一環で訪れた鎌倉の西端、十二所や朝比奈の切り通し。

 そこは僕にとって因縁浅からぬ場所だった。何の情報もなかった中学生の頃、自転車紀行の途中で休憩をして異様な気配を感じた。

 十代後半に友人とたまたま見ていた深夜テレビで、霊能者がアクシデント的に『霊がいる』と指摘した場所は、僕が休憩をしていた場所と、その近くの電話ボックスだった。

 そして、上総広常の暗殺や首斬り場の情報をあらかじめ入れての十二所と朝比奈の切り通しを訪れた。

 憤怒の相の恐ろしい石仏を見上げ、僕は木々が鬱蒼と生い茂る切り通しに入っていった。

 それはすぐに始まった。

 梶原太刀洗水を過ぎたあたりだった。

 妙に背後が気になる。

 いや、人の気配がして仕方がない。

 朝比奈の切り通しは人は少ないとはいえ観光地と言ってもいい。ハイキングをする人もいる。しかし、その日は平日のお昼頃、ほとんど人とは会わなかった。

 強烈な人の気配に振り返るが、そこは無人、生い茂る木々しかない。

 首を傾げて前を向いたときだ。

 頭の中、というのか、今しがた見た風景が脳裏に浮かんだ。

 実際の風景と違っていたのは、無人だったはずの場所に振り袖姿の若い女性が立っていたこと。

 なんだよ、これ。

 最初は恐怖よりも困惑だった。

 自分の視界に、実際に見えるわけではない。

 先ほど見ていた風景が驚くほどの鮮明さで思い浮かぶ。そこに、いるはずがない振り袖姿の女性が立っている。

 顔は見えているはずなのに、なぜか表情が分からない。

 気配とか何となく、ではない。

 はっきりと、振り袖の柄さえも分かるほどはっきりと思い浮かんだ風景の中に立っている。

 不調法なので柄の名前は分からないが、白地に赤い華の柄が鮮やかに見えた。

 なんだよ、これ。

 困惑しながら切り通しの奥へと進んでいく。

 朝比奈の切り通しは三郎の滝を過ぎると急な上りになっていく。

 そこを上っている間も背後からは強烈な人の気配がした。

 無視をしよう。

 そう思うのだが、あまりにも気配が強烈なので、どうしても確認したくなってしまう。

 もしかしたら実際に人がいるのかもしれない。いや、いてくれ。

 そんな期待を込めて振り返るが、やはり無人だ。

 そして前を向くと、また、見たばかりの風景が頭に浮かび、そこには振り袖姿の女性が立っている。

 ついてきているのだ。

 恐ろしいのは、思い浮かんだ風景に立つ振り袖姿の姿勢が微妙に変わっていることだ。

 急な上り、その途中に立つ女性はこちらを見上げるように頭を後ろに倒していた。

 こちらの状況に合わせて変化している。

 まるでそこにいるように。

 思い浮かぶ女性は生々しく、振り袖姿という異様さはありながら、話しかけられそうなほど現実感があった。

 ずっとついてくる。

 背後からは強烈な人の気配。

 堪えきれずに振り返ると無人で、前を向くと背後の風景の中に立つ振り袖姿の女性。

 何度繰り返されただろう。

 早くここから立ち去りたい。

 背後についてくる何かから逃れたい一心で、急な上りを急ぐ。

 長らく振り返らないと、背後の何かがどんどんとこちらに近づいてくる気配がして恐ろしかった。

 しかし、振り返るのも恐い。

 もう真後ろまで迫っているのではないか。

 そんな思いが爆発しそうになったとき、急に気配が消えた。

 不思議なことに、そのとき、自分の背後の風景が思い浮かんだ。

 無人の道がそこにはあった。

 去った。

 ほっとして立ち止まると、すぐ近くの崖に、掘り出された磨崖仏があった。

 切り通しに入るときに見た憤怒の相の石仏とは打って変わって、穏やかな雰囲気の磨崖仏。

 近くには石塔もあった。

 もう大丈夫だ。

 何の根拠もなかったが、そう思えた。

 のちに調べると、そこにあった石塔は供養塔だった。

 何を供養したのか、詳細は分からない。

 調べすぎてはいけない、そんな気がした。

 あのとき見た振り袖姿の女性の姿は、今でも頭に刻み込まれている。

 助かった。

 そのときは素直にそう思った。

 しかし、本当に恐ろしいのはこれからだった。

 それは、朝比奈の切り通しを訪れた翌日から始まった。

 

 

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実話怪談 冬虫脳談 カタオカアツシ @konoha1003fuyu

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