誰かいる

 部屋でのんびりと過ごしていた夜、突然ドアを乱暴に叩かれた。

 ドンドンドン!

 かなり乱暴な叩き方だ。

 夜に訪ねてくる人など心当たりがない。時刻は二十二時を過ぎていた。

 驚いて様子を見ていると、またドアを叩かれた。

「逃げられねぇぞ! さっさと出て来い!」

 中年男性の荒々しい声がドアの向こうから聞こえた。

 いったい何が起きているのか理解できなかったが、出て行かなければ誤解はとけないと思い、恐る恐る玄関に行き、ドアを開けた。

 ドアの外には興奮した様子の中年男性と、その後ろに派手な装いの若い女性がふたり立っていた。

 全く見覚えのない人たちだ。

 僕が出て行くと、中年男性は一瞬、不思議そうな顔をしたが、急に怒りを爆発させて、僕の背後を見ながら怒鳴った。

「てめえの女か! さっさと連れてこいや!」

 言っていることの意味がまるで分からなかった。僕はひとりで部屋にいたのだ。

「僕の女? すいません、何を言っているんですか?」

 僕の返事に、中年男性はさらに激昂した。

「とぼけてんじゃねえよ、女を出せよ!」

 中年男性は殴りかかって来そうな勢いだ。後ろに立つ二人の女性も険しい顔をしている。

 何かとんでもない勘違いをされている。まずはこちらの状況を説明しなければいけない。

「女、女って言ってますけど、この部屋には僕しかいないですよ」

 言っても、中年男性の興奮は収まらない。

「そんな嘘が通用すると思うのかよ! 俺たちは見てんだよ!」

「何を見たんですか?」

「ここに女が逃げ込んだところだよ、そこから三人で見たんだから言い逃れは出来ねぇぞ!」

 中年男性はアパートの前の道路を指さした。背後の女性ふたりが頷く。

 もう、何が何だか分からない。

「見たと言われても、誰もいないものはいないですよ。それに失礼じゃないですか。いきなりやって来ていちゃもんをつけて」

「いちゃもんって、てめえの女から手を出してきたんだろ!」

 話を詳しく聞くと、二人の若い女性は近くの商店街にあるスナックに勤めていて、客を送り出したあと、店の外でほんの少し立ち話をしていたらしい。

 そのとき、通りすがりの女が急にひとりの頭を拳で殴り、スタスタと歩き去った。

 女性二人はスナックの店長にそれを告げ、三人で女のあとを追いかけた。

 女は悠然と歩き、階段をのぼり、僕の部屋に入り込んだのだという。

 そんな訳はない。とんでもない勘違いだ。そう説明しても三人は納得しない。

「俺たちははっきりこの目で見ているんだよ。隣じゃなかったよな」

 二人の女性は僕を呆れたように睨みつけながら頷く。

 僕はもう仕方ないと思い、中年男性に部屋の中を見てもらうことにした。

「そんなに言うなら中を見てください。誰もいないですから」

 そう告げると、中年男性は少し戸惑いながらも、部屋に入ってきた。

 もちろん六畳間にも台所にも、押し入れにもシャワーボックスにもトイレにも誰もいない。

 玄関では二人の女性が、不審げにこちらを見ていた。

 狭い部屋だ。

 誰もいないことなど一分もかからず確認できる。先ほどまで興奮していた男性は血の気が引いていた。

「なんか、あれだな、すまなかったな。俺たちよ、本当に見たんだよ、なあ、間違いねぇよな」

 玄関の二人に言う。

「本当にさっきの女いないの?」

 玄関の二人はまだ疑っているようで、刺々しい声で訊いてくる。

「いねぇんだよ」

 もしかしたら隣に住む男性を見間違えたのかもしれないと思い、中年男性にどんな女だったのかを訊いてみた。隣に住む男性はやや小太りだ。

「髪が長いすげぇー痩せた女だよ」

 全身に鳥肌が立った。

 あの夜、曇りガラス越しに見た何かも、髪が長くて痩せていた。

 僕の様子を見ていた中年男性が、居心地悪そうにしながら言う。

「よく分からねぇけどよ、兄ちゃん、気をつけたほうがいいと思うぜ」

 部屋の中の異様な様子に、玄関の二人は怯えているようだった。

「騒がして悪かったな」

 中年男性はぎこちなく頭をさげて部屋を出て行った。

 残された僕は、独りでいるはずなのに、とても一人きりだとは思えなくなっていた。 

 誰かいる。

 すぐ隣にそれが立っているようで、その夜はまともに寝ることも出来なかった。

 きっと、いる。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る