何かあった

 ここで実話怪談を書くようになって、自分の記憶や家族の記憶を確かめるようになった。

 いい加減なことや嘘は、実話怪談と言い切っているから書きたくない。

 だから、自分が体験したことの解釈や説明は極力していないし、そもそも出来ない。

 奇妙な体験はしているが、それが何だったのかは皆目見当もつかない。

 だから、出来る限りの確認はしている。と言っても素人が出来る範囲だから、家族から話を聞く、ネットで調べるくらいなのだが。

 そこで、行き詰まってしまったのが『リトルリーグ』の話だ。

 僕は幼稚園から中学校卒業まで旭区中希望が丘に住んでいた。八十年代から九十年代までだ。昭和から平成をまたいだ期間。

 その当時、住んでいた家から歩いて五分ほどのところに広い空き地があった。土日にリトルリーグのチームが練習をしていたから、地元では『リトルリーグ』と呼ばれていた。

 そこは普段は何に使われるでもない空き地で、雑木林に囲まれ、相鉄線の線路が近かった。希望ヶ丘駅と二俣川駅のあいだだ。

 家から歩いて五分。野球が出来るほどの広さ。子供にとっては格好の遊び場。

 それなのに、そこで遊んだ記憶がほとんどない。

 まだ昭和の空気が濃い頃だ。外で遊ぶのが当たり前だった。それなのに、近所の友達とそこで遊んだ記憶がない。

 僕には二歳年上の姉がいる。姉とは自転車に乗って色々なところに遊びに行った。それこそ自転車で十分以上かかる公園にも行った。

 それなのに、歩いて五分の空き地に姉と行ったことがない。先ほど姉に確認したが、ないとはっきり言っていた。

 どうして、すぐ近くの空き地に行かなかったのか。

 何かが、あったのだ。

 姉は何があったのか覚えていなかった。

 僕は、なぜか、空き地の隅で若い女性が自殺をしたと思っていた。

 家族に確認しても、ネットで調べても、そんな事実はない。

 誰かに、何かを言われて、そう思い込んでいたのかもしれない。

 母は、子供に何かがあったかもしれない、と記憶していた。だから、僕や姉に、あそこには行くなと言っていたらしい。

 他の子供たちも行ってなかったから、当時、親たちは何かを共有していたのだろう。

 他の子供たちとも、遠い公園や違う空き地には遊びに行っていた。

 しかし、歩いて五分の空き地には行った記憶が全くない。

 何かがあった。

 だから、行くなと言っていた。

 それは、家族のみなが漠然と共有している。

 記憶の奥には、若い女性の自殺や、子供の事故か事件、そんなことよりももっと、もっと、恐ろしい何かがあった、そんな気がする。

 四十年前の、遠い記憶の何か。

 希望ヶ丘と二俣川のあいだ。

 子供たちに、あそこには行くなと大人たちが口を揃えていた。

 もっと、もっと、もっと恐ろしい何か。

 あそこでは、間違いなく、何かがあった。

 子供が近づいてはいけない、何かが。

 

 

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