呼ぶ首 一
それはいつの間にか、しかし粘着するようにひたりと日常生活に張りつくように始まった。
もしかしたら何十年も前から始まっていたのかもしれないが、僕にはその真偽は分からない。
きっかけは些細なものだった。
仕事帰り、僕は最寄り駅の金沢文庫駅から自宅まで三十分ほど歩く。
釜利谷笹下街道を通り、グリーンファームあたりの遊歩道、曰く因縁がある木の横を通って住宅地に入り、そこから坂をのぼっていく。
そこでいつも異変が起きていた。
ブルートゥースのイヤホンで聴いていた音楽が、いつも同じところで途切れるのだ。
毎回必ず、同じ場所。
曰く因縁がある木を通りすぎ、坂道をのぼりかけたところ。そのあたりはかつて、差別や偏見を受けていた集落があった場所らしい。僕が当地に引っ越してきた頃には木造の集合住宅がひしめくように建っていた。
しかし近年になって空室が増え、建物の老朽化もあって集合住宅は徐々に取り壊され、メゾネットスタイルの新しい建物が建つようになっていた。
そこでいつも音楽が途切れた。
電波が悪いのかな。
最初はそれぐらいにしか思っていなかったが、多少の煩わしさは感じていた。
あまりにそれが続くために、いつしか曰く因縁がある木があるところを過ぎたあたりでイヤホンを取るようになった。しばらく歩いてから再びイヤホンを装着して音楽を再生する。
そんなことを始めたときに気がついた。
音楽が途切れる場所を歩いていると、メゾネットスタイルの住宅から女性の声らしいものが聞こえるのだ。
なんと言っているのかは分からない。
ただ、こちらに向けて放たれた印象がある声だった。
違和感があった。
夜に、自宅から外を歩いている男に、自分の存在を知らせるように声を出す女性がいるだろうか。防犯上、危険をはらんでいるのではないか。
声は一度や二度ではなく、頻繁に聞こえるようになった。
繰り返し聞くうちに、こちらを呼んでいるような印象は強まっていった。
何だかあのあたりは変だ。
そんな思いが強まったころに、それは現れた。
いつものように曰く因縁がある木の横を通りすぎ、イヤホンを外して坂をのぼりはじめた。
そのとき、メゾネットスタイルの住宅から女性の声がはっきりと聞こえた。
ハァァァァ、きゃ
張り上げたあとに、引き絞ったような苦しげな声。
驚いて声がした方向を見ると、ある一室のカーテンが引かれた窓があった。そこにそれはあった。
引かれたカーテンと窓ガラスの間に、街灯に照らされた女性の首が奇妙な角度で斜めになって浮かんでいた。
顔の造作は分からない。髪が長いことは分かった。胴体は見当たらない。
目が合った。
それは確信した。
そう思った瞬間、その首は奇妙な角度のまま垂直に落下して視界から消えた。
そこで強烈な腐敗臭があたりに立ちこめた。
全身を寒気と鳥肌が走り抜けた。
それが、この怪異の始まりだった。
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