第五話 暴君ミニ虎ムスメ、日本上陸(七)

「な、なんだって? それってどういう――」


 小虎の言葉に、俺は思わず耳を疑った。


「あ、そうそう。そういえば先週のパーティーで、すき焼きの材料に買ってきてくれたネギ! あれって、竜司とエルミヤさんが、わざわざ群馬県まで行って手に入れてくれた貴重な下仁田ネギだったのよね。私この前、そのこと『ゆた』から聞いて……」


「ゆた?」


「私の幼なじみの、前園まえぞのゆたか。今あの、あそこにできたスーパーでバイトしててさ。竜司、常連さんなんでしょ?」


「そうですそうですゆたかさん! よかったぁ、お話しになられたんですね!」


「うん。でも、せっかく二人が苦労して持ってきてくれたのに、あの時食べれなくてホントごめんね……」


「いえ、とんでもないことです小虎お嬢さま。だれだって、苦手なもののひとつやふたつありますもの。私もほら、納豆ナットーってあるじゃないですか。この国に来てから、あれだけはいくらがんばってもまだ食べられないんです」


「あー、まあ外国の人はそうなっちゃうかもね。……ねえ、逆に、エルミヤさんの一番好きな和食ってなんなの?」


「えーと、そうですねぇ。いろいろあるんですけど、やっぱり『玉子かけご飯』がシンプルに大好きです!」


「あーそれ! うんうん、わかる! 私もシンガポールで夜食によく食べてたもん。あれね、今度お醤油にプラスしてバターをひとかけ入れてみて。めっっっちゃウマくなるから!」


「うわー、そんなの絶対美味しいじゃないですか! そうだ、今ちょっと召し上がりません? ちょうどごはんも炊けてますし」


「え、いいの? ……うーん、じゃあ、いただいちゃおっかなあ。もしかして私、おかわりもいっちゃうよ?」


「はい! もちろんオッケーでございます!」


 オッケーじゃねえよ。



「なあ、その話はそのへんにして、さっきの件なんだが」

 果てしなく続きそうな二人のメシ談義をさえぎり、俺は口を挟んだ。


「なんだっけ?」

「なんでした?」


「ここに住まわせてほしいって言ったろ?」


「あー、そうそう。ここで暮らしたいのよ」


「誰が?」


「私が」


「誰と?」


「竜司と。当たり前でしょ?」


「……あのなあ小虎、いやお嬢。せめて理由を言ってくれ、理由を」

 俺は天を仰ぎながら、絞り出すような声で言った。


「えーっと、それは話すとちょっと長くなるんだけど」


「あ、新しいお茶、お注ぎいたしますね」


 すでに冷たくなった湯呑のお茶を、俺は一息で飲み干した。




「私、この前の誕生日で十八歳になったんだけどさ」


「そうでしたね。あらためて、お誕生日おめでとうございます」

 テーブルの湯呑にお茶を注ぎながら、エルミヤさんは頭を下げた。

 そういえば、エルミヤさんは実際何歳いくつなんだろうか。エルフとやらの人種は、見かけではいまいち実年齢がわからない。おそらく、小虎やゆたかちゃんとそう変わらないと思うが。


「そもそもシンガポールに行ったのは、もちろん大学に進学するためなんだけど、一番の目的はそれじゃないの」


「それは、なんなんですか?」


「決まってるでしょ? 自分の目で将来の結婚相手を選ぶためよ」


「け、結婚!」


 俺とエルミヤさんは、同時に声を上げた。そんな話、無論小虎からは一度も聞いたことはない。俺だけでなく、組長オヤジ以下組員全員がだ。


「昔から私には、自分で決めた人生設計があってね。とにかくできるだけ早く結婚したいと思ってるの。それも、私自身が認める『男の中の男』とね」


「男の中の男、ですか?」


「そ。だから、婚姻届が出せる十八になるまでに、なんとしても相手を見つけたいと思って」


「そうだったんですか」


「でも、ぜーんぜんダメ。留学中にいろんな国のいろんな男と会ったけどさ、どいつもこいつも格好カッコばかりで軟弱で。私が見てきた中で、間違いなく『男の中の男』って断言できるのは、結局竜司しかいなかったもん。強いし優しいし。ねっ♡」


「そりゃどうも」


 まだほんの少女だと思っていたが、小虎がそんな思いを秘めていたとはまったく気づかなかった。もっとも、組長オヤジの愛娘である彼女に、ストレートにそう言ってもらえるのは身に余る光栄ではある。


「あのうそれで、これまでリュージさまに、そのお気持ちをお伝えにはならなかったのですか?」


「だって竜司ったら、黙って勝手にほかのひとと結婚しちゃったんだもん。ひどいよ」


 口をとがらせる小虎に、エルミヤさんは今日一番の驚きを表した。


「えっ! りゅ、リュージさま! ご結婚されてたんですか? 初耳です!」


「いや、してねえよ」


「は? どういうことですか? ……ひょっとして、なぞなぞ? 『結婚してるけど結婚してないもの、なーんだ?』みたいな」


「じゃねえよ。たしかに結婚はしたけど、去年離婚したんだよ」

 

「つまりバツイチ、独身フリーに戻ったってことね。それを聞いて私、予定より早くシンガポールから帰ってきたの」


 もう五年ほど前になるが、たしかに俺は一度結婚している。だがいろいろな事情があって、その生活は長続きすることなく、三年あまりで女房はこの部屋マンションを出ていった。べつにわざわざ言う必要もないと思ったから、エルミヤさんには言わなかっただけだ。


「竜司にとっても、私なら結婚相手に申し分ないでしょ? なんてったって私は針棒組の跡取りなんだからさ。私のお婿ムコさんになれば、次期組長の座も間違いないんだし。それとも――」


 小虎はエルミヤさんを横目で見ながら、俺に向かって問いかけた。


「もしかして竜司、今ほかに誰か好きな人でもいるの?」


 ここで「イエス」と答えられる心臓を持つ人間がこの世にいたら教えてほしい、と俺は思った。




「というわけだから、エルミヤさん」


「はい?」


「竜司とのお仕事は終わったんでしょ? もう帰ってもらって大丈夫よ。玉子かけご飯は、また今度ご一緒しましょ」


 そう言って小虎はドアを開け、半ば強引にエルミヤさんに帰宅するよう促した。まるで彼女を、当面の最大の恋敵エネミーとみなしているかのように。



「リュージさま、どうするんですか?」

「どうするって、どうにもなんねえよ」


 小虎をリビングに置いたまま、俺とエルミヤさんは玄関口でひそひそと話し合った。このままエルミヤさんに部屋の外へと出ていっていただくのは絶対に不可能であるということは、すでにご承知おきのことだろう。


「なあ、魔法でなんとかなんねえか?」


「そうですねえ……あ、あれはどうでしょう? ほら、『秘匿魔法カモフラージュ』は」


「ああ、あれか。だがあれは、効くヤツと効かないヤツがいるんだろ?」


 エルミヤさんがこっちの世界に来たばかりのころ、針棒組の事務所内で使っていたあの魔法だ。あの時も伍道には効果がなかったようだし、あまり信頼できる方法とは思えないのだが。


「そうなんですけど、小虎お嬢さまってものすごく単じゅ……いえ純粋な方じゃないですか。なんだか、たぶん通用するような気がするんですよね」


 もっとも、ほかにいい案が浮かばないのも事実だ。俺はエルミヤさんに、ダメ元で秘匿魔法カモフラージュを使ってもらうことにした。



「……お待たせ、お嬢。エルミヤさん、もう帰ったぜ」


 俺は、ドアを開けてリビングに戻ってきた。すぐそばには、秘匿魔法カモフラージュをかけたエルミヤさんが突っ立っている。だが驚いたことに、どうやら小虎は彼女の存在にまったく気づいていないようだった。さすが、筋金入りの単純娘である。


「やっと二人っきりになれたね、竜司。私、ずっと待ってたんだよ……」


 小虎は俺の前に近づくと、小さな頭をそっと俺の胸に預けてきた。羽田空港で再会した時とはぜんぜん違い、その仕草はまさに恋人に対するそれだ。エルミヤさんは両手のひらを自分の頬に当てながら、真っ赤になって俺たちを見つめている。


「ああ、すまなかったな」


「私こそごめんね、急に押しかけたりして。……でも、私の気持ち、ちゃんと竜司に伝えられてホントにうれしい!」


 そう言って小虎は、屈託のない笑顔を見せた。そう、それは俺が知っているいつもの小虎だ。


「私ね、いろいろ用意してきたの。これから、竜司の身の回りのことはぜんぶ私がやるからね!」


 小虎は、この部屋で俺と暮らすための私物のほかに、さまざまな家事用品や雑貨類を持ってきていた。文字通り、押しかけ女房である。


「なあ、いちおう聞いとくけどさ、お嬢。ここに来ることって、オヤジには……」


「そんなの言ってるわけないでしょ? 嫁入り前の娘が男の家に泊まるなんて、もし知られたらタダじゃすまないよ、きっと」


「それじゃ……」


「あ、パパにはしばらくゆたの家でお世話になるって言ってあるからね。ま、二週間くらいは大丈夫でしょ」

 小虎は大量の荷物をほどきながら、俺に向かっていたずらっぽくウインクをした。


「それまでにさ、竜司と既成事実ができちゃえば、後はほら……ね♡」


(やばいですよ、リュージさま!)

(マジやべえよ、エルミヤさん!)




続く


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