第五話 暴君ミニ虎ムスメ、日本上陸(四)

「三年経っても、ここは変わらないねー。うんうん、みんなちゃんとキレイにしてるじゃないの、竜司!」


 株式会社針棒組の事務所オフィスの玄関へと駆け出した小虎は、うれしそうに俺の方を振り返った。幼い頃より、ここは彼女にとってもうひとつの我が家であり、大好きな遊び場でもあるのだ。

 小虎は社内の各部署を回って、隅々まで行き届いた整理整頓ぶりを確かめるとともに、それぞれの仕事に戻って精を出す社員たち一人ひとりに声をかけていった。さきほどの、空港で出迎えた時とはまた違った顔を見せる彼らに、彼女は満足している様子だった。


(それにしても小虎お嬢さまって、とっても明るくて素直で。何よりも、本当にきれい好きでいらっしゃるんですね)

 笑顔の小虎を見ながら、エルミヤさんが俺の耳元でささやいた。この姿だけ見れば、さきほど路駐男と大立ち回りを演じたのと同一人物とはとても思うまい。


(そうだな。まあ、昔からあんな感じだ)


 ああ見えて小虎は、折り目正しく真面目な性格である。朝はいつも誰よりも早く起きて、空手の稽古の前に、かならず自宅の周りをホウキで丁寧に掃除していた。この事務所に遊びに来た時も同様に、すみずみまで気を配っている。

 あんな気性だから、ともすると力ずくで他人を律することばかりに目が行きがちだが、そもそも自分自身にもっとも厳しくあらんとする性格なのだ。そんな彼女だから、全組員からの信望も厚い。


(ほわぁ、さすが小虎お嬢さまです! 尊敬してしまいます!)

 エルミヤさんは感嘆の声を上げて、大きくうなずいた。正直俺としては彼女に、小虎の爪の垢でも煎じて飲んでいただきたいくらいだ。まったく、エルミヤさんのふだんの生活態度ときたら……いや、今日のところはやめておこう。



 そして、最後に訪れたその部屋を、小虎が遠慮がちにノックした時である。中から「どうぞ、お入り」と静やかな声が返ってきた。勢いよく組長室のドアを開けると、そこには一人娘を出迎える父親の顔があった。


「パパ? やだぁ私、お家で待っててくれているんだとばっかり!」

「ああ、もう待ちくたびれてな。結局来ちまったよ。お帰り、小虎」


 小虎とその父親・権左は、三年ぶりの抱擁を交わした。さすがに俺の時とは違い、彼女は足腰の弱ったオヤジのどてっ腹にヘッドバットをかましたりはしなかった。


 アネさんは小虎を産んでわずか二年後に、胸の病でこの世を去った。もちろん俺たち組員も微力ながら支えてはきたが、オヤジはたった一人で小虎を、十七歳になるまで立派に育て上げたのだ。

 任侠道という特殊な環境の中、外国の大学を飛び級で卒業できるまでに成長した娘の頭を、オヤジはいとおし気になで続けていた。


「それで、日本こっちにはしばらくいられるのかい?」


「うん。卒業までは、あといくつか論文レポート出すだけだし。いまは遠隔講義リモートもあるから、当分は滞在するつもり」


「そうかい。まあ、ゆっくり過ごすといい」



 そんな父と娘の会話を、エルミヤさんは目を潤ませ鼻をすすりながら見守っていた。

「お二人、感動の再会ですねぇ。私、こういうのに弱いんです」

「親一人子一人っていう意味じゃ、千石モータースの達吉たつきっつあんと粽子チマキんとこと同じだがな。なんてったって、こっちは極道ヤクザだ。あっちとは、また違った苦労もあったろうよ」

「ですね……」

 俺自身、仲睦まじい父娘おやこの姿を見て、少々ウルっと来たことは否めない。半ばそれを誤魔化すように、俺はエルミヤさんに小さな声で問いかけた。


「ところで、エルミヤさんはどうなんだ? 故郷ふるさとの親父さんやお袋さんは」

「え? わ、私ですか? ええっと……それは……」

 そう言うと彼女は、うつむいて黙りこくってしまった。真剣な表情で、何かを必死に思い起こそうとしているようだ。


「どうした?」

「すみません、よく思い出せないんです。あの……私のお父様やお母様……って、どんな人だったでしょうか?」

「いや、知らねえんだが」


 エルミヤさんとはもうずいぶんと長く一緒にいるが、これまでに家族の話をしたことはなかった。彼女の記憶はあいまいで断片的だ。こちらの世界にやって来た時のショックのせいか、いろいろなことを思い出せずにいるらしい。俺は、エルミヤさんの肩に手を当てながら言った。


「無理しなくてもいいんだぜ。大事なことなら、じき思い出すさ」

「は、はい! そうですね」




ココンコン!


 その時、組長室のドアをノックする音が聞こえた。


「失礼。遅くなりやした! オヤジ、お嬢」


 そう言って入ってきたのは、しばらく席を外していた雷門らいもん伍道ごどうだった。一目で舶来物とわかるスーツにシックなストールなど巻いて、相変わらず洒落者の男である。


「おお、伍道か。ご苦労だった」

「ねえ、一体どこ行ってたの?」


「へへ、お嬢のためにバッチリ仕入れてきやしたぜ」


 伍道は、肩から下げていた馬鹿でかいクーラーボックスを得意げに開けた。


「伍道、こりゃあ――」

「す、すっごく美味しそうな霜降りのお肉が、ぎゅうぎゅうにいっぱいです!」


 俺たちの驚く声に、小虎は猛ダッシュで首を突っ込んできた。

「このきめ細かく入ったサシは――。ねえ伍道! これ、ひょっとして松阪牛まつさかうし?」


「さすがお嬢、お目が高い。最上級ロースを三重の業者から取り寄せたんでさあ」


(これを受け取りに行ってたのか、伍道)

(まあな。ことほかいい肉が手に入ったぜ)


 そうつぶやきながら伍道は、オヤジの方に目くばせをした。オヤジの方も最高級のサプライズにすっかりご満悦、といった表情だ。針棒組では、俺より格下となる若頭補佐に甘んじている伍道だが、どうやら奴はさらに上の地位を狙っている……と言ったら考えすぎか? 


「明日はお嬢の凱旋帰国と誕生日のダブル祝いだ。すき焼きで盛大にやりやしょう!」


「やったー! すき焼きぃー!」


 小虎は天井まで届くかと思うほど高く飛び上がりながら、腹の底から歓喜の声を上げた。




続く


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