第三話 ハラが減っては魔法が使えぬ(三)

 それから、さらに一週間ほどたったある日のことだった。


「リュージさま、今日のゆたかさん、どこかおかしくなかったですか?」

 またいつものように仕事帰り、例の「スーパー安か郎」で買い物をすませた後でエルミヤさんがこう言った。


「エルミヤさんもそう思ったか。声が小さくていつもの笑顔もないし、ボーっとしてたな」

「そうなんですよ。なんだか心ここにあらず、って感じでした」


 忙しそうにレジ打ちを続けているゆたかちゃんの方を振り返りながら、俺たちはそんなことを話し合った。たしかに少し心配ではあるが、かといってむやみに声をかけるのもはばかられる気がした。



「あらぁ! 竜司さんじゃないの。いつも『安か郎』をご贔屓ひいきにしていただいて、ホントにありがとうございますぅ!」


 俺たちが店を出ようとした時、そう言って大きな声で挨拶してきたのは、このスーパー安か郎の店長、安岩やすいわ幸太郎こうたろうだ。店長は、出入り口に置かれた買い物かごやショッピングカートを整理している最中だった。


 歳は四十代半ば。妻帯者で、たしか五歳になる息子もいると聞いているが、なぜかがっつりオネエ言葉を使ってくる一風変わった男だ。だが陽気で愛想はいいので、客からの評判は悪くない。最近は年の割に寂しくなった頭部と、目立ちはじめたビール腹が悩みの種だと言っていた。


「おう、店長。どうだい? 景気の方は」


「ええ、おかげさまで順調よ! って言いたいとこだけど、実際はねぇ……。ほかの店との競合が激しくて、ウチみたいな薄利多売が売り物のトコって、やっぱ厳しいのよ。まあ、従業員やお客様に支えられて、日々なんとかしのいでるわ」


 このところ、周囲にはデカいショッピングモールや全国チェーンのスーパーが乱立してきていて、ここのような安売店はなかなか経営が大変らしい。とりわけ知名度アップについては、資本力があって広告宣伝費を掛けられる大手と比べると、かなりツラいものがあるのだろう。


「店長さま、従業員と言えば……あの、前園ゆたかさんのことなんですけど」

 俺の横にいたエルミヤさんが、おずおずと声をかけてきた。


「あらっ、お可愛いお嬢さん! 竜司さんとご一緒のとこ、ちょくちょくお見かけしたことあるけど……へー、エルミヤさんっておっしゃるの。ま、竜司さんの姪御めいごさん? まー、素敵なお帽子にお召し物で。ん-、だけど竜司さんにはちっとも似てらっしゃらないわねぇ。ウソウソ、冗談よ、ほんのじょーだん」


 エルミヤさんの顔を見て、早口でまくし立てる安岩店長。しかしコイツは声だけ聞いてたら、どう考えてもおじさんというよりおばさんである。


「それであの、彼女……なんとなく元気がないみたいで」


「あーはいはい、ごめんなさいね。ゆたかちゃんよね。とっても明るくていい子なんだけど、たしかにちょぉっとお疲れ気味かしら。彼女、学校帰りにパートで入ってもらってるんだけど、最近は少しシフトがキツ目かもしれないわ」


「そんなに忙しいのかい?」


「いえ、あの子の方から、なるべくたくさん入らせてくれって言うからね。あの子んち、母子家庭だし……あら、私ったら個人情報をつい……。悪いけどこれ、ここだけの話にしてちょうだいね」


 ゆたかちゃんに父親が不在とは知らなかった。仮に経済的な理由でバイトのシフトを増やしてるのであるとすれば、少々気の毒なことではある。


「ああ。それじゃ、忙しいところすまなかったな」

「失礼いたします、店長さま」

 俺たちはそう言って、スーパー安か郎を後にした。


「いえいえこちらこそ。ご来店ありがとうございました! またのお越しを!」




 だがそんなある時、その「スーパー安か郎」にて事件は起こった。


 また俺が、エルミヤさんとともに足りなくなった食材を買い込んでいた時だ。店内の目立たない場所で、安岩店長とゆたかちゃんが話しているところを目にしたのである。

 その雰囲気はかなり深刻で、いつも陽気なあの店長が、彼女に向かって何かを言い含めているといった感じだった。


 しばらく見ていると話が終わったようで、ゆたかちゃんは店長に頭を深々と下げて、バックヤードへと姿を消した。

 だがその瞬間、彼女の目元に涙らしきものが見えてしまったのだ。俺はスルーしようかと思ったが、エルミヤさんの方が店長に話しかけてしまっていた。


「あら、エルミヤさんに竜司さん、いらっしゃいませ。……困ったとこ見られちゃったわね」


「店長さま、ゆたかさん、どうかなさいましたか?」


「うーん……あんまりお客様に話すようなことじゃないんだけど。じつはあの子、ちょっと発注ミスをしちゃったのよ」


「発注ミス?」


「いえね、ゆたかちゃんも安か郎このみせ長いし、商品の発注もかなり任せているのよ。でも、今回ロールパンの発注数を間違えて入力しちゃって。十個のとこを百個注文しちゃったの」


「えーっ? ロールパン百本ですか?」


「ううん、一袋につきロールパンが四本入ってるから、全部で四百本ね」


「よ、よんひゃっぽん!」


 店長は、当のロールパンの袋を俺たちに見せてくれた。表面に切れ目スリットが入っている、ごくありふれたロールパンだ。


「消費期限もあと五日しかないし、とても売り切るのは無理ね……」


「うーん。まあ、この際しかたねえ。値段を下げて売っちまうしかないか?」


「あ、私、誤発注の件をSNSで拡散して、たくさんの人をお店に集めて買ってもらうっていう動画を観たことあります!」


 しかし安岩店長は、俺たちの提案にかぶりを振った。


「数が多すぎるし、意味もなく値下げはできないわ。それに、SNSで誤発注を宣伝するっていうやり方も、お店の誠意が感じられないから私は好きじゃないの」


「そうですか、うーん……」

 うつむいて考え込むエルミヤさんを元気づけるように、店長は優しく笑いかけた。


「どうもありがとうね、エルミヤさん。いいのよ、ご心配かけてごめんなさい。別に、たかだかこれくらいのこと。大した金額じゃないし、お気になさらないで大丈夫だから」


 店長は、俺たちにあらためて礼を述べると、売り場へと去っていった。



 四本入りロールパンは、一袋わずか九十八円(税別)。百袋でも、九千八百円だ。たしかに、スーパー安か郎の経営が傾くほどの損失ではない。

 だがこう見えて、この安岩店長は厳格で真面目な性格だ。ほかの店員への示しもあるし、ミスをしたゆたかちゃんが何かしらのペナルティーを科される可能性もある。さすがに、この件だけで彼女を解雇クビにしたりまではしないだろうが。


 その時、ずっとロールパンの袋を手に何かを考えていたエルミヤさんが、何かを思いついたように言った。


「あの、リュージさま! 私にひとつ、いい考えがあるんですけど」




続く


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