第五話 暴君ミニ虎ムスメ、日本上陸(六)
結論から言うと、「道の駅しもにた」に下仁田ネギは売っていなかった。いや、正確には品切れだった。
聞けば、下仁田ネギの旬は冬。十二月から年明けの一月半ばごろまでが、いわゆる出荷のピークなのだそうだ。
「あー、大変申し訳ありません。例年であれば、二月くらいまでは残ってるんですけどね……」
だが、今はもう四月。店員によれば、とっくの昔に在庫はすっかり
「それでは、もうグンマー圏のどこに行っても、下仁田ネギは入手できないということですか?」
がっくりと肩を落としたエルミヤさんに、俺は慰めの言葉をかけた。
「残念だが、売ってないんじゃ仕方がねえ。ほら、このシラタキや椎茸も、下仁田の特産品だってよ」
下仁田くんだりまでやって来たせめてもの駄賃代わりに、すき焼きによさそうな具材をいくつか買い求めたが、うつむいて涙ぐむエルミヤさんの表情は晴れなかった。
「小虎お嬢さまに、美味しい下仁田ネギをスキヤキにして召し上がっていただきたかったんですけど……」
「お嬢ちゃんたち、下仁田ネギ探しに来たんかい? どっから?」
その時、俺たちは背後から声を掛けられた。見れば、頭にキャップをかぶった六十代と思しき地元のオッチャンである。どうやら、店員とのやり取りをずっと見ていたらしい。
「と、東京です」
目元をぬぐいながら、エルミヤさんが答える。
「そっかい。あいにく、もう時期も終わっちまったなあ」
「そうなんですね。残念です……」
そう言って肩を落とす彼女に、オッチャンは傍らのクーラーボックスから白いビニール袋に入った物を取り出して手渡した。
「ほったらこれ、持って帰りー」
「えっ? ……こ、これってもしかして、下仁田ネギですか?」
エルミヤさんは、袋の中身を見て驚きの声を上げた。
「
「いいのかい? オヤジさん」
俺の言葉を遮るように、オッチャンは手をひらひらさせながら言った。
「近くの知り合いに、少し分けてやろうとしてたんだけどな。いや、かまうこたねえ。遠慮すんな」
「ありがとうございます! あの、お代をお支払いしますので……」
「あぁ、んなもんいらねえよ。ほんじゃなー」
そう言って、オッチャンはさっさと行ってしまった。
「よかったですね、リュージさま! 幻の下仁田ネギ、手に入りましたよ!」
八百屋の店頭でおなじみの長ネギとはまったく異なる、太くて短い下仁田ネギの束を見せながら、エルミヤさんは興奮気味に叫んだ。多少葉先が変色してはいるが、たしかにそのフォルムは「殿様ネギ」と称されるほどの風格を感じさせる。
「そうだな」
俺も、満足げにうなずいた。今日の宴会の出席者全員に行き渡るかは正直微妙な量だが、少なくとも
「帰るか」
「はい!」
せっかくの凍らせた下仁田ネギが解けてしまわぬよう、俺たちは東京への帰路を急いだ。
「どうぞ小虎お嬢さま、特製のスキヤキを存分にお召し上がりください!」
「ありがと、エルミヤさん。……あ、これいらないから」
小虎は椀の中に入っていた下仁田ネギを、箸先で器用にひょいひょいすくい上げた。弧を描いて空中を舞った数切れのネギは、隣に座っている俺の椀の中にポチャポチャ飛び込んでいった。
「あ?」
「私、昔からネギって食べれないのよ。知らなかった? 竜司。
――うぅーん! やっぱ、
呆然としているエルミヤさんは数秒後、ふと何かに気づいたように俺に言った。
「あ、そう言えば私、今回ぜんぜん魔法使ってないんですけど、大丈夫ですか?」
俺はその言葉に答える代わりに、椀の中の下仁田ネギを、箸でつまんで自分の口の中に放り込んだ。噛みしめたそれは、甘いというより不思議とほろ苦かった。
小虎が東京に帰ってきてから一週間ばかり経った、とある土曜日の昼下がり。俺のマンションの
ピンポーン
眠い目をこすりながら、俺はインターホンのカメラ越しに来客の姿を確認した。
《竜司、私だけど。――いるんでしょ? 開けて》
「リュージさま、どなたでしょう?」
同じように
「小虎だ」
「ええっ! 小虎お嬢さまですか?」
それは、紛れもなく小虎の姿だった。それも、やけにでっかい荷物を抱えてるように見える。
《ねえ、竜司?》
「お、おう、わかったお嬢。すぐ開ける」
とりあえず俺はそう答えて、オートロックの解錠ボタンを押した。ガラスの自動ドアが開き、ロビーに入ってくる小虎を見てから、俺はインターホンの受話器を元に戻した。
一瞬、居留守を決め込むことも考えてはみたが、小虎の性格だと何の躊躇もなく玄関ドアを蹴破って入ってくることは容易に想像できる。
「やべえぞ、エルミヤさん」
「そっ、そうですね。すぐにお茶をご用意しないと。お茶菓子は買い置きのポテトチップスでよろしいでしょうか?」
「そうじゃあねえよ! 俺とエルミヤさんが一緒に住んでるなんてことが小虎に知られたら、タダじゃ済まねえぞ!」
そう言いながら俺は、寝起きの
「それでは、どうしますか? とりあえず、ベランダの外にでも出てましょうか」
「いや、そうすると『隷属の鎖』のせいで、俺がベランダの
ピンポーン
今度は、ウチの玄関の方の
「とにかく、俺の横で話を合わせてくれ。頼むぜ」
「はい! わかりました」
玄関ドアを開けると、そこには小虎が立っていた。俺の顔を見た彼女は、なぜか少しホッとしたような表情を見せた。
「よく来たな、お嬢」
「うん、ごめんね急に。――あれ、エルミヤさんじゃない。どうしたの? 土日はお休みでしょ?」
俺の隣にいるエルミヤさんの姿を見て、小虎の顔つきは明らかに曇った。
「急ぎの仕事が入っちまってな。彼女に手伝いに来てもらってたんだよ」
「そ、そうなんです小虎お嬢さま! 私、リュージさまの秘書ですから」
「休みのとこ悪いなエルミヤさん。ついでに、お茶淹れてくれないか?」
「はい! 承知いたしました」
少々棒読みっぽい会話になってしまったが、小虎は一応納得してくれたようだ。
「どうぞ、おかまいなく……」
エルミヤさんがとんがり帽子の中からおもむろに取り出してきた、いわゆる「パーティー開け」をしたポテトチップスの袋を
「実は私、竜司に話があるんだけど」
「なんだいお嬢、改まって」
「(ゴクリ)…………」
その時、小虎の視線が自分の方を見ているのに気づき、エルミヤさんは申し訳なさそうに言った。
「あ、やっぱり私、お邪魔ですよね? ええっと、ベランダの方にでも出ていましょうか」
「いいよ、べつに。パパとか針棒組に黙っててさえくれれば。だって、竜司の秘書なんでしょ? 上司の秘密はちゃんと守れるわよね」
「もちろんです、小虎お嬢さま!」
「んで、俺に話ってのは?」
小虎は呼吸を整えると、俺の方に向き直って頭を下げながら、はっきりと告げた。
「おねがい竜司、私をこの家に住まわせてほしいの!」
続く
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