第五話 暴君ミニ虎ムスメ、日本上陸(一)

 現在の時刻は、午後三時すぎ。羽田空港第三ターミナルは、ある種の異様な雰囲気に包まれていた。我らが任侠集団針棒組の全構成員、いや株式会社針棒組の社員一同が、揃いも揃って黒ずくめのスーツ姿で国際線の到着ロビーに集結していたからである。

 その数、末端の三下チンピラもあわせて総勢百余名。そしてその目的はもちろん、三年ぶりにシンガポールから帰国する「お嬢」を出迎えることにほかならない。


「それで、リュージさま。その『お嬢』さまという方は、どのようなお方なのですか?」


 とんがり帽子に漆黒のローブに丸メガネ、そして木の杖エル・モルトン。いつもの見慣れた魔女衣装ルックで、エルミヤさんが俺にたずねてきた。

 なにしろ、あの伍道からの緊急連絡があってからというもの、お嬢を出迎える準備のために今のいままで奔走していたせいで、彼女にまともに説明するヒマがなかったのだ。


「ああ、お嬢はな、針棒組ウチの組長の娘だ」


 深夜の首都高バトルからの激務続きで眠たい目をこすりながら、俺はエルミヤさんに「お嬢」のことを手短に教えてやった。


 俺や伍道、そして組員一同が「オヤジ」と慕う針猫はりまお権左ごんざは、任侠集団針棒組の八代目組長にして、株式会社針棒組の代表取締役社長である。たしか、六十歳半ばだったはずだ。

 そんな組長オヤジに、五十代手前でようやく授かった待望の一人娘。それがお嬢こと、針猫はりまお小虎ことらだ。


「今年十七歳になるんだが、いまはシンガポールってとこにある国立大学に通っていてな」

「じゅ、十七、ですか?」


 エルミヤさんは、俺の言葉に驚嘆の声を上げた。

 それにしても、彼女も俺のそばで同じように徹夜していたはずだが、なぜかあまり眠そうにしていない。いったい、いつの間に睡眠をとったのやら。


「私、こちらの世界の教育環境についてはよくわからないんですけど、外国の大学というのはそんなに若くして通えるものなのでしょうか」


「いや、特例中の特例だ。お嬢はまれに見る天才児で、昔からとにかく頭の出来と行動力がハンパねえんだよ。独断で、飛び級試験ってやつを中学生の途中で受けて、シンガポール最難関の大学に合格しちまったのさ」


「はぇー。小虎お嬢さまって、すごいんですね!」


「まあ、組長オヤジはお嬢を溺愛していたからな。当時は大揉めにモメたんだが、最終的には単身シンガポールに送り出すことを認めたんだ。それが、三年ちょっと前だな」


「それでは、小虎お嬢さまはひさしぶりにこちらにお戻りになるんですね。さぞかし、組長さまもお喜びのことでしょう!」


「ああ、そうだな――」

 俺は昨夜、大急ぎで組事務所に戻ったのち、社長室でオヤジと話した時のことを思い出していた。



「竜司、それから伍道よ。急なことで呼び出してすまないな」


 俺と伍道を前にして、権左オヤジは静かに語りかけた。和服に袴姿は、いわばオヤジのトレードマークだ。そして白い長髪に白髭。組同士の抗争のために右目を失う傷を負っているが、その眼光は少しも衰えを見せていない。

 歳のせいで脚を悪くしており、普段から杖をついているが、その杖には居合斬りのための刀が仕込まれている。老いたとはいえ、その実力は確かなものがある。


「いえオヤジ、滅相もねえことで。なあ、伍道?」

「おうよ。それで、お嬢がお帰りになるってのは」


「ああ、小虎から急に連絡が入ってな。なんでも、大学卒業に必要な単位を取る目途がついたってことで、しばらく休学するんだそうだ」


「それはそれは。そいつは大したもんだ。ちょっと早いが、お嬢の凱旋帰国ですな、オヤジ」

 伍道の言葉に、オヤジは少し顔をほころばせた。


「ともあれ、あの子にとっては三年ぶりの日本だ。異国の地で、たった一人でがんばってきた小虎を、みんなで暖かく迎えてやってくれ」


「わかりやした、オヤジ。お嬢のため、俺たち組員一同、精一杯務めさせていただきやす!」


 そう言って俺は、伍道とともに頭を下げた。オヤジの座っているデスク後方の壁に、「針小棒大」と墨書された額が掲げられているのが目に入った。ウチの組の名の由来になった言葉ということらしいが、その意味は俺にはイマイチわからない。



 そんなわけで俺たちはお嬢、すなわち組長の娘――針猫小虎を迎え入れる準備に追われることとなった。

 急遽全組員が呼び出され、本来の業務である土建業における急ぎの案件を抱えた数名を除き、残りの人員はすべてこの作業に回されたのである。具体的には、針棒組事務所ビルおよび組長宅の修繕と清掃だ。残り時間は、あと一日もなかった。


「たしかに昨日の夜は、みなさん総出で会社のお掃除をされてましたよね。でも私的には、そこまで汚れているって感じではなかったんですけど……」


 そんなエルミヤさんの言葉に、俺は軽くため息をつきながら返した。

「ま、普通に考えたらそれほどでもねえんだろうけどな。だが、こと『お嬢』が相手となるとそうはいかねえんだよ」


「えっ? それは、どういうことなんですか?」



 ちょうどその時、携帯に着信が入った。俺の直属の部下にして舎弟の一人、マルからだ。

若頭カシラ、たった今、お嬢の搭乗機が到着いたしやした」

「わかった」

 俺はそう答えると、組員たちに向かって号令をかけた。全日空のファーストクラスで帰国してくるお嬢こと小虎を出迎えるため、百人にもおよぶ任侠集団が到着ゲートに列をなしたのである。その物々しい雰囲気に、ロビーは一時騒然となった。



 そして数分後、到着ゲートに姿を現した一人の少女。堂々と歩みを進めてきた彼女は、俺たちの前まで来ると、かけていたサングラスを外して軽くかぶりを振り、赤く長い髪をなびかせた。


「お帰りなさいやせ、お嬢!」

 一斉に頭を下げた百人の男たちには目もくれず、少女は俺の方を向いて一言だけ発した。



「……帰ってきたよ、竜司っ」




続く


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