第四話 ド・ド・ドリフト大爆走ッ!(八)

「ほら竜ちゃん、見えてきたで! 逝鳴のランエボや!」


 後部座席から身を乗り出し、ハンドルを握る俺の顔のすぐそばでチマキが叫んだ。いつしか俺たちは、ゴールの大井ジャンクションへとつながる山手トンネル内に足を踏み入れていた。前代未聞の首都高バトルは、いよいよ最終局面へとなだれ込んだのである。


「すごいです、リュージさま! あっという間に追いついてしまいましたよ!」


「お、おう……」

 エルミヤさんの声に、俺はそう短く返事するのが精いっぱいだった。これまで、彼女の高速魔法ハイスピードによって肉体と精神の限界を超える運転技術を発揮してきたが、急激な疲労とともにその効力が薄れてきたのだ。言ってみればこれは、魔法によるドーピングのようなものなのだろう。


「あー、もうちょっとなんだがな……ちきしょう、あと少し馬力パワーが足らねえか」

「竜ちゃん……」

 残念ながら、如何いかんともしがたいマシンの性能差も、ここにきて大きく立ちはだかっていた。


 その時、チマキがエルミヤさんに話しかけた。

「なあなあ、エルミヤさん?」

「はい、なんでしょう」

「思うたんやけど、さっきのミサイルの魔法いうやつ? アレ、逝鳴アイツに向けて撃ったったらええんちゃうの?」


 その言葉に少しうつむいて考えた後、エルミヤさんはパァっと顔を輝かせた。

「……そう言えばそうですね! ぜんぜん思いつきませんでした! ねえ、リュージさま」

「お? おう、そうだな」


 よくよく考えれば、どちらかが走行不能リタイヤとなった時点で終わりなのだから、最初から魔法で直接攻撃してしまえばよかったのだ。俺としたことが、つい正々堂々の「勝負レース」にこだわりすぎていたようである。


「ほな、思いっきりやったりぃや!」

「遠慮はいらねえぜ、ぶちかませ!」

「はいっ! ――――誘導弾魔法マジックミサイル!」


 その声とともに、エルミヤさんの手にした木の杖エル・モルトンからまばゆい光弾が放たれ……なかった。



「どうした?」

「……あの……誠にお恥ずかしいのですけど……魔法力切れです……」

 とんがり帽子で顔を隠すようにして、消え入るような声で答えるエルミヤさん。その長いエルフ耳は、心なしか赤く染まっているようだ。


「えっ? もう魔法使われへんの?」

「申し訳ありません! さきほどの高速魔法ハイスピードをかけるとき、慎重にしすぎて魔法力マナを使いすぎてしまったみたいで」


 ここに来て、いよいよ万策尽きたか。俺はため息交じりに、わずか数十メートル先を走る逝鳴の車のテールライトを見つめていた。

「やべえな……。もうすぐトンネルの出口だ。このままだと、逝鳴ヤツにちぎられて終わりだぜ」

「リュージさま……」



「んんんん~~~~。……ああん、もうええわっ!」


 ひとしきりうなり声をあげたチマキが、意を決したようにその豊満な胸元から何かを取り出した。

「しゃあないな……テストもなんもしてへんし、危ないさかい正直これだけは使いとうなかったんやけど、最後の手段や!」


粽子ちまきさん、なんですか? そのスイッチは」

「ふたりとも、今からしばらくしゃべらんとき! 舌嚙むで?」

「おいチマキ、いったい何する気だ?」


 チマキが手にした装置のボタンを押した数秒後、とんでもない爆発音とともに俺たちを乗せたハコスカが急加速した。走るというよりも、まるで「カッ飛ぶ」ような感覚だ。


「なんじゃこりゃ~~~~!」


「ウチ特製のニトロや! こんなこともあろうかと、さっき整備した時につけたってん!」


 カーアクション映画でたびたび登場する、亜酸化窒素ガスを利用した加速システム、ニトロ(正確には『ナイトロ』とか言うらしいが、その仕組みなどくわしいことを知りたければ各自ググってくれ)。まさかこれを「こんなこともあろうかと」と思って搭載する奴を、俺は初めて見た。

 ともあれ、ボンネットの隙間から白煙を吹き出しながら、ありえないスピードで爆走するハコスカ。俺はハンドルにしがみつくようにして、ジェットコースターのような猛スピードに必死で耐えていた。



「よっしゃ、ランエボ抜いたで!」


 猛烈な追い上げを見せたハコスカはトンネルを出る瞬間、そのまま逝鳴のランエボを追い抜いた。それと同時に、ニトロによる加速の効果が切れた。

 だが、そんな俺たちの前に最後の壁が立ちふさがった。首都高のコーナーの側壁である。


「リュージさま、ぶつかります!」


「ダメだ、ブレーキが利かねえ!」


 俺は必死にブレーキペダルを踏み込んだが、とてももう間に合わない。俺は、反射的に助手席のエルミヤさんに覆いかぶさった。



キキィィィィーーーーーーーーッ!




「……大丈夫か? ふたりとも」


 しばらくして俺は、顔を上げてふたりの無事を確認した。ハコスカは先ほどの爆走がウソのように、アイドリングしながら静寂のハイウェイにたたずんでいた。


「は、はい、リュージさま」

「止まったんや……どこにもぶつからんと……でも、なんでなん?」


 そのとき俺は、エルミヤさんが握っていたものに気がついて言った。

「こいつか。どうやら、咄嗟とっさにサイドブレーキを引いたんだな」


「車がぶつかりそうになったから、私怖くて怖くて。何かに掴まりたくて、目の前にあったこの棒に思いっきりしがみついてしまったんです」


 車は横滑りした状態で理想的な弧を描きつつコーナーを駆け抜けて、止まった。もちろん、エルミヤさんがサイドブレーキを使ったドリフトテクニックなど知っていようはずもない。すべては、偶然に偶然が重なっただけだ。


「ようやった! お手柄やで、エルミヤさん!」


「あ、ありがとうございます。……あの、そう言えば、勝負はどうなったんですか?」


「逝鳴のランエボなら、あそこのコーナーにぶっ刺さってるぜ」

 コーナーを曲がり切れなかった逝鳴賭市は、そのまま側壁にダイブしていた。ランエボの右フェンダー部分は大破しているが、当の本人は膨らんだ救命エアバッグに守られて無事のようだ。うなじのあたりに手を当てながら、こちらを睨みつつ何か叫んでいるのが見える。


「ということは……」

「ウチらの勝ちや!」


「さて、警察うるせえの出張でばってくる前に、さっさと引き上げるぜ」


 驚いたことに、あれだけ酷使しまくった直後にもかかわらず、ハコスカはふたたび軽快なエンジン音を響かせた。もうもうと煙を上げる逝鳴のランエボを放置したまま、俺たちは意気揚々と帰宅の途についた。




 夜が明けた早々に、逝鳴賭市は千石モータースにやってきた。まあまあの事故だったにしては、首にむち打ち症の分厚いコルセットを巻かれたくらいですんだようだ。奴の目は、怒りに燃えていた。


「軍馬竜司ィ! てめえ、この野郎!」

 逝鳴は店内にいた俺とエルミヤさんの姿を見るなり、大声で怒鳴りつけてきた。


「うるせえな、勝負ならもう着いただろうが」

 

「勝負だと? てめえら、なにやら怪しげな手を使いやがってよ」

 まあ、怪しげな手をさんざん使ったことは認めなくもない。お互い様だとは思うが。


「アンタ何言うてんねん! きのう、ちゃんと一筆書いたやないか。ウチらが勝ったんやから、全部チャラにするんやろ? しらばっくれる気ィかいな?」


 声を上げたチマキに、逝鳴は気色ばんだ顔つきで凄んだ。

「ケッ! そんなこたぁ知らねえな。こっちにはな、正式な借用書ってモンがあるんだよ」


 どうやら逝鳴は、あの勝負そのものを無視シカトするつもりらしい。すっぱり負けを認める男とは思えなかったが、その予想を上回るクズだったようだ。だが例の借用書を持って、出るとこ出られるというのも確かにマズい。



「あら、逝鳴さん。借用書なんてお持ちだったんですか? 私、ちっとも知りませんでした」


 その時エルミヤさんが前に出て、しれっと言った。


「この期におよんで何言ってやがんだ、この魔女っ子ネエちゃん! アンタにも、確かに見せただろうがよ!」

「本当ですか? できれば、あらためてもう一度見せていただけませんか?」

 逝鳴は、懐から書類を出してエルミヤさんに手渡した。


「うーん……おかしいですねぇ。私には、どう見ても――」

 借用書を目の前に広げたエルミヤさんは、そう言って首をかしげた。


「ただの白い紙にしか思えないんですけど」


「な、なんだって?」

 彼女の手から書類をひったくると、逝鳴はあわてて目を凝らした。


「な、ちょ、待てよ! なんだこりゃ? ……ねえ、ねえぞ? 文面もハンコも、なんにも、ねえっ!」



「おい、エルミヤさん。いったいこれはどういうこった?」

「あの方は口ではどう言おうとも、本心では負けを認めたんです。ですから、魔法の効力で文字が消え、借用書が白紙になりました」

 エルミヤさんの口調は、いつになく真剣だった。


「魔導師と契約を結ぶとは、こういうことです。契約は絶対。何人たりとも、約定をたがえることはできません。あ、それから……」


「なんだ?」


「昨夜の勝負の様子を撮影した動画を、各種サイトにアップしておきました。もちろん、逝鳴さんの名前入りで。深夜の首都高を爆走する走り屋カスタム仕様のランサーエボリューションが、自損追突事故を起こすまでの一部始終です。すでに、かなりの再生回数になってますよ」

 そう言いながら、エルミヤさんは手にしたスマホの画面を見せてくれた。まったく、いつの間にそんなものを撮っていたというのか。



チリンチリン♪


 その時、例の聞き慣れたあの音が千石モータースの前に鳴り響いた。そう、奴のお出ましだ。

(私が通報しました)

 エルミヤさんがささやいた。


「失礼するっス! あー、アンタが逝鳴賭市っスか?」

「ああっ? なんだテメーら!」


 正義の警察官こと、尾形おがた向日葵ひまわりが逮捕状を見せた。彼女の後ろには、御大層に大勢の警官や刑事たちが直立不動で控えている。一番下っ端の巡査のくせに、警視総監の娘というのはここまで権力を持っているのかと、俺は少し感動した。


「昨日の首都高の自動車事故について、署のほうでじっくり聞かせてもらうっス。ついでに、アンタのヤバそうな本業についても隅々まで調べさせてもらうっスから、覚悟するっスよ!」


 呆然とする逝鳴に手錠ワッパをはめながら、オガタはそう告げた。


「それでは、本官はこれにて。ご協力、感謝するっス!」

 そう言ってオガタは敬礼をしながら、不器用なウインクをした。俺は生まれてはじめて、この女に感謝と尊敬の念を抱いた。



「竜司、それからエルミヤちゃん。今回はホンマに世話になった。おおきにありがとうな!」


 ふたたびハコスカに乗り込んだ俺とエルミヤさんに、達吉たつきっっつあんは深く深く白髪頭を下げた。その目には、うっすらと光るものが確かに見えた。


「いや、気にするこたあねえよ、達吉っつあん。これまでの、ほんの恩返しだ」

「それでは、達吉さま。失礼いたします」


 そう言って車を出そうとした時、チマキが運転席のそばに駆け寄ってきた。彼女は、俺にウインドウを下げるようにジェスチャーをした。


「んん? 何だ、チマキ?」


 その時である。チマキは運転席の中に両手を伸ばすと、俺の頬をつかんで無言のまま、唇を重ねてきたのだ。


「大好きやで、竜ちゃん!」


 そう言うとチマキはきびすを返し、店の奥へと消えていった。俺はどうしていいかわからず、結局ふつうに車を発進させた。


「だだっ、だ、だ、ダメじゃないですかリュージさま! チューなんてしたら! それも、ち、粽子さんと? えっ、えーーーーっ?」


 助手席からそんな声が聞こえてきたが、俺はそちらを振り向けなかった。きっと、見ていられないほどニヤけた顔をしていただろうからだ。



RRRR―――― RRRR――――


 その時、俺の携帯が鳴った。我が針棒組の若頭補佐兼経理部長にして俺の親友、雷門らいもん伍道ごどうからである。


「おう、どうした伍道? 日曜にかけてくるなんてめずらしいな」


「竜司、ヤベえんだよ! 緊急事態だ」


「どうした。東京湾にゴジラが上陸でもしたか」

 俺は冗談めかして言ったつもりだが、伍道の声は真剣そのものだった。


「もっとひでえ。いいか、よく聞け!」



「明日、『お嬢』が帰ってくる」




第五話に続く


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