【27話】‐39/99‐

「今日はお仕事しないんですか?」

「社長から返ってこないからなー」

 夏休みに突入してからの喫茶こもれびは、相も変わらずゆったりとした時間が流れていた。

 花香はカウンター越しにスーツの長身女性と世間話をしていて、店長はコーヒーマシンの前で椅子に座りバイク雑誌を読んでいる。

 客は看板娘が対応している常連だけで、会計も終えて暇を潰しているようだった。

 昼の部が終わるまで三〇分を切り、このまま閉店かと思った矢先、来客の鐘が鳴る。手持無沙汰だった雅文はすぐに反応した。

「いらっしゃいませ、四名様ですか?」

「ああうん。座れる?」

 訪れたのは派手な四人組だ。男女二人ずつ。赤に紫、茶や金と個性的な髪色をしていてピアスを空けている者もいる。

「空いている席どうぞ」

「誰もいねーじゃん、ラッキー」

「やっと座れるー」

 四人は特に迷う事もなく入り口近くのソファ席に座った。そのテーブルに雅文がお冷を置くと、赤髪の男が胸ポケットの中身を見せて問いかけてくる。

「ここ、タバコ吸えます?」

「すみません、禁煙です」

「あー分かりました」

 窓ガラスに貼られたマークを一瞥しつつ応えると、そのやり取りを聞いていた他の面子が赤髪の男を茶化し始めた。盛り上がっているのを遮らないよう、「注文が決まりましたら呼んでください」とだけ残し、雅文はその場から離脱する。

 カウンターに戻れば、常連客が席を立つところだった。

「うーす、どうすか? ……えーまたっすか? はいはい、乗り込みまーす」

 ケータイを耳に当てる女性は、きちっとした見た目に反して粗雑な口調で対応している。どうにも仕事の用事が出来たらしく、彼女は片手間に看板娘へと手を振るとそのまま退店していった。

 背中が見えなくなるまでニコニコと手を振る同僚に、雅文はつい声をかける。

「あのお客さんと仲良いんだね」

「色々相談にも乗ってもらってるんです。ほんと凄いんですよっ」

 花香にとってあの女性は憧れだという。確かに変わった雰囲気は雅文も感じていたが、あまりにも称賛するのでその人物像がより気になった。

 そんな会話で時間が流れ、閉店時間まで残り一〇分。

 最後の客達は、未だにメニューを見る様子がなかった。

「自分、聞いてきましょうか?」

「いや、俺が行くよ」

 花香の名乗りに雅文が代わる。この店に細かなラストオーダーはないし融通も利くが、閉店時間は伝えておくべきだろうと席に近づいた。

 雅文が腰低く口を開こうとした時、四人の視線が一斉に向く。

 示し合わせたような動きに少しギョッとしていると、紫髪の男がどこか見下すように首を傾げてきた。

「あ、丁度いいや。お前さぁ、仁ト高?」

 雅文の時間が止まる。慌てて記憶の中に四人の顔を漁った。

 けれど当てはまるものはない。何より目の前の容姿が学生らしからぬもので、類似を上書きされてしまう。

「え、えっと……」

 戸惑いで思考が遅れてしまい、最善の手を逃す。紫髪の男は茶髪の女が持っていたスマホを奪うと、その画面を雅文の顔に並べた。

「これやっぱそうだろ」

「……っ」

 横目に見えた画像は、どこかで盗撮された制服姿の男子。それは邪悪な笑みを浮かべて同級生女子にちょっかいをかけている。

 ——県立仁ト高校、一年二組、加納雅文。

 その店で働く彼に、間違いなかった。


 瞬間、積み上げてきた物が崩れ始める音がする。

 使命が。日常が。

 切り分けていた壁が壊され境界を侵す。

『一応忠告しておきますが、学校外でも極力、教室と同様に振舞って下さい。少なくとも、同じ学校に属する相手に対して人格が異なれば、面倒な問題に発展します』

 初めの頃の忠告が、雅文の脳裏をよぎった。

 当然注意はしていた。けど甘えがあった。この店に見覚えのある生徒が来る記憶はないと思い込んでいたけれど、それは不確かだった。

 そもそももう既に、知らない範囲にまで影響は及んでいたのだ。


 焦る彼など気にした様子もなく、紫髪の男は肩を組んでくる。

「奇遇じゃん。オレらも仁ト高なんだよね。二年。先輩ね?」

 身分を明かし、馴れ馴れしくする。その笑みはあまりにも軽薄で。

 崩れていく塔を後押ししようと、無邪気な腕は絡みついていた。

「良い噂聞いてるよ~? 有名人だもんな?」

「ちょ、やめなって」

「いやいや、オレ悪いヤツ許せんし、成敗しなきゃだろ?」

「好みの女に恩売りたいだけだろ」

「さいてーじゃん」

 自分のスマホを取り返す茶髪の女は言葉だけ。紫髪の男は自分勝手な正義を冗談でかざし、赤髪の男はその冗談を正そうとため息を吐いて、金髪の女は外からゲラゲラと笑う。

 異常を察して花香が店長を呼ぶが、彼の身内が集まる瞬間を、紫髪は待っていた。

「きみたち何をして——」

 割って入ろうとする声を遮って、わざとらしく言及する。


「それで、女の子殴ってんだって? それも何回も」


 彼の罪を。

 その罰として。

 雅文を助けようとした親子は、動きを止めていた。真実を疑う瞳が四つ、更に彼を突き刺す。

 そんな様子を傍目に見て、紫髪は噴き出すのを堪えていた。

「いやー神対応な接客で全く分からんかったよ。犯罪者は案外普通なやつってほんとなんだなぁ」

 その声はすっかり場を支配し、仲間達の笑いも誘う。それが心地良くてか、下品な裁判官は止まらない。

「てか、犯罪者がのうのうと金稼ぐのってどうなの? オレは許せないなー。罰金でも払うべきじゃね? とりまオレに!」

「………」

 雅文が黙りこくる中、店長が一歩踏み出す。

「……きみたち、あまり騒ぐなら出てもらってもいいかな?」

 この空間の責任者による忠告に、しかし紫髪は未だ楽しげだった。

「あ、店長ですかぁ? 騒いですんませーん。でもこの店、犯罪者いるんすよ。こいつの方が早く追い出さないといけなくね?」

「離しなさい」

 下卑た笑いを無視する。客の言葉は信用に値しないと、従業員を守ろうとした。

 対する紫髪は、被告人の顔を覗き込んで嗤いかける。

「随分とここじゃいい顔してんだな。店長も騙しちゃって、こりゃ詐欺罪も追——」

 言葉の途中で、彼は動き出した。


 ——!


 振り抜く拳。不意を突いた一撃は、ギリギリのところで避けられてしまう。

「——あっぶな。おいおい本性出しちゃったじゃんこいつ!」

「雅文さん……」

 豹変した姿に、花香は思わず名前を呼んだ。近づこうとした娘を父はとっさに止める。

「……」

 彼は未だ、口を開かない。しかし既に答えは出ていた。


 こうなったらもう、壊すしかない。


 優先すべきは使命だと、崩壊を切り捨てる。

 他三人の座るテーブル。それを下から思い切り蹴り上げた。重い設備は大きな音を立てて一瞬浮き、乗っていた手つかずのコップを倒れさせる。

「ちょっ!? 最悪!?」「ふざけんなよ!」

「ッ!」

 女二人の服に水が飛び散る。挑発的な行為を買って、赤髪の男は拳を振り上げた。

「……っ!」

 加納雅文は避けきれず顔面に一撃を貰う。けれど接近した相手の胸倉をつかみ、巻き添えにして床へと倒れ込んだ。

「だはっ! カッコ悪!」

「チッ!」

 紫髪の嘲笑に赤髪は舌打ちをしつつ、馬乗りになって悪人を殴りつける。一方的な殴打は徐々に抗う気力も削いで行き、

「やめてっ!?」「やめなさいッ!」

「……っ」

 赤髪の拳が止まる。腕には少女がしがみつき、店長までもその場から男を引き剥がそうとした。

「んだコイツ……」

 悪態をつきながら力を抜く。すぐに父親が娘を後ろに庇い、赤髪はそれと同時に馬乗りをやめて引き下がった。

 従業員を守る親子に、状況は停滞する。散々罪を晒したのに態度を変えない二人に紫髪はもう飽きたような表情だった。

 一瞬の静寂が流れたところで、女の一人がぼやく。

「てか、濡れたんだけどどうしてくれんの」

「そりゃもう、弁償してもらうしかないっしょ」

「……花香」

 店長が目配せをすると、花香は意図を汲んで布巾を持ってこようとした。しかし離れようとした少女の足は、ようやく零れた声に止まる。


「……台無しだよ」


 殴られ、腫れた顔のまま、ゆっくりと起き上がる加納雅文。

 衣服も乱れてあまりにも痛々しい姿にも関わらず、その口角はニヤリと上げられていた。そしてその嘲笑は、紫髪へと返される。

「女の前だからつい調子に乗っちゃったんだよな? マジキモいなぁ。あその髪色って顔に視線が行かないようにしてんの? すごい努力じゃん」

 あからさまに煽る言葉に、紫髪の表情は怒りで歪んだ。

「あぁ? なんだ急に。やんのかよクズ」

「……雅文君、やめなさい」

 店長の声を、彼は聞かない。止めようとする腕も押しのけて、わざと踏み込む。

「いつまでイキってんだよ、くそダセーな」

「ッ‼」

 左頬を叩きつける拳。だが加納雅文は倒れなかった。間違いなくダメージを追いながらも持ちこたえ立ち続ける。

 そんな様子を女達は撮影していたが関係ない。

「ハイお前も殴ったな。これでお前らの方が警察行きだね」

「あ? てめぇから殴りかかって来たんだろ。正当防衛だ」

「んー? どこにそんな証拠あるんですか先輩?」

「ここにいる奴が全員見てたわ。そもそも学校でも殴ってんだろ? テメェこそイキってんじゃねぇよ。もう学校にいられなくすんぞ?」

「えーすごーい。先輩ってその歳で校長か何かだったんですか? 道理で禿げてるわけだ」

「お前死ねよ」

「先輩が殺せば?」

 向けられる殺意にも動じずそのまま返す。すると紫髪は耐えきれず再びその拳を振り上げ——直前で赤髪に止められた。

「もうやめとけ。付き合うだけ馬鹿らしい」

「はっ、殴りかかってこけてる奴がカッコつけてら」

 このままでは気が済まないと紫髪は主張し、それに赤髪は舌を鳴らしながらも冷静に諭そうとする。

「チッ、帰るぞ。どうせアイツ、もうここじゃ働けないだろ」

「いやしめとくべきだろ」

「へー、こんなに人がいるのに脅迫カー。これは警察呼べば一発で逮捕っすね」

「あ、テメェだろ!」

 仲間の止める手を振り払い、紫髪は拳を繰り出して。

 だがそれは、割って入った顔面が受け止める。

「……邪魔すんなよおっさん」

「出て行きなさい」

「じゃあそいつも——」

 紫髪の要求を遮り、店長——東寺薫は、口端から血を流しながら空気を震わせた。


「出て行きなさいッ‼」


 その声には誰もが時間を止める。支配権を取り戻した責任者は、真っ当に告げた。

「ここは私の店だ。もう閉店時間も過ぎている。きみ達は帰りなさい」

「けど、あいつが挑発して来てんだよ」

「警察はもう呼んである。私は偽りなく報告するからな」

 引き下がろうとしない紫髪に、店長はその視線を娘へと向けた。彼女はその手にスマホを持っていて、それがとっさのハッタリだとは親子以外には気づけない。

 紫髪は仕方なく踵を返し、最後に加納雅文に振り向く。

「次顔見せたら本気で殺すからな」

「うんまた会おうね。おれ、これ先生に渡しといて上げるから」

 向けられた殺意にも彼はにこやかに、赤髪の胸ポケットから頂いたタバコを見せつけた。

「何盗られてんだよ」

「うっせ」

 男はまだ学生でありたいようでもう何も言い返しては来なかった。濡れた服に文句を零す女二人を強引に席から立たせて店の外へと出て行く。

「マジ最悪。けどあいつマジキモかったわー」

「とりま拡散しとく?」

 カランカランと退店の鐘。扉が閉まればすぐに四人の声は遠ざかり、店内は静寂に包まれた。

 テーブルから落ちたコップが転がって、雅文の靴にぶつかる。

「………」

「雅文君、少し話せるかな」

 店長は少し強張った声で語り掛けるが、立ち尽くす彼は振り向かない。花香もじっと、その背中を見つめている。


 覆した水は元に戻らない。

 けれどそれは、元から不要なものだった。

 だから彼は、寄り添うコップを蹴った。


「俺辞めますね。今までありがとうございました」

 最低限の言葉を残し、店を出る。

「待ちなさいっ」「雅文さん!」

 呼び止める声を置き去りにして、彼は安らぎを一つ捨てた。



 充分利用は出来ただろう。

 都合の良い職場だった。

 今後の懸念点はあるけれど、実情を知れば関わろうとはしないはずだ。それでも踏み込まれたなら誘導すればいい。

 後悔なんてなかった。少し勿体ないと思うぐらいで、捨てたそのゴミ箱を覗こうともしない。

 もう大丈夫。

 使命を忘れる心配はなさそうだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

100回目のキミへ。 落光ふたつ @zwei02

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ