【1話】

 その星空は澄んでいた。

 今まで見上げた空の中で最も、星々が輝いているように見えた。

「………」

 見知らぬ土手で雅文は寝転がっている。服装は乱れ土が付き、露出した肌からは出血もしていて、何度も転び擦りむいた様相だ。

 そんな惨めな彼にとって視線の先の光は、あまりに遠く、そして目を奪う。

「……美桜」

 思い出す光景。目の前で起きた事故に巻き込まれた幼馴染。放り出された鞄は大量の血にすぐ浸って、ガラリと塀が崩れるとひしゃげた指が覗く。

 自分は、立ち尽くすだけだった。

 轟音を聞いて集まった近隣住民が慌てて救急車を呼んでいたが、それが無駄なのは見るに明らか。誰もが彼女の状態を知ると、それ以上は動けずに顔を歪めていた。

 だから逃げ出したのだ。

 誰かが揺るがせない事実を口にする前に。ここは現実ではないのだとその場から走り出した。

 そうして気づけば、土手の上で仰向けになっていた。躓き転んで、意識を失っていたのだろう。

 ふと目を覚ましたものの、焼き付く光景を夢と思う事は出来ない。


「村松美桜は、即死でしたよ」


 放心している雅文へ、突然声が投げられた。

「車と塀の間で潰され、臓器は見事なまでに全てが損傷。頭の方は無事だったみたいですが、もう生死には関係ないですね」

 若い女性の声。抑揚なく、淡々と語りながら彼女は隣へと腰を下ろす。

「今回の事故ですが、衝突した車には誰も乗っていませんでした。当然、竜巻等の自然現象で動いたという訳でもなく、これから警察が調査するのでしょうが、遠隔操作した痕跡が見つかるという事もないでしょう」

 雅文には何も聞こえていなかった。彼の心はただ、星空ばかりを見つめている。

 するとその虚ろな瞳を遮って、女性が顔を覗き込ませた。

「不思議には、思いませんか?」

 長く垂れた髪が僅かに鼻先に触れる。そこでようやく、雅文は自分に語りかける存在を認識した。

 黒のセーラー服を着た同年代の少女。どことなく垢抜けない印象を持ちながら、容姿とはズレた奇妙な魅力を持つ。

 それはきっと、浮世離れした銀色の髪のせいだろう。とても人とは思えない、美しく透き通った輝きだった。

 突然覆ってきた人影に、雅文は困惑で何の言葉も浮かべられない。けれど構わず少女は続ける。

「彼女は運命に殺されたのです。この世界にとって不要、あるいは扱いきれないと判断され、切り捨てられました。余りにも勝手な行い。故に神様は嘆き、慈悲を与えようと決意致しました」

「何を、言って……?」

 眼前の人物の正体。こんな自分に語りかけてくる意味。そして話の内容。全てを理解出来ないでいる雅文に、月明かりを背負った少女は告げる。

「村松美桜を救う手段を授けます」

 影の中、その瞳が不可思議な輝きを宿した。


「あなたの望みを叶えてあげましょう」


 直後、少女の体が雅文へと圧しかかる。

 暗闇の中で重なる男女。明かりは土手を上がった先の街灯と遠くの月だけ。垂れ下がった銀の髪が二人の表情を隠し、僅かな身じろぎが起こる。

 しばらくして少女が立ち上がり、露になった雅文はその熱に瞠目していた。

「え、あ……っ?」

 腹部。

 そこに突き立つ包丁が、非現実な熱を発している。

 鼓動が近付き、周囲の音が聞こえなくなる。開いた瞳が見る視界は狭まって、溢れ出す液体が命を抜いていく。

 呻き声すら上げられない惨めな人間を、少女は睥睨しながら送り出した。

「それでは、神様のご期待に応えましょうか」


◆◇◆◇◆


「この度は、入学おめでとうございます」

 聞き覚えのある、そんな文言が聞こえた。

 視線を向ければやはり記憶の通り、小太りな男性——雅文の通う高校の校長が朗々と祝辞を読み上げているところだった。

 体育館の中。整列する生徒に教師と保護者達。語る内容からも今現在行われているのは入学式なのだろう。

 去年も同じような光景で。毎年代わり映えしないのだなという感想を抱いていると、ふと記憶の食い違いを思い出す。

 ……自分はいつ、学校にやってきた?

 さっきまで見知らぬ土手で放心しながら星空を見上げていたはずだ。そして急に変な事を語りかけてきた銀髪の少女に腹を刺されて……

「っ!?」

 雅文は慌てて己の腹部を抑えた。感触を確かめ痛みを探す。しかしそこに想定していた傷はなく、どことなく固い制服の手触りしか得られなかった。

 困惑。

 一体どうなっているのか。今はいつ? いや入学式が行われているのだから4月か。ならば1ヶ月もの記憶はどうして空白だ?

 しかしその疑問ですら、根本的に間違っていると気付かされる。

「それでは、これからの新しい学校生活、頑張ってください」

 締めの言葉を告げた校長は、一礼をした。

 その意味を理解するよりも早く、進行の声がマイク越しに届けられる。

「新入生、起立」

 指示に従い、周囲の生徒が一斉に立ち上がる。

 着慣れていない制服。緊張の混じった表情。この式の主役。

 立ち並ぶその集団の中心で、一人座ったままでいる雅文に周りの生徒達から怪訝な目が向けられた。


「まさか、今までが全部夢……?」


 刺された事も。あの事故も。

 そして、1年間の記憶も。

 今行われているのが2度目の入学式だと知ると、彼の瞳は自然と一人を探していた。

 それは、死んだはずの幼馴染。

 もう届かないと思っていた、恋する相手。


 村松美桜は、そこで生きていた。

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