【14話】‐13/99‐

 時間割の内、体育祭に向けての準備時間が多く取られるようになっていた。

 生徒達は所属する組毎に色で分けられ、3学年混合の6チームを形成している。

 百人近い人数で活動するには場所に限りがあり、雨風を凌げてコンセントの使用も可能な体育館は比較的人気だ。その日、その空間を二つに分けて使っていたのは青組と、1年2組も振り分けられた緑組だった。

 緑組の代表である3年男子が点呼をしていると、1年生に一人の欠員がある事を知る。

「休みか?」

 その問いかけに事情を知る1年生は揃って視線を逸らす。ただし一人だけ、銀髪の少女は意に介した様子もなく答えてみせた。

「いいえ、教室に残っていました」

「はあ? サボりかよ」

 その告発に3年男子は呆れるものの、わざわざ連行してこようとするほど勤勉ではない。欠員は無視をして練習を始めようとすると、後ろから共感を孕んだ声が投げられた。

「なんだ、そっちも一人サボってんの?」

「そっちもってお前んとこも?」

「そそ、急にどっか行っちゃってさぁ」

 声をかけてきたのは同じ体育館内で練習している青組の3年生で、どうやら機材を忘れて借りに来たところだったようだ。

 余っていたスピーカーを抱えながら、彼は冗談めかして笑う。

「全く、今年の1年、不良ばっかかよ」


◆◇◆◇◆


 クラスメイト達が体育祭に向けての練習をしている中、雅文は自席で突っ伏していた。

 教室にいる方が自宅よりも気が楽だ。仮面を被ってしまっているから、サボっている事に関しての良心の呵責もない。

 それでも、ぐっすり眠れるという訳ではなかった。浅い眠りを何度も繰り返して、どうにかこうにか頭を休ませている。

 そうして、何度目かに目を覚ました時だった。


「体調悪いの?」


 聞きなじみのない声が降って来た。けれどそれは、よくよく思い出せば覚えがあって。

「……大宮、さん?」

 顔を上げた先にいたのは小柄な女子生徒。150㎝目前の身長、青みがかったショートボブの髪型に丸顔と、全体的に幼い容姿ながらも瞳だけが大人びている。

 大宮希李おおみやきり

 彼女は目を合わせると、薄っすらと笑みを浮かべた。

「久しぶり、加納君」

 中学時代に何度か話した事はあるが、その程度。決して親交の深い相手ではなく、そもそも同じ高校に通っている事すら知らなかった。

 不意に現れた姿に動揺してしまい言葉に詰まる。そんな雅文に、希李は少しだけ距離を詰めて語りかけてきた。

「なんか雰囲気変わったね。高校デビュー?」

「……いや」

 同じクラスではないのだし雅文の現状を知らないのだろう。以前のように軽い調子で話しかけてくる希李だったが、雅文は応えられず視線を逸らす。

 明らかに様子のおかしい彼に、しかし希李は追及しなかった。雅文から二つ離れた席——近くの空いている席に座った彼女は、雅文を真似するかのように机に突っ伏す。

 居座る希李に居心地の悪さを覚え、雅文は思わず口を開いていた。

「大宮さんは、練習行かなくていいの?」

 机にもたれかかった希李はものぐさに顔だけを見せて、下手な笑い方をする。

「へへっ、あたし悪い子だから」

 照れくささと得意げな感情が混じったような言い回し。それが彼女の口癖であると、関わりがそう多くない雅文でも知っていた。

「体育祭とか昔から苦手なんだよねー。人となんか頑張るのが苦手でさ」

「……そうなんだ」

 相槌を打つと希李は瞳を見つめてくる。それはなんだか、心の奥を見透かされている気分にさせた。

「暇だったら、話し相手になってよ」

 どこか差し伸べるようなその誘いに、雅文はとっさに首を横に振っていた。

「いや……俺、行くよ」

「そっか。じゃあまたねー」

 拒絶の理由に席を立つ。対して希李は気にした様子もなく雅文を送り出していた。

 ……彼女はなんで教室に現れたのだろう。いや、本当にただサボっただけで、たまたま巡り合っただけだ。それに1度目ではその姿を目にもしてないのだし。

 過去を思い出そうとする頭を押さえつけて、雅文は学校から逃げ出した。



 雅文が早退するのはよくある事だ。

 殺される手段の中で、上手くいきそうにない時は早々に切り上げる。幸いな事に出席は、認識の誤魔化しによる副産物で朝礼の点呼にさえ応えていれば早退扱いもそうされなかった。ただし、点呼が必要な行事の際は例外である。

 雅文は荒立つ胸の奥を殺して、急いで自宅へと向かう。

 家の外では仮面を被っているとはいえ、ふとした時に崩れかかる時がある。雅文の精神は常に不安定で、未だに装いを全う出来ていないのだ。

 しばらくしてアパートに着き、玄関の扉を開けた雅文は、そのまま靴も脱がずに玄関先でひざまずいた。

「はあっ……うっ」

 堪えられず、声だけを漏らす。ほとんど食事も摂っていないのに、胃の中からは何かがせり上がろうとしていた。

 1度目の波をどうにか抑え込み、取り敢えず立って靴を脱ごうと顔を上げた時。

 不意に、背中に温もりを感じた。


「ねえ。やっぱ体調悪いんじゃない?」


 落ち着いた声色。それは少し前にも聞いたもので。

 ゆっくりと振り向いた先。そこにいたのは、脳裏に浮かべていた人物。

「ごめんね。つけて来ちゃった」

 希李は申し訳なさそうに言って、優しく、雅文の背中をさすり続けていた。




          ——〖1章〗完——

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