【4話】

 ——ピンポーン。

 薄っすらと、扉越しにチャイムの音が聞こえる。

 それからしばらく待っても扉が開く事はなく、諦めるようにため息を吐いた。

「……雅文、どうしたんだろ」

 踵を返しながらも振り向いて、村松美桜は呟く。

 入学式の翌日。彼女の幼馴染は学校を欠席していた。

 思えば昨日も様子が変で。ただ、彼は携帯を持っていないから気軽に連絡も出来ない。家の電話にもかけてみたが、声は聞けていなかった。

 彼が塞ぎ込む事は今までにも何度かある。けれど何だか今回は、過去とは違った嫌な感じがしていた。

 妙な胸騒ぎ。何かが決定的に変わるような、そんな予感。

 ……私はずっと、味方だからね。

 美桜は誓う。

 泣き虫だけどとびきり優しい彼が、また笑えるのを願って。


◆◇◆◇◆


 ——ピンポーン。

 呼び鈴の音。自室の中でそれを聞いて、ドクリと胸が打つもどうにか抑え込む。

 そして、自分がすべき事を思い出していた。


『あなたには99個の命が与えられました。ですので、その分だけは死んでしまっても大丈夫です』


 想い人を救うにはその人の手で99回殺されなければいけない。そんな荒唐無稽な話に続いたのはやはり、理解の及ばない事。

 そもそも命を増やせるのなら美桜にもそうすればいいのではと思ったが、神の使いは無理だと首を横に振った。

『村松美桜は価値が重すぎて神様には操れないのです。逆に、加納雅文様はほとんど価値がないに等しいので自由に出来ます』

『価値が、ない?』

『つまりあなたは、死んでも生きていても、世界に影響は及ぼさない訳ですよ』

 運命がそう判断したのだと。

 だから神様に選ばれたのだと。

 その事実はショックではあるものの、結果的には幸運とも言えた。どちらにせよ思考の整理がつかない雅文を置いて、神の使いは説明を加えていく。

『村松美桜に殺しを行わせる理由は、彼女の表層的な価値を下げさせるためです。もちろん時代が違えば方法が変わりますが、現代社会での殺人は到底許容されるものではありませんので。ただ、村松美桜ほどの存在になりますと、1回の殺人程度では運命は見逃してくれないのです』


 だから99回。


 そしてそれは、彼女の死が決定づけられる3月8日までに達成しなければならない。

 ただ、その詳しい方法を向井悠里はその場で語らなかった。やらないといけない事があるとかで、昨日は家を去ったのだ。

 日を跨ぎ、今日また訪れると言っていた。加えて、その間に自分は美桜とは接触してはいけないとも。

 きっとさっきのチャイムは美桜によるものだ。だから雅文は神の使いの言葉に従い居留守を使った。心配してくれている彼女を無視した事に罪悪感を覚えながらも、顔を見ないで済んだ事に安堵も感じていた。

 とその時、玄関の解錠音が聞こえる。隣り合っている自室からのそれは明瞭で、扉が開き靴を脱いだ音すら判別出来た。

 そうして玄関を越えた足音は、迷いなく雅文のいる自室の戸を開く。

「お待たせいたしました。こちらの準備も整いましたので、今後の話し合いを行いましょうか」

 そう告げた向井悠里の背には、少しくたびれたリュックが背負ってあった。



 雅文の自室にやってきた向井悠里は、それからもう一つの部屋の方へと移動し、背負っていた荷物を置いた。リュックは大きいという訳ではないが中はぎっしり詰まっていて、どうやら着替え等の生活用品らしい。

「この荷物を取りに行ってたのか?」

「はい。1年間はお邪魔しますので、相応の準備です」

 サラッと発された言葉に、雅文は少し遅れてギョッとする。

「そ、それって、ここに住む、って事……?」

「ええ。一緒に住んでいた方が何かと都合が良いですし。それに、この部屋は使われていないのですから問題はないでしょう?」

「い、いや……」

 使われていない部屋と断言され、雅文は思わず顔を歪ませる。きっと彼女の事だから事情は知っているのだろうが、とはいえその言い方は気分が良くなかった。

 けれど雅文がその不快を口に出来ないでいると、向井悠里はそそくさと荷物を広げてしまう。

「それでは、今後の事についてお話しておこうと思います」

 その話題に切り替われば雅文もそちらを意識せざるを得ず、それ以上、部外者の行為にとやかく言えなくなった。

「村松美桜に99回殺される手段ですが、実際に全て殺される必要はありません。最初の内は、多くの目に彼女が殺人を犯したと映ればいいのです」

「冤罪にする、って事か?」

「と言うよりは、真っ先に彼女へ疑いがかかる場面を作る、と言った感じでしょうか」

 一日置いて、雅文も少しは話の方向性が見えていた。最初とは打って変わって、呑み込み早く理解する。

「美桜がやったかもしれない、って思わせるのか……」

「そうです。それは重なれば重なるほど、疑惑を強めます。価値とはすなわち、大衆からどれだけ意識されるのか、という事ですので」

 向井悠里は、リュックの中身を全て取り出し終える。その中に下着も見えて、雅文はそれとなく視線を外した。

「そもそもなんだけど、俺が殺されたらどうなるんだ? 俺は死んだのに生きてるって、周りはどう解釈するんだ?」

「そこは神様の力で認識を誤魔化します。神様ならその程度は造作もありません。その証拠に、この髪を不思議に思う生徒はいなかったでしょう?」

 向井悠里は自身の銀の髪を見せ、雅文を納得させる。確かにその輝きを指摘する者は学校の中にいなかった。

「話を戻しますが、加納雅文様にはまず、周囲から村松美桜が殺してもおかしくない、仕方ない存在になってもらわなければなりません」

 彼女が自分に害意を持つか。対立していると周囲に誤認させるか。

 どちらにせよそれを成すには、今までを捨てないといけない。


「美桜に、嫌われないといけないってことだよな……」


 10年以上の付き合い。勝手知った仲。いくらでもある大切な思い出。

 それらは全て、これからの行いにとって足枷となるのだ。

「概ねその通りです。周囲からもそう認識されるように仕向けなければいけないでしょう」

 雅文の呟きに向井悠里は頷く。ざっくりとした方針はこれで一区切りらしく、丁度荷物の整理を終えた少女は、立ち上がるとまっすぐに雅文を見つめた。


「それでは改めまして、」


 向けられる瞳。それは相変わらず信用出来ない。親愛のような感情はとても見つからなくて、それでも雅文は状況から信じるしかなかった。

 それに、希望でもあるから。

「あなたの願い、神様の慈悲、それらを遂げるため、この1年足らずの期間ですが、どうぞよろしくお願い致します。加納雅文様」

 そうして少女は、彼の決断も待たずに協力を結ぶ。

 彼もまた、己に問うよりも先に答えを出していた。

「……その仰々しい呼び方、やめて欲しい。雅文でいいから」

 あくまでも心は開かず、けれども関係を近づける印にむず痒かった呼び名を言及する。

「そうですか。それでは、雅文、でいいでしょうか?」

「いいよ。あんたのことはなんて呼んだらいい?」

「ユーリで結構です。私には元々名前もありませんので、お好きに呼んで頂いて構いません」

 名前がない。神の使いとは等しくそう言うものなのだろうか。そんな風に、一瞬だけ同情のようなものが湧いてしまい、すんでのところで押し留める。

 あくまでも協力関係。それを言い聞かせるよう、雅文は口だけを動かす。


「それじゃあよろしく、ユーリさん」


 後回しにしていた挨拶。

 それには笑顔も握手もなかった。


◆◇◆◇◆


 教室の戸を開くと一斉に視線を浴びる。

「おい、遅刻だぞ」

「……はい」

 授業を行っていた教師から厳しく伝えられ、俯きがちに頷いた雅文は唯一空いていた席へと向かった。

 既に2時間目の授業も終わりに差しかかろうというところ。昨日休んだ事も併せて、クラスメイト達は加納雅文という生徒に対しての印象を決め始めている。

 その視線の中には、ユーリのものもあった。

 同じ屋根の下で暮らす事となった少女は、しかしまるで別人のように、心配げな目を向けては、隣席の生徒の言葉に小さく相槌を打っている。

 品行方正で優秀な生徒。

 それを演じるユーリの役目は、雅文の対照、最も遠くに立つ事。だから雅文も、少女を気にはしない。

 それからすぐに授業が終わり、教師が雅文に向けて声を投げる。

「加納、職員室に来なさい」

「………」

 呼ばれて返事はせず、席は立つ。そのまま教室を出ようとすると、目の前に立ちはだかる人物が現れた。


「雅文、大丈夫?」


 聞き慣れた声。それに反応して一瞬鼓動が早まるも、自身を知って少し落ち着く。

 ……ああ、思ったより大丈夫だ。

 彼女を意識するたびに荒ぶる感情。けれどもそれは、使命を持ったおかげか幾分マシになっていて、と言うより受け入れられるようになっていた。

 希望を遂げるため、雅文は彼女の横を通り過ぎる。

「ちょ、ちょっと雅文っ?」

 呼び止められても構わず教室を出て。

 今までの全てを台無しにして。


 そうして彼は、彼女との関係を壊していく。

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