【3話】

「あ、あんた誰なんだよっ?」

 鞄を渡されるがままに受け取った雅文は、今更になって声を上げた。

 対する向井悠里は、ローファーを脱ぎ玄関を上がると、ダイニングに続く扉を開く。

「私は、神様の使いです」

 それだけ言って、銀髪の少女は食卓の椅子に座り、余った一席へ家主を促した。

「どうぞお座り下さい。立ち話の方がお好みでしたらそうしますが」

「………」

 主導権を握られ雅文は黙ってしまうものの、どうやら説明はしてくれるらしいという事は分かり、一応指示には従った。

 座り、向かい合う少女はやはり違和感のある魅力を持っていて。浮世離れした髪色もあり、人形であるかのような印象を抱かせて来る。

「まず、何から知りたいとかはございますか?」

「いや、そもそも何もかも分からないし……」

「それでは、こちらの自由に語らせていただきます」

 その丁寧な口調は雅文とは対照的だ。理路整然としていて単調で。そして、相手をまるで見ていない。言動の全てが、マニュアルに則っているかのよう。


「加納雅文様。あなたは現在、1年前に遡っています。入学式の際中に意識がやって来たと思いますのである程度は理解していると思いますが、これからの日々のほとんどはあなたの知る記憶の繰り返しです」


 突拍子のない事実はとても信じられそうもないのに、感覚が既に気づき始めていたものだから疑いを止めている。

 あの瞬間もこの瞬間も、夢ではないのだ。

 しかしそれならば、目の前の人物は何なのか。繰り返しと言うのに雅文は、その奇妙な同級生を知らなかった。

「もちろん、私はあなたの記憶にはない存在です。あなたが気づいていなかった、忘れてしまった、と言う訳ではなく、いわば、あなたと共にあの日からやって来たのです」

 心を読んだかのように向井悠里は補足する。

「私が遣わされた理由はあなたの補佐をするため。これからあなたが行うべき行動は単独で行うには難しいと判断されましたので、都合の良い立場として割って入った次第です」

 容易く告げたその行為は、少なくとも人間では成し遂げられない事のはずだ。

 新入生代表で、同級生の少女——向井悠里。それがその、人外の配役。

 少女はその瞳にまた、不可思議な輝きを宿らせる。

「さて行うべき行動とは、あの日に告げた内容です」

 言われ、雅文にもすぐに思い当たった。

 あの日。過去ではなく未来。それほど遠くとは思えない時の事。

 土手の上で一方的に告げられた希望を、雅文は思わず口から零していた。

「美桜を、救う……」

「はい、その通りです」

 それならば過去に戻っている意味も見えてくる。自分は結末を知っていて、世界はまだ結末を迎えていないのだから。

 しかし芽生えたその使命は、すぐに否定された。

「ただし勘違いをされているかもしれませんが、あの日に村松美桜が車に轢かれないよう計らうと言う事ではありません。彼女は必ず死ぬ運命にありますので、それでは無意味なのです」

「それってどういう……?」


「車を避けたとしても、近くの建物が崩れてくるかもしれません。あるいは彼女めがけて隕石すら降ってくる可能性もあるでしょう。何にせよ、村松美桜はどうあってもあの日に命を落とす。そういう運命なのです」


「なんだよそれ……っ。運命って、何なんだよっ?」

 今までただの高校生であった雅文は当然の問いを投げ、それに向井悠里は丁寧に説明を加えた。

「まず、この世界には運命と言うものが存在します。それは、神様による呼称ではあるのですが、世界を正しく進めようとするシステム、と解釈して頂ければ良いでしょう。そしてその運命は、世界の変革を嫌うがために、革命者の可能性がある者を限りなく摘もうと働いているのです」

 想像もしていなかった話に雅文は理解が追いつかず眉をしかめてしまうものの、神の使いは関係なく責務を果たす。

「つまり、村松美桜も将来的に、致命的な革命を起こす才を秘めている訳です。故に排除されようとして、そしてその運命の行いには神様であっても手出しが出来ません」

「手出しが出来ないって……。そもそも、神様って何なんだ?」

 神。その単語だけならば日常にもありふれている。

 多くの解釈では、全知全能で信じる者を救う存在。話を聞く限りその認識からは大きく外れていないようだが、正体はまるで見えてこない。

 しかしそもそもそう言うものなのだと、神の使いは告げた。

「神様は、見えざるお方です。あるいは、あなたに差し伸べる救いの手、でしょうか」

 そしてそれを語るのは予定にないとばかりにすぐ切り上げられる。

「話を戻しますが、神様にも出来る事には限りがある訳です。基本的にはこの世界を変える事は出来ないと思って下さい。ただし、この世界そのもの——世界を構築する者自身ならば、どうにか足掻く余地があるのです」

 雅文の疑心は膨らむものの、話は次々に進められていく。

「つまり、手段は授けますが、彼女を救うにはあなたがどうにかしなければなりません」

 神は、直接的には関わらない。

 それはまるで、盤外から指示を出し、駒の行く末を傍観するだけのようで。

 説明を聞いて不信感は募るばかりだったが、しかしそれが雅文にとっての希望であるのは間違いなかった。

「改めて尋ねますが、あなたは村松美桜を救うためならば、どんな事でも成し遂げられますか?」

「………」

 最終確認のような問いに、雅文はしばらく黙った。

 理性的な思考はすぐにでも肯定を示したがっている。ただ、感情が足を引っ張っていた。

 美桜を見る度に渦巻く感情。救いたい相手を真正面から見る事も出来ないのに、何が出来ると言うのか。

 今の自分は、果たして彼女の事を想っているのだろうか。

「……分から、ない。俺に出来る事はやりたいけど、出来るかは分からない。それに、何か俺以外に犠牲が出るとかなら、躊躇ってしまう、かも……」

 煮え切らないまま、顔だけは上げた。出ない答えを求めて少女を見やる。

 ただし神の使いは、最初から肯定以外を受け入れるつもりはない。

「安心して下さい。私が出来る限りの補助をします。それに、この手段において最終的な世界への影響は、それこそ村松美桜の生死の違いだけです」

 促すように。仕向けるように。

 絶えず瞳を見つめ続けて、その少年に告げていく。

「彼女を、救いたいのでしょう?」

「………救い、たい」

 結局雅文は、ゆっくりと頷いた。ハッキリと答えが出たわけではないけれど、その希望を捨てる事はやはり出来なかった。

 拳を握り締め、観念した雅文は救いの手を受け入れる。

「それで、その手段ってのは……?」

 神の使いは、最後まで表情を崩さずにその希望を開示した。


「あなたが、村松美桜に99回殺される事です」

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