【9話】‐1/99‐

「ッ!?」

 落下の衝撃に構えた雅文は、認識と食い違う体勢のせいでその場に尻餅をついた。

 しばらくは訳が分からず、次第に体の機能が正常に働いていると気付くと徐々に状況を把握していく。

「家の、前……?」

 視線の先にあったのは見慣れた玄関扉。

 表示される部屋番号は自宅のもので間違いなく、どうやらその手前で自分は立っていたらしいが、以前の記憶は一切ない。

「やはり、1度では死の感覚には慣れませんか」

 放心している雅文の下に声がかけられる。無意識にその少女が現れるのを待っていた雅文は、驚く事もなく振り向いていた。

「ど、どうなったんだ? 俺は上手く出来たの、か?」

 美桜に殺されたのか。神の期待に応えられたのか。

 こちらを見下ろすユーリに説明を求めると、返ってきた声音は今までになく柔らかだった。

「ええ、思いの外良かったですよ。一部の生徒からは村松美桜が押したように見えたという声も上がっていましたので、最初にしては上々でしょう」

 言われて落下の瞬間を思い出す。

 確かに、美桜が迫った瞬間に雅文はバランスを崩していたから、見る角度によれば彼女が原因と勘違いするかもしれない。

「……そっか。上手くいったなら良かった」

 本心では壊れ始めた幼馴染との関係について色々悩みたいところでもあったが、とにかくと胸を撫で下ろす。

 そうして少し落ち着いた雅文は、立ち上がりながら他の疑問点を尋ねていった。

「それで、今ってどういう状況? 何で俺、家の前に立ってるの?」

「雅文は、新しい命へと乗り替わったのですよ。家の前にいるのは偶々で、目を覚ます場所は無作為です。極力この部屋の近くに誘導はされているようですが、全く違う場所で目覚める場合もあります」

「なんで?」

 純粋に首を傾げると、ユーリはまっすぐ瞳を見つめてきた。

「神様も万能ではないのです」

 端的にそれだけを言って、それから彼女は玄関扉を開けて中に入っていく。雅文も外に立ちっぱなしでいる訳にもいかないからと続いた。

 日はまだ高い。正午を回っていない頃だ。

 そう言えば、ユーリはなぜ今ここにいるのだろうか。学校はまだ終わっていないはずだし授業を抜け出したのか。それとも意識が途切れた間に日付でも飛んだのか。

 それにそもそも、雅文が死んだ事実はどうなっているのだろう。認識を誤魔化すとは言っていたが、今後自分がどう学校で過ごせばいいかも分からない。

 まだ尽きない質問を雅文はまた投げていった。

「ユーリさん、今学校はどうなってるの? 俺が死んだこととか。それにユーリさんは学校にいなくていいのか?」

「学校の方は問題なく認識を誤魔化している際中です。ただそれには時間がかかるので雅文はその日の内に命を落とした場所には行かないようにして下さい。姿を見せると誤魔化し出来なくなる場合もあります。私につきましては、教師に体調不良で早退する旨を伝えてここにいます。雅文に色々説明する必要もありましたから」

「な、なるほど」

 順を追って丁寧に回答され、少し戸惑いながらも理解を示す。どうやら日付が変わっている事もなく、時間帯もほとんど間が空いていないようだった。

「今後、他者と相対する時は雅文が死んだ事実などないように振舞ってもらえれば大丈夫です。周囲の記憶としては、死の直前が丸ごとなくなっている状態と考えて下さい」

 言い争いや悪化した関係性までは誰もが覚えているが、結果は曖昧にしか思い出せなくなっている。そんな感じらしい。

 神の力による影響を頭の中で整理していると、そこでふと問題に気づく。

「というか、殺された現場にその日行けないなら、1日1回しか出来ないって事になるよね?」

「そうですね。とは言え学校に通える日数は約200日ありますし、充分ではないでしょうか?」

「2日に1回殺されろってことか……」

 多くの注目を浴びないといけない条件もあるし、休日中の活動は難しい。今回の1度目だって2週間も費やしてしまったのだから、正直これからはかなり駆け足で行かないと大変だろう。

「最大限のサポートはいたします」

 不安を抱える雅文に、ユーリは安心させようとかそう告げた。

 まあ実際、今回も彼女がコッソリ舞台を作っていてくれたから上手く回っていたし、そのサポートを抜きにするのは考えづらい。

 すっかり心を開きつつある雅文は、その同居人に微笑みで返す。

「うん、頼むよ」

 そうして次回に向けてまた、積極的に指導を乞うのであった。


◆◇◆◇◆


 雅文が1度目の死を成した翌日。

 登校するとチラホラと視線を感じたが、死んだ人間が生きている事に驚く者は誰一人いなかった。

 向けられた視線もすぐ逸らされる。クラスメイト達の中で加納雅文は、関わり合いになりたくない人物として評価され始めているようだった。

 雅文は自席へと座り、それからもう塞ぎ込む必要もなくなったからとどこか新鮮な気分で教室内を見渡した。

 すると、美桜を見つける。

 彼女は友人達と談笑していて、その様子を眺めていたら一瞬だけ目が合った。けれどその瞳は動揺で揺らいだ後、すぐに背けられる。

 見えるのは、中途半端に笑う横顔。

 何よりも先に心配を向けてくれた彼女はもういなくなっていて。

 そこに、確かな変化を感じてしまった。



 とは言え、村松美桜は芯を持った少女だった。

「……雅文」

 彼女はその日も諦めずに声をかけてきた。葛藤はあったのだろうが、一度決めた事は守ると言うように控えめながら歩み寄ってくる。

 やる事のなかった雅文はその瞬間も突っ伏していて、まるで昨日を再現するかのように気だるげに顔を上げた。

「だから、話しかけるなよ」

 2度目でも関わらず新鮮な痛みを抱えながら、彼女を罵倒する。

 それでも彼女は退かない。

 だから雅文は、繰り返した。

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