【10話】‐3/99‐
「っ……!」
3回目。死の直前から目を覚ましたのは最寄り駅の中だった。
改札を抜けたところで立ち止まってしまい、後ろに続いていた男性が舌打ちをして追い越していく。
強制的に切り替わる世界に、雅文は戸惑いながらも少しずつ順応し始めていた。少なくとも体勢の食い違いで転倒する事はもうなくなっている。
それでもまだ、死には慣れない。
命のストックがあると分かっていても、終わりが迫れば恐怖で目を瞑る。鼓動も早まって、生の実感を必死に掴もうとしていた。
それに、体の違和感もある。
目を覚ましてから少しの間は恐怖で強張っているせいなのか、まるで自分の体じゃないような感覚を得た。それは時間経過で少しずつなくなっていくのだが、なんとなく気にはなってしまう。
けれどまた、雅文は疑問を置き去りにした。最近、深く思考するのが億劫だった。
駅を抜けて空を見上げる。
まだ昼前。今日と言う時間はたくさんあるが、出来る事はもうない。
雅文は何も吐き出す事なく、自宅へと帰っていった。
◆◇◆◇◆
廊下を歩いていた雅文は足を止めた。俯く彼の視線の先、踏み出そうとしていた前方に他者の右足が置かれている。
雅文の進路を妨げるその人物は、目が合うと笑って見せた。
「なあ、ゴールデンウィークどっかで遊ばね?」
「……」
立ち塞がっていたのは雉尾大介。どれだけ呼び掛けても無視をされるものだから、強引に雅文の足を止めさせたのだ。
すっかり変わり果てた友人に対し、雉尾は常を装うよう気軽に誘いを持ちかける。けれどやはり雅文は無言を貫いて、しかし雉尾は引き下がらない。
「いいよな?」
「………いや。俺以外を誘いなよ」
声を発しても拒絶は変わらず、雅文は視線を逸らしながら障害物を避けようとする。だが雉尾はより迫って、雅文を壁際へと追い詰めた。
「お前を誘ってんだよ」
表情から笑みを消し、まっすぐに瞳を見つめる。対する雅文は、観念して無感情に返した。
「じゃあ、忙しいから断る」
「は? じゃあ、ってなんだよ」
声のトーンをまた一つ落として雉尾は言及する。大柄な彼が迫ると相応の威圧感があったが、雅文の心にそんな事で恐怖を感じる隙などない。
ましてや、他人と関わる余裕なんて皆無だ。
「邪魔だよ」
雅文は雉尾の肩を押し退けた。逃げさせてくれないからそれを退かす。
「っ……」
決して力が強かった訳ではない。軽く押された程度だったのに雉尾は、友人から向けられた睨みで思わずされるがまま後退ってしまっていた。
立ち尽くす雉尾を置いて、雅文は歩き出していく。また止められなかったと悔やみ、雉尾は最後にと遠ざかっていく背中へ声を投げた。
「何があったんだよお前っ!」
応えない。答えられない。
雅文は必死に耐えていたのに、つい拳を握って感情を出してしまう。
だからまた、誰にも悟られないように飲み込んだ。
雅文は学校で食事を摂る事がなくなっていた。食欲がないのだ。無理に摂取している朝と夕も、吐き出してしまいそうになる事が多かった。
だから昼休憩の間は、自席に座って机に突っ伏すか、教室内を見渡している。ただその時間が無意味という訳でもない。今後について、色々考えはしていた。
けれど、思考はいつも上手く回らない。
渦中の人物を視界に入れる度、嫌な感情が頭を支配した。
「……」
友人達と食卓を囲んでいる美桜。その表情は周囲に比べて浮かなく、視線は向けないものの、雅文からの目を気にしているのは明らかだった。
彼女は今日、雅文に一度も声を掛けていない。これまでの成果か代償か、彼女は消極的になっているようだ。
今までは彼女がきっかけで死ねたが、そうではなくなり予定が狂い始めている。だから雅文は、怒りに近いものを覚えていた。
その感情を正そうとして、それは今ばかりは間違っているのだと思い直す。
けれど上手く、その悪を自分の物と呑み込めない。切り捨てきれない根っこが拒絶を示してしまう。
そうしている間にも、時間は失われていっていた。
雅文は焦り、つい立ち上がる。すると一部の生徒が注目して、その視線が彼のイメージを補填し、後押ししてくれる。
気づけば、幼馴染の名前を呼んでいた。
「なあ、美桜」
近づいた食卓では丁度最大の厄介人物が席を外したタイミングだった。とは言えそこから先、どう話を繋げるかは考えられていない。
とにかく彼女に嫌われる行為を、と浮かべていると、突然右手首を掴まれた。
「……っ」
美桜は弱々しい瞳で彼を見上げて、力のこもった掌で愚行を止めようとする。
小さくなりながらも消えないその輝きを知った途端、雅文は触れられる肌から強烈な嫌悪感を覚えた。
「ッ!」
振りほどこうと右腕を払う。すると拳が美桜の左肩を打ち、彼女は小さな悲鳴を上げて椅子から転げ落ちた。
周囲は若干騒然となり、だが雅文はそんな声は聞こえず彼女を見下ろしていた。
倒れている幼馴染。外傷はないようだが、苦しみの表情を浮かべている。
その原因が自分であるというのに、雅文は怒りを募らせる。
そして、感触の残る右手首が嫌に気になった。
「なんだよっ……!」
気づけば教室を飛び出していた。
廊下で足を速めていく中、消えない感触を拭おうと右手首を掻きむしる。すると次第に痛みが少しずつ上書きしていってくれた。
それでも、頭の中では美桜が倒れる姿が思い出された。明確に、彼女へと危害を加えた事実が充満している。
なのになぜか、心は僅かに晴れていた。
自分がもう分からない。
苛立ちを浮かべる度に、拒絶する心と許容する心があって。
線を引いてみても気が付けば侵されている。被った仮面を剥がすと欠片がどうしても残って、元の顔と同化していった。
心は、二分出来ない。相反する感情があってもそれは、一つになっていく。
彼はようやく知った。
嫌われる事よりも。
嫌う事の方が、恐ろしいのだと。
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